第14話 「お疲れっ。」

 〇二階堂 紅美


「お疲れっ。」


 あたしがスタジオから出ると、廊下に満面の笑みの沙都さとがいた。


「…沙都、今日録り…」


「ないよ。」


「観光でもしてくればいいのに。」


「紅美ちゃんに連れてってもらおうと思って。」


「……」


 渡米して五日。

 最近…やたら沙都が身近にいる。


 …まさか、沙也伽…

 ううん。

 あれで、沙也伽は口が固い。

 わっちゃんは…言うわけないか。


「何か食べに行こうよ。」


 疑いながらも、こんな笑顔されちゃ…断われない。

 何だかんだ言って、あたしはいつも沙都の笑顔に救われる。


「…そだね。」


 あたしは前髪をかきあげて。


「何食べたい?」


 沙都の顔をのぞきこむ。


「紅美ちゃん、行き着けの店とかないの?」


「あるけど…あんた、飲めないじゃない。」


 あたしの言葉に、沙都は得意気に人差指を揺らして。


「それが、飲めるようになったんだもんねっ。」


 満面の笑み。


「本当〜?」


「うん。ビールもワインも、紅美ちゃんにつきあえるくらい飲めるよ。」


「何、特訓でもしたの?」


 階段を下りながら、あたしは沙都を茶化す。


「したよ。紅美ちゃんと飲みに行く、っていうのが僕の憧れの一つだったからね。」


 素直な沙都。

 少しだけ…羨ましい。


「…じゃ、カプリに行くか。」


 外に出て、一人言。

 沙都は好き嫌いないから、あの店でも平気だな。


「美味しい店?」


「美味しいよ。お酒も食べ物も。」


「やったあ。」


 そんなことを言いながら、沙都はあたしの手を握った。


「…何。」


 あたしが手を見て問いかけると。


「何が?」


 沙都も、あたしの顔を見てキョトンとしてる。

 …ま、いっか。

 昔みたいだしな…


「…何でもない。」


 あたしは沙都と手をつないだまま、カプリに向かった…。


 * * *


 〇宇野沙也伽



「紅美。」


 あたしが手を振ると、紅美は笑顔で。


「沙也伽…いつ来たの?」


 かけ寄って来た。


「今朝。希世きよと一緒に。」


 事務所のロビーは、にぎやか。

 こういうとこは、日本もアメリカも、変わんないな。


「新婚旅行みたいだねえ。何、沙也伽たちはホテル?」


 みんなには、事務所の宿舎とか、近くのアパートが振り分けられてる。

 ちなみに、紅美はエマーソンのレコーディングの時住んでたアパートを与えられた。


「うん。ちょっと二人で、のぼせあがってる。」


廉斗れんと君は?」


「お義母さんに任せてきちゃった。」


 エレベーターで、スタジオに向かう。


「じゃ、まさに新婚気分だね。」


「まあね。」


 あたしの滞在期間は二週間。

 紅美の、残りの二週間を一緒に過ごす。

 希世きよは一週間で帰るから、ま…新婚気分は一週間だけかな。



「…あれ?」


 エレベーターを下りて、紅美に問いかける。


「ピアス、いつ開けたの?」


 髪の毛をかきあげた紅美の耳元。

 18金のピアスが…


「ああ…おとといね。」


「へぇ、よく開けたね。怖がりの、あんたが。」


「それがさ…」


 紅美は苦笑いしながら。


「沙都が、開けるからついて来てくれって言ったんだよね。」


 って。


「沙都?」


「うん。あたしより、ずっと怖がりの沙都がね。」


 確かに。

 沙都は、あたしがピアスを開けた時も。


「ひゃ〜…本当に穴が開いてる〜…」


 って、しばらくうるさかった。

 そして。


「僕には勇気ないな。憧れるけど、絶対ダメだよ。」


 眉間に不快しわを寄せて言ってたのに。


「どういう心境の変化かな。」


 あたしがつぶやくと。


「何か、乗り越えたいから…って言ってた。」


 紅美が、小さな声で言った。


「え?」


「乗り越えたいからって。そしたら、あたしも…何だか開けたくなっちゃって。これぐらいで何かが変わるとは思ってないけど、なんとなく…沙都に背中押されちゃってさ。」


「……」


 沙都、頑張ってるな。


「でもね…」


「何。」


 紅美の、思いだし笑い。


「これ、病院で開けたんだけどさ。」


「うん。」


「あたし、結構怖かったんだよね。痛いのって、嫌いじゃない。」


「ああ…注射も苦手だもんね。」


「そしたら、沙都がさ…」


「うん。」


 何だか…紅美は優しい目。


「紅美ちゃん、手、繋いでていい?って。」


「え?」


「あたしが怖いの、分かってたんだよね。なのに、手、繋いでていい?だもん。」


「…それが、あいつのいいとこよね。」


「まあね。」


 今更ながらに、沙都の存在の大きさに気付く。

 あたしは、紅美を笑わせることはできても…こうやって、優しい目をさせることはできない。

 …さすが、沙都。



「ラヴソング、どう?」


「…泣きそうになりながら、なんとか歌ってる。」


「今日は、しっかり聴かせてもらうよ?」


「緊張するな。」


 首をすくめる紅美の肩に、手をかけて。


「とびきりなの、聴かせてね。」


 低い声で、ささやくと。


「他の人のドラムで気持ちよく歌っても、ヤキモチ妬かないでね?」


 紅美は、あたしの額をついて、そう言ったのよ…。


 * * *


 〇二階堂 紅美


「…紅美ちゃん…」


「…や。」


 待ち合わせのカプリ。

 マキちゃんは、目にいっぱい涙をためて。


「元気…?」


 あたしに、駆け寄った。


「うん。」



 あたしは、夕べ…ようやくマキちゃんに連絡を取った。

 あれだけ心配をかけて、あれだけ世話になったのに。

 あたしは逃げるように帰国してしまった。

 そのお詫びもかねて、今夜はマキちゃんと食事をしようと連絡を取った。



「…ごめんね。連絡もしないで。」


 少しだけうつむいて言うと。


「そんな…」


 マキちゃんは、静かに首を振った。


「あたしこそ…返って紅美ちゃんに辛くなるようなこと…」


「あれは、もういいから。」


「でも…」


「本当に、いいの。」


 マキちゃんを、見つめる。


「まだ、辛いけど…少しずつ冷静になってるから。」


「紅美ちゃん…」


「本当に、大丈夫。それよりあたし、マキちゃんに世話んなりっぱなしだったのに、何もお礼できなくて…」


「何言ってんの?あたしは…」


 マキちゃんが、言葉につまる。


「あたしは…何も…」


「マキちゃん。」


「ごめん…」


 …マキちゃんも、立ち止まったままなんだ。

 あたしが、中途半端なまま、痕を残して帰ってしまったから。



「あたしさ…あの時…」


 あたしは、本音を語り始める。


「?」


「あの時、マキちゃんを追って、車走らせてる時…なんで、こんな余計なことを!? って、頭にきてた。」


「…そ…そうだよね…」


 あたしの言葉に、マキちゃんは絶句。


「でもね、あたしがマキちゃんだったら、同じことしてたよなーって。」


「紅美ちゃん…」


「だって、ほら…友達って、そういうもんだしね。」


「……」


 マキちゃんは、とうとう泣き始めてしまった。

 あたしは、それをなだめるでもなく…静かに見つめる。



「今さ、きっつい仕事やってんだよね。」


 運ばれてきたビール、ジョッキを持ち上げて。


「とりあえず、再会に乾杯。」


 無理やり、マキちゃんにもジョッキを持たせて…カチン。


「きっつい仕事…?」


 涙声のマキちゃんが、ハンカチで涙を拭いて顔をあげた。

 あたしは、ビールを一気に流し込む。


「うはーっ、んまいっ。ああ、うん。きっついの。」


「…どんな?」


「藤堂周子さんって人の、トリビュートアルバム作ってるんだけどね。ノリのいい曲は全部イケたんだけど、ラヴソングがね〜。」


「……」


「泣いてでもいいから、歌えって言われてさ…本当、毎日泣きそうになりながら歌ってる。」


「紅美ちゃん…」


「でもね…」


「?」


「愛を歌うって、こういうことなんだなーって。それなら、今までのあたしの歌って、本当チンケなもんだったなって。あ、来た来た。」


 オーダーしてたカニが、目の前にドサリ。


「食べよ。」


 マキちゃんに言うと。


「…聴かせてくれる?」


 ふいに、マキちゃんが真顔で言った。


「何?」


「紅美ちゃんの歌。」


「……」


 あたしは、カニにかぶりついたまま、マキちゃんを上目遣いに見つめる。

 そして、店の中を見渡して。


「じゃ、デビュー曲を披露するかな。」


 立ち上がる。

 そして、店員さんに声をかけて、ギターを貸してもらって。


「今夜、お集まりのみなさんに、一曲プレゼント。」


 店の真ん中に立つ。

 元々、いい雰囲気のお店。

 あったかい拍手と口笛が響く。

 軽くチューニングをあわせて。


「LOVELY DAYS」


 タイトルを言ってイントロを弾いてると、店の中に…驚いた顔の空ちゃんが見えた。

 …そういえば、空ちゃんもお気に入りの店だったな。

 そんなことを思いながら、あたしは歌い始める。


 なんとなく即興で英語にしてしまった。

 そんな気分だった。

 思いの他、いい感じで歌えてるな…


 …久しぶり。

 こんなに、力を抜いて歌うの。

 そうか…切ない曲も、悲しい曲も、愛しい歌にしてしまえばいいんだよね。

 ほんと、あたしって…シンガーとしても人間としても、まだまだヒヨッコだな…。



「どうも、ありがとう。」


 歌い終えて、軽くお辞儀すると。


「素晴らしかったわ。」


 女の人が、あたしに近付いてキスしてくれた。

 あはは。

 嬉しいや…。


 ギターを返して席に着くと。


「…すごい…トリ肌たっちゃった…」


 マキちゃんは、放心状態。


「何それ。大げさだな。」


 再び、カニに手をつける。


 …空ちゃんのことが気になったけど…

 何だか、振り向けない。


 空ちゃんにも心配かけた。

 それは…わかってるけど…



「紅美ちゃん、本当にシンガーなんだねぇ…」


 やっと、マキちゃんがカニに手をつけた。


「まだまだだけどね。」


 …久しぶりだったな…自分の曲を歌うの。


 あたしは、なんとなくいい気分でマキちゃんと食事をして。

 その夜、新しい詞を書いた…。



 * * *



「紅美。」


 レコーディングも、残すところ三曲。

 明日の譜面をチェックしてるとこに、ちさ兄。


「何?」


「おまえー…カプリって店、知ってるか?」


「ああ、うん。行き着けの店。なかなか美味しいよ。」


 あたしが笑顔で答えると。


「そこで、何かしたのか?」


 ちさ兄は、あごに手を当てて言った。


「…何か?」


「そこのオーナーから、歌いに来てくれないかって電話があった。」


「…え?」


 あたしは、丸い目。


「滞在期間が短いことを知らせたら、すぐにでもスケジュールに組んでくれってさ。何やったんだよ。」


「いや…友達と会って、いい気分になっちゃってさ…デビュー曲をちょっと…」


 ちさ兄は、しばらく黙って何か考えてたけど。


「帰国の前の夜、空いてたよな。幸いDANGERはメンバー揃ってるし…出るか。」


 突然、笑顔になった。


「えっ、いいの?」


「何が。」


「だって…」


「高原さんは、俺に任せるって言ってくれたから。おまえだって、最近人の曲ばっか、しかもギター持たずに歌ってて、ストレス溜まってんだろ?」


 図星。


「早速、メンバーに言って練習しろよ。俺はオーナーと話つけてくる。」


 ちさ兄は、そう言ったかと思うと、早速出かけてしまった。


 …ライヴ…

 うわ…ドキドキして来た。


「あ、紅美ちゃん。」


 別室で練習してた沙都が、ヒョッコリ顔をのぞかせて。


「帰る?」


 いつもの笑顔。


「うん。」


「じゃ、一緒に帰ろー。」



 …沙都は…

 昔みたいに、あたしにくっついてる。

 さすがに泊まりには来ないけど、遅くまで一緒に飲んだりしてくれる。

 …寂しさを沙都で埋めようとしてるみたいで、自分では納得いかない部分もあるけど。



「そう言えば、沙都。すごい事があるんだよ。」


「え?何?」


 カプリでのライヴの事を話そうとしたけど、あまりにも沙都が可愛い顔で見るもんだから…


「…ふふっ。まだ秘密にしとこ。」


 あたしは笑顔で話を逸らした。


「ええ~っ、何だよそれ。気になるじゃん。」


「ま、すぐに分かるよ。ノン君と沙也伽にも話さなきゃ。」


「何…DANGERのこと?」


「そ……」


「…あ。」


 エレベーターを下りて、外に出ると…


「朝子ちゃん…」


 サングラスをかけた、朝子ちゃん。


「…待ってたの。」


 朝子ちゃんは、トーンの低い声でそう言って。


「紅美ちゃんと、二人きりで…話がしたい。」


 あたしの前に立った。


「…いいよ。」


 あたしは、なるべく普通な声。


「紅美ちゃん…」


「そういうわけだから。沙都、また明日ね。」


 沙都を残して事務所を出る。

 少しだけ…息苦しい気がして、小さく深呼吸。



「何か食べに行く?」


 あたしの問いかけに、朝子ちゃんは。


「…そこのカフェでいいわ。」


 相変わらず、低い声で答えた。


 事務所の近くにあるカフェは、恋人同士で賑わってた。

 観葉植物の近くに座った朝子ちゃんの背中に迫る夕暮れを眺めながら。

 あたしは…少しだけ目を閉じた。

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