最終夜:どうやら今日はクリスマスパーティーらしい
「迷惑をかけたみたいだな」
武が頭を下げたのを、イザギは嫌そうな表情で見た。
「本当にお前という奴は。隼人を守るとの約、違えたのはこちらであろうよ。それを置いて、頭を下げられても嫌味にしか聞こえんぞ」
「しかし、今回は違うだろう。悪とは関係がなかった」
「正義やら悪やらなんぞ知らんわ。結局、お前の手を借りたことに違いはなかろう」
ふん、と横を向くイザギに対して、ううむ、と武はうなった。
事件から数日が経過して、あたりは落ち着きを取り戻しつつあった。大量の住民が夜間に外を徘徊し、気絶して発見されたことから、大事件だと大きく報道された。しかし、あまりに不可思議な点が多く、死者も出なかったことから、世間では犯人追求というよりも都市伝説として面白がる雰囲気があったのは否めない。
結局のところ、警察などの捜査がアマヤドリ荘に入ることもなく。住人たちは普段の生活を取り戻し始めている。
「武さんはいつまでここにいるのですか」
ここ数日は、武の近くから離れようとしないマツリがおそるおそる聞いた。
「明日には出発する」
「武さんの正義、ちゃんと見つかりそうですか」
「分からん。最近は悪を見分けるのも難しくなった」
「見つかるといいですね」
マツリは武の腹のあたりに頬をよせて、ぎゅっと目を閉じた。
マツリにはどうしようかとずっと思い悩んでいることがあった。自分だったら、お面ライダーが倒すべき悪を見つけることができるだろう。具体的には紛争地域で略奪や虐殺行為を繰り返す武装組織とか、麻薬取引を請け負っているマフィア組織だとかだ。自分ならその違法ルートを割り出して、組織の実体を探り出すこともできるだろう。
もちろん、本質的な問題は社会に根ざす複雑な事情に起因しており、彼らを排除しても解決にはならないことも多い。お面ライダーができることは限定的で、暴力をより圧倒的な暴力で排除することだけに過ぎないのだ。
だけど、それがきっかけになって状況が改善されることもあるかもしれない。だから、お面ライダーの倒すべき悪を自分が見つけ出して、武さんに教えてあげれば、この世界はもう少しだけ良くなるかもしれない。
「本当に、見つかるといいですね」
しかし、マツリが武にそれを教えたことはない。
兄弟から提案されたこともあったが、それを黙殺し続けていた。それに合理的な理由はないのは分かっていた。武が為すべき正義に悩み続けているのも知っている。しかし、愛しい人のその苦悩を見ても、マツリはその答えを教えるつもりはなかった。
なぜなら、それは自明だと、彼女は考えている。
彼女にとって、遠い国の苦しむ数万の命よりも、武がそばにいてくれるほうがずっと価値があるからだ。
「相変わらず、迷っておるの」
イザギがせせら笑いながら近づいてくるのを、武は眉をしかめて見る。
「またその話か」
「そんな存在もしない悪など放っておけばよい。マツリちゃんと一緒にいてやるほうが、よっぽどの正義よ。そうすれば、おのずと答えが見えてくるかもしれんぞ」
「俺には分からん」
「大馬鹿者。まぁ良いわ。明日にここをたつのか? なら、せめて今日は一緒にいてやれ。ついでに正義とやらについてマツリちゃんに教えてもらうのも良いかもな」
「まて」
イザギは気をきかせて立ち去ろうとしたが、武に呼び止められた。
「隼人のことだが、」と言いかけたところで、武は続きを言い淀んだ。
「どうした」
「お前と、色々とあったようだな」
「ふふ」とイザギは笑った。「確かに色々とあったぞ。誰から聞いた?」
「マツリちゃんから」
骨太の節くれ立った手がマツリの頭の上にのせられる。愛撫された猫のように、彼女の目が閉じられたのを見て、イザギはどこまで伝わっているかを察した。
「なれば、すべて聞いたとおりよ」
「その、隼人はお前に……」
「そうよ。我に告白しおったぞ。それに、男しか愛せぬ自分を悩んでおった。父親としてどうじゃ。やはり息子が男しか愛せぬのは問題と思うか」
「それはどうでも良い」
「ほう、さては知っておったのか?」
武は首をふる。
「いや、初めて聞かされたが。あれが元気ならばそれで良い」
「ふむ。馬鹿のくせに言いよるわ。ついでにそれを隼人に伝えてやるとよい。それで大体は解決するはずだ。お前はそういう大切なところがよく抜ける。この世に悪があるとすれば、まさしくお前のその無知よ」
「俺が聞きたいのは……。お前はどうするつもりだ」
岩のような顔で絞り出した声に、イザギはたまらず、けらけらと吹き出した。
「よもや。子どもの恋路に口をだすつもりであるまいな」
「そういうわけではないが」
「さて、どうしようかの。馬鹿な父親もついてくるしの。お前はうっとしいからの」
「むぅ」
「まぁ」
とイザギは背をむけた。
「とりあえずは、考え中じゃ」
◇
「私なりに頑張ったんですよ。それが裏目に裏目にまわってしまって」
「ええ、分かるわ。あなたは頑張った」
酒に押し潰された清明に向かって、パーラはちびりと酒をすすりながら適当にあしらっていた。いつもの食堂だ。ここは最近になって稼働したばかりだというのに、もうすっかりと住人たちの憩いの場となりつつある。
清明が秘蔵にしていたウィスキーを持ち出して「パーラ嬢、カウンセリングとやらを頼む」と言われた時、パーラはこれは単なる愚痴酒になるなと警戒した。はたして、その予感は的中し、愚痴を舌で巻いて酒で押し流す作業に付き合っている。
唯一の救いは秘蔵のウイスキーが旨いことだろう。
そして、もう少し待てば極上のクリスマス料理がこのテーブルに並ぶことになる。台所には怪我をおして料理に励む隼人がいた。そこから漂う匂いに、つばがこみ上げて、酒をさらに旨くしてくれる。
女盛りの微妙な年齢にさしかかった自分のクリスマスがこんなでいいのか、とパーラは少し不安に思わなくもない。しかし、故郷のフランスではクリスマスは恋人とではなく家族とのイベントだから、これでもいいのだろう、とすぐに思い直した。
自分もずいぶんと日本文化に染まってきたものだ、とウイスキーで口をしめらす。後で両親に電話しよう。
「弟殿もひどいとは思いませんか。ことあるごとに武と自分を比較するのですよ」
「はぁ、隼人くんのお父さんと。あのイザギ様も人を比べるようなことをするのですね」
「もちろん、表立っては言われませんよ。でも、実際はそうじゃないですか」
愚痴は酒に酔って、千鳥足よろしくあらぬ方向へと向かっていく。
「武はあれはもう人ではありませんよ。欲も色も失った枯れ木か、流されて角が削り取られた石みたいなもの。ああいうのが神に近い在り方なのは分かっているんですよ。だが、ああはなれないから人は苦しむのです。そうは思いませんか、パーラ嬢」
「まぁ、そうね。木と石のような人か」
石と木、欲と色。
臨床心理をなりわいとするパーラにとって、東洋の精神性は興味深い対象だった。確か、禅とか瞑想とかに出てくる概念だったと思う。老子やブッタも似たようなことを言っていたような。
「暗に言われているのですよ。千年も生きていて木にも石にもなれないのか、いわんや空をや。とね」
「はぁ」
興味深い話だが、いわんや酒飲み相手だ。いいかげん、話題を切り替えたい。
「ねぇ、隼人くん。何を作っているの」
「ん、いろいろあるぜ」
カウンターの向こう側から、いきいきとした顔がのぞく。やっぱり、この少年は料理をしているときが一番だ。
「七面鳥に栗をつめて丸焼きにしたものと、フォアグラと林檎を一緒にソテーにしたものと、後は生牡蠣だな。もちろん、デザートも用意してる」
「わぉ。本当にご馳走じゃない」
「マツリちゃんが予算を出してくれたからな。腕がなるよ」
隼人くんのお父さんが来てから、アマヤドリ荘の金庫番でもあるマツリちゃんはご機嫌だった。この貧乏寄宿舎のどこにそんなお金をため込んでいたのか、謎は深まるばかりだ。
「それにしても、体は大丈夫なの?」
「実はまだあちこち痛いけど」
「あら」
「ほら、今日はみんなが集まるだろう。俺のやりたい事なんだ」
あの事件で彼は大けがをしたらしい。運び込まれた彼は、マツリちゃんの出術によって命を取り留めたらしいが、それでも数日で回復しきるわけがない。
「無理はしないでよね。手伝うわよ。最後の晩餐なんてごめんだから」
「ありがとう。でも、ここは俺の食堂だから」
返された笑顔に断固とした意思がこもっているのを見て、思わずため息がこぼれる。
「そろそろ、時間かな」
その時、食堂の玄関が開いた。
「隼人、できたか?」
イザギの声にパーラが振り向く。
満面の笑みを浮かべたイザギの横にはマツリを抱きかかえた武がいた。そして、その後ろには二人の少女と一匹の狐の姿が見える。
「らっしゃい!」
威勢のよいかけ声が、台所から上がった。
◇
東京の巣鴨には、アマヤドリ荘という大きくて古い寄宿舎があった。
そこは神さまや陰陽師、タイムトラベラーに天才科学者が住んでいる。最近になって、ある定食屋の息子が入居し、離れ小屋を食堂にして食事をふるまうようになった。
これがずいぶんと美味いらしい。
最近は、同級生の二人の娘もよく遊びに来て、住民たちと一緒に食事するようになったようだ。午後の七時ごろになると、アマヤドリ荘の食堂から美味しそうな匂いと楽しそうな話し声が聞こえてくる。
どうやら今日はクリスマスパーティーらしい。
――『神宿り荘の夜間食堂』 終り
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