第15話 「沙都!」

 〇朝霧沙都



「沙都!」


「あ、空ちゃん…と…」


 トボトボと歩いてると、大声で名前を呼ばれて。

 振り返ると…空ちゃんと…海君。

 …なんとなく、顔が見れない…


「紅美は?」


 空ちゃんが、険しい声で言った。


「紅美ちゃん?紅美ちゃんは…」


「どこ?」


「さっき、朝子ちゃんが来て…」


「……」


 僕の答に、二人は顔を見合わせてる。


「…何かあった?」


 怪訝そうに問いかけると。


「朝子…」


「空。」


 空ちゃんが何か言いかけて、それを海君が止めた。

 僕は、そんな二人のやりとりを見て。


「僕、全部知ってるから…隠さなくていいよ。」


 少しだけ唇を噛みしめて言う。


「えっ?」


「知ってるんだ。」


「……」


 二人は顔を見合わせたあと。


「朝子、病院抜け出して…」


 空ちゃんが、大きく溜息を吐いた。


「抜け出してまで、紅美ちゃんに会ったってわけ?なんで?」


「…写真を、朝子に見られた。」


 海君は、険しい顔。


「写真…」


「紅美との、写真。」


「……」


 僕は…本来なら、海君や空ちゃん、そして朝子ちゃんとは知り逢えてなかった人間だと思う。

 だけど、小さな頃から紅美ちゃんちに入り浸りで…

 紅美ちゃんと学にくっついて、二階堂の『本家』に遊びに行ってる間に…海君達…『紅美ちゃんのイトコ』に出会った。


 そして、そのイトコ達が企てる温泉旅行に連れて行ってもらうと、そこには朝子ちゃんもいた。

 海君の許嫁の、朝子ちゃんが。


 …どうして…こんな事になっちゃったのかな。

 こんな事考えたって仕方ないのに、僕は少しだけブルーな気持ちになりながら、海君と紅美ちゃんの写真って…どんなのだったんだろう。なんて思った。


 海君の事は尊敬してるけど…

 …いや。

 今は、そんな事どうでもいいよね。

 海君どうこうじゃない。

 今の紅美ちゃんを笑顔に出来るのは、僕だけなんだ。



「どこに行ったか、分かる?」


 空ちゃんが、僕の顔を見て言った。


「あ…ううん…でも、歩きだったから…」


「行こ。」


 空ちゃんが駆け出す。

 僕も、空ちゃんに続いて走りだした…。




 * * *


 〇二階堂 海


「いた。」


 空が、カフェにいる二人を見つけた。

 紅美…



「待ってよ、兄貴。」


 近付こうとして、空に止められる。


「何。」


「話させてやろうよ。朝子…勇気を出してここまで来てるんだから。」


「……」


 空の言葉に、動きを止める。


「…こっち。」


 ふいに沙都が手招きして、俺と空は沙都に続く。

 沙都が座った席は、二人の真裏。

 話が筒抜け。


 俺が声を潜めて。


「…盗み聞きか?」


 問いかけると。


「聞きたくない?」


 沙都と空は、同時に言った。


「……」


 無言で、目を泳がせる。

 そりゃ…気になる。

 でも、こんなこと…


「朝子ちゃん、退院したんだ?」


 そこに飛び込んで来た、紅美の声。

 俺達は、身をかがめて聞き耳をたてる。

 …朝子は無言。



「どうしたの?」


 紅美が、問いかけた瞬間。


「これ…」


 朝子が、テーブルの上に…


「…兄貴との写真だ〜…」


 空が、絶望的な声を出した。


「……」


「いつから…?」


「…何。」


「いつから、海君と…」


「……」


 紅美は、写真を眺めて。


「…まだ持ってたんだ…こんなもの。」


 小さく、笑った。


「いつからって聞いてるの!」


 朝子の大声に、店内が少しざわついた。

 …こんな朝子を見るのは、初めてで。

 空も複雑そうな表情で俺を見上げる。


 紅美は、朝子を見つめて。


「アメリカ、来てからだよ。」


 キッパリ。


「ひどい…ひどいわ…」


「ひどい?何で。」


「何でって…あたしが…!」


「最初に海君を捨てたのは、朝子ちゃんでしょ?」


「っ…」


 紅美の淡々とした言い方に、朝子は言葉を失った。


「あたし、あの時聞いたよね。後悔しないの?って。」


「……」


「あたしだって、海君には朝子ちゃんがいるからって、ずっと自分の気持ちに気付かないふりしてたのに…それを気付かせてしまったのは、朝子ちゃんだよ?」


 紅美の口調は…いつもと変わらない。



「…じゃあ…今も…」


「もう、別れた。」


 朝子の遠慮がちな問いかけに、紅美は即答。


「まさか…まさか、あたしのケガのせい…?」


「そうかもね。」


「…同情なんか!」


「じゃ、朝子ちゃんは、海君いらないんだ?」


「……」


 紅美は、腕組をして朝子をジッと見て。


「朝子ちゃんがいらないって言うんなら、あたしは遠慮なく海君をもらう。」


 強い声で言った。


「あ…」


「どうして、サングラスなんかしてんの?」


 そう言われた朝子は少しうつむき加減になったが、紅美はそのサングラスを指ではじいて。


「海君を助けたこと、後悔してんだ?」


 少しだけ意地悪な口調で言った。


「そんな!」


「…愛より強い同情って、あると思う?」


「え…?」


「あたし、海君から朝子ちゃんを選ぶって言われた時…泣いてすがったよ。でも、海君は…朝子ちゃんを選んだ。」


「……」


「海君は、気付いちゃったんだよね…朝子ちゃんの存在に。」


 怠そうに前髪をかきあげる手が…少しだけ、痩せて見えた。



「紅美ちゃん…」


「朝子ちゃんが、こっち来た時…あたし、怖かった。海君が朝子ちゃんの存在の大きさに気付くのが…怖かった。」


 紅美の視線は…写真。


「……」


「とにかく、あたしたちは…もう終わってんの。ま、それでも朝子ちゃんが海君のこと信じられない、いらないって言うんなら…」


「…ない…」


「ん?」


「あげない…」


「……」


「あたしには…海君が必要なの…」


 朝子の、細い声。

 紅美は優しい目で朝子を見て。


「…じゃ、それでいいじゃない。過ぎたことを、いつまでも言うのはなしにしようよ。」


 そう言って…写真を破った。


「それにさ…」


「?」


「あたしと海君、イトコだしね。」


「……」


「じゃあね。」


 紅美が、立ち上がってカフェを出て行く。

 朝子は、破れた写真を呆然と眺めて。


「…紅美ちゃん…」


 小さく、紅美の名前をつぶやいた。



「沙都…紅美を頼む。」


 俺の後ろにいる沙都に、顔を向けずに言うと。


「…うん。」


 沙都は、俺の肩をポンポンと叩いて…走って行った。


「…紅美って、いい女だね。」


 空が、涙を拭う。

 俺は、目を閉じて…紅美との思い出を浮かべていた…。



 * * *


 〇二階堂紅美



「…沙都?」


 朝子ちゃんとのバトル?を終えてアパートに帰ると、部屋の前に…沙都。


「おかえり。」


「…どうしたの。」


「待ってた。やっぱ、一緒にご飯したくて。」


「……」


 今は一人になりたいのに…な。


「…沙都…悪いけど…」


「紅美ちゃん。」


「…え?」


 ふいに、沙都が…


「……」


 長い、キス。



「…何よ、急に。」


 唇が離れて、あたしが少しだけ沙都を睨みながら言うと。


「僕、もう遠慮しないよ。」


 沙都は、何だか…男の目。


「は?」


「紅美ちゃんが好きだよ。この気持ち、全然変わってない。」


「……」


「あの時、最後のキスって言ったこと、すごく後悔した。」


 沙都の言葉でよみがえる…公園の木の下。


「だから、今のは…」


「……」


「始まりのキス。」


 そう言って、沙都は…あたしを強く抱き締めた。


「…沙都、離して。」


「いやだ。」


「離してってば。」


「やだ。」


「…あたしは…あんたを傷付ける。」


「いいよ、それでも。」


「良くない。」


「紅美ちゃん。」


 沙都は、あたしを抱き締めたまま。


「僕、あの頃より随分強くなったんだよ?」


 そう…耳元で言って笑った。


「だから平気だよ。紅美ちゃんのためなら、いくらでも傷付いていいんだ。」


「ずるいよ…あんた。」


「え?」


 あたしは、沙都の胸に体を預けたまま…つぶやく。


「あたしは、今…寂しいのよ。泣きたいのよ。」


「……」


「こんな時に、そんなこと言われたら…」


「いいよ、泣いても。」


「でも、明日には冷たくなってるかもしれないのに?」


「当然、紅美ちゃんなら、ありえることだよね。」


「…バカ…」


 沙都は昔みたいに優しく、あたしの髪の毛をなでながら。


「今夜、泊まっても、い?」


 小さな声で、言ったのよ…。



 * * *



「うっれし〜!」


 沙也伽が大絶叫。

 カプリでのライヴが決定して、あたしたちはレコーディングの合間を見て、練習することになった。


「いきなりアメリカでライヴなんてさ、嬉しいな〜。」


「でも、何の曲やんだよ。俺ら、そんなに持ち曲ないだろ?」


 ノン君の突っ込みに、あたしは首をすくめる。

 確かに。

 デビューしてすぐ、あたしはエマーソンのレコーディングに参加したし。

 今は、トリビュートアルバムだし。

 自分たちの曲って…



「あ、とりあえずさ…新譜、書いたのがあるけど。」


 あたしが譜面を取り出すと。


「おし。やろう。」


 ノン君が早速弾き始めた。


「これ、紅美には少しキー低くないか?」


「ううん、サビはちょうどいいかな。」


「最後、変調して上げれば?」


「そうだね…じゃ、この大サビのところで…」


 スムーズにアレンジが進んでると。


「ところで、沙都はまだ?」


 沙也伽が、スタジオの外を見ながら言った。


「ああ、あいつ今日で最後だっけ。録り。」


「一番厳しい曲だって言ってたから、泣いてるかも。」


「……」


 一斉に、沙都の姿を目に浮かべて笑う。


「あははは。『もう、限界だよ〜』とか言ってそう。」



 夕べ…

 沙都は、あたしの部屋に泊まった。

 ずっと泣いてるあたしを抱き締めて…何も言わずに、ただ…髪の毛をなでてくれてた。

 でも、さすがに沙都のお腹が鳴った時には笑ってしまって。


「…何か、食べよっか。」


 あたしは、笑顔になれた。



 二人でパスタを作って食べて。

 ギターを弾きながら、話をして。

 抱き合って…寝た。



 沙都は、居心地がよくて。

 つい…甘えてしまう。

 慎太郎のことがあった時、寂しいから…辛いからって、沙都に頼っちゃいけないと思った。

 実際、沙都にも…そんなあたしを受け止める強さはなかったと思う。


 でも…

 今の沙都は、なんだか違う。

 あたしの弱さも、わがままも。

 全部…抱き締めてくれる。



「あ〜、やっと終わったよ〜…」


 噂をしてるとこに、クタクタな様子の沙都が入ってきた。


「お疲れー。」


 みんなで、拍手。

 あたしとノン君と沙也伽は、あと二曲ずつ残ってる。


「さ、沙都。早速だけど、この新譜をマスターしてくれ。」


 ノン君が威張りながら言って。


「あ…あ〜…カプリのね。」


 ボロボロになりながらも、沙都は譜面に目を落した。


「あ。」


 沙都が、顔をあげる。


「これ…」


「うん。夕べ書いたやつ。」


 夕べ二人でギターを弾いてる時に、浮かんだ曲。

 あたしは、マキちゃんと再会した夜に書いた詞に、その曲をつけた。


「早速だね。」


 沙都が、嬉しそうにベースラインを弾く。


「あとはどうする?」


 沙也伽の問いかけ。


「うん…エマーソンの曲、やってもいいって許可は出てるんだけどね…」


「えっ、そうなの?じゃ、あれがいいな。『More Than Ever』だっけ。アレンジしてやろうよ。」


「……」


 つい、黙ってしまった。

 沙也伽が言った曲は…


「ああ、かっこいいラヴソングだよな。私の愛はあなたのためだけにあるってやつ?」


 ノン君が、サビの部分を弾き始めた。


 …もう、終わったことじゃない。

 あたし、自分で朝子ちゃんに言ったくせに。


「紅美?」


「…あ、ああ、うん。それでいこうか。」


 取り繕ったように、笑う。

 未だ癒えない傷。


「じゃ、あとは…」


 沙也伽とノン君のやりとりを聞きながら。

 あたしは、海君と行った海岸での事を思い出していた…。

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