第5章 僕とイグニスと蜃気楼の花嫁

第30話

 顔に大きな傷のある隻腕の女性。

 僕は彼女と旅をしている。

 僕と彼女は炎の中で出会った。


 彼女の名はイグニス、かつて魔王との戦いに終止符を打った伝説の聖剣――

 その残骸が、人間の形を取った存在だ。


 誰も犠牲にすることは無い完全無欠の平和な世界、そんなものは幻想だって分かっている。

だけど僕はそれを託された。空っぽな僕に詰め込まれたたった一つの確かなものがその幻想だ。


 だから僕は歩き続ける、地平線に沈む太陽を求めるように、砂漠に浮かぶオアシスを求めるように。





 ―王国歴285年、蜃気楼の街リンドバーグ―


「ふーやっと着いたねイグニス」

「そうだな、マスター」


 砂漠を歩くこと3日間、カラカラの干物みたいになりかけて僕たちはようやくと目当ての街へとたどり着いた。

 ここは砂漠の交流地点。道行くラクダの小隊に交じっての楽しい楽しい限界ギリギリツアーだった。やっぱり砂漠なんて歩いて渡るところじゃない。


 僕たちは、お世話になった小隊に別れを告げて、街の中へと入り込んだ。ここは砂漠の交流地点であるだけではなく、とある別の側面も有している。


「はー、凄いねーイグニス。こんな光景がみられるのはこの街だけだよ」

「そうなのか? マスター」


 街の中を馬車やラクダの代わりに闊歩するのは大小様々な魔道兵器。武装こそは取り払って作業機械として運用されてはいるものの、ガッチャガッチャと金属音をかき鳴らしながら数々の兵器が動き回っているのを見るのは、幾らヘタレな僕でも幾ばくかの血が騒ぐと言うものだ。


 それと言うもの、この街の近くにある大規模な魔道機械文明の遺跡のおかげだ。この街は遺跡から発掘されるそれらの魔道機器によって成り立っている。それ故にこんな偏狭な地で在りながらも街中に魔道兵器が溢れるなんて贅沢な事になっているのだ。


「イグニスは、魔道機械文明の事について何か覚えてる?」

「否定だ、マスター。私は基本的に記憶を引き継ぐことは無い」

「そうなの? って言うかイグニスって何歳になるんだろうね?」

「不明だ、マスター」


 聖剣伝説は数あれど。不滅の炎の伝説はその中でも最古の部類。とは言えそんな事を一々覚えてしまっていたら、頭がパンクしてしまうって事だろうか。世の正邪は移ろいゆくもの。以前契約していた人達が、次に現れた時に敵になってしまっていたら大変な事だ。


「まぁいいか。イグニスはイグニスって事だからね」

「当たり前だ、マスター」


 思考を放棄した僕に、イグニスは力強く頷く。イグニスは何時だってシンプルだ。世界がイグニスの様にシンプルに出来ていたら、もしかすると平和な世界が実現するかもしれないが、生憎人間の世界は複雑怪奇。その事は、機械が中心になっているこの街でも変わりない事だった。





「ありがとうございましたー」


 まばらな拍手がパチパチと響く。どうやら僕たちの芸はこの街ではあまり響かなかったようだ。まぁそん所そこらのビックリ人間じゃ街を練り歩く魔道兵器に敵いやしない。この街の価値観は機械が中心なのだ。


「うーん、これはこれで面白いけど。中々厳しい所があるよねー」

「そうだな、マスター」


 やっとの思いでたどり着いた砂漠のオアシスは、中々厳しい所らしい。それでも夕食代ぐらいは稼いだ僕たちは、街で評判の大衆食堂へ足を運んだ。


「はいいらっしゃーい、って貴方たち、見てたわよー大道芸」

「あははははー。それはお恥ずかしい」


 食堂のドアを潜った僕たちは、そんな言葉で出迎えられた。客を集められない大道芸人なんて、荷物の運べないラクダと同じだ。みすぼらしいったらありはしない。


「ははは。まぁこの街に大道芸人が来るなんて珍しいからね。あたしは十分楽しませてもらったよ」


 女将さんはそう笑いながら、お水をサービスしてくれた。実にありがたい。サービスはいい文化だ。

 僕は女将さんにお任せを3人前(イグニスが2人前)注文し女将さんとの会話を続ける。旅の醍醐味は何と言っても人との交わりだ。


「この街の見どころって何になりますかね?」

「そりゃもちろん、魔道機械文明の遺跡さね。一般開放している所もあるから見といて損は無いよ」


 まぁそれはそうだ、この街に来てそれを見ないのは、海に来ておきながら魚を食べない様なものだ。


「ええ、それはもちろん見学させていただきますよ。その他にこの街の住民ならではのおすすめスポットとかありますか?」

「んー、そうさねぇ。とは言えこの街はそれが全てだ。この街は魔道機械の歯車で回ってる街なのさ」


 砂漠の中の歯車の街。それは作曲意欲の湧くテーマだ。そんな風に女将さんと世間話を続けていたら、ウエイトレスさんが食事を持ってきてくれた。

 テーブルの上に並べられる。赤と黄色。食欲を誘う暖色系の鮮やかさと、スパイシーな香りが鼻に付く。香辛料なんて所によっちゃ黄金よりも貴重なものが、どさっと大量に使われている。街にあふれる魔道兵器と言い、全くこの街は外の世界とは価値観がバラバラだ。


「くーーー! 辛い! でも旨い!」

「あっはっはっは。熱々だからね気を付けてお食べよ」


 辛い、熱い、汗が滝の様に流れて来る。なるほど、砂漠の民はこうやって涼をとっているのか。僕は、お手拭きで汗を拭きながら真っ赤な食事に舌鼓を打つ。

 火照った口の中に、発酵乳のドリンクを流し込む。クリーミーな酸味は辛みと熱を胃の中へと流し込み、同時に流れ落ちた水分を補充してくれる。


 僕が砂漠飯と格闘している間。イグニスはぺろりと2人前を平らげて、僕のお皿を物欲しそうに凝視している。イグニスは人間形態を取るのに結構なエネルギーを必要とする。ならば普段は剣に戻ってもらった方がお財布には優しいのだが、今更一人旅に戻る気なんて起きやしない。


「女将さん! イグニスにもう一人前!」

「はっはっはー。いいよ気に入った! 良い食べっぷりだね嬢ちゃん!」


 女将さんはそう言ってこれでもかという大盛りをイグニスの前に運んでくれた。





「ふー、美味しかったね、イグニス」

「そうだな、マスター」


 あの後、辛みで張れた唇で、女将さんからのリクエストに何曲か答えたおかげで、お勘定の方は大分おまけしてもらった。

 生きていくのに困難な砂漠では、人と人の繋がりが何よりも大切、お客は十分にもてなすと言う文化が根付いていると言う事だろう。


 火照った体に夜風がしみる。砂漠の気候は、昼間はとんでもなく熱いけど、夜はとんでもなく涼しくなる。雲一つない満点の夜空を楽しみながら、僕たちは宿へと戻っていた、その時だった。


「マスター、何かいるぞ」


 イグニスの敏感な目は、夜陰に隠れて動き回る、不審な影を発見していたのだった。

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