第10話 「紅美ちゃんっ!?」

 〇二階堂 海


「紅美ちゃんっ!?」


 紅美の家出中の仲間、マキちゃんが紅美を見て驚いた顔。


「や。本当に来ちゃったよ。」


 紅美は満面の笑み。


「ほほほ本当にって、何?何で?」


「レコーディングなんだ。来年の五月発売かな。」


「うっそー!あ、入って?あ………」


 紅美しか目に入ってなかったマキちゃんは、突然俺を見て固まった。


「二階堂 海といいます。紅美がお世話になりました。」


「はあ…二階堂って…」


「戸籍上、イトコなんだけどね。」


 紅美は意味深な笑顔。

 マキちゃんは、ジロジロと俺を見て。


「あ、そのセクシーぼくろ…」


 なんてことを言って、紅美に。


「もしかして。」


 問いかけた。


「うん。」


 何やら紅美は、照れ笑いなんぞしている。


「きゃ〜っ!良かった〜!」


 マキちゃんは紅美に抱きつくと。


「嬉しいよ!ほんっとに嬉しい!」


 大きな声でそう言った。


 確か…

 この子は英語に目覚めて、英会話教室に通ってた子だな。

 仕事は小さな建設会社の事務だったはず。


「旦那さんは?」


 紅美の問いかけに。


「今、買物に行ってくれてる。もうすぐ帰ってくるから、お茶でも飲んでよ?」


 マキちゃんは紅美の手をひいた。

 俺も続いて中に入る。


「で?いつ?」


 イスに座ってすぐ、マキちゃんがそんなことを言って、俺たちは顔を見合わせる。


「いつって?」


「もう。いつ、そんな関係になったかっての。」


「そんな関係って…」


 紅美が口唇をとがらせて。


「マキちゃんて、露骨だな。」


 目の前に出されたオレンジを剥き始めた。


「あ、帰って来た。」


 ふいに車が止まる音がして、続いて犬の鳴き声。


「あ、犬飼ってんの?」


「うん。ハスキー。」


「かっこい〜。遊んでい?」


「うん。」


 旦那さんが帰って来て、マキちゃんが。


「これが旦那さんのマイク。マイク、友達の紅美と、彼氏の海。」


 紹介する。

 俺と紅美はキョトンとして。


「…旦那さん、日本語…」


 俺たちの問いかけに、マキちゃんは。


「えへへ。ペラぺラなのよ。」


 首をすくめて笑った。



 * * :


「あはは!おりこうだねぇ!鈴木くん!」


 紅美が庭でハスキーの「鈴木くん」とじゃれる。

 鈴木くんとは、マキちゃんとマイクの縁結びをしてくれた男の子の名字だそうだ。


「良かった。紅美ちゃん幸せそうで。」


 紅美を眺めながら、マキちゃんがつぶやいた。


「…君が言った?俺が紅美のこと探してたの。」


 俺が低い声で言うと。


「あはは…バレたか。」


 マキちゃんは照れ笑い。


「でも店で会ったことはないよね。」


「うん。ルミって子が見て「かっこいい」って騒いでたの。ここにホクロがあるって聞いてたから、紅美ちゃんに言ったらすぐわかったみたい。」


 マキちゃんの手は、左の目元。


「あの時、紅美ちゃんすごく嬉しそうだった。」


「……」


 マキちゃんの言葉に、思わず目元が緩む。


「…これ、内緒ね?」


「ん?」


 ふいに、マキちゃんがいたずらな目で言った。


「紅美ちゃん、あの時…その目元にホクロのある人のこと、ずーっと昔から好きみたい、って。」


「…え。」


 キョトンとしてしまった。

 紅美の性格からして、こういうことを他人に言ってるとは…


「でも、戸籍上イトコだし、相手のいる人だから何も望んでないって。ただ、自分の気持ちに気付いてしまったから…これからそれをどうやって消化していこうかなーって。辛いけど、自分の中にそういう部分ができたのを楽しんでるみたいだった。」


「……」


 しばし感動。

 紅美は、何に対してもクールな印象が強い。

 だから、人にこうして俺への想いを語ってるなんて…

 一瞬のうちに体が熱くなってしまった。


「うふふ。幸せそうね?」


 おそらく少し赤くなっているであろう、俺の顔を見てマキちゃんが笑った。


「申し訳ないほどね。」


 そう言って照れ笑い。

 庭の紅美に目をやる…と。


「あれ?紅美がいない。」


 キョロキョロして、マキちゃんを振り返る。

 すると、そのマキちゃんの後ろで腕組をした紅美が。


「…どうやら、マキちゃんには内緒話はできないようだね。」


 って、低い声でそう言った。


 * * *



「あはは。いつの間に撮ったんだろうね、この写真。」


 マキちゃんから送られて来た写真を前に、紅美は破顔。


「彼女も、なかなかあなどれない人間だな。」


 一緒にベッドに寝転んで、写真を眺める。

 仕事もプライベートも充実している今、俺は最高に幸せだったりする。


 今まで、仕事が充実すればそれだけでいいと思っていた。

 何より仕事は好きだし、いずれ自分が背負って行くものに対しての責任もある。

 大げさに言うと、仕事のために生まれて、そのために生きて行く事に躊躇いは無かった。


 …そんな俺が…

 紅美には、正直…骨抜きにされている。


「あ、これ俺もらっていいか?」


 紅美とのツーショット。

 座ってる紅美を後ろから抱き締めてる俺。

 いつの間に…


「鈴木くんとのツーショットもあるよ?」


「それはおまえにやる。」


「あたしもそれが欲しいのに。」


「じゃ、焼いとくよ。ネガなくてもできるとこで。」


「うん。」


「あ、これもくれ。」


 俺が手にしたのは、満面の笑みの紅美。


「…こんな破顔?」


「かわいいじゃん。でっけぇ口。」


「もう!」


 クッションで、頭を殴られる。


「やったなっ?」


 紅美の肩をつかんで押し倒す。


「…明日、何時から事務所へ?」


 低い声で問いかけると。


「…残念ながら休み。」


 紅美も低い声で答えた。


「そっか…」


「海君は?」


「俺も残念ながら休み。」


「……」


「……」


 お互い黙ったまま見つめ合って。


「せっかくだから、旅にでも出るか。」


 突然のように、旅支度を始めて車を走らせた…。



 * * *



「うっわ〜!真っ青!」


 紅美が海岸を走る。


「すっごい!きれい〜!」


 笑顔の紅美を見ると、俺も嬉しくなる。

 夜通し車を走らせて、やって来た海。

 朝日に輝く波間に、紅美の笑顔が映える。

 大きくのびをして寝転ぶと。


「…老体には堪えたかな?」


 紅美が、ニヤニヤしながら俺をのぞきこんだ。


「誰が老体だ。誰が。」


 紅美の手をひいて、抱き寄せる。

 柔らかい髪の毛が、頬にあたってくすぐったい。


「…昨日ね。」


「ああ。」


 俺の胸に顔を埋めたままの紅美が、つぶやいた。


「ラブソングを歌ったんだ。」


「へえ…おまえが?」


「うん。最初は歌いにくいよな〜って思ってたんだよね。」


 紅美の作る曲に、ラブソングはないらしい。


「実際、練習の時にエマーソンが「恋したことないのか〜っ?」って頭抱えてたもん。」


「あはは。大丈夫なのかよ、そんなので。」


「いい曲なんだよね。英語の歌詞なんだけど、単語の一つ一つが愛してるって言ってるみたいな曲。」


「どんな内容?」


「…単純に言えば、私の愛はあなたのためだけにあるって感じの歌。」


 俺は紅美を抱き締めたまま起き上がる。


「歌ってくれよ。」


「…ここで?」


「ああ。」


「…このまま?」


「このまま。」


 俺がそう言うと、紅美は小さく歌い始めた。

 時々かすれるその声を、愛しいと感じた。

 俺は紅美を強く抱き締めると。


「…俺の気持ちみたいな歌だな…」


 小さくつぶやいてみせる。

 すると、紅美は少しだけ意地悪そうな目で俺を見上げて。


「おっさん、意外とロマンチストなんだね。」


 って笑ったんだ…。



 * * *

 〇二階堂紅美


「すごい、きれいだね。」


 クリスマスイヴ。

 教会へ続く人の波を見て、つぶやく。

 灯されたキャンドルの火が、ゆっくり揺れて不思議な気持ちになる。


「おまえ、明日仕事だろ?もう休め。」


 海君があたしの頭にパジャマを乗せた。


「せっかくのイヴなのに。」


「睡眠不足は喉に良くないんだろ?」


「……」


 口唇をとがらせて海君を振り返る。


 今夜、あたしたちはレストランで軽くディナーをして、海君の部屋に帰って来た。

 別に一緒に暮らしてるわけじゃないけど…

 海くんの部屋も、あたしの部屋も、お互いがいつでも泊まれるような設定になっている。


「朝起きたら、サンタからプレゼントがあるかも、だぜ?」


「…本当?」


 ベッドメイクをしてる海君に問いかける。


「あたし、車が欲しいんだよね〜。」


「…サンタにも予算があります。」


「あと、バイクの免許取ろうかな〜、なんて思ってるから、父さんが乗ってるようなバイクも欲しいし。」


「さ、寝るぞ。」


 さっさとパジャマに着替えてた海君は、一人でベッドに入ってしまった。


「……」


 あたしも、しぶしぶパジャマに着替える。

 海君の隣に入り込むと、海君はすでに熟睡状態。

 …最近忙しそうだもんなあ。

 こうやって、あたしにつきあってくれてるだけでも感謝しなきゃいけないか。


「…おやすみ。」


 海君の頬に、軽くキス。

 枕に深く頭を埋めると、すぐに眠気がやってきた。


 遠くから聞こえてくるジングルベルが、優しい夢を見させてくれるような気がする。

 心地いい温もりの中で、ぐっすり眠って。

 次の朝…

 あたしの右手の薬指には、サンタさんからのプレゼントが輝いていた…。



 * * *


「紅美ー。」


「…えっ…」


 それは、突然やって来た。

 あたしのレコーディングも佳境に入ってきた1月。

 スタジオの廊下で、空ちゃんと泉ちゃんと…朝子ちゃん。


「ど…どうしたの?」


 あたしが問いかけると。


「研修。」


 泉ちゃんが笑いながら答えた。


「…朝子ちゃんも?」


 二階堂の仕事とは関係のない朝子ちゃんに問いかけると。


「ああ、今度ね、二階堂に託児所作ることになって、その研修なんだ。」


 朝子ちゃんの代わりに、空ちゃんが答えた。


「へえ…研修って、どのくらい?」


「三ヶ月くらいかな。」


「英語に大きな不安があるんだけどね。」


「いいじゃん。兄ちゃんに助けてもらえばいいんだから。」


 ズキン


 何だろ…胸が痛んだ。


 泉ちゃんの何気ない言葉に、朝子ちゃんは少しだけ赤くなった。

 朝子ちゃん…

 まだ、海君のこと…


「ところで、紅美うまくなったね。びっくりしたよ。」


「…えっ?」


 空ちゃんの言葉に、驚いて肩を揺らす。


「紅美のラヴソングなんて、珍しいよね。」


「あ…あたしのじゃなくて。作者はエマーソンだよ?」


「でも、歌い方とか、色っぽかったな。彼氏でもできたかぁ?」


「あはは…」


 さりげなく、右手を隠す。


「…兄貴に会った?」


 空ちゃんが、首を傾げて問いかける。


「うん。あたし貧乏だから、ご飯食べさせてーって。」


「彼女、できたとか言ってなかった?」


 泉ちゃんの、探るような目。


「忙しくて、それどころじゃないって言ってたけど…」


「やったね、朝子。」


「そ…そんな、あたしは…」


 ……


 三ヶ月ってことは…あたしが帰国してからも、こっちにいるってことか…

 突然、嫉妬にかられてしまった。

 今までは、こんなことなかったのに…


「紅美も行かない?」


 ふいに泉ちゃんが、あたしの顔をのぞき込む。


「どこに?」


「食事。兄ちゃんと待ち合わせしてるんだ。」


「あ…あー…」


「行こうよー。」


「…うん。」


 あたしは、泉ちゃんの誘いを断わることができなくて。

 浮かない気分のまま、三人の後に続いた…。



 * * *


「はー…」


 部屋に帰って、溜息。

 結局、みんなで食事をして…今夜は海君ちに泊まるつもりだったんだけど…帰ってきてしまった。

 何だか、空ちゃんの目が光ってるような気がして。

 …あたしたち、どうなるのかな。

 今まで、そんなこと考えてもみなかったけど…


 ベッドに寝転んで、天井を見つめる。


 …レストランで、泉ちゃんが朝子ちゃんを海君の隣に座らせた。

 向かいにいたあたしは、海君の一言一言で照れてる朝子ちゃんを見るのが辛くて…


「紅美。」


 ふいに、海君がドアを開けて入って来た。


「…ノックもしないで。」


 寝転んだまま、そう言うと。


「今日、うちに泊まるんじゃなかったのか?」


 海君はベッドの脇に座った。


「…だって…」


「何。」


「空ちゃん、するどいから…」


「……」


 海君は、あたしに覆い被さると。


「みんなに、言おう。」


 耳元で言った。


「…何?」


「俺らのこと。」


「……」


 あたしは無言で起き上がる。


「…紅美?」


「だって…朝子ちゃん、まだ海君のこと好きだよ。」


「……」


「海君だって、わかったでしょ?」


 あたしの言葉に、海君は起き上がりながら髪の毛をかきあげて。


「じゃあ、ずっと隠したままか?」


 って…低い声。


「海君は平気なの?」


 つい、冷たい口調になってしまった。

 海君は大きくため息をつくと。


「じゃ、おまえはこのまま朝子に思わせぶりな態度を取れって言うのか?」


 投げやりに…そう言った。


「そんな、思わせぶりなんて…普通にしてればいいじゃない。」


「俺が普通にしてても、泉や空がいれば、はやしたてる。」


「……」


「俺の意志に関係なく、思わせぶりになったりもする。」


「でも、三ヶ月もこっちにいるんだよ?朝子ちゃん…」


「…おまえは平気なのか?」


「え?」


 海君の真剣な声に、思わず緊張する。


「俺と朝子が…」


「……」


「…やめよう。」


「続けてよ。」


「悪い。どうかしてるな、俺も。」


「どうして?何なの?海君と朝子ちゃんが何?」


「紅美。」


「何なのよ…」


 涙があふれて、止まらない。

 不安で不安で…


「…悪かった。」


 海君はあたしを抱き締めると。


「愛してる…」


 額にキス。


「今夜、泊まっていいか?」


 頬にキス。


「…イヤって言ったら?」


 あたしが小さな声でそう言うと。


「泣くかもしれない。」


 って、真顔で言うから…笑ってしまった。


「ずっと一緒にいたい。」


 そう言った海君の指が、あたしの髪の毛をかきあげる。


「…無理だよ…」


「どうして。」


「だって…」


「……」


 海君は、あたしをベッドに押し倒すと。


「おまえが嫌がっても、今夜は離さない。」


 って笑ったのよ…。



 * * *


 〇二階堂 空



「ねえ、兄ちゃんさ、なんかいい男になったと思わない?」


 泉がベッドの上に胡坐をかいて言った。


「自分の兄貴つかまえて、いい男っつってもねえ…」


「なあんで〜。」


 さすがは、ブラコン。

 と思わせるような、泉ならではの発言に笑う。

 朝子はドレッサーの前で、ボンヤリ髪の毛をとかしてる。


 …確かに。

 久しぶりに会った兄貴は、何だか輝いて見えた。

 念願のアメリカ勤務だから…って、それだけじゃないような気がする。


 誰も気付かなかったかもしれないけど…紅美に向ける視線。

 …何か違うような気がする。

 戸籍上はイトコだけど…実際血はつながってないんだし。

 誰にも愚痴らない兄貴が、紅美にだけは気を許してる。

 朝子からは婚約破棄を言い渡された。

 もう…誰にも遠慮なく恋愛もできる。


 紅美だって…キレイになった。

 もしかして、あの二人…


「姉ちゃん、何難しい顔してんの?」


 ふいに、泉があたしをのぞきこむ。


「…別に。」


「わっちゃんのことが気になんの?」


「明後日学会でこっちに来るもの。」


「あーあ、アメリカでまで逢引だなんて、すごいねえ。」


「すごいでしょう?」


「ちぇっ。」


 こんなこと、泉には相談できないもんな。

 やっぱり、口の固い愛する旦那に相談するしかないか。


 紅美の右手の薬指。

 指輪が光ってた。

 今までの紅美なら。


「ギター弾くのに邪魔だから。」


 って、指輪なんてしなかったと思う。


「もう寝ようよー。明日早いし。」


 泉が布団をかぶりながら言った。


「…そうだね。」


 あたしは、もやもやした気持ちのまま、ベッドに入った…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る