第4話 「ねえ。」
〇
「ねえ。」
「え?」
夜の繁華街。
紅美ちゃんを探して歩いてると、後ろから声をかけられた。
「あなたでしょ。
「…凛ちゃん?」
色っぽいその女の人は、ピラッと一枚の写真を僕の前に差し出した。
「く…」
紅美ちゃんだ!
ショートカットで、男の格好してるけど…
紅美ちゃんだ!
「こっここっこの人っ、どこに?」
そのお姉さんの肩に手をかけて問いかけると。
「その先を右に曲がったところの「ヘヴン」って店よ。
ゆっくりとタバコの煙を吐き出しながら教えてくれた。
「ありがとう!…と。」
僕は走り出して、引き返す。
「?」
キョトンとしてるお姉さんを前に。
「どうして、僕がこの人を探してるって?」
丸い目のまま問いかけると。
「あはは。」
お姉さんは、真っ赤な唇を開いて笑った。
「あんた、この辺じゃ有名よ?毎日毎日、女を買うでもなくさあ…可愛い男の子がウロウロしてたら、目立つの当り前じゃない。」
「は…はあ…どうも。」
なんて答えていいかわからなくて。
僕は頭をかきながらお辞儀すると、教えてもらった店に走り出した。
紅美ちゃんに会える!
そう思っただけで、胸がいっぱいだ。
『凛太郎』って名前は…なぜなのか疑問だけど。
それでも…紅美ちゃんに会える!
ずっと、ずっと探してた。
やっと…
「…は…」
全力疾走でお店の前にたどり着くと、背の高い男の人が看板の前でタバコを吸っていた。
「…あのっ…」
思い切って声をかけると。
「…わりぃけど、今満室だぜ。」
顔面に煙を吐かれて、少しだけむせてしまった。
「けほっ…そっそうじゃなくて…けほっ…」
「……」
「あの、ここに…り…凜太郎さんって…」
僕の問いかけに、その男の人はしばらく黙って。
「凜太郎に、何の用だ?」
タバコを消した。
「あっ、僕…
ポケットから、紅美ちゃんの写真を取り出す。
「…今いねえよ。」
その人は写真を見たか見ないかのうちに、低い声でそう言った。
「えっ…?」
「いねえっての。今日は休み。」
「あ…」
休み…かー。
なんとなく体の力が抜ける。
やっと、紅美ちゃんに会えると思ったのに。
「あっ明日は…来ますか?」
「…ああ。」
「やったあ…」
小さくガッツポーズ。
「…おまえ、こいつの何。」
ふいに、男の人が怖い声で言った。
「えっ?」
「ずっと探して歩いてんだろ?恋人か?」
「いえ…」
なんとなく、言葉に詰まる。
なんて言えばいいんだろう。
恋人じゃないし…姉弟でもない。
でも……
「僕の、一番大切な人です。」
キッパリ答えると。
「…僕の、ね。」
男の人は小さく笑った。
「そんなに、いい女なのかよ。」
「そっそうです。紅美ちゃんはー…」
ちょっと怖い感じの人だけど、僕は自分のありったけの気持ちをこめて言った。
「僕の紅美ちゃんは、世界で一番素敵な人なんです。」
* * *
〇二階堂 海
「…建設会社の事務、デパートの受付、ブティックの店員、反物屋、イラストレーター助手…よく探してきたな、こんなに。」
目の前で、
「資格や希望もまぜて調べたから、とりあえず面接に行ったらどうかな。」
12人分の就職先。
調べてみると、彼女達はそこそこに資格を持ってたり、学力もある。
それについては、紅美が勉強を見ていたおかげらしい。
「あいつら、喜ぶぜ。」
「…君は、どうするんだ?」
真顔で問いかけると、久世君は資料を見たまま。
「俺は、どうにだってなるさ。」
タバコの煙をくゆらせた。
「……」
紅美を…家に帰らせる。
それ前提で、彼は店をたたむ事に決めた。
紅美はすでに店には出ず、久世君の家に…いる。
愛する女性のために身を引く。
久世君の決断は、男として…尊敬する。
…だが、これでいいのだろうか。
「ああ…そういえば…」
久世君は、ふっと優しい顔になって。
「あいつ、かわいい奴だな。」
口元を緩めた。
「あいつ?」
「沙都っていうボクだよ。」
「ああ…」
「もう、女たちのオモチャんなってる。」
「…沙都を店に?」
「あはは。やらしちゃいねぇよ。ただ、凜太郎の知り合いだって紹介しただけさ。あいつも、紅美って名前は出さずにおとなしく可愛がられてたよ。」
なんとなく目に浮かんで、笑う。
「正直で、心底素直でさ…まっすぐな目で、僕の紅美ちゃんは…なんて言うんだぜ?」
「あはは。あいつらしい。」
「ちょっと、羨ましいよな。俺も…あんたも。」
「……」
少しだけ、久世君を不敏に思う。
父親のことさえなかったら…彼は紅美と何の障害もなく結ばれるかもしれない。
「タバコ、一本もらうよ。」
テーブルに置いてあるタバコを一本取り出して火をつける。
「…あんた、タバコ吸うんだ?」
「めったに吸わないけどね。」
そう。
めったに吸わない。
でも…やりきれなくなったり、もどかしくなったりすると…体が欲しがる。
吐き出す煙の白をボンヤリ眺めながら。
紅美は…素直に帰ってくるだろうか…
そう、考えていた…。
* * *
「学校、続けるんだってな。」
俺の問いかけに。
「…学校側がしつこいからさ…」
紅美は、頭の後ろで手を組んで言った。
出席日数が足りなくて、留年決定。
学校側からの「ぜひ卒業してくれ!」という強い希望もあって。
勉強好きの紅美は、あっさりとそれを受けた。
二週間前、沙都が迎えに行って、紅美は…帰って来た。
そして久世君は…故郷に帰って行った。
沙都が陸兄に話した様子では、紅美は今まで見たこともないくらい取り乱して。
久世君に置いていかれたことを悲しんだそうだ。
「空ちゃん、治るかな。」
紅美が、二階の空の部屋の窓を見上げてつぶやいた。
空は、事故で記憶喪失になっている。
「…治るさ。」
つぼみの桜が、風で揺れる。
「そういえば…」
「ん?」
「海君…体育持ち上がり?」
紅美が、前髪をかきあげながら言った。
「ああ。あ、そうか。おまえの学年か。」
花壇のチューリップが、紅美の後ろで揺れた。
「ビシバシやるからな?」
俺がそう言うと、紅美は目を細めて。
「ブルマーになれとか言うのはやめてね。」
って、花壇の前にしゃがみ込んだ。
* * *
「…担任…と…おっしゃいましたか?」
入学式間近。
突然、職員室で言われてしまった。
俺が、偽名を使って忍び込んでる秘密機関の人間だと知ってるのは、理事長のみ。
去年から担任を持ってくれとは言われてたけど、理事長の助けもあって、何とか回避して来た。
が。
どうやら、理事長も今回ばかりは手に逐えなかったらしい。
「三年二組。持ち上がりで担任が決まってた角田先生のご両親が亡くなられて、家業のそば屋を継がなくてはならなくなったらしいんですよ。」
「新しい店らしくてねえ、たたむわけにもいかなくて。」
「まあ、角田先生もどっちかというと、お店向きの人柄ですし。」
「というわけで、小田切先生、期待してますよっ。」
「……」
こんなことって、ありか?
高校三年っていったら、人生の中でも重要な位置だろ?
去年から面倒見てた先生が、そのまま継ぐのが普通じゃないか。
泣きたくなるのを我慢して、渡された出席簿に目を落とす。
「…あ。」
…チョコちゃんのクラスか…。
と。
二階堂紅美。
紅美までいる…
「……」
実は、俺の偽教師生活も今年限り。
もう、ほとんど仕事はケリがついた。
でも…できれば紅美の卒業まで付き合いたい。
そんなわけで、いわば、今年はアフターケア。
それなら…担任っていう大きな仕事も、楽しんでやってしまえばいい。
チョコちゃんも紅美もいるなら、なおさらだ。
「よし。」
出席簿を閉じて気合いを入れると。
「若い人は、やる気があっていいですな。」
向いに座ってる内藤先生が、お茶の湯気で曇らせた眼鏡越しに笑った…。
* * *
「大丈夫か?」
廊下を歩いてると、カバンを持ったチョコちゃんに遭遇。
顔色をうかがうと、カバンを抱き抱えて。
「はっははい。」
顔を隠した。
チョコちゃんは今日、体育の持久走の最中に倒れた。
「今度から無理しないように。調子悪いなら、すぐ言ってくれよ?」
「は…はい…」
「それとも、俺は言いにくいか?」
「いっいいえ、そんな…」
…可愛い。
空と泉とは違ったところで…可愛い。
俺とチョコちゃんが話してると。
「うっみくー…あ。」
紅美が走ってやって来て。
「小田切先生~…」
俺に隠れて見えなかったらしいチョコちゃんを発見して、慌てて名前を言い換えた。
「…何。」
「はい、日誌。」
「ああ…日直か。」
俺はパラパラと日誌をめくって。
「…書き直し。」
紅美に返す。
「えっ、何で。」
「ロッカーのチェックなんてしてないだろ。見ずに〇なんてするな。」
「げっ、バレたか。」
「あと、ここ。サインじゃなくて、ちゃんと名前を書く事。」
「いいじゃん。価値出るかもしれないよ?」
「……」
頭を抱える。
紅美は俺の手から日誌を取ると。
「あ~、やだね~。細かすぎる独身男って。」
って、チョコちゃんの肩に手をかけた。
「俺のことか?」
「いいえ、べっつに。じゃ、ロッカーのチェックでもするかな。」
紅美はそう言って、教室の方に歩いて行った。
「……」
紅美の後ろ姿を眺めて、溜息。
…そばにいてやりたい。
そう思う反面、担任となってしまった今、一人の生徒に固執するのが難しくなった。
あれだけ一緒にいた沙都は、学年が一緒になったにも関わらず、紅美のそばにいるのを見かけたこともない。
沙也伽は卒業したし…
「あたし…帰ります。」
「あ、ああ。気を付けて帰れよ。」
「はい。」
チョコちゃんの背中を見送って。
「…よし。プリント作るか。」
潜入捜査が終わった事で、教師に没頭できる俺がいる。
それは…
二階堂から少し離れて、客観的に自分を見つめる事の出来る時間でもあった。
* * *
〇
「で?兄貴とは、その後どうなの?」
空ちゃんが、アップで迫ってきて。
あたしは思わず後ずさりする。
七月。
お嫁に行ったにも関わらず、二階堂の仕事を続けている空ちゃんは。
本当に結婚したの?って感じのフットワークの軽さで帰ってくる。
今日は旦那さんが夜勤とかで、別宅で夕食の支度をしてるあたしのところへ、泉ちゃんと陣中見舞いにやってきた。
「どどどうって…」
「もうキスくらい、したんでしょうね。」
「……」
空ちゃんの言葉にうつむくと。
「はあ〜?まだあ?」
空ちゃんだけか、泉ちゃんまでが呆れた声でそう言った。
「だ…だって…」
二人の声に戸惑いながら、キュウリを切る。
「何か最近ずーっといい雰囲気じゃないの。差し入れしたり、映画見に行ったり。」
「うん…」
「それでも、何もないの?」
「…うん。」
「もしかして…手もつないでないとか…?」
「………」
二人を上目使いで見上げると。
「…兄貴、男じゃないね。」
空ちゃんは、頭を抱えて絶望的な声を出した。
あたしと海君は…このままいくと、来年の四月には結婚…のはずなんだけど。
このまま…って、このままは何もないって事なのよ。
映画に行っても、ドライヴしても。
海君は、優しいけど…あたしに触れない。
あたしって、魅力ないのかなあ…
「もしかしてさ…」
ふいに泉ちゃんが声をひそめる。
「何?」
「兄ちゃんって…」
「…うん…」
思わず、包丁をおいてしまった。
三人、頭を寄せ合って息を飲む。
「男の方が好きなんじゃないの?」
「…え?」
あたしの眉間に、しわ。
「だって、許嫁の女と二人きりになっても、キスどころか手もつながないなんてさ。絶対怪しいよ。」
「なるほど。兄貴男色説か。これは、調査しないといけないね。」
「…そういえば…」
空ちゃんの言葉に続いて、泉ちゃんがあごに手をあてて。
「兄ちゃん、よく
「兄貴と薫平!?ひゃー!?勘弁してーっ!」
空ちゃんがキャーキャー言ってると。
「…残念ながら、俺は男より女の方が好きだな。」
突然、後ろから海君の声。
「おおお兄ちゃん!いつからそこにっ?」
「…朝子に変なこと吹き込むなよ。」
「兄貴がいつまでたっても行動を起こさないから、心配してんじゃないの。」
「…俺らのことはいいから。」
「俺ら、だってー。」
海君の言葉に、空ちゃんと泉ちゃんは手を取り合って、はしゃいでる。
あたしは…ちょっとだけ赤くなってしまった。
「じゃ、あたしたちはこれで。」
空ちゃん達がそう言って、和館に歩いて行った。
あたしはドキドキしながら、切りかけのキュウリを切り始める。
「朝子。」
「はっはい。」
ふいに呼ばれて、飛び上がるほど驚いてしまった。
「弁当、サンキュ。」
海君はそう言って、お弁当箱をテーブルの上に置いた。
「あ…あ、うん。」
あたしは、この四月から海君のお弁当を作っている。
と、いうのも紅美ちゃんが。
「毎日いろんな子がさ、弁当作ってくるんだよ。そんな食べれないっつーの。やっぱさー、彼女の存在ってものを、ほのめかした方がいいんじゃないかな。」
って。
それで、あたしは。
「…お弁当、作ろうか?」
って海君に問いかけた。
すると海君は。
「そりゃ助かるな。」
って…満面の笑みで答えてくれた。
彼女…なんて言いきれない付き合いだけど…
でも、海君がお弁当を喜んでくれてるのが、すごく幸せ。
「今月はどこ行きたい?」
ふいに、海君が首を傾げて言った。
「え?」
「今月。」
「あ…あー…えーと…」
海君は、毎月『お弁当のお礼』って、いろんなところへ連れて行ってくれる。
あたしから言わせると…そんなことしなくてもいいんだけど…
気が済まないらしい。
「うーん…やっぱり、夏だから……海…かな。」
目を泳がせながら、そう言うと。
「海?朝子、泳げるっけ?」
とぼけた口調。
「…どうせ、かなづちよ。」
「あはは。わかってるよ。ドライヴにな。」
「ん。」
「いつがいい?」
「もう学校休みだから、海君の都合のいい日にして?」
「わかった。」
心の中で大絶叫。
あたしって、幸せ者!
「さて。」
海君は、あたしの手元から、キュウリの切れ端をつまみ食いすると。
「男色説はないからな。」
って、歩いて行ったのよ…。
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