第四夜:ウマイモン大冒険

 私が隼人くんと初めて会ったのは、まだ小さかった頃で、十歳のお正月でした。

 ちょうど六年前になります。例年とおりに、お屋敷には多くの方々が新年のご挨拶に来られていました。

 当時の私は体が弱く、ベッドで寝ている時間のほうが長かったくらいです。

 お父様とお母様からは、親族との挨拶にはなるべく顔を出して欲しい、と言われていました。けれど、体がつらいなら無理はしなくていい、とも。私も午前中ならまだ体も元気ですから、頑張ってお父様とお母様の横に座って、ご来客を迎えていたのです。

 それで二時間くらいは何とか頑張れたのですが、そろそろ体もつらくなっていました。お母様が私の様子に気づかれて「そろそろ、休んでもいいのよ」と仰ってくださったので、そのお言葉に甘えようとした時です。


「次は、爛子らんこ姉さんか」とお父様が言われたのです。


 それを聞いて、私は「もう少しだけ、頑張ります」とお母様に答えました。

 爛子さんと言えば、家中でよく噂される叔母様です。鞍馬家の長女でありながら勝手に結婚し、しかも、その時には赤ちゃんを産んでいたとか。一族では前代未聞だと大騒ぎになったのですが、そうこうしている内に離婚されて戻ってこられたそうです。これで大人しくなるだろうか、と皆が胸をなで下ろした矢先に、今度は事業を起こして大成功してしまったとか。


 当時の私には、そういった事情はよく分かりませんでした。しかし、使用人たちが叔母様のことを「あれは鞍馬家の夜鷹だよ」などと影で言っているのを耳にしていました。お恥ずかしいことながら、夜の鷹なんてカッコイイ、と思っていて、いつか爛子叔母様にお目にかかりたいと思っていたのです。

 もう少し大きくなった時、夜鷹というのがあまり良い意味ではないことを知って、恥ずかしくなったのですけど。


 それで、念願の爛子叔母様がご挨拶に見えられたのですが、その時に腕を引かれて連れてこられたのが隼人くんでした。

 ……ええ。

 実は隼人くんは、叔母様の子どもなのです。なので、私と隼人くんは従兄妹(いとこ)ということになりますね。


 これが、私と隼人くんのめでした。


 私は、自分と同じ年頃の子どもに会うのが初めてでした。

 ずっと体が弱くて、学校にも行かずに屋敷の中で過ごしていたせいです。そんなものですから、ひそかに憧れていた爛子叔母様がスーツ姿でとてもカッコイイことにひとしきり感激した後は、ずっと隼人くんの様子を興味深く眺めていたのです。

 隼人くんは、爛子叔母様とお揃いの洋服を着ていたのですが、襟ぐりのあたりを何度も引っ張って、ソワソワとしていました。ときどき「ねぇ。この服、くるしい」と爛子叔母様に訴えて、その度に頭をぐりぐりと撫でられていました。

 お父様たちの会話がすすみ、昼食の時間になりました。

 「会食の時間だ」とお父様がいったので、私は立ち上がろうとしました。しかし、その拍子に足がもつれてしまいました。興奮のあまりに体のことを忘れてしまっていたのです。

 あわや、床に倒れそうになったところで、隼人くんが抱きかかえてくれました。

 それを叔母様はとても喜んで「流石は私の息子だわ」と笑い、「麗子ちゃんは体が弱いの。隼人は男なのだから、部屋までエスコートしてあげなさい。そして、そのまま押し倒してしまうのが、甲斐性って奴よ」と隼人くんの背中を叩きます。

 それを聞いていたお父様は顔をしかめてしまいましたが、隼人くんの目線までかがみ込むと「麗子を部屋まで連れて行ってくれないか」と頼んだのです。


 それで、私は隼人くんに寄りかかりながら廊下を歩いて部屋に戻ることになったのです。


「大丈夫?」と彼が心配そうに声をかけてくれます。

「ごめんなさい。せっかくのお食事の時間だったのに」

「いいよ。旨いもんならいつも食ってるから」

「ウマイモン?」

「知らないのか」

「初めて聞きました」

「はぁ〜」と隼人くんは顔を振って「さては、お前、カワイソウな奴だな」と決めつけました。


 そう言われて、私はどきっと胸をつかれました。

 体の弱い私を「カワイソウ」と陰で言っている使用人はたくさんいました。それでも、お父様もお母様も十分に私を愛してくださっているし、屋敷の皆さまも優しい方ばかりでしたので、私はそんなことを気にとめた事もなかったのです。

 でも、同じ年頃の子から「カワイソウ」と言われると、もしかしたら、本当に私はカワイソウなのでないか? そんな不安が胸に沸いてきました。


「私って、カワイソウなの?」

「カワイソウだよ。だって、旨いもん食べたことないんだろ」

「ウマイモンって、食べ物?」

「そうだよ。当たり前だろ」

「食べ物だったら、いろんな物をいっぱい食べてるわ」

「へぇ、どんな」


 外には出られない体ではありましたが、鞍馬の屋敷ではシェフと契約を結んでいます。週に一度は彼らを招いて様々なご馳走を頂いていました。ウマイモンが食べ物だと分かれば、私はカワイソウではありません。

 私は少し得意気になって、彼に言いました。


「先日はコンクールで受賞したシェフを招いて、フルコースを頂きました。前菜に白アスパラガスのサラダでメインは鹿肉のローストでした。なにやら、シェフはジビエ料理で有名な方だったのです」

「へぇ! ジビエって、狩猟肉か。鹿の肉なんて使ったことないぜ。旨かったか?」

「え!? ええ」


 私は言葉に詰まってしまいました。

 実のところ、私は彼に意地悪をしてやろうと思って、ジビエなどと言ったのです。食事会ではシェフがメニューの説明をしてくれます。その時にジビエという言葉が出てきたから、何となく使っただけで、その意味までは知りませんでした。


「なぁなぁ。鹿肉は旨かったのか?」


 彼の目はキラキラに輝いていました。

 何となく、ジビエというのは鹿のお肉のことなのだろうな、とあたりをつけて会話を続けます。


「……お、美味しかったですよ」


 嘘でした。

 当時の私は鹿のお肉の臭みがどうしても受け付けなくて、一口食べただけでそれ以上はダメだったのです。それでも、私はカワイソウに思われるのが嫌で見栄をはりました。


「隼人くんは、どんなウマイモンを食べたことあるの?」

「俺か?」


 彼は、待ってました、とばかりに鼻を鳴らします。


「いっぱいあるぜ。毎日食べてんだ。トンカツに生姜焼き、焼き飯、麻婆豆腐。ラーメンに餃子だろ。魚だとサバにサンマも旬だしな。まぁ、ワタは苦手なんだけど、ほら俺ってまだ子どもだろ。大人になるとワタもうまくなるらしいけど、本当かなぁ。だけど塩焼きと刺身はいけるぜ。あと、アラのだし汁だな。洋食なら、コンソメもいいけど、あれは仕込みが大変らしい。俺はまだナポリタンくらいしか作れねぇけど、いつか、カニクリームコロッケにも挑戦したい」


 私の知らないウマイモンがたくさん出てきます。

 サバとサンマ、それにコンソメは知っていますけど、ラーメンとかナポリタンってなんだろう。


「はぁ〜。美味しそう」と思わずため息が出ました。

「なんだ食ったことないのか?」


 先ほどから彼は「クッタ」と言っていますが、どうやらそれは食べるという意味のようです。おそらく、ウマイモンも美味しい物ということなのでしょう。


「うん。クッタないよ」

「だったら、俺が食わせてやるよ」

「えっ?」

「俺の店、こっから近ぇんだ。連れて行ってやる」

「でも、私、体が……」

「ウマイモン食わねぇからダメなんだよ。おぶってやるからよ。お前、隣の婆ちゃんよりちっこいから余裕だ。俺は前に婆ちゃんをおぶって病院まで連れて行ったことあるんだ。ほら、」


 そう言うと、彼は背中を向けてかがみ込みました。

 おそるおそるその肩に触れると、同じ年とは思えないくらいしっかりとした感触があります。思い切って体を預けると、ひょい、と体が浮きました。


「ははっ、お前、軽いな」

「あ、あの」

「んじゃ、行くぜ」


 それからは、大冒険です。

 隼人くんの背中にのせられて、庭をぬけて玄関を出て、車が往来する通りに出ます。今まで、車の中からしか見たことのないその景色は、音も迫力も段違いで、彼の首にしがみつく腕に思わず力がこもりました。


「くるしい」

「ご、ごめんない」

「いいよ。そんくらいの方が安心だ。しっかりつかまってろ。こっからは地下鉄だから」


 そう言って彼は、突然地下に降りていったのです。

 笑われるとは思いますが、当時の私は地面の下に階段で降りていくのがとても恐ろしかったのです。まるで、物語に出てくる地獄の入り口みたいに思えました。薄暗くて、狭くて、下からごうごうと大きな音が聞こえてきます。

 今思えば、それは地下鉄が走る音なのですけど、何もかも初めてのことだった私には、地獄の釜と溶岩が煮えたぎる音のように聞こえてなりませんでした。歩く人々でごった返していたし、制服をきた駅員さんのことだって警察官だと勘違いしていました。もしかしたら、ここは悪い犯罪者を収容する施設で、彼らはいずれ煮て焼かれてしまうのだ。そんな妄想がふと頭をよぎったくらいです。

 なんて恐ろしいところに来てしまったのだろう。急に心細くなったのですが、それでも彼はぐんぐんと前に進んでいきます。機械にお金を入れて、切符を二枚買って。私を背負いながら改札をくぐり抜けます。

 もの凄い勢いで電車が走り抜けるホームに出たころには、私はあまりにも恐ろしくて本当は帰りたくなっていました。でも、彼は私をおぶったまま、ひょいひょいと人混みをかき分けて電車に乗ってしまったので、言い出すことが出来なかったのです。

 電車の中で揺られている時も、私は背負われたままでした。もし、降ろされていたら、彼にしがみついて、一人にしないで、と懇願していたと思います。見知らぬ場所に連れられて、彼にここで見捨てられたら、自分は二度と家に帰ることができないだろう。そういう確信がありました。


「二駅だけだから」と彼は背中をゆすりながら言います。

「ねぇ。どこに行くの?」

「俺の店だ」


 ウマイモンを食べるためにこんな恐ろしい思いをしないといけないのなら、ジビエのお肉を我慢して食べておけば良かった。私はそう思って後悔を募らせていました。


「ほらよ。ついたぜ」


 彼はそう言うと、電車を降りました。ホームを抜けて地上へあがり、そこからぐんぐんと歩いていきます。左右に色んなお店が並ぶ商店街。道行く人たちが彼を見つけると「おや、隼人ちゃん」「どうしたんだい。その立派な洋服。それにその女の子」と声をかけてきます。


「こいつに旨いもんを食わせてやんのさ」

「おや。迷子かい?」

「いや。連れてきたんだよ」

「はぁ〜。どこの子かねぇ。こんな、めんこい子、一度見たら忘れないんだけどねぇ。店に連れて行くの? まぁ、タケさんのところにいれば安心だよ」

「そ、んじゃ。また」


 隼人くんはそんな感じで、道行く人たちに声をかけられながら進んでいきます。それを見ていると、私の不安は少しずつやわらいでいきました。

 ここは彼のよく知った場所のようですし、皆さんはとても優しそうな方ばかりです。そして、なにより、ずっとしがみついていたこの背中が逞しいことに気がついたのです。

 私は、そっと背中にほっぺを押しつけて横目でチラチラと見慣れぬ町の風景を楽しめるようにさえなっていたのです。


「ただいまー」


 ガラリ、と引き戸を開ける音がして、暖かい湿気につつまれました。彼の肩から頭を出して、周りを見ると、たくさんのテーブルと椅子が並べて、たくさんの人が食事をしていました。

 その皆さんが手をとめて、こちらを振り向いて「おかえり」「隼人か」「なんだテメェ、どうしたどうした」と口々にいいます。


「あ〜、酒飲んでんの? まだ昼だよ」


 隼人くんは気さくにそう答えますが、まわりの皆さまは私のお祖父様くらいの方々です。お酒を召し上がっているせいか、まるでサンタクロースみたいに頬を赤らめてご機嫌なご様子でした。


「今日は正月さ。どうだ、お前も飲んでみるか」

「ん〜。やめとく」

「おいおい。お前はこの定食屋をつぐんだろ。だったら、酒の味が分からねぇでどうするよ」

「関係ねぇよ。だって、親父だって酒飲めねぇもん」

「か〜。弁が立つねぇ」と赤ら顔のお爺ちゃんは、てらりとしたおでこを叩きます。


 隼人くんは腰をかがめて私を降ろすと「ほら、そこ」と空いたテーブルを指さして「そこで待ってろ」と言いました。

 そして、そのまま奥のほうに顔を向けて「親父」と声をはります。

「ん」と向こうから声がして、カウンターの向こうからぬっと顔が現れました。この人が隼人くんのお父様か、と思うとちょっと緊張しました。だって、少し怖そうな顔をしていましたから。


「ホットプレート出すぜ」

「……あの子は?」

「母さんの家から連れてきたんだ。旨いもん食わせてやる」

「ああ、鞍馬のお嬢さんか」


 隼人くんのお父様はそうこぼすと「爛子には俺から連絡しておく」と言って、頭をかきながら電話を取り上げました。

 私がその様子を眺めていると、赤ら顔のお爺ちゃんが「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんや」と声をかけながら椅子を近くに寄せてきます。


「お嬢ちゃんや。見ない子だねぇ」

「え、ええ。はじめまして」

「また随分と、なぁ、えらいべっぴんな子だよ。顔立ちも身なりも上品ってやつだ。いくつだい?」

「十歳になります」

「ほう、隼人と同じか」


 隼人くんは私と同い年だったようです。そう思うと、何だか嬉しく、ちょっと恥ずかしくもなりました。だって、同い年なのに、彼は私の知らない事をたくさん知っているのですから。


「てぇ言うと、あれか、お嬢ちゃんは隼人のこれか」


 お爺ちゃんは小指を立てて、それを左右に振ります。

 私はその意味が分からず困った顔で首を傾けると、お爺ちゃんたちは顔を見合わせて大声で笑いました。


「はいはい。どいたどいた」


 隼人くんが横からやってきて、テーブルの上にホットプレートをのせます。


「なんだ、隼人。いっちょ前に照れるんじゃねぇよ。ジジイはな、嬉しいのよ。隼人がこんなべっぴんの嫁をつれてきたんだから。って……今から何をおっぱじめようってんだ」

「ん。もんじゃ」

「ほう」

「爺ちゃんたちも、乗るかい?」

「もちろんだとも」


 お爺ちゃんたちは両手をすりあわせて、口元をゆるめました。もんじゃ、とは何でしょう。


「だったら、家から何か具材を持って来なよ。モチでもゲソでもハムでも余りもんでもいい。そいつを一緒にもんじゃにしちまうんだ」

「か〜。そいつは酒が旨かろう。よし、冷蔵庫に明太子が余っていたはずだ。いっちょ家から取ってくら」


 わしもわしも、とお爺ちゃんたちは小走りで店を出て行きます。

 何がはじまるのだろう、と不思議がっていると、隼人くんはボールに小麦粉とか色んなものを混ぜ始めました。それが手慣れた様子であざやかでしたから、思わずため息がこぼれます。


「もんじゃ? 作ってるの」

「うん。旨いぜ。爺ちゃんたちと一緒につつくんだ」

「一緒に?」

「そう、ホットプレートの上で」


 そう言って、彼はホットプレートの上にもんじゃを流し込んで、丸く広げて形を整えます。そうしていると、お爺ちゃんたちがそれぞれの食材を持って戻って来ました。さっそくテーブルを囲んで、明太子やらチーズやらウインナーなどを思い思いに放り込んでいきます。

 私は目を丸くして、ホットプレートを覗き込んでいました。これがウマイモンなのでしょうか。私の知っている料理と見た目が違います。何と言うか、ごちゃごちゃしています。それに、ここにはナイフもフォークも、お皿すらありません。


「ほら、こいつでつつくんだ」


 隼人くんに差し出されたのは、先が四角い不思議なスプーンでした。


「これで焦げ付いたところを、底からこすりとって食う。こうやってよ」


 彼はホットプレートから、もんじゃを削るようにすくい取ってそのまま口に入れました。あっ、そのまま食べちゃうんだ……。と驚いて、左右を見渡すとお爺ちゃんたちも同じように食べています。なるほど、一緒につつくってこういうことか、と感心しました。

 私も四角いスプーンでもんじゃをつつきます。隼人くんがすくった跡があったので、そこから広げるように作って口に運びました。


「はふぅ」と熱くてびっくりしましたが、もんじゃ絡まったチーズと明太子が舌の上でとろけたところで、思わず手で頬をおさえます。


「……美味しい」

「だろ」


 その時、見合わせた隼人くんの得意気な顔がいつまでも忘れられないのです。彼にフラれた今になっても、瞼の裏に焼き付いているのです。

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