酔いどれ彼女との付き合い方

ななみの

酔いどれ彼女との付き合い方

 あの春の日、俺は桜舞い散る探偵坂で運命的な出会いをした。白いベレー帽を被った蜃気楼のような女の子。

 それから夏が来て、秋を迎えて、冬が過ぎて。季節が巡り巡って、俺たちは近づいたり、離れたりしたけれど。

 それでもやっぱりそばにいてくれて。

 さらにいえば、今ですらそれは続いていて。

 ……けれどこの状態は、そばにいるというよりは、むしろ密着されているといった方が適切だと思うわけでして。

 「倫也くーーーん、さっきからひとりでなにぶつぶつ言ってるの!」

「何も言ってないし……恵、とりあえず水飲めって」

 耳に生暖かい息が吹きかかって、ひっ、と思わず変な声が出る。この距離なのに聞こえてないのか、それとも反応しないだけなのか、とにかく波風立たないことに感謝はしておく。けどなあ。

 加藤恵。初代にして殿堂入り、まさに生ける伝説とも呼べるほどの、我がサークルの現役メインヒロイン。ついでにジャスト二十歳の女子大生。

 

 ──その彼女は、あられもないご様子で泥酔していた。



***



「倫也くーーーん、こっち向いてよお」

「恵がのしかかってるから向こうにも向けないんだって」

 彼女がこうしてベタベタな絡み方をしてくることはかなり稀、というか、ほとんどない。多分今までに一度もなかったと思うんですけど。

 つまり、俺たちが体を重ねるのなんて時たまのそういう時間くらいのものであり、精々手を結んだり、唇を重ねたりするくらいがいいとこだったわけで。

「倫也くんのほっぺたつめたーい」

「冷たくないから! アルコール入ってるのにほっぺた冷たいわけないから?!」

「え~、冷たいよお。ほら、触れてて気持ちいいもんね」

 俺のほっぺたを背後からぺしぺしする恵。ついでに胸部に付いてる果実×2でさらにプレスをかけてくる。体と体が引っ付いているのが熱い。居心地悪いとはまったく思わないけど。

「ごめんね、わたしがもっとおっぱい大きかったらよかったのにね」

「恵お前本当は酔っ払ってないだろそうなんだろ?!」

 かと思えば突然心を読んできたりとか。

 付き合って数年経っても、俺たちのこういうところは相も変わらずだったりする。

「でもさあ。倫也くんももっとわたしのおっぱい大きかったら喜ぶよねえ?」

「か、仮定の話をしても仕方ないでしょ!」

「ほら。否定しないもん倫也くん。やっぱり倫也くんはきょにゅうがすきなんだ」

 今俺は、酔っ払った彼女に背後から縋りつかれながら、巨乳好きについて弾劾されています……なんだこれ。

「俺は今の恵が好きだからそれでいい」

「うわーー、倫也くんがすごい恥ずかしいこと言ってる……」

「……もう俺はどこから突っ込んでいいのかわからん」

 行き場を見失って飲み込んだツッコミは、例えば勢いで小っ恥ずかしい愛の言葉を紡げるようになってしまった自分に対してだったり、あるいはそんなことを言わせようと画策してきた恵に対してだったり。

「そもそもさあ、倫也くんはわたしみたいなオンナノコで妥協していい器じゃないと思うんだよお」

「その褒められてるのか貶されてるのか微妙なラインの賞賛はやめろ」

「でもさ、わたしが初めて本編の表紙に登場したのって7巻なんだよ? 普通だったらわたしって絶対脇役だと思うんだけど」

「そういうメタな話はやめようよ?!」

 "普通は"なんて言ってるあたり、今では──むしろ今でも、メインヒロインの自覚やら矜恃やらはお持ちになっているようで。

 ……そういうことを言うと、酔っ払いのだる絡みが加速するので口にするのは控えることにする。

「だいたいさあ、倫也くんもなかなか酔っ払ってるもんね。普段は好きとか言ってくれないもん」

「……告白した時に3年分くらいは言ったと記憶しております」

「足りない」

 薄甘いオンナノコの声音で囁かれて胸が高鳴る。さっきまでは飲んどれ調子のチャラチャラした声だったくせに。

「わたし、欲張りだし」

「それは開き直ることなんですか……」

「いいじゃん。普段こんなこと言わないし……言えないし」

 呟いた恵の言葉は、彼女の口と俺の耳が僅か数センチの、この距離で届かないわけもなく。

 そんな単純な事実に、ふたりがふたりとも素面ならば気が付かないはずも、気にしないはずもなくて。

 俺からしてみれば……彼女の表情が見えない状況が殊更に心拍数を高めたりするわけで。

「1日1回、で許してもらえますか……」

「3回」

「ハードル高いって?!」

「えー、じゃあ2回」

「……善処します」

「約束だからね」

「おぅ……」

 高い高いハードルを取り付けられた上に、しかも足を引っ掛けても、転んでも、また立ち上がって跳ぶことを約束してしまった俺は、せめてもの悪あがきをしてみる。

「なあ恵。俺たち、毎日会えるわけじゃないよな?」

「じゃあ同棲する?」

「ステップ踏み飛ばしすぎだから!?」

「そうなると倫也くんは約束が守れないねー、こまったこまった」

「すっげえ他人事だな……」

 現実逃避しがてら目線だけで時計を見れば現在深夜1時半。かれこれ数十分は抱きつかれてることになるなあ、なんてどうでもいいことばかりが頭をグルグルしていると、

「しょうがないなあ倫也くんは」

「おお?」

「会えない時の分まで、会える時に気持ちを込めてくれたらそれでいいよ」

「おお!」

「ただし」

「……おお?」

「……今キスしてくれたらそれで妥協する」

「ええ……」

 わかってたけど、今日の恵は弾けすぎてる。毎回この調子だと俺の心臓がもたないので、以後恵に飲ませないことにしよう。

「べ、別にいいけどさ」

「けど?」

「するとかしないとか、そういうのを事前に聞いたら怒られたことあったな、って」

「倫也くんはしたいの?」

 事前に聞くってそういうことだと思うんだけど、生憎デリカシーの類に関しちゃ説教できるほどのものを持っちゃいないので仕方なく。

 何より、こんなムードで俺が首を振れるはずもないわけで。

「そりゃ……したいよ」

「じゃあ、しよ?」

「わ、わかった。する、するから、とりあえず恵が離れてくれないとそっち向けないから!」

 やっとこさ恵の体から解放されて、くるりと振り返る。ちょこんと正座している恵はちょっと前傾姿勢。案の定頬はほんのり赤いし、目はとろーんとしてて、寝てるのか起きてるのかさえ定かじゃない。……流石に起きてるんだろうけど。

「……大丈夫かよ本当に」

「なーーにが」

 アルコールの匂いがほんのり漂ってくるくらいに顔と顔が近い。半分夢の中にいるみたいな顔しやがって。

 ……そんな表情されたら、キスだけで止まれる保証出来ないんだけど……

「恵」

「……ん」

 半開きの甘ったるい視線がぐさりと胸に刺さる音がした。それが開戦の合図だった。

「……んっ……ん」

 前に傾いてゆらゆらしている彼女の唇に、強引に押し付ける。吸って、搦めて、飲み込んで。鎖から解き放たれたケモノみたいに……

「っ…………くぅ」

「め……恵?」

 

 ふらふらっと、前に倒れ込んだ彼女は、あろうことかそのまますやすやと寝息をたて始めた。

 ……え、いや、ちょっと…………

「そりゃないだろぉ……」

 フローリングの床にうつ伏せで倒れ込んだ彼女は、心地よさそうに眠りについている。さっきまでキスしろってせがんでたよなァ?!


「……倫也く……ん」

「……起きてる?」

「……明日になったら」

「お、おう」

「いまのわたし……忘れてね」

 わかったというか、なんというか。

「なんだかなあ」

 って、俺が言う側になる日が来るとは露ほども思ってなかったけれども。

 恵にタオルケットをかけてから、俺は悶々とした気持ちを抱えて、散らかった空き缶の片付けにとりかかった。



***


「あいたたた……っ」

「恵はもう酒飲まない方がいいな。ほら、水」

「ありがと、倫也くん」

「おう。落ち着いたらシャワーでも浴びてこいよ」

「ねえ、倫也くん」

「ん?」

「わたし、昨日の夜何か言ってた?」

「……いや、まあ、別に何も言ってなかったぞ」

「ふーん、そっか。それならいいや」


「……忘れてって言ったのに」

「え、何が?」

「なんでもないです~~~」

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