第5話 記憶


「着いたでー」

「は、はい」


 しばらく静かな車内で考え込んでいた慶太は、斎に声を掛けられたことで、初めて車が止まっていると気づいた。

 場所を確認しようと辺りを見回す慶太の様子に、斎はシートベルトを外しながら軽く笑った。


「ははっ。すっかり考えこんどったなぁ」

「……すみません」

「いやいや。この世界に触れたばっかの人は大抵そんなもんや。まだ暴れたりせんだけマシやわ」

「あばっ……さすがに、そこまではできません」


 先ほどの一戦を見ただけでも、彼らに対抗する術はないと明白だ。元より、慶太は反発するほどの気概を持ち合わせていない。

 ドアを開けて降りれば、目の前には白い石造りの階段があった。両端にレトロな外灯がいくつか並んでいるおかげで、昼間と同等とまではいかずとも十分に明るい。

 横に長い階段は、十段あるかないかの短さだ。その先には両開きの大きな扉がある。扉には正面を向いて座った翼を持つライオンと、その前で交差した二振りの剣の紋章が大きく描かれている。

 壁は赤茶のレンガを積み重ねて造られており、窓の数や位置からして三階建てだ。

 まるで、明治時代からタイムトリップしてきたような建物に圧倒されていると、中から出てきた別の者に車を託した斎が隣に立った。


「レトロな雰囲気で味があるやろ? ほな、入ろか」

「はい」

(お。意外にすんなりやな)


 唖然としていた慶太に笑みを零した斎だったが、彼が素直に中へ入るために動いたのには驚いた。多少なりとも怖じ気付いた様子が見られると思ったのだ。

 だが、ここまで来てしまっては素直に従うしかないか、と一人納得すると、慶太の先に立って慣れた階段を上った。


「わぁ……!」


 建物内に入った慶太は、豪奢だが厭味のない内装に思わず感嘆の声を漏らした。

 ロビーは二階まで吹き抜けのホールになっており、正面に見える二階の廊下には三階へと続く階段も見えた。

 細やかな彫刻が施された壁や天井にはアンティーク調の照明が取り付けられており、磨かれた大理石の床がその光を反射している。

 二階の廊下へ繋がる階段は左右の壁際にあり、その階段下から横に廊下が続いていた。二階は階段を上がった先から左右それぞれに廊下が伸びている。

 入って左手側のカウンターには、時間が遅いからか関係者の姿はない。


(こんな場所、本当に来て大丈夫だったのかな……)

「一階は一般企業にもあるような部署が多いんよ。二階に俺らのおる特殊精鋭部隊の部屋とかあるけど……まぁ、案内したかてしゃあないか」


 説明をされたとしても、慶太が再びここに来ることはない。また幻妖に関わることがあれば別だが、覚えるほどではないものだ。

 苦笑する斎にどう返していいか分からないまま歩いていると、ホールの中央に聳える大きな電光パネルが気になった。

 今まで上や周りに気を取られていたが、そのパネルだけがやたらと現代的だ。周囲の雰囲気がアンティーク調のせいで浮いている。

 パネルに映し出されているのは、空から見た町の地図だ。何ヵ所かは赤や黄、青の点が光っており、中には動いている点もある。


(信号機みたい)

「ああ。それ、信号機みたいな配色やろー」

「!」

「ど、どないしたん?」


 声に出ていたのかと口を手で押さえれば、まさか内心を言い当てたとは思わない斎は困惑した。

 なんでもないです、とはぐらかせば、彼は不思議がりつつもパネルを見上げて言う。


「青はうちらのモン。さっきおったなっちゃんらが今どこにおるかとか、その他にも外で仕事中の人の位置が分かるんやで」

「赤や黄色は……?」

「黄色は今追ってる対象やね。赤は……まぁ、ええか。行くでー」


 本来なら説明する必要はない。ついつい説明してしまうのは、斎の面倒見の良さや話し好きが出ている。

 再び歩き始めた斎を慌てて追いかけながら、慶太はちらりとパネルを振り返って見た。


(なんだろう? あの黒い点)


 三色しかなかったパネルに、突如、新たに黒い点が灯った。他の三色よりも小さく、一瞬、虫が止まっただけのようにも見えた。

 よく見れば渦を巻いているが、それが何か聞くべきかどうかを考える。

 結果、聞く必要はないか、と一人頷き、階段下にある廊下へと入って行った斎の後に続いた。

 廊下の左右にいくつかの扉が並び、扉の右上には学校の教室にあるような壁から突き出したプレートが掲げられている。それぞれ部屋の名前を書いており、ひとつひとつを見ながら斎について行く。

 斎が足を止めたのは、左手側の三番目の部屋だった。


「簡単に話聞きたいだけやけん、『取調室』って書いとるけど気にせんといてな」

「『取調室』?」


 扉のプレートには『第三取調室』と書かれていた。今まで過ぎてきた部屋には第一取調室、第二取調室とあり、一瞬、警察署に来てしまったのかと彼が名乗った組織名を頭の中に呼び起こす。警察に近いようではあるが、実際は違うはずだ。

 斎の言い方に首を傾げた慶太に、彼は胡散臭い笑みを浮かべた。


「大丈夫、大丈夫。話をちょこーっと聞いて、問題なかったら記憶を消して『はい、お疲れさーん』やけん」

(不安!)


 あまりにも軽い言い方に大きな不安を覚えつつ、慶太は斎に背中を押されて部屋に入った。

 扉が閉まるのとほぼ同時に、三階へ続く階段から誠司が下りてきた。

 彼は二階の廊下から一階にあるパネルを見下ろし、そこにある黒点を見て小さく溜め息を吐く。


「やれやれ。やはり、人間に抵抗できるものではない、か」


 黒点は大きさを増し、五百円玉くらいになっていた。周りを青い点が囲んでいるが、そこから動きは見られない。

 誠司は携帯電話を取り出すと、通話履歴からある人物の名前を探して通話ボタンを押した。


「――私です。『歪み』ができてしまったようです。端末で場所を確認後、至急、向かってください」


 通話相手はすぐに「了解」と返事をして通話を切った。

 誠司は通話が切れた携帯電話を上着の内ポケットにしまうと、自身も移動を開始した。




 慶太が解放されたのは、小一時間ほどの質問攻めと体のチェックが済んでからだった。

 話を聞くとは言われたものの、ほぼ斎からの質問に答えただけで、長い話はしていない。体のチェックというものも、新たに来た男性が慶太の額に手を翳すだけのものだった。

 「取調室」とは名ばかりの、イメージとは大きく違った部屋と内容に、慶太は疲れから溜め息を吐いてイスの背凭れに体を預けた。

 灰色のカーペットが敷き詰められ、部屋の中央には木製のテーブルに黒い革張りのイス、テーブルの上の天井からぶら下がるアンティーク調の照明。壁際には書類の詰まった棚があり、取調室というよりは西洋風の書斎だ。

 テーブルを挟んで慶太の向かいのイスに座っていた斎を見れば、にっこりと笑みが返された。


「はい、お疲れさーん」

(本当にあっさり……)

「慶太君になんも異常がないけんね」

「異常は、ない……」

「そ。だけん、あとは記憶消して帰るだけやで」


 斎は最後まで軽い口調だ。慣れているとも取れる。

 ただ、慶太は記憶を消すことに関して気になることがあった。


「あの……それって、友樹のことも……?」

「せやで」


 慶太の問いが予想外だったのか、斎は目を見張った。

 あっけらかんと頷いた彼は、「堪忍な」と困ったように笑んだ。


「幻妖世界についてだけは消せないんですか?」

「残念やけど、俺らではそれはできひんのや。覚えとったら、幻妖世界のことも思い出してしまうやろ?」


 友樹のことを消さなければ、彼がいない理由に疑問を抱いてしまう。その疑問が、消した記憶を蘇らせる可能性は十分にある。

 それに、と斎は慣れた言い方で言葉を続けた。


「先にも言うたように、近い内、『大澤友樹』という少年は破綻しておらんくなるかもしれん。そんときは、否が応でも記憶は完全に消える」

「え?」

「もちろん、破綻が治ったらそんなことはないし、記憶は戻るようにしたげる。ただし、依人に関することは忘れたままやけどな」

「…………」


 先ほどは、友樹が破綻して消滅する可能性があると聞いただけだ。まさか記憶まで消えてしまうとは思わず、慶太はぐっと手を握りしめる。

 このまま、友樹のことを忘れてもいいのか。まだ、彼は生きていると言うのに。


「あ、あのっ!」

「ん?」

「僕の記憶を消すの……少し、待ってもらうことってできませんか?」

「は?」


 慶太の申し出は初めてのことだった。

 普通ならば、自分の命を奪おうとした相手を拒絶する。しかし、慶太はそんな相手について忘れることを望まなかった。

 斎は顔を強張らせた慶太を見て瞬きをした。本心では怖がっているのに、何故、忘れようとしないのかと。


「友樹は、もしかしたら助かるんですよね?」

「五分五分な」

「それでも、助かる可能性があるなら……今だけかもしれないとはいえ、忘れたくないです。もし、助からなかったとしても、今から友樹のことを忘れたくないんです」


 斎からテーブルへと視線を落とした慶太は力なくそう言った。

 そこまでして友樹に拘る理由があるのかと、斎は手元にある質問の答えを見る。

 中には情報部から早々に回されてきた慶太に関する書類もあり、彼が話す過去の経歴も間違いがないか照会していた。


(うーん……『イレギュラー』やしなぁ……)


 慶太からは語られなかった過去もいくつかある。その点に関しては、忘れている可能性も考慮して、あえて触れずに流した。

 斎は小さく息を吐き、さてどうしたものかと考える。

 まずは質問の内容を変える必要があるなと思いつつ、書面から目を離さずに口を開く。


「なんで手間暇かけてまで、記憶消すんか分かる?」

「周りに広まるといけないから……ですか?」

「半分正解。半分は、誰にでも依人に近い力……『霊力』があるからだ」

「!?」


 今まで方言だった斎の口調が突然変わった。

 彼を見れば、肘をついた左手の甲に顎を乗せて真剣な表情で慶太を見ていた。


「たまにいるんだ。霊力を表面に出さないように無意識で塞いでいた枷を、依人に触れたことで壊してしまう輩が」


 そういった人達は、表面に出てきた霊力の影響で、今まで視認できなかった幻妖を視ることができるようになる。依人のように特異な力を扱うことはできずとも、視えなかったものが視えるようになるのは大きな変化だ。


「そういう輩は、いずれも自らの霊力に驚き、自らも依人だと錯覚をする。素人では違いが分からないから、当然といえば当然だがな。ただ――」


 すっと細められた目に、心臓が締めつけられたように苦しくなる。

 射抜かんばかりの視線は、こちらの嘘さえも見逃さない。自身も嘘さえ吐いていない。


「力に驕り、あるはずのない依人の力を使おうとすれば破綻。力を恐れ、存在を拒んでも破綻。どう足掻いても、『干渉』によって、理解のないまま霊力を出してしまった場合は破綻してしまう」


 身についた力は霊力だけで、依人の持つ幻妖にまつわる力はない。だが、人の思い込みは極めて現実味を帯びることがあり、普通ならばあまり人の命を脅かさない霊力が凶器にさえなる。

 誤った霊力の使い方は、依人でなくとも破綻へと繋がるのだ。


「だからこそ、我々は依人に関わった者の記憶を消す。“紛い物の依人”は、時に本来の依人よりも厄介なんだ」


 今まで何人かの紛い物の依人を見たことがあるからこそ、その危険性をよく知っている。

 黙りこんだ慶太に内心で申し訳ないと思いつつも、これも危険を予防するため、と忠告を続けた。


「君は今でこそ異常はないが、記憶がある限り、いつ霊力が出てもおかしくはない。生まれつき強い霊力があり、依人とは違うと認識している『特体者とくたいしゃ』ならまだしも、霊力に気づかず依人に干渉した君は危険なんだ」

「……分かりました」

「おっ。分かってくれたん? 慶太君はホンマ、理解が早くて助かるわー」


 一安心した斎は書類が綴じられたファイルを閉じ、また口調を方言へと戻した。

 脅したようで申し訳ない気持ちは僅かにあったが、これも今後の彼の身を思ってのことだ。


「僕に異常はなくて、でも、霊力が出たときには依人と勘違いをしてはいけないからだと分かりました」

「うんうん。ほな、今から記憶を消させてもらうわ。専門の奴呼んで――」

「だったら、もう忘れなくていいですよね?」

「…………うん?」


 慶太はしっかり理解してくれていると安心して頷いた斎だったが、その一言で思考と立ち上がろうとした動きが止まった。

 今、彼は何と言ったのか。


「危ないって分かっていたら、思い込みをすることはないですよね? それに、僕が幻妖とか依人とか周りに言ったって、誰も信じることはないですし」

「ちょ、ちょい待ち。聞いとった? 確かに、周りに言うたらあかんけど、それだけで消すんやないんやって」

「言うことはないです。元々、僕には彼以外親しい友人はほとんどいないですし……家族も、両親は仕事であまり家にいないので」

「…………」


 書類の内容を思い出す。僅か数十分という短時間で纏められた彼の経歴や家族構成を。

 一般家庭に産まれた慶太は、特に大きな問題なく成長している。ただ、両親は共働きで夜が遅いため、幼い頃は近所に預けられていた。その近所が友樹の自宅だった。

 兄弟同然で過ごしたことや斎があえて流した過去の件で、慶太は友樹のことを大事にしたいのだとは分かる。


「助かるなら、諦めたくないんです」

「…………」


 真っ直ぐに斎を見る慶太の姿に、ひた向きな言葉に、とある少女が重なる。

 彼女もまた、最後まで諦めない性格だった。

 ふと、誠司の言葉が蘇る。


 ――桜庭、彼のことは任せました。


 その後に記憶を消して自宅へ返すようにとも言われたが、記憶を消すのは何も今日とは指定されていない。

 一瞬だけ重なっていた姿を思い出し、記憶を消そうという決心が揺らぐ。


(まさか、俺まで影響されてるとは思わんかったわ)

「お願いします。絶対に口外しませんから」


 慶太の人となりはまだ分からない。書類で経歴などは出ても、本人を信用する材料にはならないものだ。

 そうと分かってはいるが、ある事を閃いた斎は、気の変わった自身に思わず口元に笑みを浮かべた。



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