第十七夜:正義といっても定義はいろいろある

「君はこの状況を知っておくべきだ。今から教えてやろう。いいか、質問はするな。黙って受け入れろ。納得させる時間はもはやない。君の常識なぞたかが知れているのだから」


 突然、部屋を訪れた清明にそう言われのは、隼人が眠れぬ夜を過ごしていた時だった。

 外に群がっている人たちが自分の名前を叫んでいる。学校であったゲイ事件の時と同じことが、何倍もの規模になって再現されていた。その怒声をBGMにして、清明の口から次々と告げられる信じがたい事実を、隼人は黙って聞いていた。


 イザギとイナミは二心一体の神。

 昼は男性のイザギの、夜には女性のイナミの人格となる。彼らは男女に分化する以前の古い神で、荒魂と和魂の二面性をそれぞれが担当している。

 今、ここを取り巻いている暴徒は、鞍馬さんに憑依した妖怪の仕業らしい。

 その目的は自分らしい。そしてもう一つ。イナミさんを殺すこと。


「どうして、イナミさんが」


 思わずそう質問してしまった隼人を、清明がジロリと睨んだ。質問を禁止されていることを思い出して隼人は押し黙ったが、清明は短くそれに答えた。


「君のせいだ」

「俺の……」

「他に何がある?」


 隼人はそう言われて、何も言えなくなった。思い当たる節もあった。多分、本当に自分のせいなのだろう、そんな気がした。


「君と鞍馬麗子は恋仲にあったそうだね」

「それは、」

「九尾が彼女の絶望を喰ったのだ。そして、鞍馬麗子の制御を離れて暴走した。よくある事だ。規模は段違いだがね」


 鞍馬さんの絶望……。


 ――あなた、恋したことないでしょう。


 パーラの言葉が鼓膜によみがえった。

 そして同時にイザギの姿が思い浮かび、高鳴った心臓をもぎ取られるような痛みがした。これが恋なのだ。自分もこの衝動を抑えきれず、無理矢理キスをして、イナミさんに変わって、鞍馬さんがそれを見ていた。

 俺は、何をした?

 あのカラオケボックスで、鞍馬さんに、何をした?

 こんなに胸を痛めながら、キスをしてくれた彼女に、一体、何をした?

 何も覚えていない。

 ただただ、嫌な匂いがして気持ち悪かった。それだけだった。

 自分は最低だったのだ。


「俺は、どうすればいいですか」


 清明は少し黙ったが、やがて無表情のまま、まるでセリフを読み上げるように言う。


「それは君が考えることだろう」


 それだけを言い残して、清明は部屋から出て行った。




 隼人の部屋から出た清明は、数百年ぶりの自己嫌悪に苛まれていた。

 人は年を重ねるごとに純粋さを失って狡くなっていく。千年も生き長らえた自分など、純粋さは完全に失われてしまい、狡猾さばかりが年々積み重なり肥大化していくだけだ。まったく、神は数万年を生きてもなお、純粋なままで人を愛しているというのに。


「それは君が考えることだろう、か」


 つい先ほど食堂で隼人に言った己の言葉を呟いて、吐き気がした。それでは、安倍清明よ、この事態に対して何も出来ぬ無力な天才よ、あの純粋な少年があのように言われてどうするか考えてみよ。

 自分からここを出ていくに決まっているだろう!

 それ以外の選択肢も疑問も時間も、私は彼に与えなかったのだからな。

 清明は表情をゆがめて足元に視線を落とした。すると、その横をマツリが駆け抜けていく。振り返ると、何かを抱えて隼人の部屋の中に入っていくのが見えた。扉を開けた拍子に見えたそれは、変身ベルトだった。


 ――東郷、お前ならどうした。


 己の信じる正義を貫き、そのためには神にすら挑んだお前なら。


「すまんな、東郷」


 清明は無意識にそう呟いていた。




「隼人さん、どこに行くのですか」

「マツリちゃん、か」


 マツリが変身ベルトを抱えて部屋に入ると、隼人がダウンを羽織ろうとしているところだった。まだ、日も昇っていない深夜だが、どう見ても外出する格好だ。


「ちょっと、謝りに行くんだ」

「もしかして、鞍馬麗子さんのところにですか」

「……ああ」


 そうやって頷く隼人を見て、ああ、この人は武さんの息子なんだな、とマツリは改めて実感した。

 ちらりと窓から門に群がる群衆の様子を見る。彼らがこちらに向けているものが殺意であることは、マツリはすぐに理解できた。これと同じ感情を、大勢の人から向けられた過去が彼女にはあったからだ。

 醜悪にゆがんだ顔が並んでいる。群れた人間が弱い人間を囲む時、これほどまでに人は醜くなる。

 かつて、自分があの殺意に囲まれていた時は、守ってくれる大きな背中があった。自転車にまたがりお面を被った正義のヒーロー。その腰にはこの変身ベルトが巻かれていたのだ。

 そして、今、殺意の渦巻く中にあの人の息子が行こうとしている。このベルトを必要としているのは、私じゃなくて彼なのだろう。そこに気がついたマツリは、この日までに変身ベルトの修理を間に合わせた自分を誇らしく思った。ほんの少しだけ、恩に報いることができたのかもしれない。


「隼人さん、この変身ベルトをどうぞ」

「これは親父の……」


 隼人はマツリの差し出したベルトに視線を落とした。

 イザギからマツリに渡ったはずのオモチャ。父親からもらった変身ベルト。


「使い方はご存じですか」

「いや」と口をつく。「実は俺、何も知らないんだ」

「難しくはありません。起動は特定の音声で行います。具体的には『変身』と80デシベル以上の音量で叫んでください。変身ベルトの使用回数は三回まで、一回で三分間だけ変身状態です。間違っても一度に重複して変身しないでください。急激な身体能力の向上に体が耐え切れず細胞が自壊し、最悪の場合は死亡する可能性があります」

「……なぁ、マツリちゃん」

「なんでしょう」

「親父は、本当に正義のヒーローだったのかな?」


 隼人はマツリが差し出したベルトの、ぐるぐると回るバックルの装置を眺めながら、聞いてみた。

 この世界には、昼夜で性別が入れ替わる神様も、人を洗脳する大妖怪も、伝説だった陰陽師も存在するらしい。だったら、親父も本当に正義のヒーローだったのかもしれない。あの、もくもくと動く背中は、自分が思っていた以上に偉大だったのかもしれない。


「正義の定義によります。隼人さんの正義とはなんですか」

「俺の、正義?」

「隼人さんの言う正義とは、一般的な公平性を重視した配分的正義ですか? それとも修復的正義? 過去になんらかの過ちを犯して、それを謝罪にいかれるのでしたら修復的正義なのだと推察します。だとしたら、武さんのとは少し違います。武さんは主に平等性の強い配分的正義ですから」

「そう、なんだ。知らなかったよ」


 今、言われたことの半分も分からなかった。ただ、本当に俺は何も知らなかったんだな、と自分のことが嫌になる。

 正義にだって種類があるらしい。恋をすれば胸が痛いんだ。そんな事でさえ、最近になって知ったのだ。それを知らずに鞍馬さんを傷つけて、こんなことになってしまった。


「もしかして、正義について悩んでいますか」とマツリが見上げてくる。

「そう、かもな」

「であれば、私の大好きなお面ライダーの言葉が参考になるかと思います。論理は矛盾した言葉ですが、大好きな言葉です」

「親父の?」

「ええ」

「どんなこと言ってたんだ」

「正義を成すことが正義だ」


 マツリが差し出す変身ベルトのぐるぐるが勢いよく回って、ぺかぺかと光りはじめる。


「……そいつはまさに親父だな」

「受け取ってください。これは武さんがあなたに託したものです。正義を成すためのベルトです。私もこのベルトに救われました」


 ここ数日は本当に不思議な事ばかりだ、と隼人は思った。

 だけど、もう質問はやめだ。

 清明さんが言っていた通りかもしれない。自分の常識なんてたかが知れている。俺は恋もしたことがなかったのだ。きっと世界はもっと計り知れない。


「ありがとう」


 隼人はベルトを受け取り、腰に巻いた。すると、オモチャのような変身ベルトが急に頼もしく思えた。親父に近づけたような、そんな気がした。


「じゃあ、行ってくるよ」

「ちゃんと戻ってきてください。隼人さんがいないとイザギ様とイナミ様が悲しみます」

「ああ」


 隼人は外に出て行った。

 そのまま庭をぬけて、門を出たところで、彼は暴徒に囲まれて抑え込まれてしまった。四方から蹴られ殴られ続け、とうとう動けなくなったところで、車に乗せられてどこかに連れ去られてしまった。

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