第18話 暗躍


 日は昨日の夜に遡る。

 総長室に斎を呼んだ誠司は、彼にあることを訊ねた。


「『彼』をどうする気だ?」

「なんやの? 急に。どうするって?」


 机を挟んで向かいに立つ斎は、あくまでも普段の飄々とした調子を崩さない。

 敬語をなくした誠司には、普段の柔和な雰囲気はなかった。だが、それが特務の中では斎の前でのみ見せる、「本来の彼」の姿だ。

 溜め息を吐いた誠司は席を立つと、後ろにある大きな窓から外を眺めた。

 眼下に広がる庭では、ちょうど、梓が車を出入口付近まで回して慶太を乗せるところだった。


「大澤友樹が破綻するのは目に見えて分かっていた。だが、君はあえて岸原慶太の記憶を残した。それは、『過去の一件』から考えたことだろう?」

「ははっ。よう分かっとるなぁ。……確かに、彼はもう既にこっちの世界に触れとる。せやから、記憶が自然消滅する可能性は低い」


 自然に消えないならば、なおさら、特務が記憶操作をして消さなければならない。しかし、斎はそれを、守れもしない約束を理由に行わなかった。

 その理由を察した誠司は、彼に釘を刺すために呼んだのだ。


「言ったはずだ。不要な一般人を取り込むのはよせと」

「不要やないよ。やって、特務には依人が極端に少ない。局に取られてるんもあるやろうけど、誠ちゃんが敢えて避けてるんやろ?」

「…………」


 この世界には、特務自警機関とは別に、対依人・幻妖の組織がある。ただ、そちらは幻妖や依人と人間の共存を目指しており、組織の者は大半が依人で構成されている。特務とは似て非なる組織だ。

 図星だったのか、それとも、わざわざ口に出して否定するまでもなかったのか、誠司は口を閉ざし、ただ窓の外を眺めていた。


「堪忍なぁ。俺、素質ある子は放っておけんのや」

「彼を取り入れてどうする」

「特務内での依人の地位を、確固たるものにする」

「今では不十分だと?」


 特務自警機関は、依人や幻妖の存在を知ることを特別に許可された一般人や、秀でた霊力を持つ者――『特体者』が大半であり、元々は彼らが上層部を占めていた。そんな彼らは斎達のように特殊な力を持たないため、以前は最前線に立つのは依人である斎達が常だった。

 それが、誠司がトップの家に養子として入ったことで立場が一転。今や依人が上層部を占め、一般人である彼らも鍛え直すことによって斎達が前線に立つ回数は劇的に減った。

 斎の本心に触れているせいか、彼の口調からは方言が消え、いつものどこか掴み切れない雰囲気が研ぎ澄まされたものに変わる。


「いいや。今でも十分といえば十分だ。けれど、まだまだ甘いところもある。そこを固めたい」

「…………」


 いくら上層部を依人が占めたとはいえ、人数の比率は以前と変わらず、一般人の構成員の中には反感を持つ者もいる。それらを完全に抑えることが、今の斎の目的でもある。

 ただ、この組織を依人で埋めてしまうわけでもない。いずれ幻妖界と人間界を隔離し、依人をなくすのならば、少数精鋭がいいのは確かだからだ。


「誠司に迷惑はかけないさ。俺は、恩は仇で返さないから」

「……たまに、君に恐怖を抱くのは、私の欠点かもしれないな」

「ははっ。なに言うとん。それでも『十二生肖』の最有力候補なん?」

「……昔の話だ」


 十二生肖とは、もうひとつの対幻妖・依人の組織の上層部にいる依人達のことだ。依人の中でも群を抜く強さを持ち、数々の破綻組や幻妖と対峙している。また、幻妖界と人間界を共存させる上で、最も重要な役割を持っている者達でもある。

 かつて、誠司はその十二生肖に選ばれるべき人物だった。将来を有望視されていた彼が、なぜ、機関にやって来たのか、その理由を斎は薄々気づいてはいるが、直接聞いたことはない。


「せやったねぇ。……ま、あの子は誠ちゃんも気に入るとは思うで。なんてったって、俺と『好みのタイプ』が同じやし?」

「何が言いたい?」


 まさか、慶太が「実は女の子だった」という落ちではないだろうな、と怪訝な目を向けてくる“幼馴染”に、斎はおどけるかのように肩を竦めて無邪気に笑んだ。


「会って話したらよう分かる」





 あの斎の言葉の意味がなかなか理解できなかったが、破綻の進む友樹を前に、最後まで諦めようとしなかった慶太を見てようやく納得した。


(いちいち、引き合いに出すなと言っているのにあいつは……)


 大澤友樹の件が片付き、機関に戻った誠司は、一人だけの総長室で溜め息を吐く。

 昨日、斎が言っていた言葉を理解したはいいが、同時に苛立ちを覚えた。

 過去をいつまでも引きずるわけにはいかない。女々しい感情など不要だが、斎は事あるごとに『それ』を忘れさせようとはしなかった。

 再び溜め息を吐いてから、誠司はポケットから一枚の布の切れ端を取り出す。


「厄介なものを取り込もうとしているのか……」


 斎は慶太を気に入っている様子だ。

 だが、目の前の切れ端を見ると、そんな斎の行動を許していいものか、と自問してしまう。

 どうするべきか考えていると、静かな室内に扉をノックする音が響いた。次いで、「特殊精鋭部隊、雲英七海です」と礼儀正しい七海の声がする。

 大方、先程の件の報告だろう。

 誠司は机の引き出しに布切れを仕舞いながら、入室の許可を出した。


「どうぞ」

「失礼します。総長、今回の大澤友樹の件での報告書をお持ちしました」

「ありがとうございます」


 目の前まで来た七海から報告書を受け取り、軽く目を通す。あの後、周辺を確認していたのは伊吹だが、今のところは何も見つかっていないようだ。


「『他者の能力の模倣』、ですか」


 報告書には、大澤友樹の能力についても書かれていた。あまり聞かない能力だが、依人にどんな能力が発現するかは出てみないと分からない。妖狐にも視ることはできないため、過去には随分と手を焼く能力の持ち主もいたほどだ。

 過去にも友樹と同じ能力者はいたと記憶しているが、その数は決して多くはない、珍しい部類の能力だ。


「はい。最初の大澤友樹の攻撃手段は、自身の肉体を強化しての肉弾戦でしたが、私との戦闘後からは水、副長との戦闘後には雷の追加、そして――」

「岸原慶太の炎」

「はい。……それと、岸原慶太の調査結果も一緒に上がっていました」


 七海に言われ、クリップで留められたもうひとつの束を出す。

 種族はオルトロスであることは明白だが、その力を表すグラフは未知数な箇所もあれば飛び抜けている箇所もある。


「我々、継承組の依人は、通常であれば依獣を扱うことがほとんどですが、彼の場合はオルトロスそのものを使役していました。一時、彼の指示を聞いていなかったことから、正式な契約を結んでいるわけではないようですが、それも時間の問題かと」


 幻妖と正式な契約を交わせば、慶太はオルトロスをいつでもこちらに喚び出すことができる。

 先ほど、慶太がオルトロスを喚べたのは、あくまでも継承直後でオルトロスにもこちらに来る意思があったからだ。だが、ふたりの様子を見ていると、いつ契約をしてもおかしくはない。


「彼は過去にオルトロスを保護していましたからね。その一件でオルトロスに好かれたのでしょう」

「しかし、それだけで幻妖を召喚できるとは思えません」

「ならば、元々、彼には『素質』があったということですね」

「いかがいたしますか」


 素直に出た言葉だったが、斎の顔が浮かんで彼と同じことを言ってしまったことに僅かに嫌悪感を抱いた。これでは、慶太を取り込もうと考える斎と同じだ。

 七海も慶太を機関に入れることに異論はないのか、特に異を唱える様子はない。


「……少し、考えさせてください」

「かしこまりました。では、私はこれで失礼します」

「ご苦労様でした」


 七海は姿勢正しく一礼をすると、そのまま退室した。

 一人になった部屋で、誠司は読んでいた書類を机に置く。

 背凭れに体を預ければ、どっと疲労が押し寄せてきた。


「結局、奴の思うツボ、か……」


 気づいたときには既に遅い。

 後戻りのできない状況に、頭痛を感じた。



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