第4話 特務


「な、に? ゆう、き、その手は……」

「俺の力だ!」

「ひっ……!」


 振り下ろされた手に、咄嗟に腕を顔の前に翳す。直後、バケツから水を撒いたような音がしたが、慶太はそれを気にしている場合ではなかった。

 だが、いつまで経っても襲ってこない痛みを不思議に思い、恐る恐る腕の隙間から友樹を見る。


「え?」

「ちっ! 誰だテメェ」


 友樹の振り下ろした手は、帯状の水によって拘束されて止まっていた。体にも水が形を成して巻ついており、友樹を逃がさんとしている。

 水が伸びてきた方を見て友樹が舌打ちをすれば、木々の間の闇から優男風の青年が現れた。外見年齢は二十代半ば頃と若く、着崩した黒いスーツは会社帰りにも見える。とても山には似つかわしくない格好だが、そもそも、陽も落ちた山に自ら進んで入ってくる人はスーツ姿でなくともいない。

 彼は慶太達を見た後、周囲を見渡すとあからさまに肩を落として溜め息を吐いた。


「なーんや。妖狐の気配と継承反応が出たけんって急いできたのに、ただの継承者の試し切りかいな」


 暗がりでも目立つ金髪に紫苑の瞳の青年は、緊迫した空気さえ物ともせず、ゆるりと言葉を紡ぐ。この辺りではあまり聞かない方言で。

 ただ、水は彼の後ろから発生しており、その主はまだ分からない。もしくは、この青年が何か仕掛けをしているのか。

 青年は友樹の姿に動じることなく、むしろ対応に来ているようだ。すぐ傍まで歩み寄ると、隣にしゃがんで片手を顎に当てた。


「しかも、破綻の可能性あり、と。んー……どないする? 君、死ぬんと生きるん、どっちがええ?」

「はっ! テメェを殺して生きるに決まってんだろ!」

「えらい勢いええなぁ。嫌いやないで、その威勢は。でもな、ボク?」

「……?」


 友樹の啖呵にも青年は笑顔のままで、体を拘束する水に触れた。

 何をするのかと思った矢先、水に触れた青年の手のひらで一瞬、電流が弾けた。


「口の利き方がなっとらん悪い子は、お仕置き決定やな」

「っ、ぎゃああああぁぁぁぁ!!」


 一瞬だけだった電流が瞬く間に体中を走り、友樹は痛みに悲鳴を上げた。

 電流に意思でもあるのか、触れている慶太には一切、電流はこない。

 やがて、電撃が収まると、友樹はぐらりと横に倒れる。

 それを見た青年は、スーツの襟元につけていた小型マイクの無線スイッチを入れた。


「違反継承者を確保。破綻の兆しがあるため、送致後は要観察」


 方言を使っていたときとは打って変わって、真面目な表情でどこかと連絡を取る。

 右耳に着けているイヤホンから返事を受け取った青年は、無線を切ると小さく息を吐いた。


「ハズレなんか当たりなんか、よう分からんわ」

「…………」

「せや。君、大丈夫かい? 危なかったなぁ」

「あ……」


 複雑な顔をしていた青年だったが、思い出したように慶太を見て言葉をかける。

 しかし、青年に優しく声をかけられても、慶太は言葉を忘れてしまったかのように何も出てこなかった。

 そんな状態の慶太に、彼は眉尻を下げて困ったように笑んだ。


「言葉もないわな。安心しい。俺らは、一般人には手ぇ出さへんから」


 頭を軽く叩くように撫でられたところで、やっとまともに息をすることができた。

 大きく息を吐いた慶太を見て大丈夫だと確信すると、青年は未だ友樹を拘束する水の主に向けて声をかけた。


「なっちゃーん。そういうわけで、応援の到着までそのまま待っといてー」

「そのあだ名はやめてください。副長」

「えー。かわええのにー」


 木々の間から姿を現したのは、艶のある黒髪に宵闇を映したような濃紺の瞳をした青年だ。右側だけ髪を耳に掛けており、露わになっている耳には、金髪の青年と同じイヤホンが着けられていた。

 金髪の青年より少し下に見える青年は、あだ名で呼んでくる上司に溜め息を吐きながら、シルバーのフルリムの眼鏡を指で押し上げる。そして、不満の声を上げた上司を無視して慶太を一瞥すると、手から伸びる水の帯を自身へと引いた。

 ずるりと引きずられた体を見て、金髪の青年が咎めるように言う。


「なっちゃん。あんまり荒くせんといてや? 一応、『サンプル』として調べるんやけん、下手な傷は増やしたらあかんで」

「申し訳ありません。以後、気をつけます」

「ん。誠ちゃんも、わざわざ出てきたのに無駄足やったね」


 金髪の青年は、素直に謝った眼鏡の青年に頷いてから立ち上がって、そのさらに後ろへと言葉を投げ掛けた。

 まだ誰か来るのかと慶太が視線の先を見れば、道を開けるように眼鏡の青年が体を横にずらす。

 奥から姿を現したのは、金髪の青年と同じ年頃の穏やかそうな青年だった。


「いえ、そうでもありません」


 落ちつきのある、けれども意志のはっきりとした声に慶太の背筋も自然と伸びる。見えない力の威圧が、その声音には含まれていた。

 襟足が肩まで届く黒髪に深緑の目。整った顔立ちの青年の姿に、慶太は思わず息を呑んだ。


「破綻のメカニズムは明確になっていませんからね。大抵、破綻組は『局』に持っていかれていますし、今回は破綻直前の『これ』が収穫としておきましょう」

「せやな。ほな、君も俺らと一緒に来てくれるかい? さっきのことは知られたらあかんことなんよ。だけん、ちょこーっと記憶を弄らせてもらうで」

「え? あ、あの」


 最後に現れた青年は、まるで、ただの置物を見るかのように友樹を見下ろして言った。

 金髪の青年は彼の言葉に頷いた後、座り込んだままの慶太の腕を取って立たせた。

 それを見て、眼鏡の青年が友樹を連行しやすいようにと、一旦は水による拘束を解き、体の後ろで手首を縛り直す。

 理解しきれていない内に変わる状況に、慶太はただ混乱するしかなかった。

 そんな慶太の心境を知ってか知らずか、金髪の青年はまたにっこりと笑んだ。


「大丈夫、大丈夫。怖いことはあらへんし、それも忘れてまうから」

「で、でも……友樹は、元に戻るんですか……?」


 不安から声が震える。

 慶太の問いを聞いた青年から笑顔が消えた。その意味を薄々感じつつもリーダー格の青年を見れば、彼は淡々と言った。


「それは我々では不可能な話です。今はまだ大丈夫ですが、このまま破綻してしまえば最後。救う手立てはありません」

「破綻ってなんですか?」

「知らんでええよ」


 訳の分からないことが立て続けに起こり、頭はオーバーヒートしそうだ。

 説明を求めるも、それさえ断られた。

 どうにもならない歯痒さから、思わず自分でも驚くほどの大きな声が口から出る。


「で、でも、彼は僕の友達なんです! 何が起こっているのか、教えてください!」

「雲英。彼を連れて行きなさい」

「はっ」


 リーダー格の青年に言われて、眼鏡の青年、雲英きら七海ななみは短く答えて慶太の肩を掴んだ。


「行くぞ」

「は、離してください!」

「そうだぜ。離せよ」

「っ!?」


 七海の手を振り解くのと声がしたのはほぼ同時だった。

 今まで意識を失っていたはずの友樹が起き上がり、自身を拘束していた水を不可視の力で弾き飛ばした。

 金髪の青年がリーダー格の青年を庇うように前に出る。

 七海も慶太の肩を再び掴むと、自身の背後に隠した。


「目を覚ましてしまいましたか」


 金髪の青年の後ろで、リーダー格の青年は涼しい表情のままで呟いた。

 友樹は、拘束されていた手首を何度か動かして状態を確認した後、金髪の青年に向かって鋭く伸びた爪を振り上げる。


「こんな所で終わってたまるか!」

「桜庭、雲英」

「はいはい」


 金髪の青年、桜庭さくらばいつきは、余裕な態度を崩さず、右手を向かってくる友樹に翳す。

 すると、手のひらの先に雷電が生まれ、斎と大きさの変わらない一羽の巨鳥へと形を変えた。光の塊にも見えるその巨鳥は、体表に電流を走らせている。

 七海も足元から水を発生させると、自身の前方に一頭の水の狼を作り出す。


「行ってき」

「行け!」


 斎、七海の前から、それぞれ雷の鳥と水の狼が放たれる。

 鳥は雷を放ちながら、狼は顎を開いて友樹へと向かう。

 だが、にやりと笑った友樹は鳥も狼も切り裂くと、地を蹴って高く跳躍し、あっという間に姿を消してしまった。


「あっちゃー。逃げられてしもたわ」

「対象が逃げた。至急、林を囲め」


 片手を額に当てた斎に対し、七海はすぐに襟元に着けていた小型マイクで離れた場所の仲間と通信を取る。

 どれほどの規模の組織なのかは、今の慶太に考える余裕はない。ただ、姿を消した友樹の身を案じるだけだった。


「友樹……」

「総長。如何いたしますか」

「……仕方がありません。桜庭、その少年の事は任せました」

「え、俺!?」


 七海に「総長」と呼ばれた青年、九条くじょう誠司せいじは、一息吐くと慶太達に背を向けてこの場を去ろうとした。

 まさか、自分に役が回ってくるとは思わなかった斎は、自身を指差しながら声を上げた。


「私は一旦、本部へ帰ります。あの継承者の追跡の指揮は雲英にお任せします。桜庭は彼から事情を聞いた後、記憶を消して自宅へ帰してあげなさい」

「なっちゃんと俺、逆やない?」

「継承者の追跡程度に、副長たるあなたが出向くまでもありません」

「……へいへい。分かりましたよー、総長さん」

「ま、待ってください!」


 動こうとした三人を慶太が止めた。

 何かと視線が慶太に集まったが、誠司はすぐに慶太から視線を外して歩き始める。


「友樹を元に戻す方法、『皆さんでは無理』っていうことは、あるにはあるんですよね?」


 誠司は「我々では不可能な話です」と言った。ならば、できる者は他にいるということだ。

 慶太が指摘した事は正しかったのか、誠司は足を止めて振り向き、それを見た斎は小さく肩を竦めてから慶太に向き直った。


「まぁな。……ほな、俺らの本部に行きながら話したるよ。ついといで」

「桜庭」

「ええやないの。どうせ忘れさせるんやろ?」

「……好きにしなさい」

「おおきにー」


 短く言ってから歩き出した誠司の背に、斎は笑顔で手を振る。そして、不安げに斎を見る慶太の頭を軽く叩くように撫でた。


「ほな、行こか」

「……はい」


 すっかり暗くなった林の中を……友樹と共に来た道を戻る。先を歩いているはずの誠司の姿はなぜか見えない。七海も別ルートから友樹の捜索に向かったため、今、慶太は斎と二人きりだ。

 木々が風で揺れる微かな音を掻き消したのは、言葉を探す斎の声だった。


「うーん……。まず、どこから話したらええんやろうなぁ……あ。あの妖狐のことは本人から聞いた?」

「はい。幻妖、とかなんとか……」

「そうそう。この世界……“あちらさん”からしたら『人間界』言うらしいんやけど、こことは別の世界、『幻妖界』にああいうのは棲んどるんや」


 本来、幻妖は一つの『門』を通じてこの世界へとやって来る。その門となるのは『神降りの木』と呼ばれる神木で、以前は恵月町の北東にある天降神社にあった。

 過去に大きな問題があって以降、現在はとある組織によって保護、管理されているという。


「でも、実際には、その神木以外からも幻妖が入り込んでるんよ。それが『歪み』っちゅうもんなんやけど、歪みはいつどこに現れるか分からんのや」

「幻妖は、頻繁にこの世界に来ているんですか?」


 慶太は見たことがないが、斎の口振りでは相当数が人間界に来ていそうだと思った。ただ、周りを見渡しても、それらしき姿はないが。

 顔だけを少し後ろに向けた斎は、小さく頷いてまた前を向く。


「せやな。でも、昔に比べたら減ったほうやで」

「昔?」

「そ。俺らは『特務自警機関とくむじけいきかん』って組織のモンなんやけど、元は平安時代の『陰陽寮』が始まりや。陰陽師って、聞いたことある?」

「小説とかでなら……」


 平安時代にいたという、妖怪や悪霊を退治していた人達だと認識している。一時はテレビなどで特集が組まれていたこともあったが、怖いものが苦手な慶太が直接見ることはなく、友樹に聞いたくらいだ。

 だが、何も知らないよりはいい、と斎は満足げに返した。


「それで十分や。その陰陽師ってのがよう活躍しよった頃から、人と幻妖が共存しとる場所は徐々に減っていったんや」


 今では幻妖を目にする者はかなり減ってしまったが、昔はほとんどの人間が幻妖を視ることができた。必ずしも良好な関係ばかりだったとは言い難いが、相応の交流はあったのだ。

 しかし、助け合いながら過ごしてきた日々は、発展した人間の手によって破壊された。


「共存の終わりは人間側の行動にある。人間は自身のさらなる発展のため、自分らと違う存在な上に奇妙な力を持つ幻妖を、次第に排斥するようになったんや」

「それで、今みたいに幻妖の存在が忘れられていったんですか?」

「話が早いなあ。まさにそのとおり」


 交流が減り、年月を重ねるほど、徐々に記憶から薄れていく。幻妖を遠ざけたい人達からすれば、敢えて語り継ぐ必要もない。

 そうして、今の状況に至っている。


「今は、俺らみたいに、人でありながら幻妖の力を持つ『依人』っちゅうのが知っとるくらいになった。あとは、人間界では上の方の人らかな」

「依人……。あの妖狐も言っていましたけど、なんで、友樹はあんなに変わったんですか? それに、継承とか破綻ってなんですか?」


 斎や七海は雷や水を自在に操っていた。それは、依人であるからこそ成せるものだ。

 まるで夢でも見ているかのように現実離れした説明に、慶太は思わず唖然としてしまったが、すぐに込み上げてきた疑問が口から出た。

 会ったばかりの人と会話をするのは苦手だが、今は状況を理解したい気持ちでいっぱいのせいか、次から次へと質問が出てくる。


「依人の中にもいくつか種類があってな。幻妖の血が混じってる『血統組けっとうぐみ』、力を貰っただけの『継承組けいしょうぐみ』、幻妖の生まれ変わりの『転生組てんせいぐみ』、継承組や転生組の子供の『混血組こんけつぐみ』。んで、力が馴染まんくて暴走した『破綻組はたんぐみ』に分かれる。君の友人君は妖狐から力を貰ったけん継承者やね。ただ、継承者は力を受け継いだ最初が肝心なんや」


 力が馴染むかどうか、その分かれ道がある。

 馴染めば継承者として力を扱えるようになるが、馴染まなければ力は暴走し、本人の体はやがて消滅してしまう。


「君の友人は、残念ながらもう破綻寸前や。このまま破綻したら、場合によっちゃすぐに消滅する可能性かてある」

「消滅……」


 それは、友樹が死んでしまうということか。

 想像もしていなかった現実を前に、慶太は夢を見ているのかと手を握りしめる。手のひらに爪が食い込み、小さく痛んだ。


「一応、治せる奴には話しといたる。でもな、取り返しのつかん段階まで進んだら、その人らでも無理や。そん時は覚悟しといてな?」

「……分かりました」

「ん。ええ子やね」


 斎はやや間を置きながらも頷いた慶太の頭を撫でた。

 特務へと向かうため、公園の駐車場に停めていた車に乗り、斎が運転席に座る。

 口を閉ざしてしまった慶太をバックミラーで見た斎は、内心で変な気を起こさなければいいが、と呟いた。



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