第16話 双頭
「は? オルトロスって……え? っつーか、本物の幻妖従えてんだけど!?」
「副長ですら依獣なのに、守獣を難なく使役って……何なんだ、あいつは?」
現れた双頭の犬に、疾風や伊吹が顔色を変えた。
斎は斎で何も言わず、ただ口元に笑みを浮かべている。まるで、この状況を待ち望んでいたかのように。
『依獣』とは、斎が使役する雷鳥をはじめ、依人が自らの力を具現化させて使役するものを呼ぶ。依獣の姿は大抵がその依人が持つ力の種族に準じる。霊力の集まりのため物理によるダメージを受けにくく、生み出した依人の霊力が尽きるまでは動くことができるのが強みだ。その強さは生み出した依人に比例する。
対して、慶太が出現させたオルトロスは幻妖そのもの。依人などと契約し、使役される『守獣』と呼ばれるものだ。主の意思に沿って動く依獣と違って、自身の考えのみで動くこともできる。また、力の強さも幻妖自身が本来持つものであり、依獣以上の威力を発揮することも多々ある。勿論、それを引き出せるかは主の手腕に掛かっているが。
しかし、友樹に意識が向いている慶太は素人であり、その違いに気づくことはなかった。
「ははっ! あんな怖がりだったお前が、自分から化物になるなんてなぁ!」
「友樹を助けたいからだよ」
「…………」
嘲笑う友樹だが、慶太は真剣な表情で真っ直ぐに友樹を見て言う。
その視線を受けた友樹は笑みを消し去った。
「なら、アイツを消すのを手伝ってくれよ」
「できない」
「オレを助けるんだろ? だったら、方法はそれしかない」
「違う。あの人を殺したって何にもならない。それは、友樹が一番分かっているんじゃないの?」
「はっ! お決まりだな」
鼻で笑い飛ばした友樹は、もはや聞く耳を持たない。
それでも、慶太は友樹に語りかける。ありがちな台詞だろうと、彼を少しでも変えるための本心だ。
「友樹が人殺しになんてなったら、友樹の家族が悲しむし、もっと苦労するのは分かるよ」
「煩い! アイツが……アイツさえいなかったら、オレ達はこんな目に遭わなかったんだ!」
「だからって、友樹が人間を捨てて人殺しになる価値もない人なんだよ。だったら、もう後のことは警察に任せた方がいい。復讐は、犯人を捕まえて、生きて償わせる。そのほうが、友樹も手を汚さずに済むんだよ?」
落ち着いた口調の慶太は、友樹を刺激しないように言葉を選ぶのに精一杯だった。胸の内では、妖狐から貰った力が友樹の感情の昂りに反応し、まるで敵対心を抱いているように熱くなっているからだ。
気持ちを落ち着かせようと手を握りしめたときだった。
「――い……」
「もうやめ……え?」
友樹が小さく呟いた言葉は慶太には届かなかった。
ぞわりと背筋が粟立つ。溢れ出してきた殺気は、まだまだ素人の慶太でも感じ取れた。
足を撃たれて動けないはずの友樹が、ゆらりと立ち上がった。手の甲に小さな亀裂が入る。
「煩い……煩い煩い煩い煩い煩い!」
「友樹?」
「もう、黙ってくれ!!」
友樹は水と炎を体に纏い、その表面を静電気が具現化したような歪な線が走る。
叫びに合わせてそれらが周囲に飛び散った直後、彼は地面を強く蹴った。
慶太の前にいたオルトロスは、飛び散った水や炎、電流を炎の壁で遮ることで動きが遅れた。
「そこを退けぇぇぇぇ!!」
「っ!」
正面からの突進に対し、体は本能的に横に避けてしまう。
友樹が狙っているのは進んだ先にいる拘束された梓や七海――ではなく、木の影にいる男だ。
男は氷の壁で囲まれているが、友樹には壁など大した障害ではないのか勢いを緩めることはない。
「友樹! 止まって!」
「コイツだけはぁぁぁぁ!!」
「あ゛っ! ぐっうぅ……ひぃっ!?」
友樹は、分厚い氷の壁を手のひらから炎を噴出させて溶かし、奥にいた男の胸ぐらを掴み上げる。
衝撃から全身に走った激痛で、気絶していた男が目を覚ました。だが、眼前の友樹の存在にその表情は再び恐怖に染まった。
そんな男を見て、七海は大きく舌打ちをして声を張り上げる。
「ウンディーネ!」
「!?」
「うあっ、うわああぁぁぁぁ!!」
男を殴ろうとした友樹の拳を、足元に『溜まっていた水』が噴き上げて包み込んだ。
悲鳴を上げる男は錯乱状態に陥っており、痛みなど忘れてしまったのか友樹に掴まれたままもがいている。
「わー。さすがなっちゃん。依獣を仕込んどくとはやるなぁ」
鎖に拘束された状態で力は使えない。
だが、それは『新たに』力を使うことができないだけで、事前に力を込めたモノを置いておくことはできる。氷の壁があるのも、梓が事前に用意していたからだ。
七海の依獣――『ウンディーネ』は水の精霊だ。その身は水と同じであり、人の形ではなく液体である水のようにもなれる。
犯人に気づかれないよう、水溜まりなどに見せかけて置いておくのは、追っている者の捕縛の際に七海がよくやる方法だ。
「諦めろ。草に隠れていた水に気づかなかった時点で、お前の負けだ」
「クソッ! こんなモン、元をやればいいんだろ!?」
「やめろ!」
腕に絡み付いた水を振り払い、男を離した友樹が今度は七海に殴り掛かった。
止めようと慶太が地を蹴るも、七海には友樹の方が近い。間に合わない、と目を瞑った慶太の鼓膜を叩いたのは、七海に襲い掛かった友樹の悲鳴だった。
「っ、うああああぁぁぁぁ!!」
「え?」
突然、友樹の全身が炎に包まれた。真紅の炎が辺りをその色に染めあげる。
七海は目前で炎が噴き上げているというのに熱さを感じないことから、火を操ることのできる者へと視線を向けた。
「疾風!」
「おっ、オレじゃない! 『サラマンダー』の火はそんなんじゃねぇし、七海のみたいに仕込んどけねぇし!」
「おいおい、冗談よせよ……。継承してすぐに力が馴染んでやがる。オルトロスのことといい、只者じゃねぇな、こいつ」
疾風は火を司る精霊、サラマンダーの力を持つ。
しかし、火を操るからこそ、その炎の違いに気づける疾風は慌てて否定した。炎は水のように仕込んでおくには不自然になることが多く、かといって今すぐ力を使うにしても拘束されているのでできない。
ならば他に炎を使える者は誰か。
至った結論に、伊吹は笑みを引きつらせながら、愕然としたまま固まる慶太へと目をやった。
「な、なんで……」
七海が危ないと思った慶太は、友樹の動きを止めるために地面から炎を噴き上げさせた。炎で友樹の力を消滅させることができればいいと思いながら。
だが、目の前で炎に包まれる友樹は、力を消すどころか、どう見てもダメージを受けている。
「あっつ! 熱い!」
「ゆ、友樹! ごめん! 大丈夫!?」
「触んな!」
友樹の声で我に返った慶太は慌てて炎を消す。地面に転がる友樹に手を伸ばしたが、それは振り払われた。
炎に焼かれた肌は一部が黒く焦げており、炎の熱さを物語っている。
慶太の手を振り払った友樹は、衝撃で全身に走った痛みに蹲った。
「いっ! ああっ……! っ、くそ……なんで、痛いんだよ。麻痺してるんじゃないのか!?」
「麻痺って……どういうこと?」
「破綻者の感覚は、進行するにつれて麻痺します。痛覚はないはずですが、彼の痛みはあなたの炎に理由があります」
この力ではダメなのかと自身の手を見下ろす慶太の背後から、新たな人物の声がした。
驚いて振り向いた慶太は、真後ろにいつの間にか立っていた誠司に気づいた。
冷静に状況を分析する誠司はいつからいたのか。
突然の登場に加え、友樹の苦しみの原因が自分だと言われて愕然とした。
「兄弟たるケルベロスは『地獄の炎』を扱うので、オルトロスも多少なりとも扱えたとしてもおかしくはありません。また、あの類いの炎は、魂すら焼き尽くす業火に匹敵するので、麻痺していても関係がないのです」
「誠ちゃん、来たんや」
彼の登場を予想していなかった斎が意外そうに口に出すも、誠司は表情を崩すことなく、斎を一瞥しただけで特に言葉は返ってこなかった。
慶太はその視線が冷たいように感じたが、すぐに掛けられた言葉によって気にする余裕はなくなった。
「妖狐の甘言に惑わされましたね。残念なことに、あなたが描いていた結末とはやや違うようです」
「そんな……だって、この力があれば友樹を助けられるって!」
「残念ながら、破綻者を『人間に戻す』という意味での救う力ではありません」
妖狐は救ってやれと言っていた。だが、どう救うかという中身までは言っていない。
「友樹を救えない」という事実を前に今にも泣きそうな慶太に、誠司は小さく息を吐いた。
「ただし、『破綻の苦しみから解放してやる』という意味での救いにはなります」
「…………」
破綻者の苦しさは慶太には計り知れない。ただ、力を受け取った直後の友樹と今の友樹には随分と違う印象を受けた。
継承直後はまだ力を得たことに喜びすら感じさせた友樹だったが、今や顔を歪め、苦痛に悶え、ただひたすらに復讐のために動いている。
「友樹」
「もう嫌だ。復讐もできないし、力だって使えない。こんなことになるなら、力なんて貰わなきゃ良かった……!」
地面に仰向けで横たわったままの彼は顔を両腕で覆い、表情は窺えない。ただ、上擦った声から泣いているのだとは分かった。
焼かれた肌は黒く焦げ、ボロボロになった服の合間から覗く腕や足にはヒビが入っている。友樹がただの人ではないことを顕著に表し、また、体が力を受け入れきれていないのだと嫌でも実感させた。
慶太は友樹の隣に両膝をつくと、顔を隠す友樹の腕にそっと触れる。
「もう、いいよ」
「慶太ぁ……俺は、アイツが憎いんだよ。殺してやりたいって、いつもいつも思ってた。でも、今までの俺じゃ無理だって思ったから……だから、狐から力を貰えればって、思っただけなのに、なんで……なんで邪魔すんだよ……!」
「……ごめん」
邪魔はしたくない。けれど、友樹の行為は親友として見過ごしてはおけなかった。勿論、友樹を苦しめた人を許すわけにはいかないが、友樹の行為も許されるものではなく、止めなければと思ったのだ。
慶太は長く一緒にいたのに気づかなかった自分を責めた。
気づいていれば、変わっていたのに、と。
「なんで、アイツが平気で生きていられるんだ。なんで、俺達がこんなに辛い思いをして生きなきゃいけないんだよ!」
元凶となった男は、至る箇所が折れた体で逃げることも叶わず、その場で体を縮めて頭を抱えている。ぼそぼそと聞こえてくるのは、涙混じりの謝罪の言葉だ。
彼には彼なりの事情があったのだろう。だからといって、他人を巻き込んでいいものでもないが。
すると、黙って聞いていた誠司が淡々と述べた。
「世の中、不条理なことは多い。それを嘆いて元凶を憎むのではなく、打開するための最善の道を探さなかったのが誤りです」
的を射た言葉が友樹をさらに抉る。
反論できないままの友樹に、誠司は続けて言った。
「人の生は間違っても気づけばやり直せることはあります。しかし、依人の生は気づいてもやり直せないことが多い」
「な――で、――――か?」
「はい?」
慶太が何かを呟いた。
しかし、誠司には届かず、彼はやや変わった慶太の雰囲気に眉を顰めながら聞き直した。
「なんで、そんな事を言うんですか?」
立ち上がり、誠司に向き直った慶太ははっきりとそう言った。
当たり前のごとく言ってのけた誠司が冷酷に感じた。
「友樹は苦しんで苦しんで、どうすればいいかって悩んで! それで! 見つけた打開策なんですよ!?」
「…………」
友樹の葛藤を、決意を、踏みにじられた気がした。
いくら友樹を知らないからとはいえ、彼のしたことを全否定されたことに憤りを覚えた。
「依人の生き方は直せない? そんなの、諦めた人が言う台詞じゃないか!」
久しぶりに、怒りに任せて叫んだ気がする、とくらくらする頭でぼんやりと思った。だが、言った言葉に後悔はなく、むしろすっきりした気分だ。
誠司は慶太の反論に驚いているのか言葉を失っている。彼以外の特務のメンバーも唖然とした顔で慶太を見ていた。
静まり返った空気を破ったのは、渦中の友樹本人だった。
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