第14話 復讐
力の宿った血が、肉が欲しい。体に満ちる力を存分に振るいたい。
自身の中で暴れまわる獰猛な獣を抑えるには新しい力を得るか、今ある力を思うままに振るうしかないと、本能が語っている。
全身の苦しさから、いっそ、このまま意識を飛ばしてしまえば楽になるのではないかと思った。けれど、意識を飛ばした瞬間、自分の意思がなくなりそうで怖い。
そんな中、近づいてくる『何か』に気づき、遠ざかりかけた意識がはっきりとした。
(なん、だ?)
生い茂る木々のせいで、夕方前でもやや薄暗い雑木林。
その奥から、痛みと恐怖に喚く男の声と何か重い物を引きずる鈍い音がする。
やがて、友樹の目の前に現れたのは、憎んで憎んで仕方がない男。そして、そんな男を引き摺る、ツバの広い帽子を被った男だった。
「お、前……!」
「ひぃっ! たっ、助けてくれ……!」
帽子の男に頭を掴まれた、「仇」とも言える男は既に満身創痍だった。友樹を覚えていないのか、彼は友樹に助けを求めた。
それに過去の自分や家族が重なり、反射的に伸ばしかけた手を引っ込める。彼はいくら助けを乞うても助けてはくれなかったではないかと。
代わりに、男を掴んだ帽子の男を訝るように見た。帽子の男はツバのせいで顔に影がかかり、表情の半分が隠れて分からない。
「お前、誰だ? なんで、そいつを連れてんだ?」
「ははっ。破綻三級で自我ありとは、面白いなァ」
「っ!」
ニヤリと笑った帽子の男は友樹と歳が近いように感じた。
ざわり、と全身が危険を知らせ、警戒心が高まる。
それに気づいたのか、帽子の男はまるでゴミを捨てるかのように、掴んでいた男をその場に放り投げた。
「がっ!」
「会いたかったぜェ? 大澤友樹」
「は……?」
両手を広げた男は、友樹に飛び込んでこいと言わんばかりだ。
胡散臭さに足を引こうとするも、なぜか体は一ミリたりとも動かなかった。
「さァて、俺と契約しようじゃないか」
遊びを始める子供のように楽しげに言った男が友樹に近寄る。
全身から拒絶反応が出ているというのに、逃げ出したい気持ちで一杯だというのに、やはり体は動かなかった。
そのまま、世界が暗転した。
「――樹! ゆ――!」
誰かが名前を呼んでいる。
ゆっくりと目を開けば、帽子の男はいなくなっていた。ただ、仇相手はまだ気絶をした状態で地面に転がっている。
友樹は立ったままで、意識を飛ばした状態から何ら変わっていなかった。
立ったまま意識を失っていたのか、と考えている間にも、遠くで名前を叫ぶ声は段々と大きくなって耳に届いてきた。
「友樹!」
「……慶太?」
聞き覚えのある声だ。
まさか、と声がする上を見れば、雷でできた巨鳥に掴まれた慶太の姿があった。空がまだ明るい辺り、意識を飛ばす前からさほど時間は経っていないようだ。
雷鳥は慶太を気遣っているのかゆっくりと下降する。地面に慶太が降りたことを確認すると、雷鳥は一瞬で姿を消してしまった。
「友樹、大丈夫か!?」
「あ、ああ……」
「良かったぁ……!」
斎からは手遅れだと言われたが、友樹は普段と何ら変わりない様子だった。むしろ、力を貰った直後のほうが異常なほどだ。
脱力してその場に座り込んだ慶太の傍らに、友樹も片膝をついて座る。
「破綻が進行して、もう戻れないって聞いて、どうしていいのか分かんなくて……」
「……ああ、そうだ。俺は、力を貰ったんだよな」
気を失ったことで、一時的に記憶も混乱していたのか。これまでの事を一気に思い出し、友樹は自身の手を何度か握っては開きを繰り返す。
安心から今までの自身の気持ちを吐露する慶太は、友樹がその内の単語に反応したことには気づいていない。
「うん。でも、進行していないなら、桜庭さんって人が何とかしてくれるって――」
「せっかく貰った力なんだ。使わなきゃ意味がない」
「友樹?」
突然、友樹の雰囲気が変わった。
敵意を剥き出しにした、鋭いものへと。
友樹は少し離れた場所で気絶している男を見ていた。
「あの人は?」
「ずっと会いたかった奴だよ」
「会いたかった人?」
立ち上がった友樹は真っ直ぐに男のもとに向かう。
会いたかった、と言う割に、友樹の口調は険しい。
「そう。ずっとずっと会いたくて、ずっとずっと殺したいと思っていた、な!」
「っ、ぐぁっ!?」
男の隣に立った友樹は、言い終えると同時に脇腹を強く踏みつけた。
ボキリ、と嫌な音が響いたが、慶太には何が起こっているのか理解ができなかった。
友樹は友樹で、男の脇腹を踏む足の力をさらに強めた。痛みに意識を取り戻した男から苦悶の声が上がっても気にした様子もない。
「おい、起きろよ。寝たまま逝かせはしねぇよ」
「がふっ! っ、ひっ! ゆ、許し……ぶっ!」
「許さねぇ! お前は、俺の父さんや母さんがいくら『待ってくれ』って言っても待ってくれなかった!」
地面に横たわったままの男を何度も蹴り飛ばした友樹は、悲痛に叫ぶと片手を男の頭に翳す。
目の前の出来事が受け止めきれず、慶太は止めることすらできない。
「お前のときだけ助かろうなんて、虫が良すぎんだよ!」
「がぼっ!?」
友樹の手のひらの先から水の塊が生まれ、男の頭をすっぽりと覆った。
酸素がなくなったことで手足をばたつかせて暴れる男を、友樹は可笑しげに見ていた。
「ははっ! 楽になんて死なせねぇよ!」
「や、止めろ! 友樹!」
「!」
男の頭を覆っていた水を消し、また新たな水を生み出した友樹と男の間に、ようやく慶太が割って入った。
友樹は慶太を傷つける気はないのか、水を消し去り驚いたように慶太を見る。
「退けよ」
「だ、ダメだ! 人殺しなんて、やっちゃダメだ! 友樹は、そんなことする奴じゃなかっただろ!?」
「……はぁ。これだからイイ子ちゃんはさぁ」
男は再び気を失っている。痙攣する手足を見れば、まだ生きているようだ。
叩き起こさなければ。いたぶって泣き喚かせて、いっそ殺してくれと思わせる程の苦痛を味わわせなければと思う反面、このまま慶太を巻き込むのは嫌だ――そう思っていたはずだった。
(めんどくさ)
大事な友人だが、復讐を邪魔されては話は別だ。
慶太を気にすることも段々と億劫になってきた。
「……いつも一緒にいたお前なら、分かってくれるって思ってたんだけどな」
「一緒にいたから、大事な友達だから、人殺しになんてなってほしくないんだよ! この人が何かしたって言うなら、警察に突き出して、ちゃんと償ってもらおう!?」
寂しげに笑んだ友樹に胸が締め付けられる。しかし、「人を殺す」ということは、情に流されて許せるほどの軽いものではない。
どうか理解して止めてほしいと願う慶太だったが、友樹の憎しみはやはり消えなかった。
「そうか。じゃあ、お別れだな」
「っ!?」
瞬く間に生み出された水が慶太を包み込んだ。
外に出ようともがくも、水は体に纏わりついたまま離れる気配はない。酸素を取り込めず、苦しさから意識が朦朧としてきた。
霞む視界の中、友樹が男に近寄る。翳した手から水が作り出され、バスケットボールほどのサイズにまで膨らむ。
それが男の顔に降りかかる直前――
「いかん子やなぁ。雷鳥、ちょっとお灸据えたり」
緩い口調で聞こえた関西弁は聞き覚えがある。かと思えば、視界の隅を雷電が走った。次いで、慶太の腕が後ろから誰かに掴まれて引っ張られた。
水の塊からは出られたが、水を飲んだ今、いきなり酸素を取り込むことは難しい。苦しさから暴れる慶太の背に、強めの張り手が入れられた。
「っ、ごぼっげほっ! げほっ!」
「ナイス、七海ー! おい、大丈夫かー?」
「ごほっ……。し、らぬい、さん……?」
地面にへたり込んで噎せる慶太の背を叩いたのは、学校で別れた疾風だった。彼の隣には七海の姿があり、やや離れた場所には斎や梓、伊吹もいた。
背後から聞こえたバチバチという音に振り向けば、慶太をここまで運んだ雷鳥が友樹を取り押さえようと飛び回っている。
特務の面々は誰もが深刻な顔をしていたが、唯一、疾風だけは陽気に笑んだ。
「七海は水を操れるんだよ。だから、半端な力の奴の生み出した水なら、七海の手に掛かれば自由自在なんだぜ!」
「お前が自慢するな」
「いてっ」
立ち上がってふんぞり返る疾風の脳天に、隣から七海の手刀が落とされた。
七海は頭を押さえて非難の目を向ける疾風は気にせず、雷鳥と激しい攻防を繰り広げる友樹を見て怪訝な顔をする。
「大澤友樹の能力は、本当に水に纏わる幻妖が元でしょうか?」
「能力はまだ未解析だが、あの様子だとお前と同じ水属性のようだ。どちらにせよ、水では雷を防げない。決着は早いだろう」
「そう、でしょうか」
冷静に分析する梓だが、七海は払拭しきれない違和感に同意しかねた。
水が雷に対して相性が悪いのは事実だ。それ故に戦いにくいだけなのかもしれないが、友樹の動きはそれだけではないようにも見える。
また、七海だけでなく、友樹と交戦する斎も違和感を抱いていた。
「なっちゃん、あっちゃん。ケガ人の保護頼むわ。はーちゃんといっちゃんは俺のフォローな」
雷鳥と友樹を見たまま指示を出す斎だったが、副長である彼の実力を知る疾風は首を傾げた。
「え? 桜庭さんならフォローしなくても――」
「邪魔すんなぁぁぁぁ!!」
「おわっと!?」
雷鳥の攻めにより、男から離された友樹が叫びながら腕を薙いだ。その瞬間、三日月型をした雷電が宙を駆け、男より数メートル前にいた疾風に向かった。
寸手のところで疾風は避けたが、雷電は障害のない宙をなおも駆け、後ろにいた梓や七海、そして男を狙う。
「雲英!」
「はっ!」
梓の言わんとしていることを読み取った七海は短く返事をし、水を発生させて壁を作り上げる。梓が水の壁に触れた途端、水は一瞬にして凍結し、分厚い氷の壁に変わった。
直後、雷電が氷壁にぶつかり、激しい衝突音が辺りに響き渡る。
近くの木々で休んでいた鳥達が、その轟音に驚いて一斉に飛び立った。
衝突により白煙が立ち込める中、疾風は友樹が出した攻撃に愕然とし、斎は笑みを引きつらせる。
「か、雷!? 二重属性か?」
「ちゃう。こいつに属性なんてモンはあらへん」
「属性がない? どういうことだ?」
「そのうち分かるわ。さっきからおかしいなぁ思てたけど……反則やな、『それ』」
友樹の姿が煙の中で揺らめいた。
そして、稲妻が地面と水平に走った。
「雷鳥!」
「コオオォォォォ!!」
「梓、七海! 早くその一般人を避難させろ!」
稲妻をその身でもって雷鳥が塞ぐ。方言をなくした斎からは余裕もなくなり、伊吹と疾風には目配せだけで行動を促した。
七海は気絶したままの男を近くの木の影に移動させようと腕を自らの首に掛け、梓がその周囲の防御を担当する。
だが、彼女は七海について行くことはせず、慶太のそばに立ったままだった。
まだ何かあるのかと梓を見れば、彼女は淡々と言う。
「お前も七海について行け」
「え?」
「一般人はお前もだ。避難するなら早くしろ」
慶太には何の力もない。対抗手段を持たないならば、この場に留まっていても邪魔になるだけだ。
それでも、慶太は逃げるわけにはいかなかった。
「し、しません! 僕は、友樹を止めるために来たんです!」
「……なら、好きにしろ。アイツはどうせ、もうすぐ自我をなくす。お前のことも分からなくなる」
それが、破綻者の行く末だ。
何かを重ねたのか、一瞬だけ顔を歪めてそう言った梓だが、慶太が意思を変えることはなかった。
すると、前衛で雷鳥に指示を出していた斎が二人のもとまで下がってきた。
「それが、そうでもないみたいだ」
「なに?」
「彼に自我はある。しかも、進行する気配もない。通常、力を使えば使うほど進行は速まるが、その兆しもない。何が起こっているのかさっぱりだ」
すっかり方言をなくした斎は、どう攻めたものかと考えあぐねていた。
今いる誰よりも破綻者との交戦経験が多い斎ですらこの有り様なら、梓達も動きようがない。
すると、疾風と共に友樹の動きを封じようと銃を手にしていた伊吹が友樹を見たまま言う。
「破綻具合やら能力やらの分析がしたいんなら、捕まえりゃいいだけだろ! 疾風、回り込め!」
「おう!」
友樹の背後に回り込んだ疾風が、両サイドに炎の壁を生み出して行き場を失わせる。
力押しで突っ込んだ二人に、「ああ、もう……」と斎は片手で顔を覆った。この二人には、たまに力に物言わせる悪癖があるのだ。
炎により友樹が動きを止めたのは一瞬だったが、その僅かな隙を、伊吹は見逃さなかった。
「終いだ!」
乾いた音が二発響く。
直後、友樹の左右の腿から血が溢れ出した。
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