第2話 「どうだった?」
〇
「どうだった?」
部屋でアイロンをかけてると、
「兄貴、喜んだでしょ?」
「…うん、まあ…」
あたしは、首をすくめて答える。
「何よ。その浮かない顔。何かあった?」
「……」
あたしは、空ちゃんをじっと見て。
「
つぶやく。
「兄貴が?」
「うん。」
「そっかな。夜警の時なんか、結構ハイなんだけどね。」
「…疲れてるのかな。」
「疲れてるぅ?そりゃないよ。仕事のためなら何日徹夜しても平気な男だよ?」
「そう…だよね…」
昼間、あたしのおにぎりを「美味しい」って食べてくれたけど…
何だか…違和感。
「いつまでたっても前に進まないから、あたしが手ぇ貸してんのに。何でそんなにネガティブなわけ?」
空ちゃんはベッドに寝転ぶと。
「このまま兄妹みたいなままで結婚、なんてイヤでしょ?」
あたしを指さして言った。
「そりゃ…不安だけど…」
ずっと、考えてた。
あたしと海君、まるで兄妹。
そんなので結婚なんて…って。
「…もしかしてね…」
あたしは、空ちゃんに問いかける。
「何。」
「海君、好きな人…いるんじゃないかなって。」
「…そんな素振りがあったの?」
「ううん。だけど…あたしとのこと、もう決まってることだからって、遠慮してるのかもって…」
アイロンのコンセントを抜く。
こんな気持ちのままで、何をしたって進まない。
「兄貴はそんな要領良くないからさ、いたら顔にも態度にも出ると思うよ?あたしはいないと思うな。」
空ちゃんは、笑顔。
「ね、朝子。」
「?」
ふいに、空ちゃんがベッドからずりおちて、あたしの前まできた。
「…何?」
「せまっちゃえば?」
「……」
せまっちゃえば?
空ちゃんの言葉を、頭の中で繰り返す。
せまっちゃえば…
「せっせませまっちゃって…そんなっ!できないっ!」
一気に、頭に血が上る。
「何で。キスして、とか言っちゃえばいいのに。待ってましたと言わんばかりにするかもよ?」
って、空ちゃんは、ニヤニヤ。
「やややややだっ!そんなこと、女のあたしからできるわけないっ!」
「あーあー、もう…何で二人とも、こう奥手かな。」
空ちゃんが呆れてる。
仕方ないじゃない。
あたしは、ずっと海君とって思ってたから、そんな経験なんてないし。
海君には…ある…のかもしれないけど、あたしは妹扱いだし…
「兄貴も男だからねー。あんたが相手してやんないと、どこで何するかわかんないよー?」
「……」
サーッと血の気が引いた。
そりゃ、そうだわ…
空ちゃんの言う通りかもよ。
だって、母さんが言ってた。
父さんは昔、誰彼構わず口説いてた、って。
恋人、っていうんじゃなくて、ただ欲求を満たすだけの…
若い男は、そういうもんなのよ、って。
「うっ海君は…そんなこと…」
言ってて自信がない。
誠実な人だとは思うけど、それとこれとは違う気もする。
「…ま、そういうことだから。頑張りなよ。」
あたしが呆然してるのを後目に、空ちゃんは部屋を出て行った。
「……」
海君が他の女の人と…なんて、考えるだけでもイヤだけど…
「でも…」
自分からお願いするなんて、できない〜っ!!
やっぱり!!絶対!!無理!!
想像しかけた甘い場面を消し去ろうと、頭をブンブン振ってると。
「…大丈夫?朝子。」
母さんが眉間にしわを寄せて、あたしを見てたのよ…。
* * *
〇二階堂 空
「泉ー。」
「んー?」
「あんた、兄貴に女の影感じたことある?」
「兄ちゃんに?」
リビングでお茶しながら、泉に問いかける。
「朝子が高校生だった頃は、結構遊びに行ってたよね…キレイ系のお姉ちゃんとこへ。」
「うん。遊びにね。」
兄貴は気付いてなかったと思うけど…
あたしと泉は偶然、何度か兄貴のデートらしき現場を目撃してる。
…本当に、偶然。
「でも、朝子が短大入ってからは行かなくなったじゃん。朝子一筋なんじゃないのぉ?」
「…そう思う?」
「…え?」
あたしの意味深な言い回しに、泉はお茶を飲む手を休めた。
「まだキスもしてないんだよ?あの二人。」
「げっ、マジ?」
「怪しくない?兄貴、好きな女、いるんじゃないかな。」
「誰?」
「さあ…」
兄貴は、昔から謎の人だ。
父親が違うからっていうのは、関係ないとしても。
家族想い、妹想いの優しい兄貴ではあるけれど…腹を割らない。
ま…あたしも、その点では人のこと言えないな。
家族に秘密で、わっちゃんとつきあって、もう5年になる。
秘密組織だけに、秘密を持ちたがる性格なのかも。
泉だって、最近怪しい。
彼氏ができたの?って聞いても否定はするクセに、やたらとスキンケアに気を遣うようになった。
「あー…そう言えばさ…」
ふいに泉が口を開いた。
「何。」
「全然関係ないかもしんないけどさ。」
「うん。」
「兄ちゃん、ちょっとばかし
「紅美…?」
思わず、泉と顔見合わせる。
「…でも、イトコだ。まさかね。」
顔見合わせたまま、つぶやいて笑う。
「そうよねー。まだ、わっちゃんの
グサッ。
気にしてることを、泉がズバリ。
わっちゃんは、めちゃくちゃ華月贔屓だ。
いつか真相をつきとめようと思いつつ、未だ何も聞き出せない。
「ま、朝子と兄貴はお似合いだし、心配ないか。」
あたしの言葉に。
「うん。ほっとこ。」
泉は、無気力にそう言ったけど。
「母さんが焼いたパイ、まだ残ってたよね。食べる?」
食べることに関しては、今も変わらず目を輝かせる女のままだった…。
* * *
〇二階堂 海
「…紅美が?」
家族会議。
泉が、目を丸くしたまま俺を見つめた。
「ああ。」
「そ…それを、紅美は知っちゃったの?」
「…ああ。」
紅美は…養女だ。
しかも、本当の父親は、昔二階堂で働いていた人間で、自分の能力を過信しすぎて犯罪者になった。
それも、自作の爆弾での大量殺人だ。
「一月あたりから、紅美にこの新聞記事が送り付けられてたらしい。それで、本部の資料で事件を知った。」
親父が新聞記事をテーブルの上に置く。
「…紅美、自分が関口亮太の娘だって…気付いたの?」
新聞記事と資料に目を落としたまま、空がつぶやく。
「いや…それは分からない。帰って来た時は笑ってたし…」
「…大丈夫かな…自分がもしそうだったらって考えると…ちょっと呪いたくなっちゃうよ…。」
泉は肩を落とした。
「とりあえず、
母さんが、溜息を吐きながら手にした資料を閉じると…
「…本当の事、伝えないの?」
泉が、遠慮がちにそう言った。
…本当の事…
紅美は泉のように、家族が大好きだ。
もし…自分が殺人犯の娘で、自分の親に殺されかけた過去を持っていると知ったら…
「…伝えるとしても、慎重にいかなきゃね。紅美は強い子だと思うけど…それはずっと信じて疑わないものがあったからよ。」
母さんの言葉に胸が痛む。
信じて疑わないものがあった…それは…家族。
出来る事なら…何もかも忘れさせてやりたい。
あの時、俺が資料室を離れなければ…
…俺のせいだ。
「海。」
俺がうつむいてると、ふいに親父が言った。
「資料室を使ってた自分のせいだ…って思ってるか?」
「…ああ。」
「まさか紅美が本部に入り込むなんて、誰も思わないから…」
「そうだよ。姉ちゃんの言う通りだよ。兄ちゃんは何も悪くないって。」
「…いや、紅美に新聞記事について聞かれてたのに、うやむやにしたままだった。紅美がその気になったら、本部に忍び込むぐらいの事が出来るって予想しなかった俺の判断ミスだ。」
空と泉が庇ってくれたが、どう考えても俺の落ち度だ。
紅美は頭がいい。
…だが、パスワードまでバレるとは思わなかった…
「そう思うなら、学校でも紅美の様子をしっかり見てやって?少しでもいいから、力になってやって?」
母さんにそう言われて。
「…分かってる。」
それ以外の答えはなかった。
出来るだけ、そばにいよう。
出来るだけ、見ていよう。
俺には、それくらいのことしか…してやれないけど…。
* * *
「あれ?満点じゃないんですね。」
二学期が始まった。
桜花では、夏休み明けに「抜き打ちテスト」という生徒にとっては寝耳に水のイヤなイベントがある。
しかし、頭が良くてテストを好きな紅美は、毎年どの教科も満点を取っていたらしい。
それが、今回は…
「二階堂紅美ですか?こっちも、満点じゃないんですよ。」
職員室の中は、紅美の点数のことで持ちきりになった。
「どこか調子でも悪かったんですかね。」
「特別、いつもと変わった様子はなかったんですけど…」
そんな言葉が出る中、俺はグラウンドに目をやる。
「きゃーははははは!」
「沙也伽!」
「……」
何が調子が悪いものか。
紅美は、沙也伽と走り回ってる。
だが…むしろ心配だ。
普段、走り回らない紅美が、走り回ってるからだ。
「二階堂といえば、二年の朝霧のテストはどうですか?」
数学の橋本先生が、二年担当の川野先生に問いかけると。
「あれだけいい家庭教師がついてるっていうのに…また、こんな点ですよ。」
沙都の答案用紙を前に、首をすくめた。
沙都はいつもの調子か…。
紅美の奴、誰にも相談してないのかな。
「どうして、あの二人が付き合ってるのか…謎ですな。」
「全く。」
どうやら、校内では二人は付き合ってるということになっているらしい。
これを紅美が聞いたら、なんて言うだろう…
そんな事を思いながら、俺はグラウンドの紅美を見守り続けた。
* * *
「紅美の様子、どう?」
学校から帰ると、真っ先に泉が駆け寄って来た。
「ああ…特にいつもと変わらない。」
「…痛々しいな…」
泉は少しだけうつむいて。
「あたしだったら、耐えられないよ…」
小さくつぶやいた。
沈んだ様子の泉の頭をポンポンとして、別館に向かう。
「
別館に行くと、朝子が新聞を片付けていた。
「あ、まだ…みたいだけど。」
俺が職員会議の時は、
一卵性双生児で、やはり二階堂で働いている。
紅美は、二人とは面識がない。
「じゃ、帰ったらすぐ俺の部屋に来るように言って。」
「はい…あの。」
「ん?」
帰ろうとして、呼び止められる。
「紅美ちゃんに、何かあったの?」
「……」
朝子は、二階堂の人間だけど…捜査や事件には一切関わらない。
だから、今回の紅美のことも、朝子には伝えていない。
「…何でもないよ。」
小さくそう言うと。
「そ?」
朝子は手に持ってた新聞に少しだけ目を落として。
「何か…あたしにできることがあったら言ってね?」
つぶやいた。
「…そうだな…ああ、また差し入れしてくれよ。」
髪の毛をかきあげながら言うと。
「え?」
朝子は、丸い目をして顔をあげた。
「差し入れ。今夜から本部に二泊三日の缶詰なんだ。」
「…ふふっ。楽しそうね?」
「楽しいもんか。」
「何がいい?」
「うーん…何でもいいよ。朝子が決めて。」
「何でも?」
「ああ。その方が楽しみだしな。何が来るだろーって。」
俺の言葉に、朝子は満面の笑み。
「分かった。じゃ、何か栄養のつく物考えとく。」
「サンキュ。」
俺と朝子が話してると。
「ただいま帰りました。」
「あ、じゃ…あたし。」
朝子が、束ねた新聞を持って歩いて行くのを見届けてから。
「どうだった?」
「帰りに音楽屋に寄ったぐらいで、他は特に何も。」
「音楽屋だけ?それにしては…遅いな。」
時計の針は、七時半。
紅美が学校を出たのは、確か…四時過ぎ。
「ええ。音楽屋のギターのコーナーで、ずっと椅子に座ってボンヤリしてました。」
「…一人か?」
「はい。」
沙都は何してるんだ。
「わかった。明日も頼む。」
「はい。」
夜空を見上げて、少しだけ溜息。
このまま、何も起こらなければいいのだが…。
* * *
「またサボってんのか?」
昼休み。
紅美の姿が見えないと思って探し歩いていると、保健室にて発見。
「サボってって…昼休みだよ?」
「健康女子が、保健室のベッドで昼寝かよ。」
「う…」
「って…おまえ、三限目からいるのか。」
「だーって…」
「何。」
「…眠れなくて。」
「授業中は眠らなくていい。」
「……」
「だいたい贅沢だぞ?保健室一人占めなんて。」
「みんな元気な証拠でしょ。」
パイプ椅子を引っ張って、ベッドに近寄る。
「で?なんで眠れない?」
ベッドに肘をついて…顔を紅美に近付けた。
「…小田切センセ、近いよ。」
「ふっ。照れてんのか?」
「照れるかっ。」
「話せよ。何でも聞いてやるから。」
「……」
俺の言葉に、紅美は無言になった。
…自分が家族から愛されてる事には納得できても。
誰の娘か、って事に…悶々としてるはずだ。
「…あたしって、あいつの娘…だよね?」
いきなり、紅美が天井を見たまま言った。
「…あいつ?誰だ?」
「…関口亮太だよ・・」
「もしそうだとして、何か問題があるのか?」
「…認める?」
「あ?」
「あたしは、関口亮太の娘?自分で作った爆弾で、大勢の命を奪った…最悪な父親に、背中を刺されて殺されかけたの…?」
紅美の心細そうな声に、体が震えそうになった。
落ち着け。
俺が…動揺してどうする。
「半分は本当だけど、間違いもある。」
「…どこが?」
「殺人犯に背中を刺されたのは本当だけど…おまえの父親は二階堂陸だろ?」
紅美の頭を撫でながら、気持ちをこめる。
大丈夫。
大丈夫だ。
「…そんなの、真実じゃないでしょ?」
「おまえは陸兄を父親と思ってないのか?」
「そうじゃないけど…」
「真実ってなんだ?それを知って、どうしたい?」
「…あの新聞記事を送ってきた人…あたしが関口の娘だって、知ってるって事だよね?」
「……」
紅美から預かった新聞のコピーには、指紋が付いていなかった。
消印も紅美の家から近い郵便局の物。
差出人は、入念に計画を立てて、紅美に真実を教えようとしていたに違いない。
「あたしに…何か訴えたいんじゃないかな…」
「何を?」
「何も知らずに、幸せになるな…とかさ…」
……ダメだ。
このままだと、俺は…
紅美の手を引いて、抱き起してしまう。
強く、強く抱きしめて。
俺が守ってやるから、と…
「なっ何?」
「そのまま目を閉じろ。」
紅美の目に手を伏せた。
「え?」
「いいから。」
「……」
「五歳の時だったかな。おまえ、うちに遊びに来てて池に落ちて頭を切ったよな。」
「うっ…」
「母さんは、頭だから大げさに血が出てるだけだって言ったのに、陸兄と麗姉は血相変えておまえを病院に連れてってさ。」
「……」
「結局、消毒されて薬塗られて帰って来たんだよな。そんなの、うちでもできたのにってみんなに言われて、陸兄たち小さくなってたな。」
「……」
「それから、小学校に行くのが嫌だって駄々こねた時も、陸兄毎日手を繋いで校門の所まで行ってたよな。」
「……」
「紅美の事、可愛くて仕方なくってさ・・何でも言う事聞いてやりたいって、いつも言ってた。」
指に、何か触れた。
…涙か…
「…雰囲気が悪いらしいな。陸兄、自分のせいだって悩んでた。」
「……」
「ちゃんと、家族全員で向き合って、話してみたらど…」
紅美の目から手を離そうとすると、それを紅美が掴んだ。
「…離さないで…」
「……」
胸が…締め付けられた。
俺は…こんな事しかしてやれないのか?
「みんな、おまえが大事だから。苦しい時は甘えろ?」
空いた方の手で紅美の頭を撫でながら、そう言うと。
紅美は、小さく…声をあげて泣いた。
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