第三夜:パーラ先生と当事者B

 下校時間の学校のがやがやを遠くに聞ききながら、パーラは固唾をのんで背筋を伸ばした。

 彼女の目の前には、女子生徒が座っている。まるで活けた華のように美しい女生徒で、百合のように頭を垂れて俯いていた。綺麗に切りそろえた亜麻色の髪、まっすぐに伸びる背筋、行儀よく膝の上にそろえた両手。

 噂に違わぬ美少女ね。パーラは唸りそうになったのを咳を払って誤魔化した。


「それで、相談っていうのは? 鞍馬麗子さん」

「はい」と百合の花がわずかに揺れる。


 細雪がとけるような声だ。

 これがいわゆる大和撫子というやつなのかしら? 確かに守ってやりたくなる感じはする。彼女がいつも後ろに引き連れている男子生徒たちも、これにやられちゃった感じなのだろうか。

 パーラはちらりと廊下側の窓に目をやった。

 廊下でズラリと並ぶ男子生徒の影が見える。ここはカウンセリング用の談話室であるから、プライバシー保護のために曇りガラスになっている。だから、向こうで待たされている彼らの詳細は分からない。しかし、その並んだ影は揺らぐことも雑談の声もなく整然としている。まるで軍隊みたいだ。


「パーラ先生はご存じでしょうか? 私と隼人くんのこと」

「……ええ。噂程度には」


 俺はゲイなんだ事件——やっぱりその話か、とパーラはこめかみに指を当てた。

 噂程度しか知らない、なんて嘘だ。本当は、もう片方の当事者である東郷隼人からも相談を受けているから、かなり詳細まで把握している。例えば、鞍馬さんが隼人くんに告白したことや、カラオケボックスでキスをしたこと、とか。割と詳細なところまで。

 さて、どうしたものか、と思っていると麗子がこちらを窺ってくる。


「隼人くんも先生にカウンセリングを受けていると聞きました」

「あ〜」とパーラは膝の上で手を組み合わせた。「ごめんなさいね。他の相談者のことは話さないの。その話は誰から?」

「マヨから……。友達の藪隠さんから聞きました」

「そう」


 判断の難しいケースね、とパーラは口元を手で隠す。

 スクールカウンセラーの独特な状況から、問題の当事者ABから別々に相談がくることはある。しかも、今回は二人をつなぐ友人Cも介在している状況だ。本件は、当事者Aの性的指向にかかわるデリケート問題でもあり、学校側としても校内で起きた集団暴行の未遂事件でもある。多くの関係者が複雑にからんでいる。慎重な判断が求められる状況だ。

 悩んだすえ、パーラは自らのポリシーを引き直すことにした。


「他の相談者のことについては何も話せないわ。もし、それが貴方の相談したいことだったら、ごめんなさいね。だけど、あなた自身の事だったら、ちゃんと聞きたいと思っている」


 パーラは慎重に言葉を選びながら、鞍馬麗子の様子を窺う。彼女は気まずそうに、顔をうつむけてしまった。

 カウンセラーが相談者に媚びを売ってはいけない。特に、ABの双方に同時に関わる状況ならば、互いを対等に扱い、あくまでも第三者として二人の味方になる必要がある。八方美人になってはダメ。寄り添い過ぎても、突き放してもダメ。ひとつまみの砂糖でバランスが崩れてしまうような綱渡り。

 そうなると、友人Cの存在が気になってしまう。

 ただでさえ、ややこしい状況なのだ。Cからすれば、友達である二人のことを気にかけての行動なのだろう。しかし、場合によっては自殺に発展するケースもある。あまり軽率な介入はやめて欲しい、というのが本音になってしまう。


「藪隠さんだったかしら」とCのことを聞いてみる。

「はい。藪隠まよひ、マヨは幼いころからの大の親友です。いつも私のことを守ってくれています」

「確か、柔道部の主将でしたっけ? 日本一になった」


 などと、いかにも傾聴技法のマニュアルっぽい問いかけをしながら、鞍馬麗子からの自発的な発言を引きだそうと試みる。

 実のところ友人Cこと藪隠さんについては隼人からも聞いていた。通称、ゲイ事件とも呼ばれているあの事件の際、彼女は暴徒と化した男子生徒の前に立ちはだかり、隼人くんを体育館へと逃がしている。彼のカミングアウトが校内に響き渡り、暴動が沈静化した時には彼女の足元には数十人の男子生徒が転がっていたという。

 先ほどはCのことを邪険に考えていたが、AとBの双方から十分に信頼を寄せられているのであれば、この問題を解決する糸口になるかもしれない。こちらから働きかけて協力を……。イヤ、だめだ。Cはまだ高校生だ。

 万が一の結果になってしまった場合、その責任を彼女が負ってしまう可能性もある。


「藪隠さんは、例の事件のときに隼人くんのことも助けたみたいね」

「ええ」と鞍馬麗子が微笑んだ。「彼女は私の忍者さんですから」

「……ん?」

「あの事件のときも、マヨが隼人くんを助けてくれなかったら……。私のせいで、彼が傷ついてしまったら、私、」

「えっ……。ええ。そうね。分かるわ」


 などとマニュアルどおりに共感を口にしながらも、パーラは首を捻った。

 日本に来る前に祖国フランスの友人にこう教えられていた。日本にはサムライもニンジャもいないよ。ゲイシャならいるけどね。

 それを聞かされた時には、ずいぶんと失望したものなのだが……。えっ、ニンジャはやっぱりまだいるの? ゲイシャの間違いじゃなくて?


「まだいたのね。ニンジャが」

「ええ、パーラ先生は外国の方ですから。ご存じなかったかもしれません」

「ゲイシャじゃなくて?」

「もう、マヨは普通の女の子ですよ。芸華(げいばな)の道には入っていません」


 普通の女の子なのにニンジャなのか、とパーラは唸った。

 だとしたら、いわゆるクノイチってやつね。やっぱり日本に来て良かった。噂だけでは分からない事がたくさんある。そっか、ニンジャはまだ実在していたのね。

 今度、藪隠さんに頼んで忍術とやらを見せてもらおう。


「それで、隼人くんのことなんですが」

「え、ええ」


 パーラは頭を振って、鞍馬麗子に向き直った。ニンジャのことはひとまず置いて、今は彼女に集中しなければならない。


「私が彼に好意を寄せていることは、ご存じだと思います」

「ええ、過去に付き合っていたとか」

「今でも、彼のことをあきらめ切れないのです」


 その澄んだ目に、パーラははっとした。

 実のところ、鞍馬麗子に先入観を抱いていた。それは、男たちをたぶらかして支配する悪女のイメージだ。彼女が男たちを従えて闊歩しているのは有名な話だ。ちやほやされ尽くした女がその自己愛を肥大化させてしまってもおかしくはない。

 大方、思い通りにならない男ができて、その苛立ちを周りにぶつけたのがゲイ事件の発端なのだろう、と勝手にあてをつけていた。

 ところが、実際に目の前にした鞍馬麗子は、確かに美しい女ではあったが、自己顕示欲の強い女という印象はなく、むしろ、その目には恋する少女の素朴さがうかがえた。


「またどうして、隼人くんなの?」


 貴方ならどんな男でも望むがままでしょうに、という意図は口にせずパーラは聞いた。


「ずっと前からなんです。私にとって男性とは、隼人くんだけでした」

「ずっと前?」

「ええ、私がまだ十歳の幼かったころ。私がまだ体が弱くベッドに伏せてばかりのとき。私は彼に恋をしたのです」


 鞍馬麗子はその白い頬を赤く染めながら、ぽつぽつと語り始めた。

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