第13話 後悔


 これ以上、依人を増やし続けては、不幸の連鎖は止まらない。斎の考えは疾風には分からなかったが、二度と自分のような者を増やすわけにはいかなかった。

 物覚えの悪い頭に叩き込んだ校内図。そこから、目的の教室を探し出して階段を駆け上がった。


「岸原ぁ!」


 教師の声がするだけの教室内に、扉を開くけたたましい音と声が響く。

 待機していた特務の構成員のおかげで先ほどの爆発騒ぎは既に収束しており、いつもと変わりない授業が行われていた。

 全員の視線を受けても、疾風は気にせずに目的の少年、慶太のもとに歩み寄った。


「し、不知火さん!?」

「おい、君。どこのクラスの生徒だ。早く授業に――」

「俺は学生じゃねぇ! んなことより、大澤友樹が危ないぞ!」

「友樹が?」


 机の隣に立って声を荒げる不知火は、嘘を言っていない真剣な表情だ。

 教室内がざわつき、生徒達も「岸原君の知り合い?」「誰? あの小さい奴」などと話している。

 突然のことに戸惑っていると、教師が二人のもとに歩み寄って不知火の肩を掴んで慶太から少し離した。


「待ちなさい。生徒じゃないなら、一体――」

「あー! もう! オレは特務自警機関、特殊精鋭部隊のモンだ! あと、もう成人済みだからな!」

「特務? 聞いたことがない。警察を呼ぶぞ」

「その警察の外部協力機関だっつの! おら、これが証明!」


 訝る教師に荒々しく手帳を取り出して見せつけると、慶太の腕を掴んで立たせた。

 周囲の生徒に走る動揺はさらに大きくなり、隣のクラスの教師や生徒も何事かと廊下に出てきている。


「コイツはオレ達が追ってる事件の重要参考人なんだよ! 文句聞いてる暇はねえ!」

「お、おい! 勝手なことを――」


 慶太を連れて行こうとする教師だったが、その言葉はまたしても遮られた。乾いた二回の音によって。


「はいはい、ちょっと静かにー」

「!」


 手を叩いただけでその場を静かにさせ、疾風の動きさえ止めさせた人物は、校門にいたはずの斎だった。

 彼は教室の入口に立ち、疾風の行く手を遮っていた。


「桜庭さん、どいてくれ!」

「先生方、お騒がせしてすいません。ただ、こっちもこっちで緊急事態なもんで」

「分かってんだったらどけって!」

「緊急事態? だからといって、こんな誘拐じみた真似は困ります。大事な生徒をわけの分からない機関に渡すことはできません。警察の外部機関ならば、然るべき手順を取るべきですよね?」


 斎と教師は反抗する疾風の言葉が聞こえているのかいないのか、二人だけで話を進めている。


「ははっ。その大事な生徒に一大事が起きとるから、慶太君が必要なんやって。まぁ、忘れてしもた生徒のことなんざ、大事な生徒には入らんか」

「話になりません。大川先生、至急、警察に――」

「警察の外部機関だと言ったはずだ」

「!?」


 廊下にいる教師に連絡を頼もうとした瞬間、斎の雰囲気が口調と共にがらりと変わった。

 同時に、廊下に新たに現れたのは黒いスーツ姿の複数の男女――密かに校舎内で待機していた特務の構成員だ。

 斎の連絡を受け、校内に散っていた彼らはこの場に集まった。


「な、なになに?」

「先生!」

「どういうつもりですか!」


 生徒からは悲鳴にも近い声が上がり、何が起こるのかと教師を見たり、スーツ姿の集団から遠ざかったりしている。

 教師が非難の目を斎に向けるも、彼は既に教室の入口から離れており、構成員の間から廊下にいる姿が見えた。


「呪術班、あとは頼んだで」

「岸原、行くぞ!」

「え? あ、は、はい!」


 疾風に腕を引かれ、慶太は教室を気にしつつも後に続いた。

 階段を降りる直前に振り返れば、スーツ姿の男女は札のようなものを取り出して眼前に構え、何かを呟いている。

 異様な光景に息を飲むも、疾風に「見るな!」と一喝され、すぐに視線を前へと戻して階段を駆け下りた。


「あ、あの、どこに行くんですか? 妖狐から、友樹が破綻したとは聞きましたけど、でも、日暮れまではなんとかなるって……」

「……ちっ。あの狐、余計なことを」

「堪忍なぁ、慶太君」

「桜庭さん?」


 慶太の腕を掴んだまま校門に向かう疾風が忌々しそうに舌打ちをした。歩調は早歩きからやや弱まったものの、問いに対する答えはない。

 代わりに、後ろからやって来た斎が口を開いた。だが、その表情は言葉とは裏腹に苦笑いだ。


「『タイムリミット』や」

「タイムリミットって……じゃ、じゃあ、友樹はどうなるんですか!?」

「妖狐の言うとおり、彼は破綻した。君が機関を出た後にな。しかも、もうどないもならへんとこまで進んでしもた」

「そ、んな……」


 斎からの最後通告に、全身から力が抜けていく。崩れ落ちなかったのは、それでも腕を引き続ける疾風のおかげだ。

 妖狐は日没までは大丈夫だと言っていたのは何故か。斎は友樹を治療できるところに連絡したのではなかったのか。疾風は何故、自分を呼びに来たのか。

 様々な疑問が浮かんでは過ぎ、どうしたらいいのかさえ分からなくなってきた。

 そんな慶太の耳朶を叩いたのは、苛立った疾風の声だ。


「まだだ!」


 慶太と斎が疾風を見る。

 疾風は足を止め、振り返って慶太に言う。


「まだ間に合う! まだ自我があるんだよ! オレ達が必死に捕まえようとしてんのに、お前が諦めんな!」

「っ!」

「疾風」


 もはや意地にも聞こえる言葉だが、何よりも慶太の心に刺さった。

 斎が疾風を宥めるために肩を掴むも、彼にあっさりと振り払われた。


「桜庭さん、オレはまだ諦めない。七海だって諦めてない。だから、捕まえようと手を抜いて追って、怪我まで負ってんだ」

「怪我!?」

「それ言うたらアカンやろ……」


 疾風が明かしてしまったことに慶太は愕然とし、斎は溜め息を吐きながら片手を額に当てた。

 七海の怪我に関しては、彼と行動を共にしている実働部隊から連絡を受けている。また、七海は負傷してもなお、追跡を続行しているとも。

 それは、破綻者の関係者に自分達と同じ目に遭ってほしくないという思いからだ。

 疾風は過去を思い出しながら、自身が依人になった当初を語った。


「オレもさ、最初は興味半分で妖狐に会って友達と一緒に依人になって、ちょっとしてから友達だけが破綻したんだ。でも、それを知ったのは、アイツがもう戻れないところまで進んでからだった」


 朝、いつものように大学に行って会えると思っていた。

 だが、大学に行っても友人の姿はなく、他の友人に聞いても誰もが知らないと首を振る始末。友人の家族や恋人ですら、「そんな人はいない」と言った。

 やがて、その日その日を過ごす内に、いつの間にか疾風の中からも友人の存在はなくなっていた。ただ、何かを忘れている気がする、という漠然としたものだけが残っていたのだ。


「友達のことをすっかり忘れたオレの前に桜庭さん達が現れて、オレも危ないからって一時は捕まってた。そこで、なんでオレが捕まったかってことや、破綻者の最期がどうなるかを知って、友達のことをなんとか思い出したんだ。けど、結局、何もしてやれないままアイツは処分された」

「処分って……」

「破綻組はな、治療が完全に不可能になった段階で、討伐の対象に切り替わるねん」


 破綻はいくつかの段階に分かれており、初期ではまだ捕獲対象だ。ただ、破綻が進行すれば治療も無駄になる上、周囲に危険が及ぶ。そのため、大きな問題になる前に処分されるのだ。


「あの時、オレが都市伝説になんか興味を持たなかったら、アイツは消えなかった。だから、アイツを救えなかった代わりに、他にも同じ思いをしそうになってる奴がいたら、助けてやりたいんだよ!」


 依人になった以上、元の何の力もない一般人に戻ることはできない。また、力があるために普段どおりの生活は困難だ。

 疾風も最初の頃は何ともなかったはずが、感情が昂る時は力が暴れそうになり、段々と人の輪から遠ざかるようになった。その矢先に斎達によって特務に連行された。

 特務で自身の状態を知り、友人のことを聞いて思い出し、継承を深く後悔する疾風に声を掛けたのは、他ならぬ特務自警機関の総長、九条誠司だった。


 ――この世界から幻妖達を切り離すために、あなたと同じ目に遭う人を減らすために、その力を使ってみませんか?


 誠司とは初対面だったが、その一言はとてつもない引力を持っていた。

 この人は信じられる。心からそう思えたのだ。


「会わないままで『さよなら』なんてさせねぇぞ」

「ちょい待ち」

「まだなんかあるのかよ!?」


 歩き出そうとした疾風を再び斎が止める。

 苛立ちを露に斎を見やれば、彼は真剣な表情で慶太を見た。


「慶太君。心の準備はええの?」

「え?」

「こうなったら、はーちゃんの言う『救う』方法は彼の自我がある内に手に掛けることや。つまり、君は彼の最期に立ち会えるけど、君の言うてた救いにはならん」


 破綻者ではあるが、自我があれば人としての意識を持って最期を迎えられるだろう。ただ、友樹を生かした状態で救いたいと願う慶太はその場に立ち会えるのか。

 ふいに、妖狐に聞いたもう一つの手段が浮かんできた。

 依人として発現した力で、友樹を破綻から救うという手段が。

 勿論、とても可能性の低いものだ。下手をすれば自身も破綻して命を落としかねない。

 それでも、手段を知っているからには実行するしかないだろう。


「最期になんて、させません」

「……分かった。ほな、慶太君」

「はい」


 斎には慶太の真意が伝わったのか、向けられる視線に一瞬だけ険しいものが混じった。

 以前の気の弱そうな慶太なら怯んだだろうが、はっきりと頷いた慶太に迷いや怯えの色はない。


「『先に』行っておき」

「……はい?」

「げっ」


 にっこりと笑んだ斎の言葉の意味が分からなかった。だが、疾風は理解できたのか顔を引き攣らせた。

 慶太が理由を訪ねるより先に、斎は「雷鳥」と一言発する。

 直後、彼の斜め上に線香花火のような小さな火花が散った。かと思いきや、それは大きさを増し、バチバチと弾ける音がする雷電を纏う光の玉へと変わる。

 やがて、その中心から形を成して現れたのは、一羽の巨大な鳥だった。


「あの時の、雷の鳥……!」


 斎の身長を優に超える巨大な鳥は、羽ばたきをやめて地に降りる。以前、友樹が力を受け継いで暴れた際、押さえつけたのはこの雷の鳥だ。

 唖然として見上げる慶太の反応を楽しみつつ、斎は鳥の首から背を撫でてやった。体に纏う電流は触れても痛くはない。


「雷鳥やけんなぁ。まぁ、見た目は電流でできたような体やけど、触れはするし、こうやって……」

「うわ!?」


 斎が雷鳥の体を軽く二度叩けば、雷鳥は翼を広げて羽ばたいた。

 巻き起こる砂埃に目を閉じていると、両肩を何かに捕まれ、浮遊感が襲う。


「人を掴んで空も飛べる」

「ひっ!?」


 恐る恐る目を開いた慶太は、眼下に広がる景色に息を飲んだ。

 今まで自身が立っていた地面は遥か下にあり、校舎よりも高い位置にいた。


「俺らもすぐ行くけん、慶太君は大澤友樹の足止めしといてやー!」

「ええぇぇ!?」


 下から叫んだ斎は一緒に来るという考えはないようだ。

 無謀です! と返したくとも、雷鳥の甲高い鳴き声で言葉を飲み下してしまった。

 雷鳥が羽を一際大きく羽ばたかせる。直後、周囲の景色が次々と後ろへ流れていった。

 雷鳥と共に友樹のもとに向かう慶太を下から見ていた斎と疾風も、すぐさま後を追うべく動き出した。


「桜庭さん。アイツを一人で行かせて大丈夫なのか?」

「問題あらへんよ。……持たせてるモンを忘れてへんかったらやけど」

「それは確認しとこうぜ!?」



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