第9話「3月18日」2回目忘れ

記憶とは汚れである。

この世に生まれ落ちた赤子は何も知らぬ無垢な存在である。世界に対し希望も絶望も抱いてはいない、純白のキャンパスである。これから先素晴らしい画材と腕前さえ

あれば純白が名画へと生まれ変わるだろう。

だが、生まれ落ちた矢先赤子は初めて見る親の顔を心に刻み込む。自分はこの人間から生まれさせられたのだと。この時点で純白のキャンバスに一つの小さな模様が

浮かび上がる。このシミは消えることなく赤子が成長したあとも、消失せず残り

続ける。むしろこのシミをもとに赤子は自らの人生をキャンバスに描いてゆくのだ。

次に施設で、学校で、様々な人間と出会うだろう。赤子は子供となり背も体重も知能も何もかもが成長したが、あのキャンバスは既に様々な模様が描かれている。人に

より美しくも醜くもある模様だろう。だが等しく共通していることは、決して模様は消えることなく、模様の上から新たに何かを描くことは不可能になるのだ。

そして子供はさらに成長し、人生というものに気づいた時、やっとこのキャンバスに気づくのだ。そして多くは既に描かれた模様に従い、描かれた模様と調和するようにまた新たな模様を今度は自らで気づいていくのだ。つまりは人間関係の選択である。

この人とは合わない。この人からは何かを学べる。そういう風に人を選び模様を描くのだ。

ここまでは一般的なキャンバスの話である。それでは生まれ落ちた時、親に出会う

ことで描かれる模様が美しくもないものだったら。むしろ、醜く人に見せられない

ものであったら。キャンバスに描かれてゆく模様も同じく汚いものとなりえる

だろう。そうすることで模様のバランスが取れるのだ。そして赤子が成長し人生の

選択の場面に至った時、自らの汚く描かれたキャンバスに気づくのだ。すると悟る、

「最早美しい模様を描くことはできないのだ」と。

出会いの記憶は多くは美しいものである。しかし時により取り戻せない過去を悔やむ

刻印となりえるのだ。

故に気づくまで自らの意志では描くことが出来ない、記憶とは汚れである。

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