第十四夜:陰陽は関係ありませんよ

 イナミから相談を持ちかけられたパーラが、アマヤドリ荘に帰ってきたのは、翌日の昼下がりになった頃だった。

 玄関をくぐったところで、受付からマツリが「おかえりなさい」と声をかけられ、その側で待ち構えていた清明が歩みよってくる。


「パーラ嬢、どうだった」

「三年後に行ってみたんですけど、結構やばかったわ」


 パーラは腕を組んで顔をしかめる。


「もう滅茶苦茶だった。まるでナチス統治下のドイツにタイムリープしたみたいだった。みんながビールを掲げてこう言うの、ハイル・レイコ! ってね」

「そうか。もしやと思うたが、結局はそうなるか」

「あら、ナチスとビールは冗談ですよ」


 パーラはフランス人である。ゆえに幼い頃から教え込まれたその習慣から、機会があれば愛をこめてドイツを皮肉る。


「でも、大変な状況になっていたのは本当。あの鞍馬さんが支配者みたいになって、ニュースにもなっていた。こんなことってあるの? 私が見てきたのは、たった三年後よ」

「九尾の憑依体は権力者を籠絡し国を傾ける。特に、今回の憑依体は特に強力だったからな。正気を保っていたようだが、そうか、ゆくゆくは魔に墜ちるのは確実か」

「カウンセラーとしても不甲斐ないわね。どうして、彼女がああなってしまうのか。できれば、もっと確かめてみたいのだけど、あいにく薬が切れちゃった」


 パーラは錠剤ケースを取り出して振り、音が鳴らないことをみせる。そのまま、受付の窓口に頭をつっこんで、中にいるマツリに声をかけた。


「マツリちゃん、タイムリープ薬の追加をお願いできるかしら」

「もちろんです。配合しておきますね。原料のラベンダーから成分を抽出するのに少しお時間をいただきますが。あ、それと、お願いしていたデータはありますか?」

「ええ、ちゃんとここに」とスマホを取り出す。「未来でネットのニュースを保存しておいたわ。データはスマホから転送するわね」

「ありがとうございます」


 パーラは、スマホの画面を操作してデータを転送する。

 受付のPCで受け取ったのを確認したマツリは、キーボードを叩いてモニタを覗き込む。ずらり、と並んだニュースサイトのキャプチャをスクロールで流しながら確認しているとある記事に目が止まった。


「あっ……、これって、もしかして武さんのこと?」

「そうよ、それだ」と清明が声をあげる。「未来の東郷は何をしている。こういう時のあいつだろう」

「『お面テロリストが国会を襲撃』とあります。……数十名が殺害。ありえません! お面ライダーが人を殺すなんて、絶対に、ありえません!」


 普段は大人しいマツリが声を荒げた。驚いたパーラはその小さな肩に手をおいた。


「落ち着いて、きっと情報が操作されているのよ。昔のナチスみたいなものだったから」

「ええ、そうでしょう。武さんは正義のヒーローなのです」

「つまり、その東郷すら苦戦しているということだ。まぁ、あいつと妖狐では相性が悪かろうな」

「隼人くんのお父様でしたっけ? その方が頑張っているのは分かりましたが、未来の清明さんは何をしているのでしょう」

「む」


 痛いところをつかれて清明は唸った。


「こたびの九尾はかなり雰囲気が違ったゆえ、状況が読めんのだ。とはいえ、パーラ嬢のお陰で放置はできんことは判明した。急いで対策を練らねばなるまい。パーラ嬢、弟殿への報告を頼めるか」

「はいはい。今日もいつもの食堂かしら?」

「そのようだな」

「あらあら」


 パーラは肩をすくめて応じると、玄関を出て離れの食堂を目指す。

 未来へタイムリープ能力に目覚めたのは、パーラが高校生の時だった。ラベンダーに含まれる特殊な成分を摂取すると未来にワープしてしまう。高校時代はこの能力を使い、友達の悩み事を聞いてはアドバイスしてきた。それで返ってくる感謝が快感で、彼女は人の相談にのることが大好きになった。

それがこうじて、大学で臨床心理を専攻し、ついに念願のカウンセラーとなる。

 しかし、それからのパーラは徐々にタイムリープを敬遠するようになっていく。

 臨床の現場での経験をかさねるにつれ、未来知による介入にほとんど意味がないことを思い知らされたのだ。本当に必要なのは本人による自己解決だ。それを思い知らされるような失敗も何度もした。自分の特殊能力におごり、助けられなかった相談者もいた。最近では、タイムリープは使わないように気をつけていた。

 しかし、今回は神様からの相談だったから、久しぶりに解禁してみたのだ。


「イザギ様はいるかしら?」


 パーラが食堂を覗き込むと、隼人とイザギの顔が台所に並んでいた。どうやら、二人で何か料理を作っているらしい。


「あら、イザギ様も料理を?」

「おうパーラ。ハンバーグという西洋の肉料理じゃ。西洋といえば、お前の国じゃろう。知っておるか」


 驚いたわ。日本の神様はハンバーグも作るのね。

 自分はフランス人だからいまいち実感がわかないが、イザギ様とイナミ様は有名な神様らしい。日本の神様って随分と庶民的で、たくさんいるらしい。

 清明さんに聞いたのだけど、トイレの神様なんてのもいるらしい。水回りは綺麗にしておかなくてはダメね。


「ヨーロッパではミートローフっていいますけどね」

「ほう?」

「似たようなものですが、もはやハンバーグって日本独特のものですよ。私はハンバーグの方が好きです。甘くてジューシーだし」

「ほう。姉上は喜ぶと思うか?」


 ああ、とパーラは納得して、隼人に目配せをする。彼もそれに気がついたようで肩をすくめていた。

 これは隼人くんの入れ知恵だろう。怒らせてしまったお姉さんに、弟が手作りのハンバーグで謝る。ちょっとズルいわね。こんなのイナミ様じゃなくても絶対に許してしまう。

 台所では、タネでもこねているのか、イザギが必死な形相の手元を睨みつけている。その横の隼人はその作業を見守っているだけだ。


「隼人、どうだ?」

「ん。……いいじゃないか。後は冷蔵庫で冷やしておいて、直前で焼くんだ。よく頑張ったな」

「ん〜、料理とは何とも楽しいものよ」

「だろ」


 得意気に鼻をならす隼人を見て、この少年は本当に料理が好きなんだなぁ、とパーラは感心した。


「で、パーラ。我に用事とは?」とイザギが台所から出てくる。

「言われた通りに、行って調べてきましたよ」

「おお。して?」

「大変な状況になっていました。今、清明さんとマツリちゃんが対策を考えています」

「そうか。姉上は大丈夫だ、と言っておったがの」


 その時、隼人もエプロンを脱ぎながら台所から出てきて、うんうん、と唸っているイザギを見る。


「なんだ。難しそうな顔をして」

「まぁ、良いわ。隼人も頑張るが良いぞ」

「なんだよ」

「世界の命運はお前にかかっておるやもしれん。少なくとも、姉上はそうお考えじゃ」

「はぁ」


 要領を得ない様子で隼人はテーブルにつき「まだ、夕食までに時間があるな」と呟いた。


「あら、もしかして暇になった?」とパーラが言う。

「ええ。まぁ」

「勉強でもしなさいよ」

「え〜。俺、将来の夢は定食屋なんで」


 頭をかいて曖昧な笑みを浮かべる隼人を、パーラは少し睨みつける。


「言い訳になってないわよ。夢があるならなおさら勉強しないと」

「でも、定食屋ですよ?」

「少なくともサラリーマンよりかは必要でしょ。自営業ですもの。カウンセラーと同じよ」

「へぇ、例えばどんな?」


 隼人は前のめりになった。

 勉強はそれほど好きではないし、定食屋を継ぐつもりだったから、それほど熱心には取り組んでいない。しかし、普段から世話になっているパーラの言うことなら、と少し興味がわいた。


「それは自分で探しなさい。定食屋のことはあなたがよく知っているでしょ」

「そんな無責任な。自分から言っておいてさ」

「そんなの子どもの理屈」とパーラは隼人の鼻先に指をあてる。「でも、そうね……。例えば、あなたのやりたい定食屋ってどんな定食屋?」


 隼人は、鼻先にあてられた指に焦点をあわせ、目を寄せた。


「どんなって、親父の定食屋です」

「だから、お父さんの定食屋って、どんな定食屋? 普通の定食屋とは違うでしょ」


 隼人はとっさに答えることが出来ずに、口の端を歪めた。


「それが分からないのに、お父さんの定食屋が出来るの?」

「そんなの、」と隼人は腕を組む。「親父のは、最高の定食屋で」と口を濁す。

「だから、どうやってその最高の定食屋になるのよ。料理が美味しければなれるの?」

「……」


 隼人の表情がいよいよ曇り出したのを見て、パーラは「ごめんごめん。少し意地悪だったわね」と隼人の鼻先に押し当てていた指を引く。


「どうって、先生は知ってるんですか?」

「ほら、子どもが出た」

「いや、だってさ、言葉にするのって難しいじゃん。俺だって、何も考えてないわけじゃないだ。ただ、何となくだけど、イメージはある。だけど、それと勉強なんて結びつかないよ」

「まぁ、そうでしょうね。それは素晴らしいことだわ。あなたくらいの年齢の子は、そのイメージすらなくて悩んでいるのが普通なんだから。きっと、立派なお父さんなのね」

「へへ」


 隼人が照れたように笑うのを見て、パーラは彼の父親に興味が沸いた。

 どうやら、他の住人たちも一目置いている人物らしい。たしか、正義のヒーローをやっていると言っていた。あれ、定食屋さんなのよね? どっちが副業なのかしら?

 そんなことを考えていたら、


「自営業だから、勉強が必要だってのはなんか分かるな」と隼人が口を挟む。

「ん? ええ、そうね」

「どんな勉強が必要なんですか。自営業に」

「やっぱり、経費計算して確定申告とかあるし、契約書も自分で作成しないといけない事もあるわ。難しい文章をたくさん読んだり書いたりしないと。数学と国語、あと情報かな、それくらいはちゃんとしておきなさい」

「経費ってつまりお勘定だろ。数学でやってる方程式なんていらないよ」

「まぁ、そう思うなら実際に貸借対照表を作ってみなさい。まずはやってみること。お勘定と役所に申告する財務諸表は全然ちがうんだから。それに別に学校の勉強じゃなくてもいいわよ。数学が納得できないなら、簿記ぼきでもやってみたら? お父さん、喜ぶかもよ」

「簿記ってたしか帳簿だっけ? まぁ、それは確かに」


 隼人は腕を組んだ。

 確かに、親父は年に一回だが帳簿をつけて役所に提出している。かなりややこしいらしく、唸りながら机に向かっているのを覚えていた。自分はそれを横目で見ているだけで、漠然と店の売上や経費をまとめているのだろうと思っていたが、確かに細かくは知らない。

 そういえば、今年の提出がそろそろのはずだ。おかしくなってしまった親父に、細かい計算が出来るだろうか。


「簿記か、悪くないかもな」

「いやいや、だからって簿記の勉強なんて始めないでよね。あくまでも一つのアイデアなんだから」

「例えば、他にもあったり?」

「だから、それを自分で考えなさいよ。私が言えるのは一般論だけ。一応、数学に国語に英語、まぁ学校のお勉強は無駄になる可能性は低いわ。あなたの夢がどういうものであっても、どこかで役に立つ。あれは、そういうラインナップなの」

「なるほど。流石はカウンセリングの先生だ」

「あら、説得されちゃった?」

「まぁ大体は」


 親父の後を継ぐ……。

 そのために勉強しないといけない事。会計もそうだけど、よく考えたら仕入れもそうかもしれない。考えてみれば、野菜とか魚は値動きが激しいから、ほっといたら採算が合わなくなる。そういえば、親父が毎年メニューを変えていたのは、そういったことも影響していたのかもしれない。


「う〜ん」

「おおいに悩め、少年よ。それがまさに青春だぞ」

「ええ、考えてみます」


 隼人はそこでふと思いついて、表情を整えた。


「そういえば、先生にお願いしているカウンセリングなんですが」

「あら」


 パーラは目を見開いて、ちらり、と横に座っているイザギのほうを視線で指し示す。


「いいの? その話をここでしても」


 あっ、と隼人は小さく口を開けた。そういえば、同じテーブルにイザギがいたのだ。カウンセリングをすれば、自分がゲイであることがばれてしまうだろう。それは恐ろしかった。恐ろしかったが、しかし……。


「構いません。このままでお願いします」


 急にかたくなった空気を察したのだろう。イザギは椅子をひき「我に気兼ねか? 席を外そう」と言って立ち上がろうとした。

 隼人は慌てて、それを引き留める。


「いや、構わない。ここにいてくれ」

「そうか」


 イザギが首を傾けた拍子に、その細い髪がさらりと揺れた。

 隼人は覚悟が揺らぎそうになったが目を閉じてぐっとこらえた。


「本当に、いいのね?」とパーラがもう一度、念を押してくる。

「ええ。ここに住むのなら、知っておいてもらったほうがいい」


 そう口に出してみると、モヤモヤと胸にわだかまっていた不安がまとまって、覚悟みたいなものに変わる。

 もう後には引けない。自分は間違ってはいないだろう。だけど、結果は分からない。もしかしたら、この子は自分を拒絶するかもしれない。気持ち悪い奴だ、と言われるかもしれない。だけど、だからこそ、早いほうがいい。


「パーラ先生。お願いします」

「あなたは本当に強い子だわ」とため息をついて「ちょっと、考えさせてちょうだい」と眉間に指を押し当てた。

 う〜ん、と唸りながらも、パーラは隼人とイザギを交互に見比べる。

「隼人くん。ちょっと提案。カウンセリングじゃないことをしましょうか」

「どういうことですか」


 隼人の声に力がこもる。せっかく決めた覚悟だ。肩すかしは嫌だった。


「別に逃げているわけじゃないわ。逆よ。もしここが学校の相談室だったら、絶対にこんなことはしないのだけどね」


 パーラは腕を組んで、まだ迷っているかのように頭をふる。


「あなたは決断力がある。すでに解決に向かって歩み出しはじめているわ。普通なら、なかなかそうはいかないものよ。もしかしたら、あなたが職人気質だからなのかもね。私のような職業をしていると、もっと臆病になってしまう。だけど、臆病な私には、少し違和感があるの」

「違和感?」

「ええ」


 パーラはいまだに迷いを残した表情で口元を歪めた。


「ここからは私の個人的な感想。だからカウンセラーとして、本当はあなたに押しつけてはダメなの。原則として解決法を押しつけてはダメ。だけど、今回はあえて、それをやってみようと思っている」

「随分と慎重なんですね」

「ええ、そうよ。だから私は包丁なんて持てやしない。コンロの火をつけるなんてもってのほかよ」


 パーラは手を伸ばし、隼人の頬に触れた。そして「いいかしら」と真剣な目で見つめる。


「私はあなたの味方でいたい。だけど、今からあなたを少しだけ傷つけてしまうかもしれない。もしかしたら、間違ったことを言ってしまうかもしれない。それでもいい?」

「ええ。パーラ先生になら」

「あら、私に惚れたらダメよ」


 肩をすくめて笑うと、パーラは手を離して背筋を伸ばした。


「ねぇ、隼人くん。準備はいいかしら?」

「はい」


 すこしだけ、間が置かれた後に、パーラの唇が動いた。


「あなた、恋したことないでしょう」


 さらに、空白の間があいた。


「それなのに、自分のことを同性愛者だと思い込もうとしている」


 隼人は胸に刺さった痛みに戸惑った。胸の奥を氷柱つららで刺されたような痛みだ。

 パーラの声が聞こえてくる。それが上の空を通り過ぎていく。

 あなたはまだクエスチョンの段階なの、鞍馬さんとの騒動がきっかけであなたはカムアウトを強要されてしまった、でも本当ならその前にもっと自分のことを考える時間が必要だった、あなたの場合自分が同性愛者だという自認は認知性不協和の可能性がある、起こってしまった事実を正当化するために理由を後づけしてしまう心理的反応よ、もしかしたらあなたはそれで自分のことを同性愛者と思い込もうとしているだけなのかもしれない、


 だって、あなたは男の子を好きになったこと、ないでしょ?


 ——あるよ。


 隼人の心臓が反論していた。

 今、俺は恋をしている。これは恋だと思う。だって、心臓が痛いんだ。朝だって勃起したんだ。一緒にいると億劫で憂鬱だったのを忘れられるんだ。すごくシンプルになれたんだ。気がついたら、イザギくんに何を作ってやろうかって事ばかり考えている。それが楽しくてしょうがなかった。


「俺は、」と声がもれた。


 その瞬間、パーラはぴたりと黙る。

 不意に掴んでしまった自分の番。それを持て余した隼人はイザギのほうに視線を泳がす。

 隼人はイザギが嫌悪の表情を浮かべていることを期待した。もし、この子に気持ち悪いものを見るような目で見られたら、パーラ先生の言うとおりしよう。自分が同性愛者じゃないことにしてしまおう。恋を押し潰してしまって、いつもの億劫な毎日に逃げてしまおう。

 しかし、

 彼の瞳はいつもの無邪気なままで、その唇は可笑しそうな形につり上がっていた。


「なんだ、隼人。そんな事で悩んでいたのか?」


 ふふ、と可愛い鼻が笑う。

 それを聞いて、隼人は絶望した。


「……気持ち、悪いだろ」と隼人の唇がわななく。「俺、男が好きなんだ。男なのに男が、好きなんだぞ」

「別に。そういうこともある。そもそも、陰陽の片方のみを偏愛するように人は出来ておらんよ」

「なにを」

「我も隼人のことが好きじゃ」


 その無邪気な物言いに、隼人は耐えきれなくなって立ち上がった。


「隼人くん」とパーラが声をあげる。

「先生。ありがとうございました。……ちょっと頭、冷やしてきます。俺、分からないんです。おしゃる通りかもしれない。だけど、ぜんぜん分からないんです」

「ええ。……ごめんなさい」

「いいえ。大丈夫です。分からないだけだから。複雑すぎるんだ。本当にそれだけなんです」


 隼人はそう言い残すと、そのまま外に出て行ってしまった。

 その背中が扉の向こうに消えていくのを見たパーラは、はぁ、とため息をついて髪を掻きむしる。


「私って、本当に馬鹿」

「なんぞ意図があったようだが?」


 イザギの問いかけに、パーラはうつむいたまま「はい」とうなづく。

 意図したことは、彼にもっと時間をかけて自分と向き合って欲しかったのだ。彼はゲイであることを短絡的にアクセプトしすぎであるように見えた。これが普通の子ならそう簡単には自分の性指向を受け入れることができない。

 彼のような性的なマイノリティは5%もいる。つまり、クラスに数名はいるのだ。あの学校にも自分がゲイであることを隠している子は他にもいる。もちろん、自分の相談者にも。そして、彼らは友人を好きになってしまったことに絶望している。

 統計的には、彼らの自殺率は高い。

 それに比べて、隼人くんはずいぶんと異質だ。まるで、ゲイであると宣言することで安心を得ようとしている節すらある。何かから逃げようとしている。そんな感じがした。


「馬鹿な考えです。エゴもちょっと入っていた気がします。良くなかった。やっぱり止めておけばよかった」

「さてな。しかし、パーラは隼人のためにやったのであろう?」


 自分の正体とちゃんと向き合って悩み抜いてほしい。その試行錯誤があるからこそ、初めて自分をあるがままに愛することができる。

 それが自分の意図ではあったが、急ぎすぎたかもしれない。ゲイであることは彼なりに悩んで見つけ出した仮説でもあったはずだ。


「そうですが。急ぎすぎました」

「ぶつかり合うこと自体は悪いことではない。隼人もパーラのことを信頼しておったようだしの」

「ええ、それに甘えてしまいました」


 自嘲を浮かべようとしたら、ため息がこぼれる。


「イザギ様、お願いがあります」

「よかろう。申せ」

「彼を追いかけて貰えませんか?」

「分かった」


 そう請け負ったイザギは、椅子から飛び降りて「しかし、」とこちらを窺う。


「我の神性は荒魂あらみたまゆえ、慰めるには向いておらん。もう少し待てば姉上に変わるゆえ、それからが良いのでは?」

「いえ、イザギ様のほうが良いと思います。ご迷惑でなければ」

「迷惑などない。隼人の面倒は武から任されたゆえな。それにしても可笑しな奴らよ。最近では、陰陽をことにせねば相手を愛してはならぬのか?」

「いいえ、そんなことは誰も決めていません」

「だろうよ。ますます可笑しい」


 それだけ言い置いて、イザギは扉を開け放ち、そのまま外へと駆けだして行った。

 その後ろ姿を見送りながら、パーラは「陰陽は関係ありませんよ」とつぶやく。


「ただ、恋っていうのは複雑なものなのです」

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