第8話「3月16日」

ごうんごうんと私の体内を汚れた洋服が駆け回る。人に着られ汗や泥で汚れた彼らが

1周り、2周りと洗濯機の中を転がりまわることで見る間に元の色に戻ってゆく。子供の洋服についたスパゲッティソースが洗剤と共に消えてゆく。外を歩き回って付いたワイシャツの汗はやさぐれた黄色を忘れ自己を消え去ってゆく。

私は自らに与えられた役目を果たす為、今日もごうんごうんと体を揺れ動かす。洋服の汚れを落とすため。ソースや汗に別れを言わせるため。一度巡り合った彼らをもう

一度忘れさせるため。今日も明日も明後日も、ごうんごうんと洗濯機の私は体を縦に横にゆれうごかす。

ある時、ワイシャツの胸ポケットに刺さったままのシャープペンが、私の中から

話しかけて来た。

「助けてください。私は貴方の中に居たくはないのです」

最もである。彼女は衣服などではない、落とされる汚れもない。だがペンが私の身体に入った以上、もはやどうすることもできない。

「諦めなさい。だが安心するといい、汚れは消えてもプラスチックでできている

あなた自身が消え去ることはあるまい」

諦念と安心を抱くように伝えたつもりだった。だが、返ってきた声は安心ではなく

むしろ焦りを交えた声だった。

「違うのです。私自身が消えようとも構わない、でも私の描く心が消えゆくことだけは耐えられない」

何の、とは聞くつもりはなかった。聞いたところでごうんごうんというこの無機質な音を止めることはできないからだ。だが、私の愚かな好奇心が悪い選択肢を取らせてしまった。

「下種かもしれないが、その心を教えていただきたい。私があなたに代わってその

思いを果たすことが出来るかもしれない」

「私の思いは貴方に向けられております。この思いが伝えられなくともそれを消してしまうことだけはしたくなかった」

虚を突かれてしまった。体に鳴り響く重低音が私の困惑をさらに推し進める。

「貴方には消しゴムがいるであろう。私が君の仕事手伝うことはできないが、彼ならその役割を全うし君を支えてくれる」

「彼ではだめなのです。私は、あなたへ、言葉を書き綴りたい」

其の弱弱しい言葉をかき消すように排水音が鳴り響く。なぜとはあえて

聞かなかった。聞けなかった。

その後も彼女の弱弱しい心は綴られていった。だが私の体内を駆けまわる濁流に

のまれ、次第に小さくなっていった。何もできない。するしかない。私には別れしか似合わない。

ごうんっともはや何も覚えてはいないであろう彼女に向けて、ひときわ大きな機械音を手向けた。

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