いつか出逢ったあなた 20th

ヒカリ

第1話 「体育…小田切隆夫。」

 〇二階堂にかいどう 紅美くみ


「体育…小田切おだぎり 隆夫たかお。」


 あたしはリビングのソファーに寝転がって、プリントを眺めてる。

 何のプリントかというと…

 桜花学園高等部、今年度の職員一覧。


 プシッ


 ローテーブルに置いてる缶ビールのプルタブを片手で開けて、起き上がりながらそれを手にする。

 胡坐をかくと同時にそれを口に運ぶと…


「こら、紅美。またそんな行儀の悪い…あっ、もう、ビールはダメって言ってるでしょっ。」


 洗濯物を取り込んで来た母さんに見付かって、しかめっ面をされてしまった。


「うぇーい。」


「その返事、やめて。まったく…うちには息子が二人いるみたいだわ…」


 母さんの愚痴を聞きながら、乾杯ポーズをしてビールを飲む。


「そのプリントは?」


 洗濯物がゴッソリとあたしの隣に置かれる。

 うっ…たためって事か。

 ま、暇だからいいけどさ…


「今年度の先生。」


「ああ…じゃあ、小田切先生の名前もあるのね?」


「ふっ。母さんまでそう呼ぶかな。」


「見てみたいなあ。うみ君のジャージ姿。」



 母さんの言う『海君』は、二階堂本家の長男。

 あたしのイトコだ。

 本家はヤクザを装った秘密機関で、海君は今、潜入捜査で桜花の体育教師になりすましている。

 その名も、小田切隆夫。


「紅美のクラスは担当じゃないの?」


「うん。今年も違うみたい。」


「残念ね。」


「なんで。違う方がいいよ。」


「どうして?贔屓してもらえばいいのに。」


「体育で贔屓なんて、絶対要らないけど。」


「そう?」


 他愛ない会話をしながら、洗濯物をたたむ。


 あたし、二階堂紅美は桜花の高等部二年になった。

 学校に行って勉強して、親友の沙也伽さやかと喋って。

 幼馴染の沙都さとと一緒に帰ったり寄り道したり。


 帰ったら、ごろごろしたりテレビ見たり。

 母さんの作った、美味しい晩御飯を食べて。

 天才って言われてる弟のがくが書いてる論文を眺めたり、地下にあるスタジオで父さんとセッションしたり。


 お気に入りの入浴剤を入れて、お風呂を楽しんで。

 風呂上りはビールを飲んで。

 する事がない夜は、思いついたように走りに行って、またシャワーしたり。


 …平和だ。


 あたしは、あたしの日常が好き。

 家族も、友達も、音楽も。


 大好き。




 * * *



 〇ひがし 朝子あさこ


朝子あさこそらが探してたぞ?」


 日曜日。

 和館の掃除をしてると、後ろから海君が言った。


「え?どこで?」


「本部。今日、見学に行くって言ってなかったか?」


「……」


 やばい。

 忘れてた。


「どうしよ。空ちゃん、怒ってるかな…」


 雑巾片手に眉間にしわよせると。


「大丈夫。準備して来いよ。」


 海君は、あたしの頭をポンポンってして、洋館に歩いて行った。



 …あたしたちは、一応許嫁だ。

 でも、八歳も違うせいか…海君はあたしを子供扱い。

 本当に許嫁としてみられてるのかどうか…不安。


 あたしは、ずっと小さい頃から、海君が大好き。

 優しくて、頼もしくて…

 だから、許嫁って聞かされた時は、嬉しくてたまらなかった。


 でも…


 海君は、あたしのこと、どう想ってるんだろ…

 あたしが短大を出たら、結婚する…ってことになってるけど…


「あーさーこ―――――。」


 ふいに、背後から低い声。


「はっ…」


「もうっ!あんたが言い出したのにっ!」


「きゃっ!ごめんっ!ごめん空ちゃんっ!やっ!あーっ!!」


 いつの間にか、あたしの後ろに立ってた空ちゃんに、わき腹をくすぐられる。


「やーっ!くすっくすぐったいっ!」


 空ちゃんにされるがままになってると。


「空。おまえが掃除しないから、朝子がやってるだろ?」


 海君が、洋館から出てきて言った。


「ちっ、痛いとこつかれたな。」


 空ちゃんはあたしから離れて。


「さ、行く準備しなよ。」


 雑巾をバケツにしまった。


「行っていいの?」


「いいよ。あたしも今日しか空いてないし。」


「じゃ、行く。」


 あたしの両親も三つ歳上のお兄ちゃんも、ここ二階堂で働いている。

 二階堂は秘密組織で…能力の高い人間しかいない。

 そんな場所に、なぜあたしみたいな凡人がいるかというと…


 幼い頃に受けたと思われる、適性検査で脱落したからだ。


 二階堂で働く人間は、小さな頃から特別な教育を受けるけど、あたしは昔から普通に育てられている。

 本当なら理由をつけてここから出されてもおかしくないけど、あたしは…

 海君の許嫁というポジションを得ているからか、この二階堂の敷地内にある家で、短大生をしながら本宅の掃除や雑用をこなしながら生活させてもらっている。


 ―本当は…

 海君みたいに立派な人の許嫁が、あたしなんかでいいのかな…って。

 怖気付きそうな時もある。

 だけどそう望まれて来たはずと信じて…

 それに、あたしは本気で海君を想ってるわけだし…

 …いいんだよね…?



「バ…バイクで行くの?」


「バイクのが早いもん。さ、乗んなよ。」


 空ちゃんにヘルメットを渡されて、あたしはゆっくりそれをかぶって遠慮がちに後ろに座る。

 一度も行った事のない、二階堂本部。

 今までは深く考えた事ないんだけど…

 海君と結婚するなら、色々知っておきたいと思って、見学に行きたい。と、空ちゃんに相談した。


「しっかりつかまってないと、落ちるよ?」


 空ちゃんの大声とともに、エンジンのかかる音。

 うっわ…

 バイクに乗るのは初めてじゃないけど…


「いっくよー!」


 なぜか、空ちゃんの後ろは怖い…と感じてしまうあたしだった。



 * * *



 〇二階堂 海


「どしたの。元気ないじゃん。」


 昼休み。

 学校の屋上で孤独を満喫してると。


「よっ…と。」


 イトコの紅美くみが俺の隣に座りこんだ。


「…沙都さとが探してるんじゃないのか?」


 顔をのぞきこんで問いかけると。


「入学式からこっち、下級生にモテモテ君なのよ。あいつも、そろそろ姉離れしなきゃね。」


 紅美はパック牛乳を飲み始めた。


「姉離れねえ…」


 どう見ても、沙都さと紅美くみにゾッコンだ。

 それに気付いてるのか気付いてないのか、紅美はいつも沙都に対してクールだ。


「いつも一緒にいる子は?」


沙也伽さやか?あいつ、最近希世きよと仲良しでね。」


希世きよと?」


「そ。二人で音楽室に入り浸り。怪しいったら。」


「で、あぶれたおまえは、一人寂しく屋上かよ。」


「海君こそ。」


「あー…」


 ふいに、昨日の失敗を思い出してうなだれる。


「何。」


「昨日、ミスった。」


「仕事?」


「ああ。」


 俺は―

 特別高等警察の秘密機関、二階堂の長男。

 生まれた時から、生きる道が決まっていた。


 幸い、仕事にも家族にも、そして仕事仲間にも恵まれている。

 小さなミスもカバーして、なかった事にもしてくれる。

 だが…それがいつか命取りになるのも間違いない。


 二階堂は犠牲者を出さない。

 それなら…どんなミスも許されない。



「大失敗?」


「俺の中ではね。」


「どんな失敗?」


「…現場の時間変更の連絡が行き届いてなくてさ。ジェットまで飛ばしたのに、俺が行ったら何もかも片付いてた。」


「ジェットォ?どこまで行ったの?」


「バンコク。」


「じゃ、仕方ないじゃん。国内でも難しいことだよ?」


「それを、ちゃんとするのが俺の仕事なの。」


 俺は、なぜか紅美にだけは愚痴る。

 家でも誰にも愚痴ったことはないのに。


「ふうん。」


 紅美は、意外そうな顔で俺の顔をマジマジと見て。


「海君でも、そういうの気にするんだ。」


 首をすくめて笑った。


「気にするさ。連携の甘さが露見した。」


 首をカクンとうつむかせて、大げさに溜息を吐く。


「でも片付いてたって事は、上がいなくても出来たって事だよね。そこは部下たちの優秀さを褒め称えればいい話なんじゃないの?」


「……」


「もうっ、暗いなあ。いいじゃん。終わったことなんだしさ。ちょっと贅沢にジェットでぶっ飛ばした!ぐらいにに思えば?」


「……」


 次々と繰り出される紅美のケロッとした口調での言葉に、思わず何も言い出せなかった。

 きっと紅美が現場にいたら、本気でそうなのだと思う。


『みんなー!!ありがとー!!お疲れー!!』


 …ふっ。

 容易に想像出来てしまって、小さく笑う。

 実際の現場ではそうはいかなくても、頭の中に描いた紅美に元気付けられた。

 …紅美がこんなキャラだから、愚痴りやすいのかもな…



「あーあ、新学期始まって一ヶ月だっつうのに、もうテストかー。」


 俺の悩みは終わり。と言わんばかりに、紅美が大きく伸びをした。


「おまえ、テスト好きなんだろ?」


「沙都の面倒見るのが大変なのよ。」


「なるほど…」


 紅美は頭がいい。

 が、沙都は勉強嫌いだ。


 こんな他愛のない会話にも、感謝せずにいられない。

 落ち込むと一人になりたがるクセに、俺は今、紅美が隣に居てくれる事が嬉しい。



「あ、泉ちゃん、家に帰ったんだって?」


「ああ。」


 下の妹の泉は、一年半前から突然一人暮しを始めた。

 今まで知らされてなかった事実を知って、そのショックで家族から離れていった。

 が、先週…照れくさそうに帰ってきた。


「…おまえ、何か相談された?」


「え?」


「泉に。あいつが今相談できそうな奴って、おまえしかいないし。」


 泉には、あまり友達がいない。

 唯一仲のいい華月は、去年事故で下半身不随になっている。

 きっと、気を使って難しい話はしないはずだ。


「相談ってほどのことじゃないけどさ。」


「…泉の家出の原因、聞いたか?」


「聞いてないけど、直感でわかったよ。」


「直感?」


 前髪をかきあげる紅美を見つめる。


 …俺は、親父の子じゃない。

 母さんは若い頃、大恋愛をしたらしい。

 まだ相手が高校生だったのと、家のしがらみで結ばれなかったらしいが。


 その男との間にできたのが…俺だ。

 高校生の時、その事実を聞かされた。


 空もなぜか知ってた。

 でも、泉だけは知らなかった。

 それが、どこで知ったのか…


 本当の父親は、名家を捨ててまで、SHE'S-HE'Sのギタリストになった早乙女さおとめ 千寿せんじゅさん。

 お互い他人のフリをしているが…実は意識してしまっている。


 それに、彼の三人の子供達…

 腹違いの弟妹達に、勝手に愛しさを持ってしまっている事。

 恐らく泉はそれが気に入らないのだろう。


 泉は小さな頃から家族が大好きで。

 ことに、俺にはベッタリだった。

 歳が離れてることも手伝って、あいつは、見事なまでのブラコンに成長した。


「泉ちゃんて、家族大好き人間だしね。」


 ふいに、紅美がつぶやく。


「…おまえ、何か知ってんのか?」


「何かって?」


「…俺が…」


「ああ、環兄に聞いた。」


「親父め…」


「って言うかさ、そうでしょ?って聞いたんだ。」


「え?」


 スカートをはたいて立ち上がった紅美を見上げる。


「だって、海君の声、詩生ちゃんとそっくりなんだもん。」


 紅美は何でもないようにそう言って、パック牛乳を飲み干して。


「さて、と。五限限目は体育か〜…今日はバレーだったな。ネット張るの面倒だな〜。」


 空に向かって伸びていくんじゃないかってほどの、大きなのびをしながらそう言った。


 …俺の中では大問題だったのに。

 あまりにも、あっさり言ってのけた紅美。

 不思議と…今まで抱えてた、自分が生まれてきた後ろめたさを忘れてしまった。


「…バレーは、中止。」


 俺が小さく言うと。


「え?」


 のびをしたままの紅美が振り返った。


「武田先生、今日休みなんだ。俺が代わり。」


「本当?で?何すんの?」


 紅美は、自習を期待してるのか、目がキラキラしてる。

 そんな紅美の横に立って。


「50mのタイム計る。」


 威張ったように言うと。


「あ、ラッキー。じゃ、何も用意しなくていいんだー。」


 怠慢な紅美は、嬉しそうに笑った。



 * * *



「兄ちゃん、資料。」


 日曜日。

 いつもは家でゴロゴロしてる泉が、昨日頼んだばかりの資料をまとめて本部に持ってきた。


「何だ、もうできたのか?」


「うん。チェックして。」


「どれ。」


 パソコンをうつ手をやめて、資料を見る。

 泉に頼んだのは、麻薬の密売ルートに関連している組織の資料。

 国内のみならず世界中の、だ。

 何日かかるかな…なんて思ってたのに。


「ど?」


「ああ、よくできてる。」


「へへっ。」


 最近…泉は、様子が変わった。

 以前は、甘えっ子で負けず嫌いでワガママだったけど。

 一人暮しをして帰って来てから、何か…こう、柔らかくなったと言うか…


「何か、いい事でもあったのか?」


 鼻歌なんぞ歌ってる泉に問いかけると。


「えっ?何で?」


 泉は驚いた顔で俺を見た。


「いや、鼻歌歌ってるし。」


「兄ちゃんが褒めてくれたからっ。」


「はいはい。」


「じゃ、あたし今日休みだから、遊びに行ってきまーす。」


「ああ。サンキュ。」


 休みの日に出かけるなんて、男でも出来たかな。

 励みになるなら、いい事だ。



「坊っちゃん、第三埠頭の張り込み、どうしますか?」


「ああ、沙耶さやさんが行ってくれてるから、指示もらって。」


「はい。」


 泉の資料に、目を落しながら、思う。

 …俺は二階堂の跡継ぎ。

 後を継ぐことにためらいは、ない。

 仕事は好きだし、やり甲斐も感じる。

 再来年の春、沙耶さやさんの一人娘の朝子あさこが短大を卒業したら、結婚することも決っている。

 何一つ、不満はない…はずだ。


 なのに最近…少しだけ、何かが引っ掛かって仕方がない。



「……」


 ふと、資料から目を外して、外を眺める。

 あれから…かな。

 俺は、去年の秋から体育教師として桜花に潜り込んでいる。

 と、いうのも。

 校内にロンドンの麻薬密売組織と繋がりのある人物がいる、という情報があったからだ。


 普通なら『まさか桜花に』と思う所だろうが…この世の中、何があってもおかしくない。

 実際、昔の桜花には、十代の殺し屋が三人存在した。


 潜入して早々に教師一人と生徒一人、密売組織の人間を見つけ出した。

 が、それだけでは終わらない。

 組織は、次々に膨らんで、人材を送って来る。


 いずれは根元を突き止めて、組織全体の壊滅…のための潜入捜査なのに。

 俺は、結構教師を楽しんでしまっている。

 桜花には、知った人間も多い。

 紅美も、紅美の弟のがくも、俺にとってはイトコだし。


 今、桜花で俺の正体を知っているのは、この二人と、紅美にベッタリの沙都さとぐらいだ。



 校内では「小田切隆夫」という偽名。

 その偽名を名乗っている間は…なぜか心が安らぐ。



「…まいったな。」


 小さくつぶやいて、立ち上がると。


「あの…」


 遠慮がちにドアが開いて、小さな声が聞こえた。


「はい?」


 半開きのドアを開けると、朝子。


「何だ。一人で来たのか?」


「…ううん、そこまで空ちゃんと。」


「で、空は?」


「遊びに行くって…」


「…ったく。ま、入れよ。」


 俺がイスを出して言うと。


「これ、差し入れ。」


 朝子は、小さなバスケットを差しだした。


「サンキュ。腹減ってたんだ。」


「海君の好きな、おかかのおにぎり。」


「お、うまそ。」


 バスケットをあけて、おにぎりを取り出す。


「ん。うまい。」


「お茶入れるね。」


 朝子は、いい嫁さんになるな。


 …口に出しかけて、やめる。


 朝子は、俺なんかでいいのかな。

 昔から決ってたこととはいえ…

 急に、そんなことを考えてしまって手が止まる。



「…どうしたの?」


「え?」


「あ、味…薄すぎたかな。」


「いや、ちょうどいい。」


 少しだけ、朝子に罪悪感を感じながら。

 俺は、笑ってみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る