第10話 暗雲


 いくら非現実的な世界を知ったとはいえ、それは非現実を知らずに生きる人からすれば夢だと片付けられる。最も、約束のこともあって話すことはできないが。


(どうしよう……。友樹がいないのって、初めてだ)


 「風邪」の二文字を知らない友樹は、知り合ってから一度も学校を休んだことがなかった。そのため、彼がいない教室に入るのが怖くなる。

 出入口の前で一旦、足を止めて息を吐いた慶太の横をクラスメイトが通りすぎて行く。大して仲が良いわけでもないため、挨拶をすることも会話をすることもない。ただ、すぐに教室に入らない慶太を不思議そうに見るだけだ。

 勇気を振り絞って教室に一歩踏み入った慶太の動きは、ある言葉によってピタリと止まった。


「なぁなぁ、昨日のテレビ見た? あの、ちょっとオカルト的なやつ」

「見た見た! 『新・都市伝説』! 名前伏せてたけど、あれってここの町のことだろ? 『出会った人の世界を変える狐男』が現れる町って」

「!」


 慶太は友樹と共にその都市伝説を確かめに行って、昨夜、会ったばかりだ。

 彼らも都市伝説を追うのかと、自分の席に向かいながら耳をそちらに向ける。


「あれ、本当にいんのかな?」

「いや、いねぇだろ! どうせ、コスプレした奴を見てそう思ったんじゃねぇの? ほら、見た切っ掛けで世界が変わったとか」

「えー。そういう意味で?」

「…………」


 あっさりと否定しながら談笑する二人を見て、内心で安堵した。彼らと親しいわけではないが、都市伝説を追った結果を知っている身としては、自分達と同じ目に合わせるのは良心が痛む。

 チャイムが鳴り、生徒達は自分の席へと座る。

 教師が入って来て朝のホームルームが始まる中、慶太はちらりと友樹の席を見た。


(……いない、よね)


 当然ながら友樹の姿はない。また、周りの生徒も空白の席に違和感はないのか、友樹について触れる者はいなかった。

 友樹は男女問わず友人が多いため、誰か一人でも話題に出していいものだが、何故か誰の口からも友樹の名前は出されず、慶太に聞きに来る者もいない。


「今日は……『全員』いるな」

「え?」

「まず、連絡事項。屋上のフェンスが一ヶ所壊れて立ち入り禁止になった。直るまでは入れないからな」


 生徒全員の顔を見て出欠を確認すると、教師は何事もないかのように話を続ける。

 屋上は昼休みの寛ぎの空間でもあるためか、一部の生徒からは不満の声が上がった。しかし、学校側も安全が確保されていない以上は不満を受け入れられない。

 そんな中、慶太は入れなくなった屋上よりも、友樹の存在がないことに動揺していた。

 ホームルームが終わり、担任教師が教室を出たのを見ると、慶太はすぐに後を追って教室を出る。


「先生!」

「どうかしたか? 岸原」

「あ、あの……」


 言葉がうまく出てこない。教師は不思議そうにしながらも慶太の言葉を待ってくれている。

 言うんだ、と自身を叱咤して口を開こうとしたとき、無惨にも鳴り響いたチャイムがそれを遮った。


「……すみません。なんでも、ないです」

「そうか? ……あ、そうだ。岸原だったかな。今朝、正門の所にいる人達と来たのは」

「正門の所にいる人達?」

「マスクをしている一人は喋らなかったが、もう一人は岸原と同い年くらいの男の子だ」

「あ。はい、そうです」


 誰のことかすぐに分かった。同時に、何のためにまだいるのかと考える。

 恐らくは慶太が下手なことをしないようにだろうが、離れた場所で慶太の動きが分かるはずもない。


(何をする気なんだろう?)

「よく分からなかったが、警察に関連した機関の人達らしいな。何か事件に巻き込まれたりしたのか?」

「え!? あ、いえ、特に巻き込まれたわけじゃ……ない、です。けど……」


 昨日、起こったことについては言えないため、慶太は咄嗟に誤魔化した。しかし、ならば何故、そんな機関の者が慶太についているのかと問われれば説明できない。

 しどろもどろに慶太が何かを言おうとしていると気づき、教師は何も言わずにそれを待つ。


「あ、あの……『大澤友樹』って知ってますか? 三年の」

「大澤……」


 母親は友樹のことを忘れていた。慶太も忘れかけていたが、記憶があやふやになっていた父親のおかげで思い出せた。

 また、今朝の様子からして、クラスメイトは友樹のことを覚えていない。出欠を確認し、「誰も休みではない」と言った教師も。

 だが、名前が出れば思い出すのではないかと、最後の望みを託して訊いてみた。

 目を瞬かせた教師は、しばらく考えてから口を開く。


「一年に大澤はいるが、『友樹』じゃなくて『かける』だな」

「じゃあ、なんで教室に一個だけ空いてる机があるんですか?」

「え? あー。そういえば空いてる席があったな。誰が運んだかは知らないが、あとで移動させておくよ」

「そう、ですか。分かりました」


 分かってはいたが、やはり落胆は大きい。

 明らかに気落ちした慶太を心配した教師は励ますように言う。


「もしかして、その大澤って子と何かあったのか? 学校が分からないなら、制服から探すこともできるだろうけど」

「い、いえ! 大丈夫です! その……大したことではないので」

「そうか? まぁ、何かあったら相談しなさい」

「はい。ありがとうございます」


 教師に礼を言い、後ろのドアから教室に戻る。

 昨日までいた友樹の席を見れば、荷物は何もなかった。彼はテスト前以外はいつも教科書を置いているため、なくなるはずはない。


(友樹に何かあったのかな……)


 友樹が消えれば、彼に関する記憶や物は消えてなくなる。

 まだ慶太が覚えているからには、完全にいなくなったわけではないが、曖昧になっている現状からしてそうなることは近い。


「どうにかしないと……」


 焦りから呟くも、もちろん、誰かから良い案が返ってくるはずもない。

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、慶太は教室に戻った。



   □■□■□



「お疲れさーん。どないや? 慶太君は」

「あ! 桜庭さん、聞いてくれよ! アイツ、二重人格だぜ!」


 昼前になり、斎は様子を見るために慶太の通う学校へ来ていた。

 正門で見つけた疾風と伊吹に声をかければ、返ってきた言葉に目を瞬かせた。


「は? 二重人格?」

「オレのこと『小学生』って言った!」

「…………」

「『言ってない』って」


 憤慨する疾風の隣で、伊吹は首を左右に振って否定する。

 言いがかりはアカンよ、と宥める斎に違うと食って掛かろうとした疾風の肩を、伊吹が掴んで止めた。


「…………」

「え? なになに、『言ったのは中学生』……え、マジで?」

「…………」


 伊吹は一切声を発していないが、疾風には彼の言葉を感じ取れるものがあるようだ。

 疾風の言葉に頷いて、伊吹は軽く叩くように彼の頭を撫でた。


(うーん。やっぱり、いっちゃんにははーちゃんがおらんといかんな)

「なーんだ、ならまだいいや。中学生なら……って! アイツ、高校生じゃん! 結局は年下に見られてんじゃんか!」

「…………」


 静まりかけた疾風だったが、すぐに慶太が高校生であることを思い出して再び憤慨した。

 こうなっては伊吹も手がつけられないのか、小さく息を吐いたのがマスク越しでも分かった。


「まあまあ、落ちつきや。はーちゃん」

「うー……アイツ、いつかぜってぇシメる」

「アカンよ。『一般人』相手やし」

「え?」

「?」

「……え?」


 苦笑しつつも斎が宥めれば、その出された単語に疾風はきょとんとした。伊吹も退屈そうだった表情がやや変わり、不思議そうに斎を見る。

 何か驚くようなことを言ったかと目を瞬かせる斎に、疾風はおかしそうに笑った。


「いやいや、桜庭さん。アイツが『一般人』だなんて嘘だろ?」

「どういうことや?」

「確かに、あの破綻した奴……大澤だっけ? アイツはまだ捕まってないし消えてもないけど、でも、破綻は進んでる。だから、周りもアイツのことを忘れていってる」

「せやな」

「けど、岸原はまだ覚えてる。つまりそれって、既に“オレら側の人間”だからじゃねぇの?」

「…………」


 幻妖世界に関わる者でも、一部の者を除いて、破綻者が消えてしまえばその破綻者については忘れてしまう。

 ただ、慶太が幻妖世界に関わる者で、記憶が消されない一部の者になっていたとしたら。それは慶太への対応が違ってくることになる。

 斎は過去の『事案』を思い出したものの、それは口に出さず可笑しげに言う。


「んなわけないやろー」

「じゃあ、なんで忘れてないんだよ!」

「んー……一概には言えんけど、慶太君の大澤友樹への依存度の問題かもしれへんなぁ。あくまで大澤友樹はまだ消滅してへんし、一般人でも、破綻者への依存度が高いモンは時に身内よりも覚えとるし」

「そんなもん、なのか?」


 友樹の家族は彼が破綻をしたときから様子を見ている。万が一、危害が加わったときに備えて。

 しかし、友樹は家族を襲うことはなく、未だ行方を眩ましたままだ。また、家族は何事もなかったかのように生活をしている。多額の借金返済のため、家族の意識が友樹に集中していなかったからだろう。希薄になっていた家族関係は、破綻によって繋がりを消されてしまった。

 だが、疾風はそれだけでは片付けられない何かがあるような気がして首を傾げた。


「確かに、消滅前に家族が忘れることはあるけどさ、なーんかスッキリしないんだよなぁ」

「まあまあ。恋人やストーカーが、消滅するギリギリまで覚えてたりするんはようあるよ」

「その例え恐ぇし! それはさすがにねーよ!」


 恋人はともかく、ストーカーは犯罪だ。さすがに慶太にそこまでの依存はないはずだと、彼に変わって疾風が否定した。

 ただ、斎は優しく諭すように言う。


「慶太君にとってな、大澤友樹は家族同然。んで、友達……それも親友なんや。はーちゃんも、いっちゃんが破綻したら最期まで忘れんやろ?」

「…………」

「あったり前だ! っつーか、伊吹が破綻するわけねぇし!」

「ははっ。せやな。いっちゃんもはーちゃんも継承組の二級やし、破綻からはちょっと遠いわな」


 伊吹の視線を受け、疾風は力強く返した。

 もちろん、上位の二級だからといって必ずしも破綻しないわけではないが、可能性は限りなく低い。

 笑いながらも謝る斎に疾風は頬を膨らませていたが、伊吹が肩を叩いて宥めてやった。

 斎は二人が停めたままにしている車に凭れると、腕を組みながら学校を眺める。


「あとは、慶太君が幻妖世界のことを知ってるからちゃうんかな?」

「それって、記憶消去をせずにいろいろ教えた桜庭さんのせいってことじゃん」

「ははっ。せやなぁ」

「ほらー! 笑って誤魔化すとか信じらんねぇ!」


 疾風の指摘が痛くも痒くもない斎は軽く受け流す。

 またもや噛みついてきた疾風だったが、その隣にいる伊吹は物言いたげに斎を見ていた。


「はいはい。大人の事情ってやつや」

「オレもう二十歳過ぎてんだけど!?」

「年上に敬語使わん子を大人とは認めませーん」

「ええー! 普段、そんなこと気にするタチじゃないくせに!」


 二十歳どころか二十二歳だが、どちらにせよ成人はしている。毎回、小学生か中学生に間違えられるが。

 ぎゃんぎゃんと吠える疾風に対し、斎はその額を人差し指で押しながら言えば、またもや非難の声が上がった。

 だが、これ以上、付き合っている暇もない。


「ほな、あとは俺が見とくけん、二人は休憩行ってらっしゃい」

「マジで!? やった! 行こうぜ、伊吹!」

「…………」

「嫌やなぁ。いっちゃん、軽く流しといてや」

「…………」


 伊吹は尚も何か言いたげに斎を見ていたが、やはり口を開くことはなく、車に乗り込んだ疾風に続いて自らも運転席に乗った。

 エンジンがかけられたことで車体から体を離せば、車はすぐに発進した。相変わらず、伊吹の運転は荒々しい。

 それを見ながら、斎はここ最近、ずっと悩んでいたことを口にする。


「今度から、車の整備費はいっちゃんの給料から天引きしよか」



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