八本目:おしゃべりジョーカーの憂鬱

 楽しい遊びの中心に、二宮千紘はいつもいる。

 みんなが取り合うつよい人気者。多分トランプで言ったら自分はジョーカー!


『ちっひ、こっち来いよ! 俺らと遊ぼう!』

『だーめ。ちっひーはあたしたちと一緒に来るんだから!』


 あっちにこっちに引っ張りだこで、おしゃべりすればみんな笑って。

 それが幸せ。


『ゆーうつ? なにそれ? むずい漢字はよーわからん!』


 みんなでいつまでも、楽しく遊びを続けたかった。

 なのに。


『悪いちっひ。おれ、こいつと付き合うことになってさ。しばらく遊べないわ』

『ありがとちっひー! ちっひーのおかげだよ!』

『ごめんちっひー。今日は男同士で遊ぶから――』


 いつの間にか、みんな知らないところでペアになっていて。

 自分の知らない他の遊びを見つけたように、ふたりでどこかに消えていく。


『……なんでよ』


 みんなの遊びは、そうやって終わって。

 最後にぽつんとひとり残った後に、いつも思い知らされるのだ。


『なんでみんな、いっつもどっか行ってまうん……』


 ジョーカーは、誰ともペアになれない。

 ババを引いたのは、自分だった。










「悠ボーイ。デュエルしようぜ!」


 五時間目の数学が少し早く終わるなり、城崎のそんな声が千紘の背から聞こえた。

 振り返ると、奴はトランプをシャッフルして真後ろの悠の席に歩いてきている。

 連休明けに席替えがあって、悠とは前後ろの席になった。

 だからいつもたくさん遊べて、とても嬉しい。


「おっ、いいぞ! 闇のゲームだからな。負けたら罰ゲームだぞ?」

「あったり前よ! ちっひーもやるだろ?」

「……もお。あんたら分かってんの? ほんまは今授業中やねんで?」


 がっと大股を開いて、後ろ向きに椅子に座り直す。スカートだから行儀悪いらしいけど、まあ知らん。どうせこのふたりの前だ。


「やるに決まってるやん! うちを誰やと思てんねん!」

「よっ! 二宮屋!」

「さすちっひ!」

「せやろ! 日本はうちに任しとき!」


 選挙カーに立つ人のように、声をかけてきた順に城崎と悠に手をひらひら振る。

 城崎が近くの誰かの席を持ってきて、準備は完了。三人で顔をつきあわせた。


「で、きのっち。何のゲームやるん? うち、ポーカーとかはでけへんで?」

「あー。まあポーカーって知的だもんなー」

「うん! ……あれ? どういう意味やのそれは」

「みんなが知ってる単純なのにしないか? ちっひでも分かるやつ」

「なあ、ゆーくんも! うちのことバカにしてるやろ!?」

「じゃあババ抜きでいんじゃね?」

「おっ、盛り上がるしいいな。じゃあ俊介が配ってくれ」

「聞けやあんたらぁ!」


 ノートを丸めてふたりの頭をぱこんぱこんと叩く。剣道部だから受けるのが上手いのか、綺麗に面打ちが決まったときのような、とても良い音が鳴った。


「よっしゃ。じゃあ、ババ抜きやるでー!」

「おー!」


 何はともあれ。

 楽しい遊びのはじまりはじまり。


 × × ×



「さすがだな悠。だが……こっからオレが巻き返す! 貴様に神を見せてやるよ!」

「きのっちはなに言うてんの」

「くらえドロー! って、なにぃ!?」

「フフフ……甘いぞ俊介! トラップカード発動! 『道化師の絵柄』!」

「だからゆーくんもさっきから何言うてんの……」


 何ゲーム目かは忘れたが、千紘のふたりに向ける目線は冷え切っている。

 よく分からないネタでふたりがずっと盛り上がっていて、置いて行かれてる感。

 まあこれはこれで、ふたりは仲良くなったんだなあと微笑ましいのだが。


「しかし、急に練習休みとか言われても何してええかわからんやんなー?」


 でも、仲間はずれにされるのはイヤだ。

 遊びを続けながら、思い切ってがこっと話題を変えてやる。


「まー、たまにはいんじゃね? 悠も病み上がりだし」

「俺はもう大丈夫なんだけどなあ。錬心館にも行こうと思ってるし」

「えっ!? やめときーや! またぶり返しても知らんで!?」

「ほら悠。ちっひーママがこう言ってんだから、今日ぐらいやめとけって」

「えー」

「あほ。いつうちがあんたらのおかんになったんや」


 突っ込むと、カードを引く先である城崎がにやっと笑った。


「まあなー。ちっひーに母性を感じるには、やっぱおっぱいが足りねーよ。おっぱいが」

「なっ……」


 直接的な単語に言葉が詰まって、頬が紅くなる。下ネタは苦手だった。


「やっ、やかましいわっ!」


 うやむやにするべく、城崎の二枚の手札のうち、出っ張って引きやすい方のカードをぐいっと引く。

 ジョーカーだった。


「ああああああっ!?」

「ははっ、ちっひーは相変わらずちょろいな! ……おっ、揃った! あがりー!」

「んぅうう! きのっちのあほ! ハゲろ!」


 でこをぺちんと叩いて、真っ赤になりながら二枚の札をシャッフルする。

 悠の方を向いた。


「おっ、じゃあちっひと一騎打ちか。てなわけで早速引く」

「ちょっ!? 心の準備っ!? ……ああっ。ふー、助かったわ」

「あら、ハズしたか。まあしゃあない。こっからこっから」


 相変わらず剣道でも何でも、隙を見つけた瞬間すぐに仕掛けてくる男だ。

 油断ならない。だが、ここでおしまいだ。


「ゆーくんには負けん」

「ちっひに負けたことはないけどな」

「やかましい! ここで負けるんや!」

「これは見物っすねー」


 城崎のような達人とは違って、悠は顔が分かりやすい。きっと今度は勝てるはずだ。

 ふたつ並んだトランプの右側に手をかけると、「っ……」


 露骨に悠が顔をしかめ出す。にやりと千紘が笑って、


「こっちやぁ!」


 またジョーカーとこんにちはしてしまった。


「なんでやねんっ!?」

「かかったなアホが!」

「悠、一本!」

「……うっさい! まだや! まだ終わってへん!」 


 剣道は二本取られるまで終わらない。剣道じゃないけど。

 しゃかしゃか二枚でシャッフルしてから、姿勢を前のめりにしつつ顔の横に二枚を掲げる。

 ジョーカーは左側だった。「勝負や!」


 絶対読ませないと、唇を真一文字に結んで悠を睨む。

 そうすると悠は右手で拳を作り、唇を親指と人差し指で挟んでうーんと考え出す。やがて一度頷くと、左のジョーカーのカードに手をかけて。


「なあ、こっち?」


 ずずいっと、悠も笑顔で姿勢を前のめりにしてくる。顔が近い。


「……っ」


 引いたらそれで良いものの、挑んだ手前逃げるのはとてもかっこわるい。


「もっかい聞く。こっちがジョーカー?」

「し、知らん」

「千紘。こっち見て」

「ははっ、きめえ! 何キャラだよ!」


 視線を逃した先に悠が回り込んできて、作った声で名前を呼んでくる。城崎が笑っている通り謎芝居で気持ち悪いのに、こんなのでもすぐに恥ずかしくなってしまう。

 だからジョーカーから手を離した悠に、つい反応してしまった。


「あっ……!」

「よし、こっち! はい勝ったー!」

「ぬぁああああっ!?」

「ちっひはかわいい」「かわいい」


 ゲームは終わり、悠と城崎が笑顔でハイタッチしている。残った手札を持った手をぶんぶん振って、余裕のふたりに向かって真っ赤になりながら文句を言う。


「んぅうう……! せこい! ずっこい! そういうことすんな!」

「ずるくない。相手の弱点を突くのは基本だろ。なあ俊介?」

「そうそう。ちっひーが下手なのが悪いんだぞ?」

「やっ、やかましい! こんなんどうにもならんやんか!」


 怒鳴ると、意外なことに真っ先に城崎が首を振る。

 んなことねーよと強く言い切り、悠の方を見て笑った。


「ちょっとだけマシになってきたじゃん、顔。特訓の成果が出てきたな」

「だろ! 予習復習、それから実践! 俺は伸びる子! 頑張る子!」

「ははっ、子どもかよ。まーオレに比べたら全然まだまだだけどな」

「……かお? とっくん?」


 また、知らない話題だ。

 こういうのが多いのは、イヤだ。


「なんや、最近ふたりで何かやったん?」


 ついていきたいの言葉の代わりに、カードを手に持ったままふたりに聞いた。

 教えてほしい。

 だが、ふたりは顔を合わせてにやっと笑うと、


「「ひみつ」」


 声まで合わせてそう言って、何も教えてくれない。


「……な、なんやねん。うちには言えんこと?」


 もしかして、またやらしいことか。それなら別にいいけれど。

 そんな風にスネた目線を送るがしかし、ふたりはからかい返してくるどころか、照れくさそうに笑い合うだけだった。

 本当に、悠と城崎は仲良くなった。……自分の、知らないところで。

 やがて、城崎の方から口を開く。




「言えないっつーか……言いたくない、だよな?」




 その一言で、なぜか呼吸が止まった。

 言葉を紡げないでいると、悠がとどめを刺してくる。




「そうだな。女子には、やっぱ知られたくないかも」




 心臓をぎゅっと掴まれたみたいに、胸が痛い。

 ふたりはまた、自分を置いてわいわいと話し始めた。

 おいていかれる。

 分からないけれど、そんな怖さにつき動かされた手が、つい悠の袖に向かって伸びていく。


「あ、あのな! もっかい! もっかいやろ――」


 しかし声は、遊びの終わりを知らせるチャイムにかき消されてしまう。

 伸ばした手も空振った。

 ふたりが揃って、椅子から立ち上がってしまったからだ。


「じゃ、次体育だから行くな。ちっひ、片付けよろしくな」

「罰ゲームはそれでチャラでいいぜー。じゃーなー」


 空振った手を「待って」と再び伸ばすが、途中ではっと気付いて止めてしまった。

 待ってって、何で?

 体育は男と女が別だから。

 こうやって分かれてしまうのが、当たり前のはずなのに。


「よーし行くぞ俊介。今日、体育館の日だっけ?」

「グラウンドだろ。多分ソフトボールとかじゃね?」

「おっ、いいぞ! 病み上がりの試し斬りには丁度いいな!」

「身体に向かってくるボールしか打てねーくせに……」

「うるさいな! 復活した俺はひと味違うんだ!」


 わいわいと楽しそうに、別の遊びを見つけたペアが扉の向こうに消えていく。

 それをいつまでも、動けずに見つめていた。

 手元にたったひとつ余った、ジョーカーの札を握りしめながら。




 × × ×




 かきん、と打たれたソフトボールが放物線を描き、傾いた太陽を越えて飛んでくる。

 外野で守っていた千紘はそのとき既に息を吐き、一歩目を蹴っていた。

 土煙を撒いて小石が跳ねる、影の落ちる場所で立ち止まる。鋭く天とキャッチャーを睨んで身体は半身――ばしっとグラブでボールを受けて、右手に入れ替え体重移動。

 スクリューの如く身体を後方から捻らせて、肩をぐんっとぶん回す!


「やあッ!」


 右手から迸る白球の光線がマウンドの辺りで鋭くワンバンし、キャッチャーミットに突き刺さった。ホームで守っていたキャッチャーの子は、そのまま左手を横にぽんと置くだけでいい。ランナーの子が呆然としていた。



「アウトぉ!」



 ふん、と千紘は荒く鼻息を吐いて、ダッシュで同じく守っていた葉月のところに戻る。


「もおっ。話の途中やったのに! 邪魔せんといてほしいわ」

「おみごと」

「こんなん別にどうでもええの! 今日はあんまり打ててへんし!」


 四打数四安打なのはいいとして、シングルヒットが多い。絶不調だった。


「身体に近い球やったらホームランできんのに……」


 いまいち、スカッとしない。

 最終回だからもう打席は回ってこないし、不完全燃焼だった。

 だが、まあいい。今はそんなことよりも。


「なあなあはーちゃん。ほんまに愚痴ってええんやな?」

「ん。存分に」

「よっしゃ。……じゃあ、しゃべるっ!」


 溜めていた不満マシンガンの口火を、今切る。

 標的はさっきのふたり――悠と城崎!


「まずはゆーくんやっ! ほんまいっつもいっつもなんやねん! うちのこと、かわいいばっかり言うて! 他にもしおりんとかまといさんとかいくらでもおるやろ! かわいいのが! まあみんな性格終わっとるけどな! でもせやかてうちのことおもちゃにせんでもええやんか? うちはもうほぼ男みたいなもんやねんから、ああいうのはいらんねん! せやろ?」

「うん」

「言うてきのっちもきのっちやで? いっつも人の顔見たらおっぱいおっぱい言うて! あいつの頭には乳のことしかないんか!? 誰がBakaのBカップや! 大体こんなんトップとアンダーの差のマジックやねんからな! うちでも小細工したらCくらい出せるねんからな! ていうかそもそも女子に面と向かっておっぱいって言うのがまずないわ! うちかて乙女やねんぞ!?」

「……ふ。うん」

「なんでわろたんやいま……って、あ……」


 はっと自分で気付いてしまい、またまたしゅんとうなだれる。


「うち、全然逆のこと言うてるな……」

「気付いた。えらい」

「……すぐバカにして。そこまでアホとちゃうわ……」


 重いため息をついて、しばし葉月のようにだんまりになる。

 自分はいったい、どっちがいいんだろう。

 女だからって引かれるのは寂しいし。でも、男っぽいからって押されるのもイヤだ。

 知ってる。これはムジュンというやつ。

 めんどくさくてイヤがられて、みんなが離れてくやつだ。……治さないと。


「でも、どっちもほんまなんやから、しゃあないやんか……」


 独り言を言って、んんんとグラブと片手で髪をかきむしる。

 むずかしいことは考えたくない。みんなでわいわい遊びたいだけなのに。

 一体いつからセケンとか、それから自分は、こんなにめんどくさなったんやろ――。

 そんな風にどつぼにハマってうなだれていると、葉月に下からぽんと頭に手を置かれた。

 グラブではないほうの、ちいさくて温かい手で。


「気にしすぎ」

「……別に、何も気にしてへん」

「気にしてる女、みんなそう言う」

「……」

「……大丈夫。そのままでいい」


 クールな葉月らしく、落ち着けというように優しくよしよし撫でられる。


「両方だと、駄目?」

「……え?」

「千紘は、かわいいし。かっこいい。両方あるほうが、お得」


 そう言って葉月は、目を見て上品ににこりと微笑んだ。

 誰だろう。この子を無表情とか言うのは。 

 同じ女子なのに、なんだかどきっとしてしまうくらい魅力的なのに。


「……でもうち、めんどくさない?」

「いい。面倒じゃなかったら、千紘じゃない」

「……どういう意味やねん」


 ひどい言い草に、いつもと違って葉月みたいにくすりと微笑んでしまう。

 すると葉月は、そんな自分がおかしかったのか、逆にお腹を抱えてけらけら笑い出した。


「あんな。……いっつも、ありがとーな」

「ん」


 もう、この子がペアでいてくれたらいいか。十分すぎる。

 頑張ってあきらめようかなあ。ゆーくんとかきのっちに置いていかれんの――



「タぁイム!」



 ぼうっと空を見上げていると、試合に突如タイムが告げられた。

 なんだなんだとバッターボックスの方を見ると、相手チームのリーダーの子がひとり、バッターボックスの近くで手を挙げて。


「切り札投入! 代打……ちっひー!」


 そう叫んだ。敵チームなのに。

 どういうこっちゃねんと首を傾げていると、味方チームからも同じくぶーぶーされていた。


「ちょっとぉ! ちっひーはうちの子でしょ!?」


 全くその通り。よく分からん。

 でも今はもやもやしているからスカッとしたいし、何より。


「よっしゃ! 打つ打つ! うち打つでー!」


 やっぱり遊びは、楽しいのが一番だ。




 × × × 




 バットを拾ってヘルメットを被って、素振りをしながら相手の準備が整うのを待つ。

 相手チームは全員がマウンドに集まって相談していた。その中には葉月もいる。

 様子を見ていると、少しだけ意外なことが起こった。


「ナイス藤野さん!」

「やるぅー!」


 葉月が何かを言って、それで相手チームが沸いたのだ。

 衝撃だった。

 あのおとなしくて人見知りの葉月が、みんなの前に出て何かをした。


「……はーちゃん最近、明るなったもんな」


 それに元々魅力的だった。人気が出るのもまあ当前。

 素直に嬉しく思うが、でもなんだか、自分だけが応援していたバンドがどんどん有名になっていくような寂しさがあって、千紘は唇を尖らせる。

 まったく自分は本当にめんどくさい。ぶんぶんバットを振って、邪念を払った。


「おらー! はよせえー! どうせあがいても変わらんでぇ!」

「はっはっは、やかましいぞちっひー! ……よっしゃあ! ものども、位置につけー!」

「プレイ!」


 最終回のツーアウト、ランナーが一塁で点差は一点。

 相手がボールを投げる前の一瞬、すっと目を閉じる。

 昔あった色んなこととか、今日あった悠と城崎のこととか、これから変わっていくであろう葉月のこととか。

 色んなもやもやを力に変えて、ぐいっとバットをテイクバック。

 かっと目を開いた瞬間、ピッチャーから白球が放たれて――。

 ――インコース。来たっ!


「もーらいッ!」


 笑顔と共に、甲高い金属音が青空に白い放物線を描いていく。

 これは間違いなくホームラン。

 ボールは外野の向こう、男子の場所まで飛んでいった。


「きゃぁあああー! ちっひぃー!」「抱いてー!」「好きぃー!」


 ダイヤモンドを優雅に歩いて、ゆっくりと回る。


「はーあ。ちょっとだけ、すっきりした」


 なんて単純バカ。でももう、これでええわと鼻息を吹いた。

 今日のことはもう忘れる。そしてこれからのことはよく分からん。


「……はーちゃんに彼氏できるまでは、考えんのやめよ」


 とりあえず今は、悠たちとの間に入れなくても。我慢をがんばろ。

 苦笑しながら、サードベースを蹴る。ホームまでもう少し。

 すると、キャッチャーの子が急に目を丸くし始めだした。

 身構え出す。「えっ、何――」


 ずばぁん! と一直線に迸る矢がキャッチャーミットに突き刺さった。


「……はっ?」


 理解ができない。外野の頭を越えたはずなのに。

 呆然としていると、ミットで薄い胸をぽんとタッチされた。



「あ……アウト!」



 女子みんなで揃って、ボールが返ってきた方角を振り返る。

 見覚えのある剣道馬鹿の影がひとつ、グラブをはーいと上に挙げていた。


「……ゆーくん?」

「えっ、あそこからノーバンで!?」「やばー!」


 どんな身体能力をしていたらそうなるのか。

 アウトになった悔しさより驚きが勝って、もはや笑ってしまった。

 ややあって、大声が聞こえてくる。




「おい、ちっひぃ――――! 今からそっちまで飛ばしてやるから待ってろぉ―――ッ!」




「……あは。あはははは! アホや!」


 ベンチに帰ってグラブを取りに、クラスメイトの中に入っていく。

 するとみんな、さっきの自分みたいに頬を膨らませていた。


「な、なに? みんなどしたん?」

「ちっひーはさあ、水上くんと仲良くてずるい」

「せやせやー。イケメン独占しないでよー!」


 意味不明。ヘルメットを外して、眉をひそめてふるふると首を振った。


「イケメンかぁー? ていうか、そんなにええかゆーくん? 剣道しかでけへんで?」

「バカ! この贅沢もんがっ!」

「ちっひに男の話振ったのがミスだったね」

「どういう意味やそれは!?」

「つーかさー、地味に城崎とも仲いいよねー。まあ城崎は城崎だけどさ」

「それな、でも意外とモテるよね」

「意外とね」

「遺憾だけどね」

「まあきのっちはな。ほんま、きのっちのくせになー!」


 わいわいがやがやと女子トークが広がる。

 その中から一歩離れて、すっきりとした気持ちで青空を見た。

 アウトになってしまった。だからまだまだ、楽しい遊びは続く。

 ペアになっても、あのふたりは自分のことを覚えていてくれるようだから。


「あ、水上くん三振した」

「所詮、城崎と同じ剣道部かー」

「やっぱ剣道部はないかなあ」

「ないよね。臭いし」

「うん、やっぱりバスケとか――「ちょっと」


 むっとして、みんなを睨んで前に出る。


「あいつらかって、カッコええとこもあんねんからな! あんま悪く言わんとって!」


 腰に手を当てて、噛みつかんばかりの不機嫌顔。

 それを見ると、みんなが顔を合わせて苦笑した。


「ちっひー、さっきと言ってること逆じゃん」

「あんたほんとめんどくせーなー!」


 答える前に、外野から走って帰ってきている葉月の方を見る。

 どうしてそんなに笑っているのか、自分には分からないけれど。


「せやろ! うちは、それがええとこやねん!」


 ペアができたことを誇るように、ありのままで自分も笑ってやろうと思った。




 × × ×




 帰りのホームルームが終わる鐘が鳴るなり、悠がとんとんと背中を叩いてくる。

 ぐいーっと両手を組んで伸ばして逆さに落ちると、悠がカードをシャッフルしていた。


「あれ? またやるん?」

「だってさっき、やりたそうだっただろ? 負けっぱなしが嫌なのは分かるからな」


 逆さのままで目を丸くしてから、思わず笑う。

 本当はそれでしょぼんとしていたんじゃないけれど、気にかけてくれていた。

 そのことが嬉しくてじっと顔を見つめていると、奴は唐突に顔を逸らしだした。


「ん? どないしたんゆーくん」

「…………見えそうだぞ。ちゃんと気ぃ遣えよ」


 人差し指で、空いたブラウスの隙間辺りを指してくる。

 どこ見てんねんといつもならぶち切れるところだが、悠の頬が紅い。

 なんだこいつにも、こっちのことを女として見てるときがあるのか。

 逆さの姿勢を直し、今一度後ろに向き直って椅子の背もたれに顔を置いた。


「なに、ゆーくん。照れてるん?」

「……うるさいな。呆れてるんだよ」

「あっはっは。ゆーくんはかわいいなあ!」

「うるっせぇ―――! 俊介、デュエル開始の宣言をしろ!」

「よっし、オレも混ぜろーい!」


 わいわいがやがや、三人組の遊びは続く。

 また城崎がいち上がりして、最後は悠と一騎打ち。一枚になった手の中にはジョーカーが残っていた。

 ああまたかと、悠の持っている手札からとりあえず一枚引く。

 ジョーカーだった。二枚、揃う。


「……え? あれ? 揃ってもーた」

「うわぁマジか―――!? 俊介てめぇえ!」

「へっへー。今回のぼっちは、エースでした!」


 城崎がポケットの中から、スペードのエースを一枚取り出す。

 今回は、ババ抜きじゃなかったのだ。呆けていると、城崎が笑う。


「いつも一緒じゃつまんねーしな。悠には野生を取り戻してもらわねーと」

「ぐぬぅうう……! お前とはもう解散だ!」

「ははっ、そもそもコンビ組んでねーから! 仲いい奴なんて他にいくらでもいるんだよ!」

「このっ……リア充が! お前今日地稽古俺んとこ来いよ! 二度と立てなくしてやる!」


 喧嘩している。面白い。

 どうやらまだまだ、自分たちのようなカンペキなペアには程遠いようだ。

 しみじみしながら、千紘は悠の肩を叩いた。


「落ち着き。今日練習ないで」

「ああっ、そうだった! じゃあ……バッセン行くぞ! 体育の分も含めて決着付けてやる!」

「おっ、上等だよ。まだ懲りてねーみたいだな!」


 ふたりの約束ができているところを見ていたら、携帯が震える。

 開いてみると、葉月からのメッセージだった。




[葉月] 放課後、出かけよ。ついでに甘い物食べたい

[千紘] おー、ええで! でもうちでええの? クロちゃんとか、意外と甘いもん好きやで? 

[葉月] いい。

[葉月] できればみんなで出かけたいけど

[葉月] こういうお願い、女子の千紘以外には、恥ずかしい




 にんまりと千紘は笑う。

 頼ってくれて嬉しい。これが息ぴったりのペアの絆というものだ。

 さあて行くかと鞄を肩にかけて立ち上がると、その肩をがっと悠に掴まれた。


「どこ行くんだよちっひ! 一緒に行くぞ!」

「……え? 今から、ふたりで出かけるんやろ?」

「なんでだよー? ちっひーも来いよ、バッティングセンター。得意なんだろ?」

「……まあ、せやけど」


 照れくさくなってヘアピンを触りながら、苦笑する。


「アホやなあ。どうせやったら他のかわいい子誘ったらええやん。ええとこ見せれんで?」


 至極当たり前のことを言うと、ふたりは揃って首を振った。


「分かってないなちっひは。勝負にそういうのはいらないんだよ」

「そうだよ。水差すんじゃねーよ」

「……じゃあなんでうちは誘うねんよ?」


 そう言うと、またしてもふたりは顔を合わせて、鏡写しのように首を傾げる。

 どうしてそんな当然のことを聞くんだというように、悠は笑った。


「だって、ちっひはちっひじゃん」

「そうそう。特別っつーか別枠だよな」


 ペアを解消した悠と城崎は、次の遊びを求めるように揃って言った。


「やっぱ、ちっひがいなくちゃな」

「お前がいた方が楽しいもん」


 単純バカの女は、それを聞いて。

 我ながらちょろいなあと思いながら、ふふふと笑う。


「……せやろ?」 

 楽しい遊びの中心に、二宮千紘はいつもいる。

 だって相手が男でも女でも、誰とでも一緒になれるから。


「しゃあないなあ! やっぱあんたらには、うちがおらんとあかんなあ!」


 自分は最強。ジョーカー。ワイルドカード。

 何でもなれるその代わり、ちょっとめんどくさいのはご愛嬌。


「よっ、二宮屋!」

「さすちっひ!」

「せやろ! 世界はうちに任しとき!」


 むずかしいことはよー分からん。

 よー分からんから、とりあえず遊んでから考えよう。賑やかに、みんなで。


「せっかくやから、はーちゃんとクロちゃんも誘お!」

「おお、いいな! 二年五人って初めてじゃないか?」

「クロのやつ、来っかなー?」

「来る来る! 来るに決まってる! だってうちがおるんやもん!」


 ふたりの手を引いて、散歩に出かける犬みたいに元気に走っていく。

 がらっと葉月の教室の扉を開いて、またまた笑顔で飛び込んだ。


「はーちゃん! クロちゃん! みんなで遊ぼ!」


 絵柄の通り、ごきげんに。

 おしゃべりジョーカーは、ゆーうつなんて寝たら忘れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る