第二十夜:ぐるぐる、ぺかぺか

 腰に渦巻くベルトは、劇薬である増強剤の注入装置だった。

 バックルの裏からヘソへ極太の針を突き刺し、回転するフィンが増強剤を体内に送り込み、循環させ、血流を加速する。

 全身の毛細血管はその加圧に耐えきれずに破裂し、内出血した全身はどす黒く染まる。

 耳、鼻、目。穴という穴から、白い増強剤と赤い血液の混合液が流れ出す。

 鬱血した顔をぱんぱんに腫らし、ぼたぼた、と体液を垂れ流しながら、それは戦い続けることになる。

 ゆえに、お面を被るのだ。

 ……その凄惨な形相を隠すために。




「弟殿、もう少しです。九尾の妖力は近くの高校へと続いています。恐らく、隼人少年もそこにいるかと」

「もっと速くならんのか」

「ご無理を言わんでください。私は陰陽師なのですよ」


 ひぃひぃ、と息を切らしながら清明は立ちこぎをしていた。

 そこは学校前の坂道で、生徒からも心臓破りの登り坂と恐れられていた。立ちふさがるこの試練を超えられず、朝礼のギリギリで遅刻をつけられた生徒は数知れない。


「もうよい。我は走っていく」

「そうして頂けると、助かります」


 イザギはチャイルドシートから飛び降りると、一気に駆け上がった。心臓破りの登り坂をあっという間に飛び越えてしまって、校門の前に降り立つ。妖力が渦巻く方へと視線を向けると、門の向こうにある運動場に、青黒い体をした男が群がる群衆たちを相手に暴れ回っているのが見えた。


「あれはお面ライダー! どうしてここに?」

「隼人でありんす」


 足元に視線を落とすと、そこには深々と頭を垂れた猫がいた。


「九尾か?」

「イザギ様、この度はまことに」

「御託はやめよ。姉上のいいつけどおり、鞍馬麗子の側を離れなんだな」

「はい。しかし、良かったのでしょうか? わちきさえいなければ、このような騒動には」

「妖怪ごときが遠慮などするな。お主は鞍馬麗子の側にいたいのであろう」

「……はい」

「なれば、かの娘の心臓を動かすのはお主の天命よ。まっとうせよ」

「ほに、ほんに、ありがとうござんす」


 頭ばかりか尻尾まで下げて平服する猫を見て、イザギはさらに問いかける。


「して、状況は」

「はい。麗子はもう一度、告白をやり直すために妖術を使ったでありんす」

「告白をやり直すか」


 イザギは、ふふん、と得意気に鼻をならした。


「そうか、鞍馬麗子は隼人に告白をしたことがあったか。そうか。そうよな。未だに未練を引きずっておったわけだ。実は我は隼人から告白されたのだ。つい昨晩のことだがな」

「ええ、左様で」

「つまり、隼人を我に取られたわけだから、なるほど、面白くはなかろう。それで、魔に落ちよったわけか。まことに不憫な娘じゃ」

「あ、いえ」


 九尾は口を挟もうとしたが、あまりにもイザギがご満悦の様子だったので、言葉に詰まってしまった。本当は、微妙に認識がずれていると思っていた。

 麗子は、隼人が同性愛者であることで気持ちを整理しようとしていた。それなのに、反転したイナミとの口づけを目撃したことが決定的な要因となったのだ。仮に目撃したのが、イザギとの口づけだった場合は、もちろん麗子は傷つきはしただろうが、魔に落ちたかどうかは微妙なところだ。

 しかし、そんな九尾の疑問に気がつく様子もなく、イザギは、ふふ、と鼻を鳴らす。


「で、それがどうして、隼人が変身することになったのだ。操られた群衆に囲まれておるが」

「はぁ。それが、告白はやり直したのでありんす」

「ふむ」

「その後、首尾良くキスを交わし、」

「はぁ!?」


 イザギが素っ頓狂な声を上げたのを、九尾は不思議に思った。しかし、このままでは話が進まない。麗子はいよいよ魔性を深めて、人ならざる存在に変わりつつある。一刻もはやくはらってもらわなければ、元に戻れなくなってしまうのだ。


「その後、麗子は隼人と同衾どうきんしようと」

「ど、同衾だと?」

「ええ、男女のまぐわいでありんす」

「そんなことは知っておるわ! で、奴らはいたしたのか」


 急に低く落ち込んだイザギの声色に怒りを感じて、九尾は絶句した。


「どうした。はやく申せ」

「い、いえ。まぐわっては、いなんし」

「まぐわっては?」


 イザギの怒りが明らかになると、猫はあわててまくし立てた。


「接吻だけでありんす。それも子どもの遊びのような、軽い口づけでありんした。まぐわいを始めようとしたところで、隼人があんな姿に変わり抵抗しだしたのでありんす。他に何もありんしません」


 イザギは視線を隼人に戻す。お面こそ被ってないが、まさしくお面ライダーが変身した姿をしていた。


「ほう。つまり最低限の貞操は守った、とでも言うつもりか」


 奥歯で石をかみ砕くように声をしぼりだすと、イザギは手を天に掲げた。すると、一振りの小振りの刀剣が空から落ちてきて、その手の中におさまった。


「しかし、よもや、我に告白をしたそばから、他の女にキスをするとはな」

「イ、イザギさま」

「随分と舐められたものよ。これも東郷の血筋かの」


 その時、背後からギコギコとママチャリを軋ませて、清明が坂から姿を現す。


「弟殿! 十握とつかの剣まで取り出されて、御身自身で戦われるつもりですか」

「今宵は魔祓まがばらいよ。いよいよとなれば、姉上の出番じゃ。清明よ、用意しておけ」

「はっ」

「我はあの不届き者どもを成敗してくる」


 イザギは剣を振り払うと、地面を蹴って門を飛び越えていった。



 ◇


 迫り来る生徒たちを、隼人は走ってふりほどいた。

 変身によって強化されたその加速は視界が圧縮されるほどに凄まじく、あっという間に生徒たちを置き去りにして、校庭のすみのサッカーゴールまでたどり着く。そのまま一蹴りで飛び上がるとゴールバーの上に立って、鞍馬麗子ほうを遠くに眺めた。

 操られている生徒はみな黒い制服を着ているせいで、群がる蟻のようにみえる。その向こうに彼女は立っていた。


 どうすればいいのかは分からない。

 だけど、まずはよく話し合わないといけない。

 はじめに謝らないといけない。


 隼人は意を決して飛んだ。

 強化されたその脚力で、迫り来る生徒たちの頭上を遙かに超え、麗子の目の前に着地する。


「あら、お戻り」

「鞍馬さん、謝りたいことがあるんだ」

「謝る? 必要ないわ。一緒に死んでくれたら、それでいいの」


 麗子の背後から九つの妖気が尻尾の形になって立ち上がって、しなり、隼人に向かって横薙ぎに放たれる。

 隼人は咄嗟に腕で受け止めた。が、その凄まじい衝撃を何とか踏みとどまったところで、他の尾が襲ってくる。その乱れ打ちを受け止めるのに精一杯で、隼人はなぶられるままになった。


「どうして? どうして抵抗するの?」

「いろいろ、話をしたいんだ」

「いらないわ。一緒に死んでよ。お願いよ!」


 麗子が絶叫すると、九つの尾は動きを変え、隼人の四肢にぐるりと巻きついて拘束した。もがいて抵抗する隼人を宙につり下げて、麗子は隼人の目の前に歩み寄る。


「息の根をとめるのは、私の手で」


 その両手が隼人の首に伸びて、親指の爪が喉の肉に食い込んだ。


「鞍馬、さん」

「これであなたは永遠に私のもの」

「まだ、二回も、残ってるんだ」


 隼人は頭をあげて叫んだ。


「変ッ身!」


 再び、ベルトがぐるぐると回り、七色の光をまき散らす。

 隼人の両腕の筋肉がうねりあがった。巻き付いていた妖力の尻尾を引きちぎり、そのまま麗子を優しく抱きしめる。


「はぁ。くぅ、痛ぇ」


 隼人は呻いた。全身から血と増強剤が吹き出し、体の感覚がところどころ欠けている。だが、痛みだけは鮮明に機能し体の危険を発してくるのだ。そういえば、言われたっけな。重複して使ったら、死んじまうんだっけ。


「でも、つかまえた」

「だから、どうしたというの」

「はは……、こっから先のことは、なんにも考えてねぇや」


 まずは、謝らねぇと。そして話をする。俺の初恋の話もしよう。そんなん聞かされて、どうしようもないだろうけど。だけど、それで初めて、鞍馬さんの気持ちが分かった気がするんだ。


「隼人!」


 そう、十歳くらいの子どもなのに、随分と偉そうな事を言う奴なんだ。


「おい、隼人!」


 いや、十万歳だったかな?


「貴様、いい度胸だな」


 背後から、随分とドスの効いた男の子の声がしたことに、ようやく気がついた。振り返ると、そこには剣を肩にかけて、こちらを睨みつけているイザギがいた。


「我のことを好きだと言ったくせに、姉上以外の女を抱くとはな」

「あ、あれ」

「本来であれば即座に斬り捨てるところだが、その娘を助けるという姉上との約がある。今は問わぬ。そのまま抑え込んでおけ」

「え、」

「いいか絶対にその小娘を放すな」


 イザギが剣を振るうと、妖力の尾の一つが、ぼとり、と切り落とされて麗子は絶叫した。腕の中で暴れ狂う彼女を、隼人は必死に抱きしめた。残りの尾が振り上がって、自分を引きはがそうと頭を横殴りにしてくる。

 吹き飛びそうになる意識を歯を食いしばって引き留める。絶対に放すな、と言われた。シンプルな命令だった。やれないわけがない。

 隼人はもう一度叫んだ。


「変身ッ!」


 全身をかけめぐる激痛も、吹き出す血流も、自分が傷つけた女の子も、全部を一緒に抱きしめた。

 どれほどの時間が経ったのかは分からない。

 尻尾が次々と切り落とされる音がした。

 その度にわめき暴れていた彼女は、次第に弱々しくなり、最後にはぐったりとこちらに体を預けてくる。

 その綺麗な頬が、自分が垂れ流す血で汚れていく。


「清明! あらかたそぎ落とした。姉上の出番じゃ。太陽を隠せ」

「はっ。術を発動します」


 イザギの大きな声がして、急にあたりが暗くなった。

 空を見上げると太陽が徐々に欠けていくのが見える。日食だ。月が覆い被さって、太陽を隠していく。


「ふふ」と背後から女の笑い声がする。「よく頑張りましたわね。隼人さん」

「イナミ、さん」

「弟は単純で適当ですから、祓い清めるのは苦手なの。ここからは私の出番。それにしても、すごい瘴気ね。まずは皆さんを解放してあげないと」


 イナミが剣を地面に突き刺すと、そこから木が生えてみるみると成長し若木となった。その青々と葉が茂る枝を一本だけ手折ると、イナミはそれを左右に振り払う。

 すると、周囲を遠巻きにしていた生徒たちがばたばたと地面に倒れていく。その内の幾人かは、ぼやけた様子で「あれ、どうして、学校?」と周りを見渡しながらつぶやいている。


「さて、あなたが鞍馬麗子さんね」

「あの時の女」


 もはや息も絶え絶えな麗子は、それでも凄まじい形相でイナミを睨みつけていた。


「狐さん、おいでなさい。あなたの天命ですよ」

「麗子や」と白い狐が現れた。「正気になりなんせ。いつものかわいい麗子になんせ」

「……キュウ、ちゃん」

「あいや。わちきはキュウちゃん。傾国の大妖怪でも、九尾の妖狐でも、もはやありゃんせん。わちきは麗子のキュウちゃんでありんすえ」

「ああ、キュウちゃん。ごめんね。また出来なかったよ」


 麗子の目から涙がこぼれた。


「また、ちゃんと、告白できなかったよ」


 しゃんしゃん、とイナミが木の枝を振り風を送る。そのみずみすしい香りが麗子の体を祓い清めていった。最後までくすぶり続けていた心臓のあたりの瘴気も消え去ったところで、ぐったりと彼女の体が崩れたのを、隼人が抱きとめた。


「お祓いは完了しました」


 イナミは、ほっと息をついて正気に戻った麗子を見た。


「さて、麗子さん、私から言いたいことがあるのです」

「……あなたは」

「雨ノ中イナミです。色々と誤解があったみたい。隼人さんは私の弟のことが好きなのよ。私じゃないの。だけど、それは後からゆっくりとお話させてください。とりあえずは、これだけ宣言させてもらいます」


 イナミは木の枝で口元を隠して、ふふと笑う。


「私も隼人さんのことが好きなの。だから、あなたには負けられないわ」


 麗子は隼人に寄りかかったまま、イナミを睨みつけた。


「私も」と隼人の胸に頬をおしつける。「絶対に負けませんから」


 隼人は立ち尽くしてしまって、何も言えなかった。

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