第3話

 村から少し外れた所にある深い森、背後に険しい山を抱くその場所に、野盗たちは住ついていると言う。


「全く、イグニスが羨ましいよ。僕はまだお腹がもたれてて」

「マスターは村に残っていても良かったんだぞ」


 そう言う訳にもいかない。戦闘はからっきしの僕だけど、パートナーとしての責任と言うものが有る。


「ここです、ここから、この獣道を真っ直ぐ行ったら洞窟があります」


 案内を終えた村人は、そう言った後そそくさとその場を後にした。


「洞窟かー」


 さっそく話が違う。洞窟の中の偵察に安全もくそも無い。うっかり入ったその後に、外回りに出ていた一味が戻ってきたら袋のネズミだし、かといって表から見るだけじゃ全貌なんて見えやしない。


「イグニス、どう?」

「ふむ、嫌な気配だな。やはりマスターはここに残った方がいい」


 イグニスレーダーが当りを引いたようだ。彼女がそう言うならそうなんだろう。

 だが……。


「それは聞けないよイグニス。僕は君の相棒だよ」


 僕は笑って彼女の右手に手を添えた。





 ぽっかりと大きな口を開けた洞窟の周辺に、見張りは見当たらない。随分と不用心なことだ。


(ふーむ、よほど自信があるのか、それとも……)


 幸いな事に僕とイグニスは夜目が効く。暗い洞窟内部でも灯りなしでも事足りる。


(それにしても大きな洞窟だ、野盗のねぐらとしたら1ダースじゃすまないな)


 洞窟は横も広けりゃ縦も広い一本道の洞窟だった。所々に松明が設置されていて、人の手が入っていることは分かるが、どこまでも静かなもので、野盗が潜んでいる雰囲気は感じられない。


「やっぱり外れだなー、これは」


 ついついボヤキの声が漏れる。全く持ってついちゃいない。外れ外れの大外れだ。


「どうするイグニス、このまま帰るって言う事をお勧めするけど」

「ふむ、マスターがそう思うならそうしてもいいが、その場合は、外の連中を相手にすることになるぞ」

「あー、やっぱりかー、んー、まぁそうだよねー」


 イグニスの感覚は僕なんかとは比べ物にならない、彼女がそう言うのならそうなんだろう。


「僕はね、イグニス。君に戦ってほしくないんだ」


 それが約束だ、彼と交わした約束だ。


「そうか。マスター」


 彼女は暗闇を見つめつつ、平坦な口調でそう言った。


「だが、降りかかる火の粉は払わなければならない」

「そうだね、残念ながらその通りだ」


 世に悪意は溢れてて、何もしてなくてもそれは寄ってくる。僕たちが目指す平和な世界は何処にあるんだろうか。


 彼女は何かに導かれるように歩を進める。それは彼女にしみ込んだ本能の様なものなんだろう。戦い続けて来た彼女に宿った宿命なんだろう。


 歩いて行く。

 鈍い僕にも感じ取れる。

 歩いて行く。

 鼻に突きさすような獣の匂い。

 歩いて行く。

 低く響いて来る呼吸音。


 洞窟の行き止まりには、見上げる程の大きさの一頭のドラゴンが鎮座していた。


「全く、ドラゴンが野盗か、世も末だね」

「そうなのか、マスター」

「いやいや、冗談だよイグニス。僕たちは村人に一杯喰わされたんだ」

『貴様らが此度の贄か』


 僕とイグニスが愚にも付かない会話を続けていると、生臭い鼻息と共に、そんな言葉が遥かなる高みより振り落ちて来た。


「あははは、どうやらそうみたいですねー」

『ふむ』


 ドラゴンはそう言ってギロリと視線を寄越す。


「けどまぁ、当初の依頼では偵察だけって、話だったんで、帰っていいですかね?」

『貴様らの都合など知った事ではない、これは契約だ』

「契約とは?」

『貴様らが贄を寄越す代わりに、儂が地脈を整える。単純な契約だ』


 成程、辺境の村の割に、妙に整っていると思ったらそう言ったカラクリがあったのか。あの村は僕たちの様な旅人を、定期的に贄としてこのドラゴンに供給する代わりに、大地の恵みを得ていたと言う事か。

 昨晩食べたご馳走の中に、色々と怪しげな食材が入っていたのもその所為だろう。判断力を曖昧にする系のハーブとか、ぐっすり眠れる系のハーブとが入っていたのは偶然じゃないって事だ。


「マスター、話は終わりか?」


 イグニスはそう言って剣を抜き放ち前に出る。


 ふんっ、とドラゴンが鼻息一つ嘲笑する。流石は鑑定眼に富むドラゴン、彼女の持つ剣では、自分の体に傷一つ付けられっこない事を理解している。


「やっぱり夜のうちに逃げといた方がよかったなー」


 僕は今更ながら愚にも付かないボヤキを上げる。まぁ村人だって馬鹿じゃない、見張りはキッチリ立てていただろう、鈍い僕には分からなかったけど。


『抵抗するのは構わんが、あまり暴れると潰してしまう。それでは食いでが無くなってしまうな』


 ドラゴンはそう言って口角を上げる。全く、僕は駄目なマスターだ。結局こうやって彼女を戦わせてしまう。


 ドラゴンが体を起こす、それだけで広い広い洞窟がとても狭く見えてしまう。


「イグニス、聞いての通りだ、彼は僕たちの丸のみをご所望している。つまりは手加減して戦ってくれると言う事だ」

「了解だ、マスター」


 彼女は気負った様子も無く、平坦な声でそう言った。


「村の人には悪いけど、僕たちにも目標がある、平和な世界を見るまでは死ぬわけにはいかない」


 争いのない世界、誰も犠牲にしない世界、平和で穏やかな世界。残念ながらこの村はそうでなかったけれど、此の世のどこかにあるその風景を、見るまでは死ぬわけにはいかない。


 それは彼との約束だ。彼の命と引き換えの約束なんだ。


「ごめんよ、イグニス。僕は君を使うよ」

「当然だ、マスター。私はその為に存在する」


 最後の時間は与えてやった、そう言わんばかりに、はるか高みにあったドラゴンの頭が大口を開けながら振り落とされる。


「イグニス!」


 僕はそう叫び、彼女の体に手を当てる。

 イグニス、古き言葉で炎を表すその言葉の通り、その一瞬で彼女の体が炎に包まれる。

 終焉を告げる灼熱の炎、僕はその中心にある剣を握りしめる。

 業火は僕を包み込む、だがそれは骨まで燃やす地獄の炎ではない、どこまでも暖かく優しく包んでくれる母の胎内の温もりだ。その炎に焼かれた僕の姿は一変する、くすんだ黒髪は燦々と煌めく太陽の様な金髪に。力は漲り意識は体の隅々まで行きわたる。


 ―― 斬 ――


 言葉を挟む暇もない、紅の煌めきを残し、炎の剣はドラゴンの頭を一刀両断に切断した。


「所詮は人となれ合わなきゃ生きていくことの出来ない半端者のドラゴン、あの戦いを潜り抜けた聖剣イグニスの敵じゃないよ」


 僕の手には炎を宿した折れた聖剣、イグニスが煌めいてた。





 洞窟から抜け出る。そこには武器を手にした村人たちの姿があった。


「なっ! なんだ貴様は!?」


 集団の先頭に立つ村長が、大きな口を開けてそう言った。

 ん? ああ、そうか。聖剣イグニスを解放した僕はパッと見同一人物と分からないかもしれない。


「ああすみませんね。偵察だけと言う話でしたが、彼女が張り切ってしまって討伐までやってしましました」

「ばっ! 馬鹿な! あのドラゴンを倒しただと!」


 村長はそう言ってフラフラとよろめいた。まぁ確かに、幾ら雑魚ドラゴンとは言え、ドラゴンはドラゴン、上級パーティでもなければ相手にすらならない難敵だ。とてもじゃないが大道芸人風情に何とかなるとは思わないだろう。


「ええ、一撃でした、スパーンとね」


 僕は折れた聖剣イグニスを彼らに向ける。「ひっ」っと悲鳴を上げて、彼らの包囲が真っ二つに割れ道が出来る。


「残念ながら、この村は僕たちの芸を必要としていないようです。邪魔者は早々に立ち去りますよ」


 僕はそう言って、彼らの間を通り去り、森の中に消えていった。





「さてさて、次の村はどんなところだろうねー」

「そうだな、マスター」


 僕たちはトスカッチアを後にする。結局路銀の足しにはならなかったけど。旨い食事には有り付けたので良しとしとこう。

 人食いの悪竜とは言え、竜の加護を失ったこの村がどうなるのかは、残念ながら僕たちの知った事ではない。

 僕は何でも解決できる神様では無いし、どんな敵でも諦めない勇者でもない、通りすがりの単なる大道芸人。身の程を弁えるの大切な事だ。

 この村が、生贄を差し出す必要が亡くなる分、安心して暮らせるようになるのか。それとも、地脈が乱れて、風が止んでしまうのか。どう転ぶかは運しだいと言った所だろう。


 僕たちは求める、平和な世界を、誰も犠牲にしない、理想郷を、そんなものは夢物語、僕の中の常識はそう呆れ果てて欠伸をしている。

 だけど、それが彼の夢なのだ、命を懸けた願いだったのだ。


 僕たちはその夢に向かって歩を進める、あっちへフラフラこっちへフラフラ優柔不断に悩みながら、ある筈のない答えを探しながら、とびっきりの矛盾を抱えながら。

 そして……いつかその場所にたどり着けますようにと祈りながら。

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