第11話 選択
友樹がいないことによる二度目の壁は、早々に訪れた。
「――じゃあ、二人一組でラリーの練習から」
「佐々木ー。一緒にやろうぜー」
「おー」
「カッキー! 俺があっち側行くから!」
「…………」
よりにもよって、今日の体育の授業はテニスだ。ボールを打ち返してもらう相手を探す必要がある。
周りがどんどんペアを作る中、慶太は声をかける相手が見つからずに地面に視線を落とした。いつもなら真っ先に友樹が声を掛けてくれるが、その彼はいない。周りの様子を見るに、友樹の存在は綺麗に消えているようだ。
勿論、友樹以外の友人がいないわけではないが、友樹以外に一緒に過ごす友人がいるわけではない。
いっそ壁打ちで許してくれないかと思った矢先、動かない慶太を見た体育教師が声をかけてきた。
「岸原も早くペアを探せよ?」
「は、はい! でも、その……」
「うん? ああ、そうか。いないのか」
「!」
ちら、とクラスメイト達を見た慶太に、体育教師は何かを思い出したように言った。
友樹を覚えているのかと期待を込めて教師を見る。
だが、彼はあっさりとその期待を打ち壊した。
「お前のクラス、男子は奇数だったな。三人だとラリーはやりにくいだろうし……よし。先生とやるか」
「…………」
やはり、教師は友樹を忘れてしまっていた。落ち込んだ慶太には気づかず、彼は自分が使うためのラケットを取りにコート傍らのベンチに向かった。
こうなっては教師とやるしかないかと諦め、小さく息を吐く。誰か他に覚えている人はいないのかと、少しばかり寂しさを覚えた。
近くに転がってきたテニスボールを目で追う。あらぬ方向に飛んだ様子のテニスボールを、クラスメイトが「どこ打ってんだよー!」と笑いながら取りに走ってくる。
転がった先にいた体育教師がラケットで器用にテニスボールを掬い上げ、やって来た生徒に手渡す。
よくある光景をぼんやりと眺めていると、ふと、何かの視線を感じて辺りを見渡した。
「……?」
テニスコートの横にはグラウンドがある。視線はそちらから感じたが、広々としたそこには何もいなかった。
首を傾げつつ、前を向こうと顔を動かしたときだった。
動く視界の中で、異様な姿を捉えた。
「!?」
「待たせたな、岸原。……岸原ー?」
「っ! す、すみません。頭が痛いので、保健室行ってきていいですか……?」
「ああ、分かった。大丈夫か? 気をつけて行けよ」
声を掛けてきた教師に適当な理由を言い、慶太はすぐに姿があった校舎の影に急ぎ足で向かった。
後ろから「頭痛いなら走るなよー」という教師の声が聞こえたが、今の慶太に形振り構う余裕はない。今はもう姿は見えないが、まだ近くにいるかもしれないと気が急いていた。
校舎を曲がり、辺りを見回す。裏手になる上に授業中ということもあり、普段以上に静かだ。
「き……狐、さん。まだ、いますか……?」
恐る恐る、先ほど見つけた異様な姿の主――妖狐を口に出して呼んでみる。授業中にこんなことをしていると知られたら、即生徒指導室行きだ。理由を聞かれたとき、「妖狐に会うためだった」と言えば冷ややかな目で見られることだろう。もしくは、精神を病んでいるのかと心配されそうだ。
しかし、小さめの声だったせいか、はたまた見間違いだったのか、妖狐が出てくる気配はない。
「応えるって、言ったのに……」
しんと静まったままの校舎裏。妖狐は出てこない。
昨夜、彼に言われた言葉が偽りだったのかと肩を落とした慶太は、本当に頭が痛くなってきたように感じた。
いっそのこと教師に言ったとおり保健室に行こうと踵を返す。だが、踏み出すと同時に何かにぶつかって後ろによろめいた。
「ったた……。すみません。前を見ていなかっ、た……」
「やぁ。覚悟は決まったかい?」
「き、狐さん!」
そこにいたのは、反応がなかった妖狐本人だった。
彼は綺麗に笑むと、慶太を「よく見つけたね」と褒めた。
「な、何となくでしたけど……あ、あの、それより……え?」
「しっ。場所を移そう。ここはすぐそばに人がいる」
妖狐は慶太の口元に人差し指を当てて黙るように示すと、辺りを見渡してからパチンと指を鳴らした。
一瞬にして周りが白に染まり、眩さと錯覚して目を閉じる。
「案ずるな。目は眩まない」
「!」
「ほら、開けてみるといい」
「……あれ?」
くすり、と笑み混じりに言われ、半信半疑の慶太はゆるゆると瞼を開いた。
柔らかな風が頬を撫でる。頂点をやや過ぎた太陽が照りつける。
辺りには木や土だけでなく、地面から生えた草もない。足元に広がるのは灰色のコンクリートだけ。
コンクリートが途絶える手前には、やや錆のある緑色のフェンスが高く聳える。ただ、そのフェンスは一ヶ所だけ外れており、落下防止のための簡易的な措置としてビニールテープが張られている。
眼前の景色は、先ほどまでいた校舎裏とはまったく異なっていた。
「おく、じょう?」
「ここなら誰も来ないのだろう?」
「そっか。今はフェンスが壊れたとかで、立ち入り禁止だから……って! 僕、どうやって戻ればいいんですか?」
今朝、教師が言っていた言葉を思い出した。屋上はフェンスが直るまでは立ち入り禁止になっていると。
妖狐がなぜ、その事を知っているのか疑問に思うより先に、どうやって鍵の閉められた屋上を出るのかが引っ掛かった。
対する妖狐はさして気にした様子もなく、あっさりと「私が戻そう」と言うのでそれを信じるしかない。
妖狐はかつてフェンスがあった場所まで歩くと、グラウンドを見下ろしながら訊ねる。
「話というのは、あの大澤友樹のことかな?」
「は、はい。皆、友樹のことを忘れてて、僕も今朝は忘れかけていたんです。学校でも、誰も友樹を覚えていないし……。これって、もしかして友樹に何かあったのかなって……」
特務が友樹を捕まえたために周囲から記憶を消していっているのだろうか。だが、特務が先に友樹を捕まえれば記憶を消すと言っていた以上、慶太が覚えているのはおかしい。
ならば、斎が言っていた破綻が進行しているのか。そうだとしたら、友樹はまだ助かるのか。そのことばかりが頭の中でぐるぐると回っている。
妖狐はしばし黙考したあと、ゆっくりと口を開いた。
「お前は、依人になった一般人に関する記憶がどうやって消えると思うかね?」
「どうやって……関わりの深い人なら、特務が消して行くんじゃないんですか? 破綻して消えたら、全員の記憶から消えるとは聞きましたけど」
昨夜、斎は慶太の記憶を消そうとしていた。記憶自体は破綻者が消えたときになくなってしまうものだが、接触した者に関しては二次被害を防ぐために先に消さなければならないと言っていた。
今回の場合、慶太に関しては斎との約束の中で消さずに済んだ。しかし、それは他の者には適用されないため、消されていてもおかしくはない。
慶太の回答を聞いた妖狐は、どこか楽しげにそれを否定した。
「確かに、破綻者が消滅すれば記憶も消える。だが、序盤に関しても特務が記憶を消すわけではない」
「違うんですか?」
「特務が動くこともあるにはあるが、大半の場合、特務が記憶を消すのは、お前のように幻妖世界のことを知った者のみだね」
てっきり、全て特務が消して回っているのかと思ったが、そうではないようだ。
だが、そうだとするならば、尚更、周囲の人から友樹の記憶がなくなっているのかが分からない。
思わず顔を顰めれば、妖狐に「お前は、昨日今日とで知りすぎたな」と軽く笑われた。
「特務にいる依人では、一度に大量の者の記憶操作をすることは不可能だ。つまり、今の学生や教師、家族、親族……それらから彼に関する記憶が消えているのは、特務によるものではない」
「じゃあ、どうして友樹のことを誰も覚えていないんですか?」
特務が記憶を弄っていないのなら、何によるものなのか。
苛立ちからやや語調を強めた慶太に対し、妖狐は僅かに目を見張りながら言う。
「おや。お前が言ったんだろう? 『友樹に何かあったのか』と」
「!」
疑惑が真実に変わり、友樹の身に何かが起こっているのだと知った。
嫌な二文字が脳裏を過ぎったのとほぼ同時に、それが告げられた。
「大澤友樹が、破綻したのだよ」
その一言が、今までに聞いたどの言葉よりも重くのし掛かった。
心臓の鼓動が一際大きくなるのを、服の上から胸を掴んで抑えようとする。
「記憶というものはね、破綻者が消滅したときに一度に消えるわけではない。破綻の進行と共にじわじわと消えていく」
「じゃ、じゃあ……なんで、僕は覚えているんですか」
声が震えた。
破綻の進行はどのくらいまでいっているのか。自身の中にある友樹の記憶はいつまであるのか。
まだ、『戻る』ことはできるのか。
「君は“特別”のようだからね」
妖狐は慶太の周りにちらつく『もの』を視て僅かに目を細める。『それ』は慶太本人ですら気づいていないものだが、確かに『それ』は慶太の身に宿っている。
不安げに視線を落とした慶太を見て、妖狐は口元に笑みを浮かべた。
「それで? お前は覚悟ができたのか?」
「覚悟?」
「もう忘れたか? お前が依人になれば、あの少年を救えるかもしれないということを」
「……あ」
昨夜、聞いたばかりの事だ。
周囲が友樹を忘れていたこともあってか、すっかり頭から抜け落ちていた。
今さらながらに思い出した慶太を見て、妖狐は小さく肩を竦める。
「やれやれ。お前はおかしなところで抜けているようだ。やはり、出てきて正解だったね」
「知ってて出てきたんですか?」
「だとしたら?」
「っ!」
妖狐の笑みが、一瞬だけ罠にかかった獲物を見るようなものに変わった。
ぞっとして一歩引いた慶太に、妖狐は喉の奥でクツクツと笑う。
「な、何がおかしいんですか」
「いや、お前はある意味、期待を裏切らないなと思ってな」
「なっ!?」
「そうだな。私がお前の前に再び現れたのは、忘れているだろうと思ってな」
お前が決断しなければならないことをね、と付け加えた妖狐は、他人事だからと楽しんでいるようにも思えた。
言葉を失う慶太に彼は言葉を続ける。
「人とは、守りたいものが増えるたびに、それまであった別の大事なものとを振るいにかける。物もそうだが、自身の身内や恋人……そして、お前のように友を」
これまで妖狐が見てきた様々な人間の行く末が、脳裏に浮かんでは消えていく。
慶太のように誰かを守りたいと願い、動く者は多くいた。そして、今の慶太と同じように皆が迷った。
「依人となれば今までのような生活はできまい。もしかすると、力に馴染めず破綻するやもしれん」
他人を取るか、自身を取るか。
全員がその分岐点に立ち、それぞれがどちらかの道を選んでいる。もちろん、道の先にあるのは明るい未来ではないこともあるが、それはまだ分岐点に立ったままの慶太には早い話だ。
そして、慶太も今までの例に漏れず迷いを見せた。
「……もし、僕が依人になったら、父さんや母さんはどうなるんですか?」
「今の時代では、依人だけでなく、幻妖の存在を一般人に知られるわけにはいかないようだからね。まず、共に暮らせる可能性は限りなくゼロに近い。また、破綻すれば忘れられ、破綻から回復したとしても、もう会うことはできないだろう」
どちらにせよ、力を受け取った時点で家族とは別れると考えたほうがいい。
即決できない事柄にまたもや視線を落とした慶太を見て、妖狐は小さく笑みを零した。
「まぁ、今まで忘れていた分、まだ決められないだろう」
「…………」
「日暮れまでだ」
「え?」
「陽が落ちるまでに結論を出すといい」
その時までならば、あの少年の自我は辛うじて残っている。そう言った妖狐が指を鳴らすと、彼の周りから旋風が発生した。
慶太は正面からの風圧に思わず目を閉じ、顔の前に腕を翳す。
やがて、風が収まる頃、恐る恐る目を開いた慶太は腕を下ろした。
足下の感触が先程と異なる。照りつけていた太陽の明るさは幾分かマシになっている。
「……あ、あれ?」
一瞬にして、慶太の体は妖狐と会った場所に戻されていた。
タイミング良くチャイムが鳴り、四限目が終わってしまった。妖狐が残した期限まで数時間しかない。
どうするべきかと考える。その間にも、時間は一秒、また一秒と経過していく。
自身の未来を決めるには短すぎる時間に、慶太は拳を握りしめた。
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