第6話 「海、結婚式のことだけど。」

 〇二階堂 空


うみ、結婚式の事だけど。」


 母さんが兄貴にそう言うと。

 兄貴は資料に落としてた視線を上げて…少し困った顔をした。


「…どうしたの?難しい顔して。」


「…そのことなんだけど…」


 兄貴のただならぬ雰囲気に、あたしと母さん、一緒に夕食をごちそうになりに来たわっちゃんまでもが顔を見合わせた。


「少し…延期させてもらえないかな。」


「…海…どうしたの?朝子と何かあったの?」


「朝子と何かあったわけじゃなくて…ただ、今の俺には朝子も仕事も受ける入れるほど、気持ちに余裕がないんだ。」


「……」


 兄貴の真剣な声に、思わずみんな黙ってしまった。


「たっだいまー、今日のおかず何ー…………何?」


 沈黙の最中に帰って来た泉が、みんなの暗い顔を見て。


「どー…したの?」


 眉間にしわを寄せる。


「…海、それ…朝子には話してるの?」


「……」


 母さんの問いかけに、兄貴は黙って資料を置くと。


「…行ってくる。」


 そう言って、立ち上がった。


「何。何のはなっ…何よ、姉ちゃん。」


 兄貴とあたし達を交互に見てる泉の腕を引っ張って。


「朝子との結婚、延期したいって。」


 階段の下に連れ込んで小声で言うと。


「嘘っ。」


 泉も小声で驚いた。


「何で?何で延期?」


「気持ちに余裕が持てないって。」


「何それ。」


「知らないよ。」


「朝子…大丈夫かなー…」


 あたし達は顔を見合わせて。


「……行くか。」


 そう言って頷き合った。


 別宅に続く廊下を静かな速足で進んでると。


「空、泉。」


 母さんが追い掛けて来て。


「あんたたち、隠れて聞こうなんて思ってるんじゃないでしょうね。」


 あたし達の腕を取って言った。


「だー…だってー…」


 あたしと泉が口唇を尖らせると。


「よーく聞いて、後で教えてよ。」


 母さんは、あたし達に顔を近付けてそう言ったのよ…。



 * * *


 〇ひがし 朝子あさこ



『朝子。』


 こたつに入って冬休みの課題をやっつけてると、ドアの外からノックと共に海君の声が聞こえた。


「はっ…はい。」


 思いがけない訪問に、驚いたように立ち上がる。


『ちょっといいか?話があるんだけど。』


「……」


 ドキドキドキドキドキドキ。

 はっ話って…いよいよ、結婚のことかな…


『朝子?』


「あ、はい。」


 戸惑いながらドアを開けると、あたしの気持ちとは裏腹に、何だか…海君は浮かない顔。


「……」


 その表情を見たあたしは、小さく瞬きを繰り返してうつむいた。

 …何か…深刻な話かな…


「勉強してたのか?」


「あはは…冬休みの課題。早くやっちゃえばいいのに、遊んでたから…」


 少しだけ笑ってみせると。


「あのさ…」


 海君は、重そうに口を開いた。


「あっ、おおお茶でも入れるね。座って?」


 何だか怖くて、話を反らす。

 海君はゆっくり…こたつの前に座った。


 コポコポコポ。

 お茶を注ぐ。


「もうすぐ学校も終わりだね。」


 ハッ。

 もうすぐ結婚だね、って言ってるみたいじゃない!


「…ああ。」


 海君は、相変わらず沈んだ声。


「はははい、お茶。」


「サンキュ。」


 海君の前に、お茶を置く。


「…話って?」


 プリントを片付けながら問いかけると。


「…結婚のことなんだけど…」


 出た…!


「…うん…」


 もしかして…

 この海君の様子からして…

 結婚したくない?

 許嫁の話はなかったことにしようって…そう言われるんじゃ…


「……」


 空気が重い。

 ドキドキしすぎて、気分が悪くなってきた。

 どうしよう…


 苦しくなって、うつむいてしまうと。


「延期させてくれないか?」


 海君が、小さな声で言った。


「………え?」


 あたしは、顔あげる。


「延期させてほしいんだ。」


「…どうして?」


「仕事もきちんと思うようにできないのに、朝子を受け入れて幸せにできる自信がない。」


「……」


 今の…何?

 幸せにできる自信がない…?


 待って。

 じゃ、海君は…ちゃんとあたしを受け入れる気でいてくれてるんだ。


 小さく溜息。

 良かった。


「早くから決ってたことなのに…悪い。」


「うっううん。」


 あたしは、笑顔。


「正直言って…あたしも、何もできないまま結婚なんてしちゃっていいのかなって思ってたから。」


「朝子…」


「料理だって、もっと上手になんなくちゃいけないし…海君の仕事のことだって、もっと理解してあげたいし…」


 海君は、相変わらず申し訳なさそうな顔だけど。

 あたしは、満面の笑み。

 海君がこんなこと言ってくれるなんて…


「あたしのことはいいから、仕事、頑張って?」


 とびきりの笑顔でそう言うと。


「…サンキュ。」


 海君は、あたしの頭をクシャクシャってしてくれた。

 …思い出したようにドキドキ。


「……」


 進展を期待して黙ってると。


「…ちょっとごめん。」


 海君は、立ち上がってしまった。


「…え?」


 あたしがガッカリした顔で海君を見てると。


「きゃっ!」


 海君が開けたドアの向こう、空ちゃんと泉ちゃんが待機してる。


「…おまえら、いい加減にしろよ。」


「あはははは…」


 海君の冷たい言葉に、二人は笑うしかなかったのよ…。



 * * *


 〇二階堂紅美



「そ…それで?」


『ヘヴン』で知り合った女の子達、マキちゃんとナナちゃん。


 偶然、事務所の近くでマキちゃんに遭遇して以来、あたし達はたまにナナちゃんが開いた雑貨店で落ち合って、食事に出かけたりするようになった。


「うん…告白…されちゃった。」


 マキちゃんの手には、キラキラと光る…


「指輪!?告白って、プロポーズ!?」


 あたしとナナちゃんと、今日はあの店の一番人気だったミカちゃんもいる。

 あたし達は、マキちゃんの手を見て目を輝かせて。


「おめでとう!!やったね〜!!」


 手を取り合って、喜んだ。


 マキちゃんは、英会話教室で知り合ったアメリカ人と意気投合。

 恋人なのか友達なのか分からない期間を経て…晴れて婚約中の身となった。


「そういうナナこそ、店に通ってたお客さんから告白されたんでしょ?」


「えっ、マジで?」


「うーん。あの頃のあたしを知ってる人はどうかなって思ったんだけど、むしろ隠さなくていいから楽かなって。」


「なるほど…ミカちゃんは?」


「あたしはしばらく男はいいわ。今、下着のデザインしてるんだけど、これがなかなか好調でね。」


「自分でモデルもできるし、ミカは営業の才能もあるから、絶対成功するわよ!!」


 …楽しい。

 こうしてると、あのお店が無くなったなんて、嘘みたいに思える。

 …慎太郎…元気かな…



「あ、そう言えば紅美ちゃん、沙都さとぼう元気?」


沙都さとぼう…ふふっ。うん。元気だよ。」


「可愛い子よね〜。あのルックスで、って言うのがまたたまんない!」


「あはは…」


 しばらく、マキちゃん達は沙都の話で盛り上がった。

 沙都も同じバンドなんだと伝えると、三人は手を握り合って喜んで。


「絶対ファンクラブに入る!!」


 って。


「ファンクラブなんてないよ。」


 そう言いながら笑った。



「あ…でもさあ…」


 ミカちゃんが何かを思い出したように、顎に人差し指を立てた。


「何?」


「確か…沙都坊より先に、紅美ちゃんを探しに来た人がいたのよね。」


「…え?」


 あたしはキョトンとして、ミカちゃんを見る。


「えーっ、何それ。」


 マキちゃんとナナちゃんも、知らなかったようだ。


「ルミが言ってたもの。慎太郎が、沙都坊にうちの店を教えるよう、他の店の子に頼んだって。」


「…どうしてそんな事を?」


「沙都坊の捜索力じゃ、無理だって思ったんじゃないかな。どうもその人、沙都坊に早く紅美ちゃんを見付けさせたかったらしくって。」


「……」


 あたし達、顔を見合わせる。


「ルミは、軽く慎太郎のストーカーでもあったじゃない?だから、休みの日も店に行って…見ちゃったらしいの。」


「何を?」


「だから、沙都坊より先に、紅美ちゃんを探しに来た人の事。」


「……」


 あまりにも思いがけない言葉だったせいで、あたしの頭の中は真っ白になっていた。

 …誰?

 沙都より先に…沙都よりももっと、あたしを探してくれてた人って…


「なかなかの男だったらしいわよ。」


「そんなんじゃわかんないわよねぇ!!紅美ちゃん、誰か心当たりあるの?」


「う…ううん。分からない…」


「えーと…ルミがセクシーだって言ってたのよ…ああ、そう。ここにほくろがあったって。」


 ミカちゃんの指は、左の目元。


「……」


 あんな小さなほくろ、セクシーって言われるとか…

 他に魅力ないって言われてるみたいなもんだよね…

 つい、小さく笑ってしまった。


「何、紅美ちゃん。分かった?」


 マキちゃんの問いかけに。


「…うん。」


 たぶん、あたしは優しい顔をしたと思う。

 …そっか…

 探してくれてたんだ…

 ………嬉しいや。


 …すごく。


 すごく。

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