夏が去ってしばらく経ち、その鮮烈な日差しは徐々に忘れられていった。その後にやってきた豊穣の気配も今は衰えて、町全体が静かになったような気がする。燃えるようだった紅葉も今では数を減らし、その火の陰りを待っていたかのように肌寒い風が吹く。今度は僕の方から用事があって叔父を訪ねた。

叔父の家には細々とした家具が増えて、以前のような無関心ではなく、全体的に整えられた丁寧な暮らしぶりが窺えた。彼女のための服も増えたようで、クローゼットがあつらえられている。彼女に与える果物を記録しているのか、テーブルに盛られた果物を描いた絵がいくつもあり、部屋の一角を占領していた。その絵の内容も、最初の頃より豊かになっているようだ。随分と彼女に入れ込んでいるけれど、そのおかげで生活が改善された部分もあって、子供ができた親みたいだなと思った。

当の彼女は、相変わらずただ静かに座って、時折音のする方向へ頭を向けたりしている。乱れなく整えられた髪や衣服に、感情の読めない瞳や死者の膚の白さも手伝って、よくできた人形のようだ。

「家を出て一人暮らしをするよ」

 今日叔父の家に来たのはこのことを知らせるためだ。ただ知らせるだけなら顔を合わせなくてもいいが、僕は叔父と話がしたかった。

「それなら頼みがあるんだけど聞いてくれるかな。場所があるなら果物の絵を持って行って欲しいんだ。これから描くものも送りたい。売り物として描いたわけじゃないからパトロンに渡すわけにもいかなくて」

 叔父は今日完成したのであろうキャンバスを前にして果物の皮を剥いていたが、その手を止めてそう言った。一人暮らしをすると聞いて第一声がそれということは、よほど頼みたかったのだろう。しかも普段の会話では手を止めない叔父がわざわざこちらを見て言うあたり、それなりに真剣だ。僕はそれが可笑しくて、少し笑ってしまった。

「いいよ。それなりに広さに余裕はあるし、僕も多少は部屋に彩りが欲しいから。勿論無限に置けるわけじゃないから、場所が無くなってきたら止めてもらうけど」

「助かるよ。場所が無くなるまでに貸し倉庫でも探しておく」

 叔父は安堵したように笑うと、皮剥きを再開した。今まで貸し倉庫が見つかっていない状態で、本当にその時までに探せるのかは疑問だったが、いざとなればパトロンがどうにかしてくれるだろう。彼女を寄越してくるようなパトロンが居るくらいだから、倉庫くらいはそう難しくもなさそうだ。

 ほどなくして叔父は皮を剥き終わり、実を削って彼女の口に運び始めた。すっかり慣れた手付きだ。

「ここから少し離れるから、あんまり遊びに来られなくなりそう。前までは叔父さんがちゃんと生活できてるか見に来ないとちょっと不安だったけど、今は大丈夫そうだしね」

おどけて言ってはみたが、実際以前の叔父の生活に対する無関心さは、そのうち飽きたとか言い出して死にかねないという不安が拭いきれないところがあった。そんな過去の心配を知ってか知らずか、叔父は軽く笑った。

「大丈夫だよ。お前こそ料理とかできるのか?」

 叔父が料理をしているところを見たことはないが、一人暮らしの長さや、この口振りと果物の扱いを見るに、きっとある程度はできるのだろう。母からすると僕は台所に立つと決まって手を抜くらしく、僕に料理を任せるのを嫌がったこともあり、確かに僕は料理が得意ではない。それでも僕が一人暮らしを決めたのは、料理ができなくても大して困らないと考えたからだ。

「合成栄養ブロックにするよ。他の家事も大体機械任せにできるし」

合成栄養ブロックは工場で生産される食糧だ。生産工程は分子単位で管理され、衛生面でも栄養面でも優れている。安価で調理の手間もなく、捨てる部分も包装くらいのものだ。一人暮らしにこれ以上優れた食糧は無いと言ってもいいだろう。味の方はそれほど好きというわけでもないが、悪くはない。嗜好品としての食事はたまにガムを噛むくらいでいいと思う。

「驚いたな、天然物の手料理しか食べないと思ってた」

 母は料理自体はそれほど好きではないらしいが、食べるのは天然素材を使ってなるべく人の手で調理が行われたものを選ぶ。文化を伝えていくことの重要さを説くこともあるが、

遺伝子調整などにも渋い顔をするあたり、新しい食料への不信が根本にあるのだろう。母の目が光っているから、僕も基本的にそれを守っている。叔父もそれを知っていたのだろう。

「それが好きなのは母さんだよ。僕は天然素材も手料理も好きじゃない。不完全な生産管理は不完全な結果を招くよ。特に魚は最悪だね。その辺の海で獲ってきたものを使うから、生産管理どころかゲノムも不明、何を食べてるかすら分からない。生き物を殺すのは倫理的にも良くないよ。魚には知性や意識が無いから構わないという人も居るけど、僕はそうは思わないし、仮に知性や意識が無くても虐げていいことはならない」

あの手料理は母なりの愛の形で、味や彩りだって絶品とまでは言わなくとも丁寧に作られていて、良いものだということは分かる。それでも受け入れられないものはある。魚はその代表格だ。

多くの人が魚を食べることを倫理的に問題があるとは思っていないことは知っている。でも、それは正しい倫理が普及しているからではない。実際に個々人が有するのはある種の感染性の思想だ。多くの人が長期間にわたって支持しやすいのは生き残りやすい思想であって、それは必ずしも正しい思想ではない。その大部分は正しい前提から論理的に導かれたものではないし、矛盾だって幾つもある。僕だって正しいものが何かを知っているわけではないけれど、倫理の未熟を恥じず、自らの罪を認めず、あげくに正当化までしてみせるのは、きっと悪だ。

「意識は難しいね。彼女だって今は単純な動きしかしないからいいけど、表情があったら生きてるのと区別がつかない。意識が本当にあるかどうかなんて人間同士でも分からない。できるのは表面に現れる動作を拾って推測していくことだけだ。僕達に見えるのはそうやって組み立てた自分の中にある虚像だけ。絵を描いてるとその虚像がどれほど頼りないものかよく分かる」

 彼女は黙々と叔父の手から果実を飲み込み続けている。動く死者に限った話ではないが、技術の発展とともに豊かな情緒を表現するような動作をするものが現れたら、確かにそこに意識や感情が無いことを示すのは難しいだろう。機械の飼い犬や接客人形は見た目こそ非生物的ではあるが、これらに好意を示す人も多い。人間に似せようとしたものでは、今はまだ繊細な表情を作ることができずに不気味さを感じさせる事が多いようだが、会話の内容だけでは人間と区別できないことも多々あるという。死者がそういったものに仕立て直された場合は、以前生きていた人物と同一の存在なのかという問題も持ち上がってくるだろう。

 しかし、叔父は彼女が死者であって意識がないという確信を持ちながら、どうしてここまで彼女に尽くすのだろう。その愛がどこから来るものなのか、僕は気になった。その疑問は、僕が母に抱くものとも似ているからだ。

母はきっと、僕を愛するという確信があって産んだのだろう。そうであって欲しい。しかし、何の情報もない、まだ存在もしていない誰かを、血縁だからという理由だけで愛せるのか。その愛を心の底から信じることができるのか。母にはそれができて、僕にはできない。

そして、その愛の重みは他人へと向かう。愛はその持ち主の好む形で吐き出され、受け取る側の都合とは必ずしも一致しない。例えば魚料理のように。僕はその食い違いを悲しく思う。僕が彼女のように動く死体だったら、疎まれる愛などなかったのに。

「何故叔父さんは彼女をそんなに大切にするの?」

 だから僕は尋ねた。何か僕を納得させる理由を求めて。そして叔父は答えた。

「誰かを愛するのは気分がいいからね」

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