第十八夜:みんなに優しいお面ライダー

 隼人が連れ去られてから数時間がたち、やがて日がのぼった。

 自分の人格が表にでた途端にイザギは廊下を走った。そして、玄関のあたりで外の様子を見張っていた清明をみつけると鋭い声で一喝をあびせた。


「清明、はかりおったな!」

「申し訳ございません!」


 振り向きざまに床に平服した清明を見下ろして、イザギはなおも声を荒くした。


「お主はそうやって形ばかりよ。かように虚言を奏し、魂なき空言を回し、相手を乱せば、どうにかなるとでも思うたか。まさに愚か者よ」

「返す言葉もございません」


 廊下の床に額をこすりつけながら、清明は背中を逆流する汗に身震いをした。

 自分が隼人に施した策が、イザギの怒りを買うことはもちろん予測していた。それでも、独断でそれを実行したのは成功すると見立てていたからだ。

 隼人を鞍馬麗子にあてがい、その暴走を鎮める。そうすれば、東郷が戻ってくるまでの時間を稼ぐこともできる。二人で立ち向かい、陰陽師である自分が封印術に専念すれば、いかに今回の九尾が巨大とはいえ勝機も見えてくるはずだった。

 しかし、隼人が攫われた後も、九尾の力が鎮まる気配はなく、ここを囲む群衆の数は減らなかった。


「まことに愚策でございました。九尾の は鎮まる気配もありませぬ。奴はもう一つの目的である姉君を、」

「違うぞ」と、イザギは激しく遮った。「結果などはどうでもよい。結果は天運、尽くすは人事。お主は尽くしたのか。我はその魂の在り方を問うておる」

「わ、私は」


 清明は床に落ちる、自分の汗を見た。


「私は、東郷のようには、なれませぬ」

「愚か者が馬鹿を見習ってどうする! 履き違えておるわ」


 より厳しい叱責が降りかかって、清明は額をさらに床に押しつけた。


「もうよい。こうなれば我が行く。結界はあとどのくらいもつ」

「……およそ、数時間程度かと」

「むぅ。マツリちゃんやパーラを置いておくわけにはいかんのに」


 歯ぎしりの音が聞こえて、清明はさらに肝を冷やした。

 自分が余計なことをしなければ、最悪の事態が起きたとしても、イザギであれば何とかできたのだ。ここに隼人を匿っておけば、いずれ憑依体はここに乗り込んでくるだろう。そうなれば、イザギが皆を守りつつ九尾を征伐することもできたはずだ。

 自分の拙策がさらに状況を悪化させていることに気がつき、清明は目を閉じて後悔していた。


「イザギ様、よろしいでしょうか?」


 その時、背後からマツリの声がした。

 二人が振り返ると、マツリとパーラが並んで立っていた。


「どうした」

「私たちのことは構わず、行ってください」

「そうもいかん。お前たちもここの住人だ。我の庇護下にある」

「私は大丈夫ですよ」とパーラが言う。「マツリさんに新しい薬を作ってもらいましたからね。未来に逃げておけば、奴らも追ってこないでしょうから」


 錠剤ケースをしゃかしゃかと鳴らして、パーラは歯を見せた。


「なるほど。しかし、マツリちゃんは」

「大丈夫です。呼びましたから」

「呼んだ?」

「助けを呼びましたから。あの人はどこにでも駆けつけてくれますから」


 その時、清明がはっと顔を上げて、庭のほうに目を向けた。


「どうした?」

「……申し訳ありません。結界が破られました。何者かがこじ開けたようです」

「分かった」


 イザギは、パーラとマツリのほうを向く。


「パーラは未来に逃げておいてくれ。すまん」

「お気になさらず。一足先に平和を満喫させていただきます」


 パーラはそう言って、錠剤を数個口に入れて噛み砕く。その瞬間、彼女の姿は消えてしまった。


「マツリちゃんは我の後ろを離れるな」

「はい」

「清明、いつまで這いつくばっておるか。為すことを為せ。あの馬鹿から学ぶことがあるとすれば、それのみぞ」

「はっ、申し訳ありません」


 イザギは一同を引き連れて、庭に出た。

 本館と玄関をつなぐイチョウの並木道。その真ん中あたりに黒装束をまとった女が立っていた。彼女の背後には、ぐしゃぐしゃに壊された鉄格子の門がある。どうやら、彼女が結界をぶち抜いて、門を突破したらしい。そこから群衆たちが押し合いながら敷地内へとなだれ込んでいた。


「あれは、鞍馬の忍び」


 清明がうめく。

 先日、屋敷に潜入した際に見つかり、そして寅の式神を撃退した女忍者だった。


「知っているのか?」

「お気をつけください。小娘とはいえ、素手で式神を倒した剛の者です。しかも、」

「九尾の妖力をまとっておるな。あれも取り込まれたか」


 その時、ゆらり、と忍者——藪隠まよひの姿がゆれた。彼女は「オンナ、殺ス」と呟いたかと思うと、腕を振り降ろして、手裏剣を投げつけた。

 狙われたのは背後にいたマツリだったが、イザギが素手でそれを叩き落とす。

わらべを狙うか!」と前を睨んだが、すでに藪隠はいなかった。ただ、一陣のつむじ風が、地面の落ち葉を巻き上げている。

 どこへ行った、とイザギが左右を見渡していると、上から炎が落ちてくる。それは空に舞い上がった藪隠が吹きつけた火遁だ。

 イザギもそれに応じて飛び上がり、せまりくる炎を振り払って、藪隠に向かって殴りつけた。が、しかし、妙に手応えがない。怪訝に思ったのも束の間。

 どろん、と彼女の姿は煙となって霧散した。


 ——変わり身、か。


 地上に降り立って振り向くと、そこにはマツリに向かって刀を振りかざす藪隠の姿があった。


「オンナ、死ネ!」


 その白刃が、マツリに向かって振り降ろされようとした時、

 チリンチリン、と自転車のベルの音が聞こえた。 

 聞こえたと思った瞬間、その音すら追い越して、イザギの脇をママチャリがマッハで通り過ぎる。高らかにウィリーした自転車の前輪が大回転し、振り降ろされようとした藪隠の刀をホイールに絡めてはじき飛ばす。

 あまりに突然の乱入に驚き、まるで時間が停止したように誰もがそれを凝視した。


 それはママチャリだった。

 再びベルが鳴る。チリンチリン。

 それに乗っているのは大きな体躯の男だ。毛髪が少しさびしい感じがする、お面を被った男だった。


「お面ライダー!」とマツリが声をあげた。


 お面ライダーは、目の前の忍者を見ると「……藪隠ちゃん、か」とつぶやいた。そのままママチャリから降り、スタンドを降ろして駐輪する。そして、首だけ振り向いて、背後のマツリを見た。


「待たせた」

「はい、信じていました」

「俺の近くにいろ」

「はい」


 マツリはこくりと頷いて、その大きな背中の少し下、お尻のあたりにしがみついた。絶対に守ってくれる正義のヒーロー。それがこんなに近くにある。それだけで彼女は幸せな気持ちになる。

 そのわずかな間を隙とみたのか、「邪魔スルナ」と藪隠が再び火遁の豪火を吹きつけた。

 しかし、お面ライダーがその厚い胸板を膨らまして、同じように息を吹き付けると、それは突風となって炎を消し去ってしまった。藪隠もそれに巻き込まれて後ろに吹きとばされ、地面にころがってしまう。

 我を取り戻したイザギは、お面ライダーに駆け寄った。


「武、すまぬ」

「俺はお面ライダーだ」と武は答えた。

「そうだったな……。不甲斐ないことだ。約を交わしたはずなのに、隼人を攫われてしまった」


 お面ライダーはその太い腕を組み「そうか」と唸る。


「イザギ、息子を頼めるか? ここは俺が守ろう」

「ああ、もちろんだ。絶対に取り返す。絶対にだ」

「俺のママチャリを使え」


 そのママチャリを見て、イザギは眉をひそめた。

 環境に優しいお面ライダーのママチャリは、お値段にして一万円くらいのごく普通のママチャリだ。音速をも超えるその速度は、お面ライダーの脚力だからこそできる高速回転≪ハイ・ケイデンス≫がゆえん。同じことをしようにも、自分ではサドルの位置が高すぎて足すら届かないだろう。


「清明!」とイザギは声を張った。

「はっ」

「お前がママチャリをこげ。我は後部のチャイルドシートに乗る」

「畏まりました!」


 子どもにも優しいお面ライダーのママチャリは、助けた子どもを乗せるために後部にチャイルドシートを備え付けてある。それはスーパーの買い出しにだって重宝するのだ。

 イザギはチャイルドシートによじ登り、続いて清明がサドルにまたがって、ママチャリは発進する。ぎこぎこと、よく使い込まれたフレームが軋んで唸る。

 それはお面ライダーがここに突入した時よりもはるかに遅かったが、それでも、恐れをなした群衆たちは道を開けていく。

 チャイルドシートの上で、ゆられながらイザギは思った。

 やっぱり、お面ライダーは最高だな!

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