第20話 洞窟


 水が跳ねる音がした。

 木霊する音は澄んでいて、ここが死後の世界か、と妙に納得しながら、友樹はゆっくりと目を開いた。


「……死後の世界ってのは、案外、殺風景なんだな」


 地獄絵図のような、灼熱の炎に包まれ、阿鼻叫喚があちらこちらから聞こえてくる世界かと思っていた。

 だが、今いるのは、ぼんやりとした青い光に満たされた洞窟の中。岩の所々から突き出す水晶が青い光を放ち、蝋燭代わりとなっている。

 横たわっていた体を起こせば、隣にある泉が目に入った。底は見えないが、泉の底の方も水晶と同様に発光している。

 泉とは反対に目をやれば、成人男性が余裕で通れそうな真っ暗な穴が空いていた。


「はは……。良いのは最初だけってか?」


 穴の先が見えないことで不安が襲いかかり、なぜか笑いが零れた。

 死んでいても恐怖は感じるのか、と一部の冷静な脳で考えつつ、気を紛らわせようと息を吐いて泉を見る。

 不規則に天井から滴り落ちる水滴が、泉に小さな波を立てていた。

 その雫が、少し前に見た幼馴染の涙を思い出させる。


「慶太、大丈夫かなぁ……」


 声が岩に当たって反響し、虚しさが増す。

 自分一人だけ、あの世界から自由になった。もう後悔はないが、慶太が力を継承したことは気になる。

 洞窟の壁に背を預け、人間界を思い浮かべながら瞳を閉じた。

 家族は大丈夫だろうか。記憶は完全に消えただろうか。今、学校はどんな状態だろうか。慶太は一人で寂しがっていないだろうか。誰かに苛められていないだろうか。

 様々な不安が浮かんでは沈み、これでは転生できたとしても蟠りが残る、とまたもや溜め息を吐いた。


「これで終わりなんて、呆気ないのな」

「そうだなァ。所詮、人間はそんなモンだ」

「っ!?」


 自分以外の声が聞こえたことに驚き、全身が強張った。嫌に耳に残る言い方は、本能的な警戒心を強めるには十分だ。

 声が聞こえてきた穴を睨みながら、相手が現れるのを待つ。

 足音が近づくに連れ、他を圧倒する巨大な力に圧されて息が詰まる。

 やがて、穴の影から足が見えた。腰の辺りから上は暗くてよく見えないが、声や足の長さから成人男性だと分かった。


「お前の復讐は終わっていない。なら、その手助けをしてやる」

「もういい。終わったんだ」


 投げやりに答えれば、男が笑ったのが伝わってきた。

 もう吹っ切った思いだと自身に言い聞かせ、最後に見た仇の男の顔を思い浮かべる。この世の終わりにも似た、絶望した表情を。


「アイツがあんだけ怖がったんなら、もう十分だ。忘れてしまったとしても、刻んでやった恐怖はきっと消えない」


 その後がどうなったか知る由もないが、特務がいるならば警察に突き出されてはいるはずだ。

 相応の処罰を受けているならば、もう十分だった。

 しかし、男は引き下がらなかった。


「お前の意思なんざ関係ねェよ。だって……お前の体と中身、もう離れてんだしィ?」


 どういう意味だ?

 その問いが口から出る前に、テレビを消したように視界が暗転した。

 耳に届いたのは肉を裂く音と、「次に目を覚ましたら、そこが『本当のあの世』だぜ」という声だった。



   * * *



「――コイツが継承者?」

「すっ、すみません!」


 目の前に立つ艶やかな長い黒髪をポニーテールにした一人の女性は、萎縮する慶太をまじまじと見下ろして怪訝に眉を顰めた。

 顔立ちは整っており、つり目がちなところから「クールビューティ」という言葉がよく似合う。すらりとしているが出るとこは出ている、締まっているところは締まっているという女性の誰もが羨むような体型だ。

 慶太は初めて見たときはその存在感に圧倒されたが、一緒にいた七海から話を聞いて発された言葉につい謝罪をしてしまった。


「なんで謝んだよ」

「彼の性格上の問題です」

「ふーん……まぁいい。特務がこれだけ書類揃えてくれてんだし、手続きは簡単だ」


 そんな慶太の様子に彼女は呆れ半分、困り半分で溜め息を吐きながら、七海が持参した書類に目を通す。

 今、慶太は自身を依人として正式な場所に登録するため、恵月町の北区の端に位置した『特殊管理局』という場所に来ていた。

 通称、局と呼ばれるそこが、特務と対をなす、長い歴史を持つ対幻妖・依人の組織だという。また、依人の管理はここで行われている。

 慶太は継承者として依人の登録が必要であったため、学校を終えた放課後に斎と七海と共にやって来た。本来であれば斎が来る予定はなかったのだが、事情が変わったために彼も来ることになったのだ。

 局は特務自警機関と違って、随分と近代的な建物だ。広々としたロビーは白衣を着た人や私服の人が行き交い、時折、白い制服を着た人もいた。

 受付で斎が一言二言だけ会話をしてロビーで待っていた結果、出てきたのが目の前の女性だった。


「それで、副長が来たのはコイツの『今後のため』ってわけか」

「そー。よろしゅうな」


 ――少々、ハードルは高いですが、我々の一員になるならば、すぐに追えるかもしれません。一緒に来ますか?


 数時間前、誠司にそう言われた慶太は、自身でも驚くほど早く返事をした。


 ――よ、よろしくお願いします!


 より早い手段があるならばそれを選びたい。破綻者である友樹には、時間がないのだから。


「じゃあ、今後はコイツとも付き合いがある可能性が出るわけか。嫌だけど」

「不本意やけどしゃあないやん。同じ穴のムジナ同士、なるべく仲良うしようや」

「……あの、特務と局は、どういった関係なんですか?」

「相手をするのはどちらも同じ幻妖世界だ。だが、『目的』が異なる」


 特務は人間界の平穏を維持するために幻妖や依人を減らそうとしているが、局は人間と幻妖、依人の共存を望んでいる。

 人間界から幻妖や依人を減らそうとする特務とは、似ていてもまったく異なる目的を持つ。


「どっちが正しいかなんて、きっと一部にしか分かんねぇよ。狐とかみたいな奴にしか、な」


 何はともあれ、そいつの審査は飛ばして登録しといてやるよ。

 そう言った彼女は、七海から受け取った書類を持って、受付の向かって右側にある扉へと入って行った。


「さっきの方は……?」

「局の幹部に当たる十二生肖じゅうにせいしょうの一人、亥野いのあかね。この組織での表向きのリーダーだ」

「あの人が……」


 七海に問えば、彼はさらりと答えた。

 確かに、人を統率する力は十分にありそうだ。ただ、同じ統率者でも誠司とはまた違った印象を受けた。言うなれば、茜は軍隊でいう将軍、誠司は指揮官といった雰囲気だ。


「十二生肖は幻妖の中でも上位に値する神獣だが、いろいろとあって人間界に住み着き、その子孫になるのが彼女だ」

「え!? じゃあ、あの人って幻妖なんですか!?」

「いんや。依人の血統組。神獣が人と交わって生まれた奴らや」


 依人には種類がある。初めて幻妖世界を知った昨日、斎が簡単に説明してくれたことを思い出した。血統組は、幻妖の血が混じる者のことだと。

 人でありながら幻妖の血を濃く持つ血統組を目の前に、慶太は開いた口が塞がらない。同時に、彼女の纏う雰囲気が他とは違うことに合点がいった。

 そんな彼に、斎は小さく笑んで言葉を続ける。


「ほな、帰ろかー」


 歩き始めた斎と七海は、まるでこの場に長く居たくないと言っているかのようだ。

 慶太は慶太で、斎が言った言葉に、遅れながらもある矛盾を見つけて慌てて後を追った。


「あ、あの、桜庭さん、雲英さん!」

「んー?」

「特務が、人間界から幻妖や依人を減らそうとしてるって、どうしてですか?」

「どうしてもな、『住み分け』っちゅうもんが必要なんよ。互いの世界の均衡を保つには。一般人や依人は幻妖界には行けへんけど、幻妖は来れてしまう。つまり、こっちに霊力の比重が傾くんや」


 また、霊力のバランスを同程度にするためだけでなく、破綻者のような不幸に見舞われる人をなくすためでもある。

 しかし、慶太には腑に落ちない点があった。


「住み分けが大事だっていうのは分かりました。でも、それなら、どうして特務には依人がいるんですか?」


 依人や幻妖を減らすならば、特務にはなぜ依人がいるのか。自らと同じ人達を減らそうとするのか。矛盾するその理由が分からない。

 七海が怪訝な顔をするも、斎は特に気にした様子もなく答える。


「目には目を、歯には歯を。幻妖世界のモンには幻妖世界のモンを、や」


 ――受け売りやけどね。

 そう言う彼は、一瞬だけ寂しげな顔をした。

 局を出る彼に七海は黙って従い、慶太もやや遅れて小走りで二人に追いつく。

 そんな慶太に、斎は前を向いたまま訊ねる。


「慶ちゃんはどう思う?」

「はい?」

「成り行きみたいな形でうちに来ることになったけんね。共存を望む局を知って、ちょっと揺らいだんちゃうかなと思ってな」

「…………」


 確かに、できることなら穏便に済むであろう共存のほうがいいのだろう。

 ただ、それによって世界が壊れてしまうなら話は別だ。


「共存ができるなら、それがいいなとは思いました」

「せやねぇ」

「でも、それによって将来が悪いなら、住み分けをするのがいいと思います」


 それは、この世界を救うだけでなく、誰かが破綻する可能性をなくすことにも繋がる。


「あんな思いをするのは、誰であってももう嫌です」

「……せやな。ほな、改めて、これからよろしゅうな」





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