第13話 「たっだいま〜。」
〇二階堂紅美
「たっだいま〜。」
プライベートルームに入ると、
「紅美!?」
大きな声で、驚いた。
「元気だった?あ、これ、土産。」
あたしがバックからあれこれ出してると。
「まだ早いんじゃないのぉ〜?」
沙也伽が嬉しそうな声で、あたしに抱きついた。
「もー、帰りたくて帰りたくて。速攻でレコーディングすませちゃったよ。こっちは、どう?周子さんトリビュートの方は。」
「すんごい、ハード。」
沙也伽の眉間に、しわ。
「おまえも、覚悟しといた方がいいぜ。」
ノン君も、苦笑い。
「…
部屋を見渡して言うと。
「今、
沙也伽が言った。
「へえ…本当に、大変そうだね。」
あたしが相変わらずバッグから小物を出し続けてると。
「あ〜…疲れ………紅美ちゃんっ!?」
噂の沙都が帰って来て。
「おかえり〜!」
あたしに抱きついた。
「ただいま。」
あたしも笑顔で抱き返す。
「……紅美ちゃん。」
「ん?」
沙都は離れてあたしの顔をジロリ。
「…痩せたね。レコーディング、辛かった?」
って…
「さすが沙都。抱きついただけでわかるなんて。」
沙也伽がニヤニヤしてる。
「そー…っかな。ちょっと体調崩したりしちゃったから、それでかもね。」
少しだけ、目が泳いでしまった。
「もう、大丈夫?」
沙都の笑顔が間近。
…しばらく離れてただけなのに。
沙都は、何だか男っぽくなってる。
「うん。帰ったら安心しちゃってさ、すっかり元気んなっちゃった。」
笑顔を返す。
「じゃ、元気んなった紅美に、これやるよ。」
ノンくんが、分厚い資料みたいなものをロッカーから出した。
「何?」
「チーム表。おまえ、ハードだぜ。」
首をすくめながら、その資料に目を通す。
…なるほど。
これはハードだな。
「いいねえ、毎日歌ってられるなんて。」
あたしは明るい声。
何もかも忘れられるほど、歌っていたい。
空白を作りたくない…
「僕と
「あ、本当だ…へぇ〜、あたしと父さんのもあるや。」
全32曲。
その内の20曲が、あたしのボーカル。
「ここの事務所、女ボーカルって紅美とノン君ママだけだもんねぇ。二人ともハードよね。」
沙也伽のつぶやき。
「でも、おふくろは数少ないから。」
「でも12あるじゃない。
「高原さんが、紅美のイメージの曲が多いからって言ってたよ。」
「ふうん。」
開き始めた楽譜。
前半は、なかなか楽しいロック。
でも…
「…この曲とかって、知花姉の方が良さそうなのに…」
後半に多く出て来る、ラヴソング。
少しだけ、あたしのトーンが下がる。
「ああ…高原さんが紅美ちゃんに試練を与えるって。」
沙都は苦笑い。
あたしも、それについて苦笑いするしかなかった…。
* * *
「ストーップ。」
「……」
ちさ兄が、譜面をテーブルに置いて。
「紅美。やる気あんのか?」
低い声で言った。
「…あるよ。」
「気ぃ抜けたラヴソングほど、みっともないものはないぞ。」
一斉に、スタジオがどよめく。
あたしが参加して一ヶ月。
ノリのいい曲は全て録り終えたというのに…あたしは、ラヴソングで躓いている。
今回は、あたしはあまりギターを手にすることがなくて、それが手持ちぶさたなのもあるけど…
ラヴソングになると、うまく歌えない。
「もう一回、最初から通すぞ。」
このアルバムは、曲によってプロデューサーが分かれてて。
高原さんや朝霧さん、もちろんみんなこだわりがあって…それぞれ厳しかったけど。
この…ちさ兄に関しては、今までのプロデューサーの上をいってる。
いい作品を作りたいのは、あたしだって同じ。
でも…
今のあたしに、この曲は…
「ストーップ。」
サビにきて、またもや、ちさ兄のストップ。
「紅美。」
「……」
「何でダメか、わかるか?」
「…わかんない。あたし、ちゃんと歌ってるじゃない。」
髪の毛をかきあげながら言うと。
「あんな気持ちのこもってない声で、ちゃんと歌ってるなんて言うな!」
ちさ兄が、怒鳴った。
「……」
スタジオ中が静かになってしまって、あたしがちさ兄を見据えてると。
「しばらく来なくていい。おまえがいると、進まない。」
冷たい声。
あたしはしばらく黙ったまま、ちさ兄を見て。
「…わかった。」
低い声で答えると、スタジオを出た。
ちくしょー…
廊下を歩いてると、今の一部始終をブースで見てた沙也伽が出てきて。
「紅美。」
あたしに並んで歩き始めた。
「…何。」
「あんた、何かあったの?」
「……」
歩く速度、少しだけ遅くなってしまった。
沙也伽の顔を見ると。
「部屋、帰ろ。」
沙也伽は、あたしの手を取ってプライベートルームへ向かった…。
「さ。話してみなよ。」
窓の外は夕焼け。
なんとなく…切なくなる。
「本当はさ、ずっとおかしいなーって思ってたんだよね。」
沙也伽は、あたしの前に座って。
「あんたのクセ。辛いことがあると、はしゃぐのって。」
あたしの鼻を人差し指で押した。
「…バレてたか…」
海君以外にもバレてるなんて…あたしって意外と分かりやすいんだな。って、小さく笑う。
「アメリカで、何かあったんだね?」
「何でアメリカ?」
「帰った時から、おかしかったもん。」
「……」
辛いから…笑ってた。
海君のこと、忘れようとして…歌うことにがむしゃらになって。
でも、ちさ兄の言った通り。
…気持ちなんて、こもってない。
「…前さ、沙也伽…言ったよね。」
「ん?」
「あたしに、昔から秘めてる人がいないかって。」
「ああ…うん。」
「あれから、なんとなく…ああ、あたしの好きな人って…って、気付いちゃったんだ。」
「…誰。」
沙也伽は、あたしの発言に意外そうな顔。
「…海君。」
「…海君って…小田切先生?」
わっちゃんと空ちゃんの結婚式で、海君に遭遇した沙也伽は…海君が訳ありで桜花に来てた事を知った。
「そ。」
「…それで?」
「本当はずっと気付かないふりしてたんだと思う。従兄弟だし…海君には許嫁もいるし。でも、海君が桜花に来るようになって、そらには血が繋がってないってわかって…だんだん、あたしの中で海君の存在が大きくなっちゃってさ。」
沙也伽は、黙ってあたしの話を聞いてる。
「そうこうしてると、アメリカに行くって…何も相談しなかったもんだから、許嫁の方から婚約破棄言い渡されて。そしたら、もう歯止めきかないよね。海君…フリーなわけだし…」
「…で、紅美もアメリカ…」
「…すぐには会いにいかなかったんだ。なんとなく…気持ちがセーブできないような気がして…怖くてね。」
「……」
「でも、会いに行ったその日に…あたしは気持ちを抑えられなかった。」
「言ったの?好きって。」
「…ううん。」
夕焼けが、夕闇に変わる。
「あたしが言おうとしたら…続きは俺が言うって。あたしたち…ずっと通じ合ってた…」
「……」
沙也伽が、無言でお茶を入れ始めた。
「それからは、ほとんど毎日…仕事終わったら一緒にいた。これから先のことなんて、全然考えてなくて…でも、すごく充実してた。」
窓に映る、あの日々を語るあたしの顔は、少しだけあの頃と重なってる。
幸せだった…あの頃と…
「そしたら…」
「…?」
「……」
「…飲みなよ。」
あたしが無言でいると、沙也伽が紅茶を渡してくれた。
「サンキュ…」
両手でカップを持って、一口飲む。
思いがけず緊張でもしてたのか、少しだけホッとした。
これから話そうとしてる事は…正直、思い出したくもない事。
…だけど、乗り越えなきゃいけない。
「許嫁の…朝子ちゃんっていうんだけどね。朝子ちゃんが、空ちゃん達と一緒に研修に来たの。」
「アメリカに?」
「うん。」
「それで?」
「海君は、あたしとのこと話そうって言ったんだけど…あたしは、朝子ちゃんに悪い気がして、反対した。」
「……」
「ある日ね、仕事が終わって外に出たら、学会で来てるわっちゃんがいて…みんなで食事しようって、レストランへ連れてってくれたんだ。」
紅茶を飲み干して、指を組む。
「そこで…地震があって…」
手が、震える。
あの瞬間、あたしは何が何だかわからなかったけど…
海君の肩ごしに、走って来る朝子ちゃんの姿が見えた。
あの後…
「…紅美。」
「えっ…?」
「大丈夫?辛いならー…いいよ。」
沙也伽は髪の毛をかきあげて。
「喋って楽になれればなって思ったんだけど、辛いなら、いいから。」
優しい声で言ってくれた。
「……」
あたしは少しだけ考えて。
「でも…乗り越えなきゃいけないから…」
話しだす。
「その地震で、朝子ちゃんは…海君をかばってケガをした。」
目を、閉じる。
あの光景は、きっと…いつまでも忘れられない…
「朝子ちゃんは、顔をケガして…その傷が残ってしまうって…海君は…」
「紅美…」
沙也伽が、あたしの手を握る。
「海君は、あたしより朝子ちゃんを選んだ…」
目を閉じてるのに…涙が止まらない。
「…仕方ないんだよね。朝子ちゃんは、命を懸けて海君を守ったんだもん。海君が朝子ちゃんを選ぶの…当然だよね…」
「…紅美…」
沙也伽が言葉を詰まらせる。
「海君だって辛い…わかってるのに、あたし…海君にひ酷いこと言っちゃって…」
「もう、いいよ…紅美。ごめん…辛いこと喋らせて…」
「ううん、最後まで聞いて…」
あたしは、涙を拭う。
「あたし…妊娠してたんだ…」
「え…っ?」
沙也伽は驚いた顔で、あたしを見つめて。
「妊娠…って…でも…」
あたしのお腹に、目を向けた。
「そんな騒動の中でさ…言えるわけないじゃん。どうしようかなーって悩んでたら…流産しちゃってさ…」
「紅美…」
とうとう、沙也伽はあたしを抱き締めて泣き始めた。
「…朝子ちゃんと同じ病院に…入院したんだ。」
「……」
「海君には絶対知られたくなかった。でも…噂に聞いたみたいで…海君、病室に来て、あたしの手ぇ握って…泣くの…」
「……」
「あたし、寝たふりしてたんだけど…いやんなっちゃったな。あんなに…声を押し殺して…あたし、海君を泣かせちゃってるよ…って…」
窓に映ったあたしは、もう…悲しい顔。
「…あたし、逃げてきたんだ。誰にも内緒で帰ってきたんだもん。」
「…ねえ…」
ふいに、沙也伽が耳元で。
「あたし…あんたに、なんて言えばいい…?」
小さな声で言った。
「…何も言わなくていいよ。」
あたしは小さく笑う。
「何も言わなくてもいい。でも…くじけそうな顔してたら…背中叩いて。」
沙也伽の背中をポンポンとして言うと。
「…ドラマーの力を甘く見ないでよ?」
沙也伽は涙を拭って、あたしの頬をパシパシって叩いたのよ…。
* * *
〇朝霧沙都
「…えらいこと聞いちゃったな。」
ノン君が、口に手をあてて…小声で言った。
僕は、ヒンヤリした頭の中を整理する。
紅美ちゃんが…海君と…
確かに、紅美ちゃんが海君を好きなことは…僕だって気付いてた。
でも…
海君も紅美ちゃんを好きだったなんて…
「…大丈夫か?沙都。」
ノン君が、バツの悪そうな顔で僕をのぞきこむ。
「うっ…うん…」
とは言ったものの…僕は随分動揺してる。
慎太郎さんの時とは違う…
海君は、ずっと昔からの紅美ちゃんの想い人だから。
「誰!?」
ふいに、カーテンが開いて、驚いた顔の沙也伽ちゃんが。
「い…いつからそこに?」
真っ赤な目で、僕らを見た。
紅美ちゃんが部屋を出て行ったから、てっきり沙也伽ちゃんも出て行ったもんだと思ってたのに…甘かった。
「いや…驚かせようと思って隠れてたら…深刻な話になって…」
ノン君が、首をすくめる。
沙也伽ちゃんは、大きく溜息津を吐いて額に手をあてると。
「紅美には、知らん顔してやっててよ?」
強い声で、そう言った。
「もちろん…」
ノン君は髪の毛をかきあげて。
「沙都。」
僕の顔をのぞきこんだ。
「…えっ…?」
「待ってるばかりじゃ、ダメだぞ?」
「……」
言われたことが、よくわからなくて黙ってると。
「今の紅美を支えられるの、おまえだけだと思う。」
ノン君が、僕の額をついた。
「そんな…僕なんかじゃ…」
海君に、かなうわけない。
海君は、僕から見ても憧れてしまうような強い人だし。
「紅美のこと、好きじゃないの?」
沙也伽ちゃんが、赤いままの目で、僕を見つめる。
「す…好きだよ。紅美ちゃんは、僕にとっては…いつまでも一番大切な人なんだから…でも…」
「でも?」
二人に見据えられて、少しばかり退く。
「でも…僕なんかじゃ、海君の代わりには…」
うつむきながら言うと。
「誰が代わりになれって言った?」
ノン君が、僕の髪の毛を鷲づかみにして顔をあげて。
「代わりなんかじゃない。沙都は、沙都だよ。」
って、まっすぐに僕を見て言った。
「そうよ。沙都は沙都らしく、紅美にくっついてれば?」
沙也伽ちゃんは、少しだけ笑顔。
僕は二人を交互に見つめて。
「…わかった。」
覚悟を決める。
「僕、前みたいに紅美ちゃんと一緒にいる。」
僕の言葉に、二人は笑顔。
「紅美ちゃんのためなら…傷ついたっていいや。」
小さくつぶやくと。
「あ。」
沙也伽ちゃんが、思いだしたように言った。
「そのまえに、あんた…今の彼女はどうすんの。」
「あ。」
紅美ちゃんを忘れるため…って言うわけでもないけど。
紅美ちゃんの重荷になりたくなくて、作った彼女。
彼女には申し訳ないけど…
「殴られて来いよ。正直に話して。」
ノン君が、苦笑い。
「うん…」
少し気が重いけど。
これからの僕の人生、紅美ちゃんに捧げるために。
「じゃ、早速行って来る。」
元気よく立ち上がると。
「罪な男だよねぇ…」
沙也伽ちゃんのつぶやきが聞こえてきたんだ…。
* * *
〇二階堂紅美
「…アメリカ録音?」
昨日の今日で、歌わせてはくれないだろうな。って思ってたら。
突然、アメリカ録音を言い渡された。
「エマーソンのラヴソング、かなりいい感じで歌ったらしいな。」
ちさ兄は、未だゴキゲン斜め。
「…ここがいいよ。」
唇を尖らせて言うと。
「もう高原さんがスケジュール組み直した。後半のチーム全員渡米で喜んでるぜ。」
「……」
どうして…
どうして神様は、あたしに試練ばかり与えるの?
あのスタジオは、病院にも…海君の部屋にも近い。
「滞在期間、約一ヶ月。それ以上は延ばせられないぞ。」
「……」
ミキサールームを出かけると。
「紅美。」
ちさ兄が、大きな声で、あたしを呼んだ。
「……?」
ゆっくり振り返ると。
「辛いことを思い出して、泣いてでもいいから歌え。」
ちさ兄は、ペンを持て遊びながら真顔。
あたしは、無言でちさ兄を見つめたあと、小さく頷く。
泣いてでもいいから歌え…か。
そうだよね。
あたしは、シンガーなんだから。
気持ちをこめて歌うのが…仕事なんだから…。
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