第6話 交渉


 慶太のことを一任されたとはいえ、それは「記憶を消して家に帰す」という事を任されただけだ。だが、誠司は具体的な内容を言っておらず、捉え方によっては「岸原慶太の処遇」を任されたとも取れる。

 何か言われればこれで押し通すか、と斎は内心で頷いてから、誠司に言われるであろう言葉を想像して呟いた。


「『揚げ足取るな』って言われるかもしれんなぁ」

「はい?」

「ああ、いや。こっちの話や」


 小さく呟かれた言葉は、慶太にはうまく聞き取れなかった。

 それをいいことに誤魔化すと、斎は再びイスに座り、降参と言わんばかりに笑う。


「ははっ。純粋な子は怖いなぁ。何を言い出すか分からんし」

「む、無理を言っているのは分かっています」

「構わんよ。ただ、一個確認してええか?」

「はい」


 斎は相変わらず笑みを浮かべたままだが、それは今までよりもずっと優しさを帯びていた。


「君は、彼のことを覚えておいてどないするん?」

「僕は僕で、友樹を探します。それで、まずは落ちつくように説得します」


 今の友樹は、強い力に溺れて我を見失っているだけだ。

 先ほどは友樹の変貌に驚いて戸惑ってしまったが、冷静に話をすれば友樹も分かってくれるはず、と淡い期待を抱いてしまう。


「今夜中にはなっちゃんが捕まえるかもしれんし、もう破綻してるかもしれんのに?」

「……多分、大丈夫だと思います」

「確証は?」

「あ、ありません……」


 友樹が捕まらない確証どころか、説得の言葉すら浮かばない。だが、それはまだ動いていない今だからだ。


「でも、きっと、説得してみせます」

「ほな、こうしょうか」

「はい?」


 言い切った慶太は、どこか自信があるように見える。

 その自信に賭けてみるのもいいか、と斎は取引を持ちかけた。


「俺らは遅くとも、明日中には大澤友樹を捕らえる。それまでに君が見つけられんかったら、君から彼の記憶を消す。君が先に見つけられたら記憶は置いといたげる」

「!」

「ま、破綻して消えたら終わりなんやけどね」


 慶太とは違って、斎には組織が友樹を捕まえるという確証があった。

 それは組織の実力をよく知るからか、それともただ信頼しているからか。慶太が推し量ることはできなかった。


「大澤友樹については、最初の約束どおり、治せるやつに頼んどいたる。治せる段階かはそん時次第やけどな」

「……分かりました」

「あと、捕まるまでは記憶もそのままになるけど、一言でも口外したら、即アウトな」


 いくら慶太が他に話す人がいないとはいえ、予防線を張っておく必要はある。

 念を押した斎に、慶太は表情を引き締めて頷いた。


「ほな、今日は帰ってええよ。あとはこっちから慶太君のとこに行くけん。先に捕まえたり、何かあったらここに連絡してや」

「はい。ありがとうございます」


 斎はスーツの内ポケットから名刺ケースを取り出すと、中から一枚を取って慶太に渡した。

 「副長」という文字を見て、改めて彼がこの組織の片翼を担っていることを思い出す。


(僕、すごい人と話してたんだ……)

「もう九時前か。家まで送って行ったるよ」

「え!? で、でも、桜庭さん、お仕事が……」

「大丈夫。今は君の面倒を見るんが仕事やけん」


 副長ともなれば、本来ならばたった一人に構っている場合ではないはず。

 案じた慶太が訊ねると、斎は今の仕事に対して嫌な顔ひとつせずにそう返した。

 「ほな、行こか」と椅子から立ち上がり、部屋を出るためにドアノブに手を掛けた瞬間だった。


「桜庭!」

「だっ!?」

「桜庭さん!?」


 突然、内開きの扉が勢いよく開かれた。

 それは扉の前にいた斎の顔面を直撃し、彼は後ろに倒れた。


「取り調べにいつまで時間を――……何をしているのか聞いても?」

「いったたたた……。もー、あっちゃんは容赦ないんやけん……」

「だ、大丈夫ですか?」


 斎の隣に膝をついた慶太の上から、やや高めの女性の声が降ってきた。扉の向こうで踞る斎に冷ややかな目が向けられているのが、呆れた語調から伝わってくる。

 だが、慶太は冷えた声音の彼女よりも目の前の斎が心配だ。


「大丈夫やで。心配してくれておおきに」

「良かった……」

「おい、貴様」

「は、はい! ……って、あれ? 小学せ――むごっ!」

「あー! あー! あっちゃん、どないしたん!?」


 女性に鋭く呼ばれ、慶太は弾かれたように顔を上げて彼女を見た。

 ただ、そこにいたのは『大人の女性』ではなく、長い黒髪をツインテールにした、どう見ても小学生くらいの『幼い女性』だった。

 疑問を素直に口に出そうとした慶太だったが、血相を変えた斎が慌ててその口を塞いだ。

 少女がつりがちのチェリーピンクの目を僅かに細めれば、何処からか発生した冷気が辺りに漂い始めた。


「さむっ……」

「あっちゃん、『雪女』の依人なんよ。怒らせたら凍死するで」

「は!?」

「おいガキ」

「は、はい!」


 小声で言った斎を驚いて見れば、目の前の少女は相変わらず冷気を纏って慶太を見下ろしていた。

 荒々しい口調のせいか、年下相手に思わず背筋を伸ばして返事をしてしまった。


「何故、記憶を消されていないんだ?」

「えっと……」

「まあまあ、あっちゃん。落ちついて」


 斎は二人の間に入って場を宥める。

 一先ずは彼女の紹介を、身の安全のためにしておこうと言葉を続けた。


「慶太君。この子は『滝宮たきみやあずさ』言うて、見た目は可愛らしいけど、もうちょいで二十六なんよ。俺より上やで」

「はぁ、そうですか。……ええ!?」


 寒さと威圧からとりあえず頷いた慶太だったが、斎の言葉を脳内で反芻して声を上げた。

 どう見ても小学生にしか見えない彼女が、実年齢はその一回り以上だとは信じられない。

 すると、冷気を収めた梓は呆れたように腰に片手を当てて溜め息を吐いた。


「桜庭。別に紹介など必要ないだろう?」

「一応な。覚えておかんかったら危ないし」

「は?」

「あー、ちゃうちゃう。ちょお訳ありで、この子の記憶を明日まで置いとくけん、あっちゃんにも知っといてもらおうと思って」

「だから、私の自己紹介は必要か?」


 忘れさせる確率が高い上、関わることもないだろう。

 梓の言うことも最もだが、斎も保身のために引き下がるわけにはいかなかった。


「だって、慶太君だけやと礼儀的におかしいやろ? うん、おかしい」

「勝手に自己完結をするな」

「ま、そういうことや」

「聞けよ」


 自己完結をするなと言った矢先、斎は話を強制的に終わらせた。

 梓は大きな溜め息を吐くと、追究を諦めて慶太に向き直った。


「特務自警機関、特殊精鋭部隊の滝宮梓だ。総長から、一般人を帰すように言われたから迎えに来てやった」

「す、すみません……」

「別に俺が送ってくけん構わんのに」

「桜庭は総長がお呼びだ」

「えー。忙しないなぁ。次は何なん?」

「私は様子を見て、一般人を送ってこいと言われただけだ。それ以上は聞いていない」


 直接の話ということに、斎が僅かに目を見張る。

 しかし、梓は内容をまったく知らないため、ただ誠司に言われたことだけを伝えた。


「しゃあないなぁ。ほな、慶太君を送ってくのは任せたで」

「ああ」

「えっと……」

「大丈夫やで。あっちゃん、こう見えて精鋭部隊の副隊長なんよ。『床に擦れそうな』刀の腕も、組織内じゃ一番やけん」

「一言余計だ!」

「いでっ!」


 言わなければいいものを、斎はわざわざ梓が腰に差している刀について指摘した。

 小柄な彼女は、腰に差した刀の先が床に擦れそうだった。果たして扱いきれるのかと、一番の腕と言われても信じきれない。

 梓に蹴られた斎を見ていれば、彼は腰を擦りながら慶太に歩み寄った。


「せや。これ渡しとくわ」

「……サイコロ?」

「なんかあったときのためや。これを相手か地面に向けて投げつけて割ってくれたら、相手の動きを止めれる上に、俺らにも連絡が行くけん」


 斎がポケットから取り出して渡してきたのは、クリーム色のガラスで出来た小さなサイコロだった。端の方はやや透けてはいるが、中心部に行くほど色が濃くなっており、中がどうなっているかは見えない。

 どういう方法で連絡が取れるのかは不明だが、使えるのなら貰っておいて損はないだろう。


「ほな、また明日ねー」

「あ、ありがとうございます」


 去っていく背中に礼を言えば、斎は振り返らず手を振って答えた。

 サイコロを握りしめてから制服のポケットにしまえば、「行くぞ」と促した梓が歩き出しながら問う。


「お前はなんで記憶を持ったままにした?」

「えっ?」

「今までここに来た関係者は、例外なく記憶を消している。なのに、お前はまだあの依人のことを覚えているだろう?」


 どうやら最初の質問に戻ったようだ。

 慶太は既に決めているせいか、すんなりとそれに答えることができた。


「大事な友達なので、お願いしたんです」

「友達?」

「はい。幼馴染なんです。なので、もし、治る可能性があるなら、俺はそれに賭けたいんです」

「…………」


 もしくは、特務が捕まえるよりも先に、彼を見つけて説得しなければならない。

 幻妖世界については数時間前に知ったばかりで、説明を受けても分からないことだらけだ。それでも、慶太は探したいと思った。

 梓は、自身の中で幼馴染とも呼べる腐れ縁の顔が過ぎったが、今は関係ないとすぐにそれを振り払う。

 斎とどんな話をしたのか梓には分からないが、追われている継承者の少年が慶太にとって大事な幼馴染なのだとは分かった。


「もちろん、治らなかったら記憶を消すとは言われましたけどね」

「……そうか」


 困ったように笑んだ慶太を一瞥し、梓は口を閉ざした。

 慶太からすれば気まずい沈黙になったが、自身の思考が脳内を満たす梓には気にならなかった。

 何か気の紛れるもの、と辺りを見回した慶太が視界に止めたのは、玄関ホールにある電光パネルだ。


「……あれ?」

「どうかしたか?」

「あ、いえ、その……さっきあった黒い点がなくなってるので……」


 その黒点は、斎の後を追う直前、電光パネルに表示されていた。斎に説明を受けた中にはなかった色なので、何を意味するものかはまだ知らない。

 梓はパネルを一瞥した後、つい先程までの自身の仕事を思い出した。


「ああ、あれか。私が片付けてきた」

「滝宮さんが?」

「あんなもの、放置はしておけないからな」


 素っ気なく言った梓は、何を意味したものかは説明せず、さっさと玄関から外に出た。

 気にはなったものの、彼女の口振りから察するに、あまり良いものではないようだ。

 慶太はもう一度だけパネルを見上げる。複数ある青い点は動いており、黄色や赤い点も青い点と距離を開けたまま移動していた。


(黄色が仕事の対象なんだっけ……)


 斎の説明を思い出す。赤は流されたが、黄色は仕事の対象なのだと言っていた。

 ならば、この黄色の点のどれかが友樹だということか。

 内部の者が見て対象を分かりやすくしているのか、点にはアルファベットや数字が振られているが、慶太にはどれが友樹なのか分かるはずもない。


(点の場所を覚えるのも、移動してたら意味がないしな……)

「おい、お前」

「は、はい!」


 思案に耽っていると、外に出たはずの梓に呼ばれた。叱られたわけではないのに、慶太は思わず肩を跳ねさせて勢いよく返事をしてしまった。見れば、梓は慶太が来ていなかったせいか、扉の所に立っていた。

 表情からは感情が読み取れず、どう返せばいいのかと困惑する慶太だったが、梓は特に注意はせずに慶太を促す。


「さっさと行くぞ」

「すみません。すぐ行きます」


 これ以上、留まっていても意味はない。気持ちを切り替えて、慶太は慌てて梓のもとに駆け寄った。

 その後ろで、パネルに表示された黄色の点の一つが赤へと色を変えた。

 三階にある総長室に向かっていた斎は、二階の廊下からそれを確認すると、小さく溜め息を吐いて呟く。


「あかんなぁ……。もうちょい待ってもらわな、折角、目をつけた子が消えてしまうやないの」



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