第五夜:パーラ先生のはかりごと

 やだ。思った以上にきゅんきゅん恋バナじゃない?


 パーラは思わず聞き入ってしまって両手を固く握りしめていた。幼い頃の麗子と隼人の出会いについては分かった。そこからゲイ事件に至るまでの過程にも興味が沸いてくる。


「なるほどね。それでずっと片想い?」

「ええ、ご両親が離婚されたこともあり、隼人くんは鞍馬家と関係はなくなっていましたし、私もあれから病状が悪化してずっと寝たきりでした。その後、病は治りましたが、中学は復学のための専門の施設に入りました。その後、この高校に入学したのです」

「そこで、隼人くんと再会した」

「ええ。運命だと思ったのですが」


 鞍馬麗子の声がかすれて消えていくのを聞いて、パーラはせつない気持ちになる。カウンセラーとして相談者に共感して傾聴するのは大切なことだ。とはいえ、それを意識せずとも十分に同調してしまっている。ああ、まさに青春。少年少女の純愛。やっぱり、いいわね。


「隼人くんに再開できたことが嬉しくて、その反面、ずっと胸が痛くて悩んでいましたが、心は決まっていました。それで、思い切って彼に告白することにしたのです」

「結果はOKだった」


 まぁ、当然でしょうね。こんな美少女に頬を染めながら告白されたら、私でも嬉しくなっちゃう。


「ええ。でも、彼には無理をさせてしまったようです」


 彼女はその長い睫毛をふせた。


「数ヶ月もしないうちに別れて欲しいと言われてしまいました。私はショックで、どうしても気持ちが落ち着かなくて。それが、周りに良くない影響を与えたのだと思います。それで、あの事件が」

「俺はゲイなんだ事件」

「パーラ先生。私は、隼人くんのこと、諦めるべきなのでしょうか?」


 パーラは目を閉じて「う〜ん」と唸った。

 その悩んでいる素振りは、実のところ演技に過ぎない。パーラは内心では安堵していた。全校を揺るがしたAとBの問題は、すでに当事者間では解決に向かいつつあるようだ。二人ともちゃんと自分の内面に向き合いはじめている。この子たちはとても強い。

 自分ができることは、こうやって彼女と一緒に悩んであげるくらいだろう。


「諦めきれるの?」


 彼女の端正な顔が、きゅっと歪んだ。


「……むずかしい、です」

「そうね。当然よね」

「でも。隼人くんは同性愛者なのですから、しょうがないですよね」


 パーラは曖昧な笑みを浮かべ、首を傾げた。

 そこにYESもNOもない。当事者Aの性的指向が同性の男性に向かっているからといって、女性である当事者Bを愛せないとは限らない。ゲイとカムアウトした人間が、異性と婚姻し子供までもうけていた事例なんていくらでもあるのだ。彼らは「家族のことは愛している。だからこそ嘘をつきたくない」と言っている。

 そもそも愛情と呼ばれる社会愛が、性的なものだけで構成されているわけではない。大人になれば、恋愛と結婚は別、と割り切って考える人間のほうが一般的ですらある。その証拠に、夫婦関係は円満であると回答したサンプルがセックスレスであるケースは珍しくはない。ちなみに、不仲であると回答したのに定期的なセックスをする夫婦もそれなりに存在している。

 これらの事実から、性欲と愛情の相関関係に複雑な闇が潜んでいることが分かる。

 まぁ、そういった闇を受け入れるようになるには、この子たちには経験が不足しているだろうけれども。


「私ね」とパーラはふっと息をはく。「バイセクシャルなの」

「えっ、あ、あの」


 人生の先輩として私に出来るのは、一つの事例として自身の経験を語ってあげるくらいだろう。


「もう、それなりの年齢だから。ちゃんと経験はあるわよ。初めてのセックスは女の子が相手だった。私がタチで相手は典型的なフェムネコ。まぁ、二人とも初めてだから役割も何もあったものじゃなかったけれどね」


 ちらり、と様子を窺ってみると、鞍馬さんは動揺を隠しきれない様子で左右に視線を泳がせている。それが、あまりにも予想通りの反応で、思わず笑ってしまう。


「次に付き合ったのは男の子だったわ。年下のね。今度は異性相手だったけど、本番では私がタチだった。男の子のネコっぷりが可愛かったの。もう、夢中だったのだから」

「あ、あの。何と言うか、その」

「ああ、ごめんなさい。タチとネコは性行為での役割のことよ。簡単に言えば、タチが攻め手でネコが受け身のこと。私の性的指向って両性バイに分類されるのだけど、本質的にはタチ志向なのよね。それ以降のパートナーは男も女もいたけど、全員ネコだったわ」

「そ、そうなのですか」


 鞍馬麗子はもう目が泳ぎきってしまって、酸欠の魚のように口をぱくぱくさせていた。それでも、その口を両手で覆い隠そうとしているのは、流石はお嬢様といったところだろうか。


「それが私の答えかな」

「え?」

「さっきの、鞍馬さんの質問。隼人くんを諦めるべきかどうか、だったよね?」

「え、ええ」

「さて、今日はここまでにしましょう。すっかり時間も過ぎちゃっているわ。ちょっと、窓をあけるわね。空気がこもっちゃって」

「あ、はい」


 パーラは椅子から立ち上がって、手で顔をあおいだ。久しぶりに真剣なカウンセリングだったから、頭がぼ〜として火照っていた。冬とはいえ、暖房がこもったこの部屋ではちょっと暑すぎる。

 カーテンを少し開け窓開けた。その時、


「あっ、パーラ先生。ちょうど良かった。ちょっと親父のことでさ」


 当事者Aこと東郷隼人その人が、窓の外に立っていた。


「隼人くん!?」


 背後からは、当事者Bこと鞍馬麗子の悲鳴のような声があがる。


 パーラは瞠目した。

 なんて間の悪い。これは、AとBの双方に関わる、非常にデリケートな問題だったのに。事態の解決の糸口がようやく見えてきたばかりなのに。


「鞍馬さん、いたんだ」と隼人の声が沈む。


 パーラは目を閉じたまま、無言をつらぬいた。事態がどうであれ、相談者のプライバシーを口外してはならない。今は彼も彼女も自分の相談者なのだから。


「隼人くんなのね」と背中からか細い声が近づいてきた。


 パーラは隼人がそこに立ち尽くしていることを確認すると、窓から離れて鞍馬麗子に道を譲った。傷つき傷つけあって確かめていくのが恋愛なのだとしたら、二人がここで対峙するのも間違いではない。それに二人とも十分に強い子だ。

 麗子は、まるで蝶のようにふらふらと窓辺に近づいて、向こうにいる隼人を見る。彼女のうるんだ瞳を見た時、パーラは胸に締め付けられるような痛みを感じた。


「久しぶりね。隼人くん」

「うん……。久しぶり」

「私、あなたに謝りたくって」


 そこで、麗子の言葉は途切れた。

 外の冷気が相談室の中へ、じわりじわりと侵入してくる。窓枠に添えられた彼女の手は、寒さと緊張で震えていた。


「あの時は、ごめんなさい」

「俺こそ、ごめん」

「ううん。隼人くんは悪くない。悪いのは私なの。私、私ね……」


 彼女の白く細い指が、窓枠をきゅっと握りしめた。


「まだ……、あなたのことが」


 それはやはり細雪(ささめゆき)のように儚い声で、横で聞いていたパーラの胸にさえ溶け込んでくる。


「ごめん。俺、……ゲイだから」


 崩れ落ちそうになる麗子を、パーラは後ろから抱きとめて「頑張ったわね。偉いわ」と声をかけた。胸に顔をうずめて小刻みに震えている彼女の頭を優しくなでる。

 まどの向こうから、もう一人の相談者の動揺した声がする。


「パーラ先生」

「隼人くん。鞍馬さんの気持ちにちゃんと向き合ってくれて、ありがとう」

「俺は、」

「ええ。分かっているつもりよ。だけど、今はもう少しだけ鞍馬さんとお話させてほしいの。あなたのほうが少しだけ、彼女よりも強いと思うから」


 パーラは教育のタブーである比較をあえて持ち出した。AとBの性差を利用した言い回しだ。男はこう言われると引き下がらざるを得なくなる。古くさい上に卑怯でもあるが、有効な手段だ。


「はい」と隼人は目を閉じた。

「あなたは何も悪くないわ。もちろん、鞍馬さんも」

「ありがとうございます」


 隼人の背中が向こうへと消えていく。それを見送ったパーラは「大丈夫よ。がんばったわね。本当に」と胸に抱いた麗子の頭を何度もなでていた。

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