第12話 異変


「桜庭さーん」

「どないしたん? はーちゃん」


 あと少しで今日の授業がすべて終わるという頃、学校前にいる斎のもとに学校の制服姿の疾風が駆け寄ってきた。

 彼は数時間ほど前に戻って来ていたが、機関からの新たな指示によって調査に出ていたのだ。学校内の調査に。

 速度を緩めて斎の目の前で止まった疾風は、先ほどまで自分が調べていたことを報告する。


「学校のフェンスが壊れたってやつ調べたんだけど、やっぱり、ただネジが緩んだわけじゃないみたいだ」

「へぇー。制服用意してもろたんや?」

「そうそう。オレ、制服着れば学生に混じ――れないからな!?」

「ははっ。分からんけん大丈夫や」

「大丈夫じゃねーし!」


 斎は調査結果よりも疾風の格好が気になった。

 危うく流されそうになった疾風だったが、すぐに言葉の意味を理解して噛みついた。

 怒る疾風を「堪忍な」と宥めつつ、彼が本来しようとしていた報告を促す。


「で、ネジが緩んだだけじゃないって?」

「え? ああ、そうだった。フェンスが壊れたって場所を見てみたんだけど、霊力の残滓と幻妖のいた痕跡があったんだ」


 疾風が制服を着てまで調べていたのは、屋上に設置されたフェンスが壊れていた件だった。

 学校側から調査依頼が来たわけではないが、機関の情報課から調査に当たれという指示が来たのだ。そのため、学校に潜り込むために外見的に制服を着ても問題のなさそうな疾風が抜擢された。結果、情報課が睨んだとおりの結果が出たというわけだ。

 斎は少し楽しげに辺りを見渡して言う。


「へぇ。ほな、まだ何かがこの近くにおるんか?」

「いや、幻妖の気配はまだ新しかったけど、辺りに姿はなかったから、多分その辺の適当な幻妖が迷い込んだんだと思う」

「まぁ、ただの幻妖ならようけおるしな。それで、霊力の残滓はどんなんやった?」

「それなんだけどさ、どうも破綻してるっぽい。多分――」

「大澤友樹、か」


 学校に通っていた一人であり、昨夜、力を受け取って破綻した少年。

 破綻するまでのスピードは人によりけりだが、中でも友樹は早いほうに入る。それだけ体が力を拒んでいるということだ。


「慶太君もおるし、寄ってきたんかいねぇ」

「寄ってくるもんか?」

「力あるモンは少なからずそうなるんよ。暗闇で虫を引き寄せる光みたいに、な」


 斎が出した例えに、疾風は僅かに表情を曇らせた。理解しがたい、というふうに。

 それに気づいた斎はまたしても「すまんなぁ」と謝って宥める。


「大澤友樹の狙いはあくまでも岸原慶太とちゃう。やけん、大澤友樹が岸原慶太を狙う心配はいらんやろうけど、『別の不安』はあるわな」

「別の不安?」


 何を示唆しているのか、斎の考えを読もうにも疾風には難しかった。

 斎は疾風の問いには答えず、フェンスが壊れている屋上を見ながら話を進めた。


「はーちゃん、幻妖の痕跡をもうちょい調べたほうが良かったやろうに」

「どういうことだ?」

「忘れたん? 破綻者が求めるもんが何か」

「……まさか」

「そう。で、そのまさかさんは今、この学校の誰に取り入ろうとしとるかな?」


 その瞬間、先ほど疾風が調査をした屋上から光が発し、爆発が起こった。

 突然の爆発音に、校舎内や外から学生の悲鳴にも似た声が上がる。


「ほーら、お出ましや」

「くそっ!」

「まぁ、待ち」

「ぐえっ!」


 駆け出した疾風の襟首を、斎が校舎を見たまま掴んで引き止めた。

 蛙が潰れたような声を上げた疾風は、噎せながらも非難の目を斎に向ける。


「げほっ、げほっ……な、なんでだよ!」

「様子見や」

「様子見って……んなことしてたら、アイツの破綻が進んじまうだろうが!」

「せやなぁ」


 まるでこうなることを見通していたかのような斎だが、かといって次の行動に移ることをしない。普段ならば、事後処理の手間をかけさせないために素早く片付けようとする彼が、なぜかのんびりとしている。

 疾風の脳裏に慶太の姿が浮かんだ。学校に潜入して調査をする傍ら、慶太の様子も見て来たが、一人で教室の片隅にいる姿にかつての自身の姿が重なった。


 ――あんな思いを誰かがするのは、もうごめんだ。


「梓から聞いたぜ。桜庭さん、アイツと約束して、助けられるなら助けるって言ってんだろ? なら、早く捕まえてやんないとダメだろうが!」


 斎の手を振りほどくと、疾風は真っ直ぐ校舎に向かって走り去った。

 一人になった斎はその背を見てぽつりと呟く。


「これでええんやって」


 これで、すべてが丸く収まる。

 角が立つならばまた削ればいいだけの話だ。


「ホンマ、調査をはーちゃんに任せて正解やったわ」


 当初、調査は疾風と伊吹で行われる予定だった。しかし、指示が出される直前で、斎は伊吹に別の調査に当たるように指示を出したのだ。

 うまく運ぶ物事に、思わず笑みが零れた。



   * * *



 時は数時間前に遡る。


「はっ、はぁっ、はぁっ……くそっ! あのメガネ野郎、無茶苦茶しやがって……!」


 特務からなんとか逃れた友樹は、自身が通う学校へと身を隠していた。

 ただ、校舎裏や倉庫では特務どころか教師か生徒に見つかる可能性があったため、今いるのは屋上だ。外から上がったためにフェンスを破壊してしまったが、音に気づいて駆けつけた教師達はネジの緩みだろうと解釈をして屋上を封鎖した。

 逃げている身としては、屋上の封鎖は逆に有り難い。

 陽射しを避けるために貯水タンクの影に身を潜ませ、荒れた呼吸を整える。


「……?」


 ふと、妙に鼻腔を擽る甘い香りに視線をそちらに向ける。

 右手には、自分のものではない血がべっとりと付着していた。


(そうか。アイツの……)


 橋の下で遭遇した青年の顔が再び浮かぶ。逃げる際、友樹が彼の足を切り裂いたためについたものだ。

 友樹も脇腹を抉られたが、その傷も出血は止まっている。

 茫然と血を眺めていると、体の奥にある力が疼いた。


「なんだ?」


 まるで、血を求めているかのような疼きに首を傾げた。

 吸血鬼でもあるまいし、と鼻で笑いつつも、やはり血が気になる。


「…………!」


 試しに血を舐めてみる。不快な鉄の味がするかと思いきや、果物のような甘さがあり、渇いた体に浸透していく。暴れていた力も落ちつき、幾分か楽になった。心地好さに息をすることさえ忘れてしまうほどだ。


(なんだろう……。力が湧いてくる)


 快楽を覚えた体はもっと、と血を欲する。どうなっているのか理由はもはやどうでも良かった。

 だが、今は陽が昇りつつあり、その光は肌を焼いているように暑い。力を受け継ぐ前以上に。

 行動できるとすれば、陽が傾いてくる夕方か。


「それまでは、ここにいるか」


 指先についた血を舐め、友樹はニヤリと笑みを浮かべた。

 日光がなるべく体に当たらないよう、貯水タンクの北側でタンクに体を預けて目を閉じる。ここにいれば、特務は追ってはこないだろうと。

 だが、その眠りは突然、現れた二つの気配によって遮られた。


(慶太と……狐!?)


 眩い光が収まり、現れたのは体操着姿の慶太と力を与えてくれた妖狐だった。

 体の奥で力が妖狐を求めているが、危害を加えたくない慶太がそばにいる今、下手に妖狐を狙えない。

 影に隠れたまま様子を窺っていれば、二人はしばらく話した後、すぐに姿を消した。


「……はぁ」


 勢いに任せて飛び出しかけたが、なんとか持ちこたえることができた。

 タンクに再び体を預けて溜め息を吐く。

 慶太は何か思いつめたように暗い表情だったが、それもそうか、と友樹は自身の状況を振り返って納得した。自分が彼の立場だったなら、きっと今の慶太と同じだっただろうと。

 再び小さく息を吐いた友樹は、体を休ませようとまた目を閉ざした。




 どれぐらい眠っていたのか、時計を持っていない友樹には分からない。

 だが、そばに立った気配に気づいて慌てて体を起こすと同時に飛びのけば、気配の主は可笑しそうに笑った。


「コソコソと何をしているかと思えば……。特務の小僧によく見つからなかったね。先にいた私の気配に紛れたようだが、少し探せば見つかっていただろうに」


 友樹の前に現れたのは、先ほど慶太と屋上にいた妖狐だ。彼はつい先ほどまでいた疾風のことを上げながら、発見されなかった友樹を褒めるように言った。

 疾風がいたことは友樹も目を覚ましたために知っているが、彼はただ調査の詰めが甘かっただけだ。少し周りを見て何もないと分かるなりすぐに屋上を後にしていた。

 妖狐は徐々に強まる友樹の霊力に口元に笑みを浮かべつつ、彼の唯一の気がかりである人物を話題に出す。


「お前の友人も、もう帰しているよ」

「慶太ならもういいんだ。俺は、アンタに用がある」

「私はお前に用はない」

「んなこと知るかよ!」


 妖狐に向かってコンクリートを蹴る。

 対する妖狐はわざとらしく大きな溜め息を吐く。だが、迫った友樹を見た目は鋭く、不機嫌さを露にしていた。


「失せろ」

「なっ!?」


 迫る友樹の眼前に突き出された手から炎の塊が生まれ、巨大になったかと思えば爆音と共に爆ぜた。

 至近距離から浴びたそれに目を閉じれば、炎が肌の表面をなぞっていく。だが、不思議と熱さや痛みは伴わず、代わりに自身の力の一部が焼かれてなくなったような錯覚を覚えた。


「もう少し待ってやれ。少年の答えが出ていないからね」


 そう聞こえた直後、体が浮遊感に包まれた。

 恐る恐る目を開けば、まだ白黒する視界の中、屋上とは別の場所であると分かった。いつの間にか足は地面についており、二本の足でしっかりと立っている。

 目に写る景色が正常になった頃、今いる場所がどこであるか理解できた。


「……あの場所か」


 妖狐を探して入った、公園奥の雑木林だ。陽が傾いてきているとはいえ、光が遮られた林の中は薄暗い。

 恐らく、妖狐の力によって移動させられたのだろう。

 最後に見た妖狐の姿を思い出せば、足から力が抜けて地面に座り込んだ。


「ははっ……。怯んでやがる」


 一瞬、妖狐に殺されるかと思った。

 力を与えてくれた妖狐だが、今はすっかり友樹から興味が逸れている。それが幸か不幸かはともかく、友樹は妖狐に再び力を貰い、身の内で暴れる力を抑えなければならないという目的がある。

 早く探さなくては、と足に力を込めるが、震えてしまって立ち上がれなかった。


「くそっ。何なんだよ、まったく……!」


 苛立ちを露にしても、その言葉は誰にも届くことはなかった。



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