第15話 継承


「っ、くそ!」


 両足から力が抜け、その場に膝をつく。痛みはないが、銃創は焼けるように熱い。傷口から溢れ出す血で服が瞬く間に赤く染まっていく。

 銃を撃った伊吹は新しい弾を装填しながらニヤリと笑んだ。


「痛覚が麻痺してようが、筋肉やられちゃ動けねぇんだよ」

「確保!」


 梓の指示で伊吹と七海が地を蹴る。

 だが、七海の進路を慶太が、梓の前を雷鳥が、伊吹の前を疾風が立ちはだかって止めた。


「ま、待ってください!」

「せやで。ちょっとだけ――」

「この世界に『待て』はない。桜庭まで、なぜ寝言を言っているんだ」

「え。叱られた?」


 まさかの梓からの叱りに、斎はぎょっとした。雷鳥も怯んだように唸った。

 斎や疾風は慶太のやろうとしていることを知っている。だが、それは他の特務のメンバーにはすべて伝わっていない。梓は斎と慶太の間で交わされている約束を知っているはずだが、慶太が今から何をやろうとしているかまでは知らないのだ。

 そんな三人を説得して止めたくとも、いい言葉は浮かんではこない。


「僕は……」


 何を言うべきか、どうすれば友樹の討伐を待ってくれるか。思案する慶太は、ふと、胸ポケットに入れていた物を思い出した。

 斎から、何かあったときに使えと言われたサイコロ型の石。どんな効果があるかは分からないが、何かあったときは今だと、胸ポケットから取り出した。


「僕は、まだ何もできてないんです!」


 地面に向かって石を投げつける。

 見た目以上に脆いのか、柔らかい地面でも石は粉々に飛び散り、辺りを満たすほどの眩い光を放った。


「うわ!?」

「なっ!?」

「あっちゃー……あっちゃん達にはともかく、協力する側の俺らにも使う?」


 光が収まる頃、梓や七海、伊吹の手足は地面から伸びた光の鎖に繋がれていた。ただ、その三人だけでなく、斎と疾風も同様に束縛されている。

 斎が慶太に託したのは、対象の依人を捕まえるための鎖を出現させる道具だった。

 光の鎖を見た慶太は、初めて見るそれに唖然としたまましばらく思考が停止した。

 そんな彼を現実に引き戻したのは、前触れもなく木の上に現れた妖狐だった。


「とにかく、この場の依人を止めたいと思ったのだね。どう使うか、話さなかったのが間違いだったかもしれないねぇ。雷鳥の」

「「「「!!」」」」

「はは……そうだな」


 陽気に言った妖狐の方を全員が驚いたように向いた。斎だけは気づいていたのか顔色一つ変えなかった。

 妖狐は地面に降り立つことなく、表情を引き締めた慶太を見やる。


「それで、お前の決意は固まったのかな?」

「……はい」


 何の決意かは聞かれずとも分かる。

 頷いた慶太だったが、それに嫌な予感がした梓が声を上げた。


「岸原! 妖狐と何の取り引きをした!?」

「友樹を救う最後の手段です。僕も力を貰うことが、最後の手段なんだって」

「血迷ったか!」

「血迷ってなんかない! 最後の可能性に、すがっただけです!」


 慶太の叫びに梓は言葉を失う。彼の継承を止めたい一方で、自身も同じように継承をした手前、覚悟を決めた彼を止める資格はないと気づいたからだ。

 自身の不甲斐なさに、梓は下唇を噛み締めた。

 妖狐は小さく笑みを浮かべる。


「皮肉なものだ。依人を増やしたくなくとも、自らが歩んだ手前、説得力がないのだから」

「っ!」

「この妖狐。お前の意志、しかと受け取った」

「わ!?」


 辺りの景色が妖狐を中心にして一変。

 靄がかった淡い紫色の世界で、慶太は妖狐と二人きりになっていると気づいた。

 友樹はおろか、斎達の姿もない。


「岸原慶太。お前に力を授けよう。ただし、これは一度だけの機会だ。例え望まぬ力が発現したとしても、変えることはできない」

「……はい」

「人に戻りたいと願っても叶わない。一生を、人の生から外れた道を行くことになる。いいな?」

「はい。お願いします」

「ならば願え。力に呑まれぬことを」


 額に手が翳され、淡い光が発する。

 眩しさに目を閉じた慶太は、意識が別の場所に飛ばされていくのを感じた。やや間を置いて、瞼の向こうに感じていた眩しさが弱まった。

 ゆっくりと目を開けば、古びた小さな神社の境内にいた。


「ここは……」


 見覚えがある場所だ。慶太は小さな頃に、ここに来たことがある。だが、ここで何をしたかは思い出せなかった。そもそも、自身がなぜここにいるのかが分からない。

 神社の周囲は先ほどいた雑木林と同じく木々が生い茂っている。境内は手入れをされていないために雑草が至るところから伸び、社殿は今にも崩れそうだ。屋根の瓦が時折、音を立ててずれているほどに。

 妖狐が継承後に別の場所へ転送でもしたのかと思った矢先、社殿の下からか細い鳴き声が聞こえてくる。


「くぅん」

「い、犬?」


 正直、犬はあまり得意ではない。幼い頃、大型犬に飛びつかれて転けて以降、その恐怖が抜けきらないのだ。

 しかし、不思議とその鳴き声には惹かれるものがあり、慶太は恐る恐る社殿に歩み寄った。社殿の下にいるならば、下敷きになる前に別の場所に移してやる必要がある。


「どっ、どこにいるの……?」


 薄暗い社殿の下を覗き込み、未だ聞こえてくる鳴き声の主に呼び掛けた。

 すると、鳴き声がピタリと止んだ。

 もしや怖がらせてしまったか、と自身も怯んでいるのを忘れて申し訳なさが込み上げる。

 同時に、今は犬を相手にしている場合ではないと思い出した。


「そうだ。戻らないと」


 ――どこに?


「友樹を助けないと。だから、力を貰ったんだ」


 ――ユウキ? ケータの、トモダチの?


「そう。だから……え?」


 自然と返してしまっていたが、よく考えればこの場にいるのは慶太だけ。しかも、慶太は自身の名前を名乗っていない上に友樹との関係を話してもいない。

 少年の声はどこから聞こえるのか、なぜ知っているのかと、再び社殿の下を見た。

 先の見えない暗闇の中で、横に並んだ『四つの赤い光』が灯った。


「ひっ!」


 人ではない何かが、社殿の下から出ようと近寄ってくる。

 腰が抜けて尻餅をついた慶太に、赤い光が僅かに揺らめき細くなったかと思えば、一気に距離を詰めて来た。


『ケータ!』

「うわあぁぁぁ!」


 社殿の下から飛び出した中型犬ほどのサイズの影に悲鳴を上げ、目を固く瞑る。

 だが、いつになっても痛みや衝撃はなく、不思議に思った慶太はゆっくりと目を開いた。


「……え?」

『『…………』』


 すぐ目の前に犬の顔が二つ並んでいた。ただし、足の間に入り込んだ体の感触は一つしかない。

 脳内が大混乱を起こす中、犬は無邪気に慶太の両頬をそれぞれ舐め上げた。


『『ケータだ!』』

「…………」


 これは悪い夢だ。

 目の前にいた犬は、一つの体に二つの頭を持つ、ただの犬ではなかった。

 意識を失いかけた慶太だったが、それを遮ったのは、原因ともなるその犬の甘えるような鳴き声だった。


「「きゅううん」」

「……あれ?」


 脳裏に一つの映像が浮かんだ。ぶれて霞んではいるが、幼い友樹と目の前の犬がいた。自分はその二人と遊んでいる。


「キミ、もしかして……」

『オルトロス!』

『こっちが「オル」で、ボクが「ロス」! ケータとユウキが名前をつけてくれたんじゃないか!』


 人語を巧みに操る双頭の犬は、無邪気さを失うことなくそう名乗った。種族名を言ったのは慶太から見て左側、名前を言ったのは右側の頭だ。

 オルトロスとは、ギリシャ神話に出てくる二つの頭と蛇の尾を持つ漆黒の犬のことだ。地獄の門の番犬、ケルベロスとは兄弟とも謂われているが、溢れる無邪気さからは想像もしがたい。

 名前を脳内で反芻した慶太は、ぼんやりとしていた過去の出来事を思い出した。同時に、この場所がなぜ見覚えがあるのかも。


「そうだ。友樹が『変な犬がいる』って言って、見つけたんだっけ……」


 ――慶太! 頭が二つある犬がいたぜ!


 あの時も、慶太は友樹に連れられて非日常に触れたのだ。

 異様な姿の犬を見たとき、慶太は底知れない恐怖から泣きじゃくり、友樹と双頭の犬もといオルトロスを困らせた。

 あたふたするオルトロスと友樹を見て、次第に恐怖心は薄れ、いつの間にか笑っていたが。


「なんで忘れてたんだろう。それに、ふたりはどこに行ってたんだ?」

『トクムなんとかってニンゲンが、ケータとユウキを連れて行ったんだよ』

『ボクらは、幻妖界に還されたんだ』


 オルが先に口を開き、ロスが補足をする。いつもの会話のやり方は懐かしさを覚えた。

 だが、なぜ特務が慶太にオルトロスの話をしなかったのかが気になる。


「特務……あの人達が? それなら、最初に言ってくれれば良かったのに」

『ニンゲンと幻妖は、本当は関わっちゃダメなんだって』

『だから、ケータ達から記憶を消して、ボクらも本来の場所に還らないといけないって。そうしないと、ケータ達が危ないって』

「そっか……」


 基本的に、幻妖世界について一般人が知ることは許されていない。慶太も最初は記憶を消されるはずだった。

 今回、記憶を消されなかったのは、単に自分の言葉に共感してくれたからかと思っていたが、他に理由がありそうだ。

 慶太の手にオルが頭を擦り寄せて甘える。


『でもね、あっちに還ってからもケータ達のこと、忘れなかったよ』

『そしたらね、ケータがまた呼んでくれたんだ』

『『力が欲しいって』』

「え?」


 ふたりの声が重なった。

 妖狐に頼んで力は得たが、それは何の力なのか。また、オルトロスの言う言葉の意味は何なのか。答えはすぐに出された。


『ユウキを助けるなら、ボクらも協力するよ!』

『ケータと一緒に!』

『『ボクらの力を使って!』』

「ふたりとも……。……ありがとう」


 ふわりと笑んだ慶太に、オルトロスも嬉しそうに目を細めた。

 すると、その身が炎に包まれ、やがて小さな炎の球体へと変化すると、慶太の胸元に飛び込んだ。


「あっ、つ……!」


 体内に溶け込んだ炎の球体が、胸の奥で燃え盛っているようだ。

 身を焦がさんばかりの熱に顔を歪め、胸元を鷲掴む。


 ――ケータ! しっかり!

 ――ユウキを助けるんでしょ!?


「っ、うん。大丈夫。僕は――」


 目を閉じれば、今までの光景が走馬灯のように駆け巡る。

 まるで、人としての生を終えるかのように。

 まるで、依人としての生の始まりを伝えるかのように。


「――救ってみせる!」


 目を開いた途端、辺りの景色が砕け散った。

 その向こうに出てきたのは、薄暗い雑木林。そして、未だ鎖に捕らわれた特務のメンバーと足を撃たれたことで動けない友樹、慶太のそばにいるままだった妖狐だ。


「大丈夫かい?」

「はい!」

「ならば、その力でもってあの少年を救ってやれ」


 妖狐はそう言い残して姿を消した。

 友樹を救える力が手に入ったと分かっただけで、自然と力は湧いてくる。

 特務は動くことができない。能力を使って援護をしようにも、鎖は力すら封じているからだ。

 まだ力の使い方はよく分かっていないが、脳に直接語りかけてくる声に従って体内にある炎の形を変える。


「やろう。――オルトロス」


 慶太の足元から炎が巻き起こり、天へと昇った。炎は上空で渦を巻き、やがて中心から炎の塊を吐き出した。

 それが地面に落ちて炎が飛散すれば、中から一頭の犬が姿を現した。




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