第11話 「海と紅美が?」
〇二階堂 空
「海と紅美が?」
ネクタイを緩めながら、わっちゃんは丸い目をした。
「うん…なーんか…怪しいのよね。」
「別に、いいんじゃないのか?朝子ちゃんと海は婚約解消したんだろ?」
「でも、朝子はまだ兄貴を好きだよ。」
「…んー…」
わっちゃんが学会で訪米して。
あたしは、こうしてわっちゃんの部屋に来ている。
「イトコったって血は繋がってないし、特にこれって反対材料ないんだけどね。でも…やっぱり朝子がさあ…」
あたしがブルーな声でそう言うと。
「朝子ちゃんは、何で婚約解消を切り出したのかな。」
わっちゃんは、ベッドに座ってテレビのスイッチを入れた。
「ずっと不安だったのよ。兄貴とのハッキリしない関係が。そんなとこに、寝耳に水状態で兄貴にアメリカ勤務の話でしょ?必要とされてないって思ったって仕方ないじゃない。」
「だよなあ…」
「でも、紅美は全部知ってた。仕事に関係ない人間だから、言いやすかったんじゃないの?って笑ってたけど、そうかなあ…って。」
「あー…そうすると…むごいな。」
ふいに、わっちゃんが眉間にしわを寄せた。
「何?」
「
「あ。」
本当だ。
あんなに紅美にベッタリだった沙都は、わっちゃんの甥にあたる。
「とは言っても、沙都は紅美を諦めるためか…最近彼女が出来たって聞いた。それを思えば、自分から別れを切り出した朝子ちゃんには、海達も遠慮しなくていい気がするけど。って、本当に付き合ってんのか?」
「うー…ん…ちょっと核心にせまれないんだよね…なんとなく。怖いような気がして。」
「海に、それとなーく聞いてみようか?」
あたしが相当悲痛な顔をしているのか、わっちゃんが気遣ったような声で言ってくれた。
「…それとなーく?」
「それとなーく。で、これからどうするつもりなのかも。」
「…うん…」
「何だよ。おまえらしくない声出して。」
「だって…」
わっちゃんは、あたしの頭を抱えると、笑いながら言った。
「泉のことブラコンっつってるけど、おまえも充分ブラコンだぜ?」
* * *
〇二階堂 海
「海、ここ。」
学会でやって来たわっちゃんから、突然食事の誘いを受けて。
俺は、こうして待ち合わせのレストランにやって来た。
「あれ?空は?」
「いいじゃないか。男同士でも。」
「まあ…そうだけど。」
なんとなく、不自然な感じがするな。
空はクールなわりに、結婚してからというもの、わっちゃんにベッタリだったのに。
「ここ、ワインが美味いんだってな。」
わっちゃんは、早速ワインを注文する。
「今日、紅美に会って来たよ。」
「え?」
何の前触れもなく、紅美の名前を出されたもんだから、思わず声がうわずってしまった。
「会ったっつっても、スタジオ見学に行ったんだけどー…あいつ、いい女んなったな。バラード歌ってる時なんか、めちゃくちゃ色っぽかった。」
「へえ…」
運ばれてきたワインがグラスに注がれるのを、紅美を思い浮かべながら眺める。
今まで仕事が重なっても、お互いの家に寝泊まりしていたおかげで、会わない日なんてなかった。
でも、三日会ってない。
たかが三日なのに…情けないことに、実は少し息が詰まりそうだ。
「とりあえず、乾杯。」
わっちゃんが、そう言ってグラスを持ち上げて。
カチン。
グラスが心地よく響いた。
「海。」
「ん?」
「紅美とできてんだろ。」
「……」
まっすぐに、わっちゃんを見てしまった。
「…やっぱりな。」
わっちゃんは小さく笑うと。
「何で、みんなに言わない?」
首を傾げて、そう言った。
「…俺は…」
「うん。」
「俺は、言いたいんだ。今すぐにでも。紅美は俺のもんだって…言いたいんだ。」
わっちゃんは、黙って俺の言葉を聞いてくれてる。
「でも、紅美が…朝子のことを気遣って…」
「…いつから好きだった?」
「…いつからかな…」
ワインを一口。
「ずっと昔から、一緒にいて心地いい奴だとは思ってた。でも…意識し始めたのは…桜花に潜り込んでからかな。」
「……」
「どんな辛いことがあっても、どんなに落ち込んでても…あいつが『どうってことないよ』って笑ってくれてたから…俺はここまでこれた。」
俺がそう言いきると。
「…明日の夜、みんなで食事でもするか。」
わっちゃんが、笑顔で言った。
「え?」
「朝子ちゃん、確かに辛いかもしれないけど…早い方がいいだろ。」
「でも、紅美が…」
「俺が言ってやるから。」
「……」
「な?でないと、空も気になって仕方ないみたいだし。」
「空が?」
「ああ。あいつも、相当ブラコンだな。」
…確かに、言うなら早い方がいいかもしれない。
俺は自分に言い聞かせるように、わっちゃんの言葉を繰り返した…。
* * *
〇二階堂 紅美
「…わっちゃん?」
スタジオを出ると、わっちゃんが立ってた。
「よ。」
「えー、どうしたの?ここ、アメリカだよね。」
「学会で来たんだ。昨日、おまえの歌ってるとこ見たぜ?」
「そうなの?声かけてくれればよかったのに。」
「飯食いに行かないか?」
「いいねえ、貧乏だから助かるねえ。」
あたしは、わっちゃんに続く。
「学会、いつまであんの?」
「学会の他に、こっちで受けてる手術があってさ、結構長くいるよ。」
車に乗り込む。
「何だかんだ言って、空ちゃんと一緒にいたいんだねえ。」
「まあな。」
シートベルトしめて、前髪かきあげてると。
「おまえ、きれいんなったな。」
ふいに、わっちゃんの言葉。
「…何も出ないよ?」
「素直に誉めてんだぜ?」
「そ?ありがと。」
「好きな奴、いるんだろ。」
断言されてしまって、思わず絶句してしまった。
今までなら、こんな時…ポーカーフェイスでいられたのに。
最近、少しだけ自分が変わってしまったのがわかる。
赤くなってるんじゃないかな…
何も考えてるわけじゃないのに、頭の中、ごちゃごちゃしてる。
そうこうしてると。
「さ、着いた。」
わっちゃんが、車を止めた。
…もしかして、わっちゃん…知ってる?
海君と仲良しだもんな。
もしかしたら…
「お、みんな来てるな。」
「え?」
わっちゃんの言葉に、お店の中を見ると…
「あー、ここ。」
泉ちゃんが、手を振ってる。
海君も、空ちゃんも…朝子ちゃんもいる。
少しだけ、固まったような顔になってしまった。
みんなで…食事?
…いやだな。
この間みたいな想いは…
「どうした?紅美。入るぞ。」
わっちゃんが、そう言ってドアを…
「きゃ!」
「うわっ!」
突然、大きく景色が揺れ始めた。
「紅美!」
海君が走って来て、あたしを抱き締める。
「伏せて!」
空ちゃんが、わっちゃんに言った。
そして…
「海君!危ない!」
朝子ちゃんの声と……。
* * *
「わっちゃん!どうなの!? 」
手術室から出てきたわっちゃんに、泉ちゃんが駆け寄った。
「…命には別状ないよ。」
わっちゃんの静かな声に、あたしたちは胸をなで下ろした。
大きな地震は、お店の入口にあった豪華な照明を振り落とした。
その下にいたあたし達を…朝子ちゃんは、体を張って助けてくれた。
「…他は?」
ふいに、隣で海君が低い声を出した。
「他は、どう。」
その低い声に…胸騒ぎを覚える。
「…まだ意識が戻らないから、よくわからない。」
手術は、長かった。
朝子ちゃんは、頭だか顔だか…とにかく、首から上…血だらけだった。
命に別状はないって言われても、他が気になるのも当然だ。
「紅美、いいから帰んなよ。明日もレコーディングあるんでしょ?」
空ちゃんが顔をのぞきこんで言ってくれたけど…
「うん…でも…」
こんな状況で帰れるわけがない。
朝子ちゃん…本当に大丈夫なのかな…
「…兄貴、送ってやんなよ。」
あたしが動けずにいると、空ちゃんが海君の背中を押した。
「…え?」
「紅美だってショックに決ってるじゃない。目の前で、あんな…。一人で帰らせるわけ、いかないでしょ?」
「…ああ…」
空ちゃんの言葉に、海君はゆっくりあたしに向き直って。
「行こう。」
そっと…背中に手を添えた。
…広がる不安。
海君、今…何考えてるの?
「…寒くないか?」
外に出ると、海君はあたしの肩を抱き寄せた。
「…うん…」
風が、冷たくあたし達を襲う。
地震の影響なのか…街のあちこちに、落ちた電球や看板を片付ける人がいた。
「……」
泣きたい気持ちを抑えて、海君を見上げる。
「…大丈夫?」
小さく問いかけると。
「こっちのセリフだ。」
海君は…何とか、笑顔。
「おまえ、顔色最悪だぜ?」
「本当?」
「風邪気味だって言ってたよな。」
「大丈夫だよ。」
「…俺の前でまで、無理するなよ。」
「……」
「な?」
「…抱き締めて…」
胸にすがると、海君は優しくあたしの髪の毛をなでて。
「レコーディングが終わったら、一緒にどこか行こう。」
って、耳元で言ったのよ…。
* * *
〇二階堂 海
「兄ちゃん。」
病院に戻ると、いつになく真剣な顔の泉が駈け寄って来た。
「何。」
「朝子についててやってよ。」
「…ああ。」
「朝子、ずっと兄ちゃんのこと…うわごとで呼んでるよ。」
「……」
無言で病室に入ると、わっちゃんが朝子の脈を計りながら俺を振り返った。
「…どう?」
近寄って声をかけると。
「…海。」
わっちゃんは、俺の顔を見ずに。
「顔に…傷が残るかもしれない。」
そう言った。
「…え?」
「もちろん、移植手術をすればキレイになる可能性もある。でも…保証はできない。」
朝子の顔は、包帯で巻かれている。
「ちょうど皮膚科の名医も学会でこっちに来てるから、話してみる。」
「…頼むよ。」
「…みくん…あぶな…」
「朝子…」
「…さっきから、こればっかりだよ。」
「……」
「…あまり気にするな。おまえのせいじゃない。」
わっちゃんはそう言って、俺の肩をポンと叩くと病室を出て行った。
…俺のせいじゃない?
俺のせいじゃないか。
紅美しか見てなかった。
紅美を守りたい一心で、紅美の元へ走った。
自分の身を警戒することなんて…
「朝子…」
朝子の手を握る。
窓からは、かすかに朝の光。
「…みく…ん…?」
ふいに、小さな声が聞こえて顔をあげる。
「朝子…」
「あたし…」
「大丈夫か?どこか、痛むか?」
「うまく…しゃべれな…」
朝子は、俺が手を握ってることに気付いて、言葉を止めた。
両手で、その手を握りしめる。
「…海君…ケガ…ない?」
「ああ。」
「良かった…」
朝子の声に、涙が出そうになった。
「…何で…俺なんかのために…」
「だって…海君がケガしたら…大変じゃない…」
「……」
「…良かった…」
「…もう、喋るな。ゆっくり休め。」
「……」
「……ついてるから。」
俺の言葉に、朝子は少しだけ口元を緩ませた。
朝子の寝顔を見ながら。
俺は…これからのことを考え始めた…。
* * *
〇二階堂 空
「…傷が?」
「ああ。」
病院のカフェ。
兄貴の言葉を聞いて…あたしは小さく溜息を吐いた。
「…どうするの?これから…」
「……」
あたしの問いかけに、兄貴は無言。
そりゃ…悩むよね。
あたしだって、自分が兄貴だったら…
愛してる紅美と別れて、同情で朝子と…なんて…
そんなの、朝子にだって残酷だ。
兄貴は、それを分かってるから…
「…泉は知ってるのか?」
「え?」
「俺と、紅美のこと。」
「…ううん、知らないと思う。」
「……」
兄貴は、ボンヤリと外に目をやって。
「朝子と…結婚しようと思う。」
つぶやいた。
「…えっ?」
「もちろん、今すぐじゃない。でも、こうするのが一番いいと思うんだ。」
「で…でも…」
「……」
「紅美は…どうするの?」
あたしが問いかけると、兄貴は外に目をやったまま。
「明日…レコーディングが終わるんだ。」
って、言った。
「レコーディング終わったら、どこかに行こうって約束した。」
「兄貴…」
「それで…終わりにする。」
「…それでいいの?」
「…今は感謝と同情でも、いつか愛情に変わると思う。」
「……」
「朝子となら、大丈夫だ。」
兄貴は、まるで自分に言い聞かせるみたいにそう言って、また外に目をやった。
あたしは、なんて声をかけていいかわからなくて…
黙ったまま、コーヒーを飲むしかなかった。
* * *
「レコーディング終わったんだ?」
泉が紅美に問いかけた。
「うん。バッチリ。」
朝子の病室には、常に誰かがいて…結構にぎやかだ。
あたしは…兄貴と紅美を目の前に、複雑な気持ちでいる。
「でも、何か顔色悪いね、紅美。」
あたしが紅美の前髪をかきあげて顔をのぞき込むと。
「うん…ちょっと食あたりしちゃってさ。」
少しだけ、痩せた顔を傾げた。
「げっ、くだしちゃってんの?」
「も、大変。食べるもん、全部。」
「もう、泉も紅美も、あんた達女なんだから、一応ここに兄貴とわっちゃんがいるの考えて喋ったら?」
あたしがそう言うと。
「わっちゃんと、お兄ちゃんじゃん。別に、気ぃ使ったってねえ。」
泉は、紅美と顔を見合わせた。
「注射してやろうか?」
わっちゃんが紅美に言うと。
「あ、いいよ。もう平気だから。」
紅美は、明るい声。
「でも、風邪気味だとか言ってただろ?」
「本当、平気。サンキュ。」
レコーディングが終わって安心したのか…ちょっと眠そうな顔になってるな。
「紅美ちゃん、疲れてるんじゃない?そんな時まで、あたしの所なんて来なくていいから帰って休んで?」
朝子が心配そうに言った。
「うーん…じゃ、今日は帰るね。また、来るから。」
「ありがと。」
紅美は手をひらひらさせながら、病室を出た。
「…何か飲むもの買ってこようか。」
兄貴が立ち上がって。
「何がいい?」
あたし達に問いかける。
「じゃ、あたしコーラ。」
泉が朝子のベッドに座って言った。
「朝子はまだ無理かな。」
「オレンジジュースぐらいならいいよ。」
わっちゃんの言葉に、兄貴はポケットの小銭をあさって。
「わっちゃんと空はコーヒーな?」
って、病室を出た。
…つい、わっちゃんと顔を見合わせてしまった。
兄貴の告白を、あたしはわっちゃんに言った。
でも、兄貴が決めたことだから…
あたしたちは、何も言えずにいる。
「…あたし、ちょっとトイレ。」
気になって仕方ない。
あたしは立ち上がって病室を出る。
泉と朝子は、わっちゃんに任せよう。
「……かない。」
病室を出て廊下をつっきってると、紅美の声。
「…何で。」
あたしは、息を潜める。
* * *
〇二階堂 紅美
「レコーディングが終わったら、どこか行くって約束だったろ?」
海君は、少しだけ低い声で言った。
「だから、行かない。」
あたしは即答。
「理由は?」
理由…
怖いからに決まってる。
「…思い出作りみたいじゃない…」
かまをかけてしまった。
海君の答が何か…怖いけど…「まさか。」って、言ってくれる…はず…
「……」
でも、あたしの気持ちとは裏腹に…海君は無言。
「…そうなの?」
驚いた顔で、海君を見上げる。
「紅美…」
「……」
「朝子を、ほっとけないんだ。」
意を決したような顔の海君。
「顔に…傷が残る…」
海君は何を言ってるの?
何を…
「…だから…何?」
だんだん、自分の声が、涙声になっていく。
「顔に傷が残るから、朝子ちゃんを選ぶの!?」
一気に頭に血が上ってしまった。
「紅美、落ち着けよ。」
「どうして!?あたしを…あたしを愛してるって…!」
「紅美…」
海君が、あたしを抱き締めた。
大好きな腕。
あたしを愛してるって、守ってくれるって…
「どうして…?」
「…朝子には…一人で立ち直れるほどの強さがない。」
「あたしだって…あたしだって、そんなに強くなんか!」
「俺のせいなんだ。朝子の顔の傷は…俺のせいなんだ。」
「あたしの心に傷を残しても!?」
「……」
つい、言ってはいけない言葉を出してしまった。
海君は、あたしを抱き締めてた腕を緩めると、静かに離れた。
「…海君…」
「…悪い…」
「……」
「おまえに…こんな想いさせるのは…」
「…もういい。」
涙が、ポロポロこぼれて。
あたしは口唇をかみしめる。
「気付かなきゃ良かった…海君を好きだなんて…」
海君だって、辛い。
わかってるのに…あたしの口からは、憎しみめいた言葉しか出てこない。
「あたし…」
「……」
「あたし、海君の…」
「……」
言いかけて、やめる。
海君は、ずっと無言。
あたしはあふれる涙をぬぐって。
「…さよなら。」
低い声でそう言うと、駆け出した。
…イヤ。
朝子ちゃんを憎んでる、海君を憎んでる自分がイヤ!
あたしはそのまま駅に向かった。
そして…。
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