第16話 「はい。」

 〇二階堂紅美


「はい。」


 明日の夜には、カプリでライヴ。

 レコーディングも終わって、明後日の帰国の用意をしてると…ドアがノックされた。


『…俺』


 ドアノブに、手をかけたところで…海君の声。


「……」


 少しだけ、ためらって…ドアを開ける。


「遅くに、悪い。」


 大好きな声を、爪先に視線を落としたまま聞いてると。


「少しだけ、いいか?」


 そう切り出されて…


「…うん。」


 あたしはためらいながらも、ドアを大きく開けた。



「…帰るのか?」


 部屋に入ってすぐ、並んだ荷物を見て海君が言った。


「…うん。」


 あたしは、お湯を沸かす。


「いつ。」


「明後日。」


「…そっか…」


「……」


 背中を向けたままだけど…分かる。

 海君は、ずっと…あたしを見てる。



「…朝子に、ありがとな。」


「…何のこと?」


 とぼけた声で答えると。


「これ…」


 海君が、何かを差し出した。

 あたしは、ゆっくり…振り返る。

 海くんの手には、あたしが破ったはずの写真。

 それは…テープで貼ってあった。


「朝子が、貼って返してくれた。」


「…いつまでも、そんなもの持ってるから…」


 無愛想にそう言って、カップを出す。


「…おまえは、捨てたのか?」


「捨てたよ。とっくに。」


 涙が出そう。

 海君の顔を見たら…今すぐにでも、胸に飛び込んでしまいそう…



「…はい。」


 入れたコーヒー。

 顔も見ずに差し出す。


「…サンキュ。」


「……」


 しばらく、沈黙が続いて。


「…おまえを傷付けたこと…本当に…悪かった。」


 海君が、口を開いた。


「でも、俺にとっては…紅美と一緒にいたことは、間違いじゃなかった。だから…辛い想いをさせてしまって、こんなことを言うのも勝手かもしれないけど…」


「……」


「おまえにも、間違いだったとは思ってほしくない。」



 男って、勝手。

 腹が立つくらい、ワガママ。

 でも…好き…



「…もう、いいよ。」


 小さくつぶやくと、海君が顔をあげた。


「もう、終わったことじゃない。」


「紅美…」


「すぐには、笑えない。あたし、そんなに器用じゃないから。」


「…ああ…」


「……」


 再び、長い沈黙。

 コーヒーを飲みながら、時間を持て余してると。


「…そういえばさ…」


 海君が、小さく笑いながら言った。


「俺、アメリカ来る前に、音楽屋の前歩いてて沙都に会ったんだ。」


 あたしは、うつむいたまま話を聞く。


「あの時、あいつ…紅美ちゃんは海君のこと、好きだったんだ。って。」


「…え?」


 つい、顔をあげてしまった。

 海君がうつむいてたおかげで…目は合わずに済んだけど。


「もっとも、本人は気付いてないみたいだけど、僕は…ずっと紅美ちゃんを見てたから、わかるって。」


「……」


 沙都…

 じゃ、もしかして…あたしと海君のことも知ってる…?



「あいつは…すごい奴だよな。負けたなって思うと同時に…」


「……」


 海君は、前髪をかきあげて。


「そこまで、紅美のことわかってるって…嫉妬した。」


「…あたしと沙都には、歴史があるからね。」


 コーヒーを、一口。

 …静かな夜。

 こうしていられるのが、不思議。

 あたし…

 きっと、沙都がいなかったら、今…こんなに落ち着いてない。



「あっ…」


 突然。

 開けっぱなしにしてた窓から、突風。


「あーあー…」


 テーブルの上の譜面が、散らばった。

 海君が、少しだけ笑いながらそれを拾う。


「ご…ごめん…」


 あたしが窓を閉めてると。


「いい……」


 海君が動きを止めた。


「?」


 不思議に思って、海君の手元を見ると。


「…あ…」


 写真!


「っ…!」


 慌てて、海君の手からそれを取る。


「…紅美…」


「…帰って。」


「……」


「す…捨てたと…思ってたのに…」


 もう、だめ。

 涙が止まらない。

 絶対、泣かないって…そう思ってたのに…


「…ありがとう。」


 海君は、小さくつぶやいて、あたしの頭をクシャクシャっとして…立ち上がった。


「…元気で。」


 海君の足音が、ドアに近付く。


「……待って!」


「……」


 あたしは、涙をぬぐって立ち上がる。

 そして、海君の顔を…この部屋に入って初めて真正面から見た。


「……」


 無言で海君の前まで歩いて。


「最後に…お願いがあるの…」


 つぶやく。


「…なんだ?」


「これから、どんなことがあっても…」


「……」


「どんなことがあっても、くじけない…おまじない…」


「紅美…」


「…キスして…」


 涙を我慢して言うと、海君は少しだけ目をうるませて。


「そうだな…俺にも、効果があるしな。」


 あたしの、頬に触れた。


「……」


 ゆっくり…唇が重なる。

 大好きな…海君の唇。

 もう、お別れ。

 この唇が離れたら、あたしたちはまた、元通り…ただのイトコ。



「…ありがと…」


 唇が離れてうつむくと。

 海君は、少しだけ…抱き締めてくれた。

 あたしは、海君の首に腕をまわして問いかける。


「…あたしを、愛してた?」


「…ああ…」


 涙まじりの声。

 あたしは、海君のぬくもりを噛みしめながら、言ってみせた。


「あたしも…愛してた。」



 * * *




「ちわー。織姉いる…あれっ?」


 あたしが本家を訪れると、居間にわっちゃん。


「うっわ、久しぶり。元気だった?」


 ソファーにまたいで座ると、わっちゃんは。


「相変わらず、行儀悪いな。」


 って苦笑い。


「ああ、紅美。いいとこに来た。ちょっと見てて。」


 空ちゃんが、長女の『夕夏ゆうか』をキッチンから連れて来た。


「あっ、紅美ちゃんっ。」


「おっす、夕夏。」


 夕夏があたしの膝に座ると。


「夕夏、パパの膝においで。」


 わっちゃんが夕夏に両手を広げたけど。


「パパはあとで〜。」


 夕夏はそう言って、あたしに甘えた。


「紅美、なんか感じ変わったな。」


「そ?どういうふうに?」


 あたしが短く切った髪の毛をかきあげながら問いかけると。


「きれいんなった。」


「本当〜?」


「ああ。で?今日は?」


 わっちゃんの問いかけに。


「ああ、しき姉に相談があってさ。」


 夕夏の手を持ってバンザイさせながら答える。


「本部に出かけたはずだぜ?」


「あ〜、タイミング悪いな。」


「急ぎか?」


「うー…ん…ま、早い方が都合はいいんだけどね。」


「深刻な問題か?」


 わっちゃんが、あたしの顔をのぞきこむ。


「父さん、説得してもらおうと思ってさ。」


「説得?」


「うん。」


「何の説得?」


 夕夏の髪の毛をクリクリにしながら。


「父さん、あたしを嫁に出したくないみたいなんだよね。」


 つぶやく。


「……」


 わっちゃんは一瞬黙ったあと。


「結婚すんのか⁉︎」


 大声を張り上げた。


「誰?誰が結婚?」


 その大声に、二階にいた空ちゃんが駆け下りて来た。


「いや…紅美が…」


 わっちゃんが驚いた顔のまま言うと。


「えっ、紅美…結婚…?」


 空ちゃんが、眉間にしわを寄せた。



 あの事故から四年。

 朝子ちゃんを恨んで、海君を忘れられずに自暴自棄になった。

 恋愛に臆病になって…色んな人を傷付けた。

 もう恋愛はしない。

 それが率直な気持ちだったのに、結局あたしは弱い人間で…ふらふらと流されては、間違ったり迷ったりして来た。


 誰でもいい。

 あたしの苦しみを、埋めてくれる人なら。

 …そんな苦しみを越えて。

 あたしの恋も、ようやくゴールを迎えそうだ。

 たった一人、あたしの愛する人と。



「えーと…まず、相手が誰かを聞いていいか?」


 わっちゃんが、目を白黒させる。


「えー、今更?」


「いや、だっておまえ…」


 わっちゃんの隣に腰を下ろした空ちゃんが。


「結婚って…紅美…」


 目をウルウルさせて。


「おめでとう…!」


 あたしを、抱きしめた。


「…ありがとう…」


 嫌になるぐらい、曲がりくねったあたしの恋の道。

 傷付いて、傷付けた。

 それも今では…全部笑える。




 それらの経緯は、今度ゆっくり話すことにしよう…。





 20th 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつか出逢ったあなた 20th ヒカリ @gogohikari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ