第9話 「アメリカ?」

 〇二階堂紅美


「…アメリカ?」


 間抜けな声を出してしまった。


 先月華月かづきちゃんが帰国して同じ事務所に入ったもんだから、あたしは毎日が楽しくて仕方ない。

 なのに、突然…この話。


「なんで?なんで、あたしだけ?」


 高原さんに、食ってかかる。


「向こうのエージェントから、半年ほど契約してくれないかって。」


「どうして。」


「ジェシー・エマーソンが、直々におまえを指名したらしい。」


「…指名?」


「人生最後のプロデュースは、紅美のソロをって。」


「……」


「すっごいじゃん!紅美!」


 沙也伽さやかがあたしの肩を揺さぶる。


「やったね!」


 続いて沙都さとが、あたしの手を握った。

 でも、あたしはピンとこない。

 ジェシー・エマーソンっつったら、超大物プロデューサーじゃん。


「なんで、あたしみたいなヒヨっ子を…?」


「何でも、彼の亡くなった奥さんの声にそっくりらしい。」


「あたしの声が?」


「ああ。」


「それだけの理由で、あたしが最後のシンガー?やだなあ…なんか。」


 ギターのチューニングをしながら、眉間にしわ。


「立派な理由じゃないか。」


 ノンくんが腕を組んで言った。


「…でも、半年も向こうだなんてさ…」


 せっかくデビューしたのに。

 みんなと離ればなれなんて。


「バンドのこと気にしてるんなら、心配は要らない。」


 高原さんが、笑顔で言った。


「?」


「今から、みんな忙しくなるから。」


「何。」


「紅美は向こうから帰ってからぐらいが、ちょうど忙しくなるな。ボーカルの録りは最後だから。」


「……?」


 話が見えなくて、みんなと顔を見合わせてると。


「トリビュートアルバムを作るんだ。」


 笑顔。


「トリビュートアルバム?」


「ああ。」


「誰の。」


 あたしの問いかけに、高原さんは優しい目になって。


周子しゅうこ藤堂とうどう 周子しゅうこトリビュート。」


 って…


 藤堂周子さんとは、高原さんの奥さんで七年前に病気で亡くなった。

 作詞家として、数々の作品を世に送り続けて来られた。

 父さんのバンドも、何曲かアルバムに入れている。


「それで、せっかくトリビュートするなら、事務所のメンバーみんなでやりたいなってことになってな。」


 あ。

 事務所を揚げての大イベントって…これなんだ。


「一曲ずつメンバーが違うんだ。刺激があっていいだろ。」


「それって、アレンジなんかは?」


「そのメンバーで話して決める。」


「…じゃ、それって僕と希世きよちゃんが一緒になったりするってこと?」


 沙都の問いかけ。


「ああ、あるよ。華音かのん知花ちはなが一緒のもあったな。」


「…すごい斬新な企画…」


 沙也伽がウットリしてる。


「すっげ…じゃ、朝霧あさぎりさんと一緒にギター弾いたり?」


「もちろん。」


「あたしと父さんのも?」


「あるある。」


 信じられない企画に、みんなは盛り上がってる。

 …確かに、すごいことだけど…


「紅美、アメリカの話、受けるだろ?」


 ふいに、高原さんに問いかけられる。


「…すぐ返事しないとダメ?」


 あたしが渋ると。


「何で悩むんだよ。」


「行ってきなって。」


「光栄なことじゃない。あたしたちだって鼻が高いわよ。」


 みんながそれぞれそんなことを言って。

 あたしは、引き受けざるを得なくなってしまったのよ…。



 * * *



「…え………っ。」


「…や。」


「……紅美?」


 目の前の海君は、超驚いた顔。


 九月。

 アメリカに来て十日。

 あたしは何の前触れもなく、海君を訪問した。


「おま…おまえ、何でここに?」


「レコーディング。」


「本当かよ。」


「信じられないけどね。」


「まあ、入れよ。」


「おじゃましまーす。」


 海君に続いて中に入る。

 相変わらず仕事の虫というか、勉強好きというか。

 部屋は本や辞書が山積み。


「全室書斎って感じだね。」


 あたしが笑うと。


「寝てるか仕事してるかだからな。」


 海君は笑いながらコーヒーを入れてくれた。


「あ、サンキュ。」


「レコーディングって、みんなと一緒に来たのか?」


 本を片付けながら、海君が言った。


「ううん。あたしだけ、半年契約で。」


「おまえだけ?」


「うん。ジェシー・エマーソンのラストアルバムを、あたしが飾ることになっちゃって。」


「へえ…それって、ゲイリー・イアンをプロデュースした人だろ?」


「あれ、知ってんの?」


「そこまでの有名人ならな。ほら、こっち座れよ。」


 立ったままのあたしに、手招き。

 言われた通り、スペースのできたソファーに座る。


「大抜擢だな。」


「うん。ちょっとばかしプレッシャーなんだけどね。」


「おまえが?」


「そりゃ、世界のエマーソンだよ?」


「もうレコーディング入ってんのか?」


「まだレッスンに入ったばっか。でも勉強になる。発声の仕方とかさ…これ終わったら、また大仕事が待ってるし。」


「何。」


「藤堂周子トリビュート。」


「それも凄いな。」


「でしょ。」


 海君は伸びた髪の毛をかきあげると。


沙都さとが寂しがってるだろ。」


 笑いながら言った。


「さあね。行って来いって一番言ってたけど。」


「あいつにとっては、自慢の紅美ちゃん、だからな。」


 何だか…

 異国にいるせいか、海君は、なんとなく解放的。

 前みたいなガチガチなガードがない。


「彼女できた?」


 手元の辞書を眺めながら問いかけると。


「ぜーんぜん、そんなヒマない。」


 海君は首をすくめた。


「…朝子ちゃんのこと、聞いた。」


「ああ……仕方ないよな、ふられても。俺、朝子のこと全然わかってやってなかったから。」


「海君が、ふられたの?」


「そ。待たないからって言われた。」


「…でも、朝子ちゃん…きっと、まだ…」


「これでいいんだ。」


 あたしの言葉をさえぎるように、海君が言った。


「朝子には悪いけど…今の俺には朝子を受け止めてやれない。」


「…どうして?」


「……」


 何だかお互いがブルーになってしまって、あたしは話題を反らす。


「仕事…忙しい?」


「ああ…でも、楽しい。」


「日本のより?」


「こっちじゃヤクザ装う必要ないし。何か…気分的に楽なんだ。」


「なるほどね。二階堂も秘密組織じゃなくなればいいのにね。」


「いつかは、そうしたいと思ってる。」


「…そうなの?」


「ああ。」


 海君は、まっすぐな目。


 …雰囲気変わったな。

 すごく自信がついたっていうか…

 たった五ヶ月なのに。

 前よりずっと…魅力的な感じ。



「…何。」


 あたしがジッと見てると、海君が怪訝そうな顔で言った。


「ううん。いい男になったなーって。」


 首を傾げて真顔で言うと。


「何が欲しいんだ?」


 海君は笑いながら、あたしの頭をクシャクシャにした。


 触れるその手が、優しい声が。

 あたしの中に閉じ込めてた想いを…



「…が欲しい…」


「…あ?」


 だめ。

 あたし、何言ってんの?

 こんなこと…


「言っとくけど、俺は今、貧乏だからな。」


 海君が笑いながらそう言うんだけど…

 あたしはうつむいたまま、言葉と気持ちを抑えるのに必死だった。

 そんなあたしを見て…不審に思ったのか。


「…紅美?」


 海君が…あたしの顔を覗き込む。


「…海君…」


「ん?」


「……」


「どうした?調子でも悪いのか?」


 あたしが顔を上げると…正面から目が合って…


「……紅美?」


「海君が…欲しい。」


 抑えきれなくなってしまった。

 …こんな事…言ってしまうなんて…


「…紅美…」


 海君は…今まで見た事ないほど、驚いた顔。

 でも、すぐに小さく笑うと。


「からかうなよ。危うく本気にするとこだったぜ?」


 って、あたしから離れた。


「ふられたばっかの独身男には、キツイ冗……」


 あたしの、瞬きしない目からこぼれる涙を見て、海君の言葉が止まる。


「…紅美…」


「何が欲しい?って…聞いたのは、海君じゃない…」


「……」


「あたし、ずっと素直になりたかった…でも、朝子ちゃんのこととかあって言えなかった…気付かないふりしてた。」


「……」


 あたしの言葉に海君は黙ったまま。


「アメリカに来いって言ってくれた時…今度会えたら…って…」


「もう、いい。」


 ふいに、海君はあたしの手からコーヒーカップを取ってテーブルに置いた。


「どうして?あたしは…え…っ…」


 突然抱き締められて…あたしは動けなくなる。


「…海君…?」


「言わなくていい。続きは、俺が言う。」


 強く抱き締められて、耳元で海君の声。


「…海君…」


「ずっと昔から…おまえが好きだった。おまえのそばにいると自分が自分に戻れるような気がして、唯一安らげる場所だって思ってた。」


「……」


 背中にまわした手に力をこめる。


「あたし達…ずっと通じ合ってた?」


「…ああ。」


「ほんとに…?」


「…本当に。」


 重なる口唇。

 ずっと欲しかったぬくもり。

 沙都とは違う、慎太郎とも違う…

 ずっとずっと、昔から欲しかったぬくもり。


 信じられない…

 海君は、朝子ちゃんのもので…

 あたしなんて、到底手の届かない従兄弟で…って。


「紅美…」


 唇が離れて、海君があたしの頬に手を当てて。

 じっ…と、あたしを見つめる。

 …今までと違う。

 今までみたいな、あたしをからかったり、説教したりの目じゃない。


「…愛してる。」


 …そう言われて。

 驚く程の喜びが湧いた。

 涙が、止まらない。


「あ…あたし…も。」


 海君は優しく涙をぬぐってくれて、何度もキスをしてくれた。

 もう…あたし、無理だ。

 壊れちゃいそうなぐらい、海君の事、好きだ。



 背中に回した手に、ギュッと力を入れる。

 だんだんキスが深くなって…

 海君は、あたしを抱えてベッドに下ろした。


「…ダメだな。」


「え…?何?」


「こういう時、大事にしたいからって言わなきゃいけないのかな。」


「……?」


 分かんなくて、黙ったまま海君を見つめる。


「紅美が欲しくて仕方ない。…いいか?」


「……」


 あたしは、ビックリした顔の後…真っ赤になったと思う。

 海君が…こんな事言ってくれるなんて…


「…あたしが…先に、海君を欲しがったんだよ?」


 抱きつきながら言うと。


「体だけだったのか?」


 耳元で、クスクス笑う海君。


「…それでもいっかなって…思ったのに…まさかだよ…」


「…俺だって…」


 首筋に、海君の唇。

 ああ…どうしよ…

 初めて、こんな気持ちになった。

 あたし、海君の好みの体してるかな…


「…あっ…」


「…紅美…」


「……」


「…きれいだ…」


 嬉しくて…嬉しくて。

 あたしは、この夜を一生忘れない。


 そう、思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る