第19話 疑惑


 朝、いつものように起きて、いつものように支度をして、いつものように家を出る。


「……いつもなら、いるのに」


 『大澤』と楷書で彫られた表札を見ながら呟けば、玄関から出てくる友樹を思い出して視界が滲んだ。

 昨日、散々泣いたというのに、まだ涙腺は緩んだままだ。

 しっかりしろ、と自身を叱咤して目を擦る。

 友樹はもういない。いないならば、腹を括るしかない。

 慶太は「よし」と小さく意気込んで再び歩き出した。




「おはよー」

「はよー」


 学校はいつもと変わらない光景だった。

 生徒が一人いなくなったことも、机が一つなくなっていることも、誰も気づいていない。

 教室に入った慶太は小さく息を吐いた。


(やっぱり、皆忘れたんだ)


 覚悟はしていたのに、いざ、目の前にすると胸が張り裂けそうだ。

 朝、起きたときに慶太も友樹のことを忘れているかと思っていたが、現実はそうではなかった。友樹との思い出を、最期を、鮮明に覚えている。

 また視界が滲みそうになったとき、教室に入って来た男子生徒が浮き足立って言った言葉に涙が止まった。


「なあなあ! 外になんかヤバそうな車停まってるんだけど!」

「ヤバそうな車ぁ?」

「もしかして……ね、ねぇ!」


 クラスメイトの言う「ヤバそうな車」に、慶太は心当たりがある。

 何がそうさせたのか、慶太は初めて自分からクラスメイトに声を掛けた。


「その車って、どんな人が乗ってた?」

「え? えっと、胡散臭そうな金髪の男と、すっげぇ偉そうだけど偉そうじゃない男だったかな」

「偉そうだけど偉そうじゃないってなんだよ」


 初めて慶太が話しかけたからか、男子生徒はやや驚きつつも答えてくれた。

 ただ、最後に挙げた男の説明に、席に座っていた男子生徒が笑った。


「だって、ホントにそんな感じなんだよ! ほら、廊下から見えるんだし、ちょっと来いって!」

「えー……めんどくさー」


 座っていた男子生徒と一緒に慶太も廊下に出る。

 物珍しさ故か既に何人ものギャラリーがいたが、女子生徒の一部からは「カッコイイ」などと囁く声が聞こえてきた。

 慶太はもう一人のクラスメイトと共に空いている場所から外を見る。


「ほらあれ!」

「どれどれ? ……うっわ、マジだ」

「あ」

「岸原の知り合いなのか?」

「えっと……」


 車を知らせてくれた男子生徒は、あからさまに他とは違う反応の慶太に気づいた。

 知り合いではあるが、詳しく聞かれると答えられない部分もある。主に彼らの仕事について。

 どう言うべきかと考えながら、正門に停まる車へと目を向ける。

 予想どおり、そこには斎と誠司の姿があった。


「知り合い、というか――え?」


 正門に横付けした車の傍らに立つ誠司と目が合った。隣にいる斎は誰かに電話をかけており、視線は校舎にすら向いていない。

 校舎から正門まではかなりの距離がある。慶太から正門にいる誠司達を認識するのは人の数や場所的に容易いが、正門から校舎にいる慶太を見つけるのは難しいはず。

 気のせいかと思いたかったが、誠司は相変わらず慶太を見ている。まるで、「こちらに来い」とでも言っているかのように。


「知り合い? え、何々?」

「ご、ごめん。ちょっと、用があるみたいで……」


 車を見つけたクラスメイトは慶太が知り合いだと分かるなり、好奇心に満ちた目をした。だが、彼に構っている暇はない。

 ギャラリーの壁から出た慶太に、やや気怠げなクラスメイトは時計を見て言う。


「もうホームルーム始まるぞ?」

「すぐ戻ります!」

「おー……えっ。なんで敬語?」


 駆け出した慶太はなぜか敬語だった。

 そんな彼に適当に返しながら、敬語になる必要がどこにあるのかと首を傾げた。

 すると、最初に車の存在を話した無邪気さ満点のクラスメイトは、慶太の走って行った方を見ながら違う疑問を抱く。


「なぁ、アイツってさ、今まで誰といたんだっけ? よく一緒にいた奴いたよな?」

「さぁ? 話し掛けられたのも初めてだけど……たしかに、仲良い奴いたな」

「今はいないよな? 転校したんだっけ?」

「覚えてない」


 親しい人はいた気がする。

 だが、その人の名前はおろか、どんな容姿か、どんな性格だったか思い出せない。


「まぁ、いっか。なんか面白そうだし、戻って来たらどういう知り合いなのか聞いてみようぜ」

「あんまり苛めるなよ?」

「苛めねぇよ! ガキじゃあるまいし!」


 いや、まだガキだろ。と内心で突っ込みつつ、拭いきれない違和感を抱えたまま、二人は教室に戻った。




「さっ、桜庭、さん!」


 教室のある三階から正門まで走れば、さすがに息も切れる。名前を呼ぶ声は掠れ気味だったが、背を向けていた斎にも十分届くボリュームだった。

 声に振り返った斎は、クラスメイトが言ったようにどこか信じきれない笑顔を浮かべる。


「おっ。慶太君やん。わざわざお出迎えありがとー」

「あ、あの、どうして――」


 ここにいるんですか? という問いは、誠司によって遮られた。


「大澤友樹が生存している可能性があります」

「え?」


 そう言った誠司に合わせて斎が差し出したのは、ジッパーのついた透明な袋に入れられた布の切れ端だ。手のひらに収まる程の大きさで、燃えたのか端は焦げている。

 ただ、慶太はそれに見覚えがあった。


「それ、もしかして、友樹の……?」

「誠ちゃんが見つけたんよ。いやー、ホンマ、見せられたときはびっくりしたわ」

「『びっくりした』?」


 誠司が布切れを斎達に見せたのは、今朝、斎達が出勤してすぐのことだ。

 特殊精鋭部隊の部屋に入ってきた彼は、突然、「お見せしたいものがあります」と部屋の端にある大きなテーブルに精鋭部隊のメンバーを集めて布切れを出したのだった。

 布切れ一枚が驚くほどのことなのか、と首を傾げる慶太に、斎は「まぁ、分からんのもしゃあないか」とその理由を話す。


「普通な、破綻者は消滅したら衣服まで残らず消えるんや。例え、慶太君みたいに誰かがその力で消したとしても、ここに残るモンはない」

「じゃあ、どうして切れ端が残っているんですか? それに、僕はまだ友樹のことを覚えたままですし……」

「あなたが大澤友樹を覚えているのは、既に依人であることや、破綻した後にも大澤友樹に関わっていたことから可能性としては十分にありえます。しかし――」


 不思議そうに首を傾げた慶太を、どこからともなく現れた特務の構成員が囲った。中には疾風や七海、伊吹、梓の姿もある。

 何が起こったのか理解できないまま誠司を見た慶太は、彼から出た言葉に耳を疑った。


「あなたが、大澤友樹をどこかへ隠したのではないですか?」

「え?」

「あれだけの進行でまだ存在があるのは信じがたいですが、この布が何よりの証拠です」


 誠司が発見した、燃え残った布切れ。

 持ち帰ったそれを調べた結果、特務はもう一度、慶太に接触をする必要が出てきた。


「初めは、慶太君が力を使ったからやと思ってたんやけどな、他に同じ事例がないねん。身につけとったモンが残っているっていう、な」

「そんな……僕は知りません! いるなら、僕が知りたいくらいです!」


 友樹が消滅していないのなら、また会えるのか。破綻はどうなっているのか。

 今、彼はどこにいるのか。

 様々な言葉が一度に浮かび、喉の奥に詰まって声が出せなくなった。

 不安に顔を歪めた慶太に、誠司は淡々と問いかけた。


「あなたは、『ラグナロク』をご存知ですか?」

「らぐ……?」

「……どうやら、警戒するだけ無駄のようですね」


 慶太の反応だけで本当に知らないと理解した誠司は、小さく息を吐いた。

 囲っていた構成員も警戒を解き、斎に「ご苦労さん」と言われると、七海や疾風、伊吹、梓以外がどこかへと去って行った。また別の仕事があるようだ。

 困惑する慶太に誠司が歩み寄る。そして、誠司は先ほど口にした単語が何かを説明した。


「ラグナロクとは、破綻組によって構成された組織の名前です」


 組織の全体図や統率者、目的は不明。ただ、彼らが人間界にとって大きな驚異になること、そして、破綻者達にはある点において共通するものがあることは判明している。

 いつからあったのかも不確かだが、破綻者の過去の出現例を洗っていくと、今回の件と似た点がいくつかあった。それが、破綻者の共通事項でもある。


「大澤友樹の『破綻の進行が止まっていた』のは、明らかに不自然でした。そして、ラグナロクが関わっている破綻者の進行は止まっているか、遅れているかが多い」

「最近は滅多になかったけん、俺もすっかり忘れとったんよ。でも、調べてみたら出るわ出るわ、誠ちゃんの前のトップは目が節穴やったんかってくらいにあってな」


 友樹の能力自体も稀なものであったため、破綻の進行の遅さに注視できていなかった。

 また、斎達が関わっていなかった一部の事件でも、同様に進行が止まっていた破綻者の報告があり、情報共有の薄さが明白にもなったくらいだ。


「今回も、そのラグナロクが関わっているってことですか?」

「あくまで可能性の範囲ですが、確率はかなり高いです」


 友樹にラグナロクが関わっていたとすれば、彼が姿を消した際に近くにいた慶太にラグナロクの疑いが掛かるのは当然だ。

 だが、その疑いも今までの慶太を鑑みればすぐに晴れることだが。


「あなたは幻妖世界を知らない一般人でしたからね。ラグナロクに関与している線は薄い」

「でも、念には念を入れて、こうして確認しに来たってわけや。騒がしてごめんなぁ」

「い、いえ。でも、友樹が生きているかもしれないなら、なんだか元気が出てきました」


 疑われたのは一瞬だったせいか、嫌な気分はない。どちらかといえば、友樹が生きている可能性を知れたことの嬉しさが勝っている。

 そんな慶太を見て、誠司は彼が持つ力について話をする。


「あなたは、昨日、継承を行ったことは覚えていますね?」

「は、い」

「あれも無許可の継承には当たるため、本来であれば昨日の内に然るべき手順で依人の登録をする必要がありました」


 昨日は慶太も疲れ果てていたため、斎が気を利かせて自宅に帰してもらっていた。

 それが本来してはいけないことだったと知り、慶太は焦りを露にして斎を見る。慶太自身はともかく、決まりを無視した斎に何か不都合なことがあったのではないかと心配して。

 しかし、斎はにっこりと笑むと、待機していた七海に歩み寄り、その肩をポンと叩いて言う。


「大丈夫、大丈夫。なっちゃんに任せとったら大丈夫」

「私が大丈夫ではありませんが」

「でも、なんだかんだ文句言いながらも書類まとめてくれたやん?」

「書類?」


 七海は眉間に皺を寄せており、軽い調子の斎に反してかなり苦労したのだと分かる。

 一体、どんな書類なのかと首を傾げれば、答えは誠司から返ってきた。


「依人の管理は我々の組織が行う範囲ではありませんからね。所定の組織へ登録するために提出する書類を作っています。あとは、あなたが直接提出するだけです」

「あ、ありがとうございます」

「その組織は依人で構成された、幻妖と人間の共存を望む組織です。あなたの力も有利に使えるでしょう。ご希望があれば、組織に斡旋しますよ」

「えっと……」


 一度に言われ、どうすればいいのかと困惑してしまう。

 そんな慶太の様子に気づいた斎は、苦笑を零した。


「すまんなぁ。誠ちゃん、淡々としとるけど怖い人やないよ。これでも慶太君のこと心配しとるんよ」

「ありがとう、ございます……」


 誠司が事務的に物事を言うように感じるのは、性格が不器用なのと表情に出にくいだけだ。

 心配されているというところから礼を言ったものの、やはり誠司は気にした様子のない涼しい顔のままで「いえ、お気になさらず」と返してきた。


「組織への斡旋はいつでもしたげるけど、登録は先にせないかんからな。ま、なっちゃんがおるけん、そこは大丈夫かな?」

「だから、なぜ私が」

「慶太君の経歴見て一生懸命、大澤友樹を追ってたんはどこの誰やったかなぁ」

「疾風ですね」


 ニヤニヤと言った斎だが、やや被せて返してきた七海の返答に固まった。最も、斎がそれで素直に疾風に回すはずもなかったが。


「はーちゃんやとちょっと心配やん?」

「オレだって、やるときゃやるし!」

「えー。せやかて、こないだ別件であっち行った時、すんごい揉めたらしいやん」

「うっ」


 事実を突きつけられ、疾風は二の句が次げず悔しげに唸った。

 しかし、そんな疾風をフォローしたのは痛い箇所を突いた斎自身だ。


「普段の戦闘とかは信頼しとるけど、適材適所ってやつやね。事務関係はなっちゃんのが上手ってわけや」

「うう……頑張る」

「ん。よろしい」

「いえ、よろしくありませんが」


 折れた疾風を褒める斎は、まるで保護者のようだ。

 丸く収まったかのように見えたが、渦中の人物である七海は異論がある。慶太の依人としての登録は必要だが、それに付き添うのが自身である必要性を感じられなかった。

 渋面を作る彼の肩を立ち直った疾風が叩いた。


「頑張れよ七海ぃー」

「名前で呼ぶな」

「まあまあまあ。慶太君が困っとるで」

「ええっ!? ええと……」


 突然、名前を出され、すっかり蚊帳の外だった慶太は何か言うべきかと視線をさ迷わせた。

 すると、見兼ねた誠司が小さく息を吐いて口を開く。


「雲英」

「今日の終業後にまた迎えに来る。それからだ」

「え」

「さっすがなっちゃんー」


 先ほどまで渋っていたのが嘘のように、名前を呼ばれただけで七海は表情を引き締めて告げる。

 切り替わりの早さについていけない慶太を他所に、斎は楽しげに笑っていた。


「誠ちゃんの言うことはよう聞くなぁ」

「我らが総長のご命令ならば当然です」

「頼もしい限りやわ。ほな、そういうことで、なっちゃんにお任せしたで」

「畏まりました。岸原は登録だけでなく、自身の身の振り方も考えておけ」

「は、はい」


 急ぎではないが、遅いよりは早いほうがいい。

 それは慶太自身も感じ取ったが、ひとつ気になることがあった。


「あの……」

「ん?」

「その組織で、友樹を探すことって……できますか?」

「大澤友樹を? ……探してどないするん?」


 目を瞬かせる斎だったが、すぐに慶太が言わんとしていることが分かり、表情を引き締めた。


「探して、今度こそ助けたいんです」


 『命を救う』という意味ではなく、『魂を救う』という意味で。

 二度と、あんな思いはさせたくはない。また、他の者に先に見つけられて処分されるのも嫌だった。


「ちゃんと、僕が送ってあげたいんです」

「……そうかい」


 一度誠司を見やった斎は、再び慶太へと視線を戻して頷いた。その表情は柔らかいもので、覚悟を決めた慶太に感心しているようだ。

 そして、これから慶太が向かう組織を思い浮かべながら言う。


「慶太君のことを登録する組織は、依人や幻妖を取り締まる場所や。もちろん、破綻組との接点も多い」

「じゃあ……」

「ただし、すぐに接触できるわけではありません」


 垣間見えた可能性に顔を輝かせた慶太だったが、すぐに誠司が否定をした。

 斎が小声で「んなキッパリ言うてやらんでええやん」と呆れる傍らで、誠司は気にせずに言葉を続ける。


「あちらでは対依人、幻妖のために最初の頃は座学や戦闘方法、術などを学びます。その間、実戦に出ることはまずありません。確かに、破綻者に接触するには手っ取り早いですが、それ相応の時間は掛かりますよ」

「…………」


 本来なら、のんびりと幻妖世界について勉強している場合ではない。友樹の破綻の進行が分からない以上、いつ消滅してもおかしくないからだ。

 だが、それが友樹を見つけて救うことに一番早い道ならば仕方がないのも事実。


「それでも、最短で可能性があるなら構いません」


 慶太の中ではもう決定していることだ。意志の籠る瞳は、今さら外野が止めたところで変わらないだろう。

 誠司は斎の言葉を思い出し、内心で小さく息を吐いた。


(あまり、気の進むことではないが……)

「えっと……その組織に入れるとなった場合、親にはなんて言ったらいいのでしょうか?」

「『就職先決まったぜー』くらいでいいんじゃね?」

「もっとまともな理由を考えろ」


 慶太は七海や疾風に家族への説明を相談している。授業は始まっているが、もはや今の彼はそれどころではなかった。

 斎に「言わんでええの?」と肘で突かれて催促された誠司は、その肘をつねり返してやってから慶太に声をかける。


「岸原さん」

「は、はい!」

「あなたに、もう一つお話があります」

「はい……?」


 一度口を閉ざした誠司は、やや間を置いてからゆっくりと重たい口を開いた。



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