第1章 僕とイグニスとサーカス団

第4話

 顔に大きな傷のある隻腕の女性。

 僕は彼女と旅をしている。

 僕と彼女は炎の中で出会った。


 彼女の名はイグニス、かつて魔王との戦いに終止符を打った伝説の聖剣――

 その残骸が、人間の形を取った存在だ。


 僕は彼女を託された、とある約束と引き換えに。


 それは、平和な世界を彼女に見せる事。

 それは、彼女の戦いの証。

 誰も犠牲にしない、争いのない、平和な世界。

 彼女が夢見た理想郷。


 僕はその為の水先案内人だ。

 弱くてちっぽけな1人の人間として、彼女の隻腕を取り、旅をする。





 ―王国歴285年、貿易の街トリステン―


「行くよー、イグニス」


 僕は上空にリンゴを放り投げる。


「了解だ、マスター」


 ストトトトンと100発命中。彼女が放ったコインは、上空を舞ったリンゴに星形を刻み込んだ。

 どっと歓声が沸き上がる。

 彼女の運動能力は本物、なにせ元は伝説の聖剣なのだ、蓄積された経験が段違い、そんじょそこらの軽業師どころか、世界でもトップレベルの人とだって張り合える。


「次行くよー」

「了解だ、マスター」





 最後の締めは僕のリュート、旅の思い出を奏でに刻み、ゆっくりと、時にはおどけて、時には切なく歌い上げる。

 客入りは上々、リュートケースの中にはチャリンチャリンとチップが投げ入れられた。


「ありがとうございましたー」

「清聴、感謝する」


 拍手の雨に送られて、これで僕らは店じまい。流石に交易で賑わっている都市は違う、財布の紐もそれ相応に緩いようだ。


「良かったね、イグニス。これでしばらくは大丈夫だよ」

「そうだな、マスター」


 僕とイグニスはケースから外れたチップをひらいつつ、会話を交わす。

 僕のリュートとイグニスの軽業のコンビは順調だ、とは言え稼いだ額は路銀の足しにしかならない、僕の夢。グランギニョールを開くにはまだまだ遠い道のりだ。


「けど、ちょっと残念なんだよねー」

「何がだ? マスター」


 前々から思っている事だ、僕とイグニスの息はピッタリなんだが、2人の役割がかみ合わない。

 僕がイグニスの軽業の補助をするのは良い。だが、僕がリュートを奏でている間、イグニスにすることが無いのだ。


 イグニスには左腕が無い、それは折れた聖剣が人型を取っての事なのでしょうがない。だが、無表情でぼーっと突っ立っているだけと言うのも勿体無い。って言うか一見さんには近寄りがたい。


 だれか、軽業の補助をしてくれる人がいれば、イグニスが芸を披露している間僕が伴奏をすることが可能なんだが……。


 僕がそんな事を考えていると、拍手をしながら近づいて来る男がいた。


「いやー、見事なパフォーマンスだったよ」

「はぁ、そりゃどうもありがとうございます」


 その男は髭面の壮年で、お世辞にも人相が良いとは言い難い顔をしていて、ニンマリと怪しげに口角を上げた。僕は心の中では警戒心を作動させつつ、愛想笑いでそう返す。


「はっはっは、そんなに警戒することは無いよ」


 彼はそう言って握手を求める。自分の顔が警戒されるって事が分かっているなら、その髭面を何とかしたらいいのに、僕はそう思いつつも手を差し出した。


 彼は、僕とイグニスと握手を交わした後、こんな事を口走った。


「はぁ、サーカスの団長ですか」


 彼の名前はスコット・ゴードン。彼はこの街を拠点に様々な場所を巡回するサーカス団を開いていると言う事だ。


「それは凄いですね。僕なんてまだまだです」

「はっはっは、そんなことは無いさ。私が君位の年の頃は下働きが精々だった、それに比べて君はしっかりと独立してやっているじゃないか」

「西から東の根無し草。その日の食事に頭を悩ます風来坊ですけどね」


 僕は苦笑いしながらそう答える。なんせイグニスはそこ無しの大食らいなのだ、料理の味付けにそんなにこだわらないのが救いだが。


「そうだよ、これは君たちにとっても良い話だ。その芸を是非うちの団で花開かせてみないかね?」


 スカウトか、今までこう言った話が無かったわけではない、だが僕たちはそれを断り続けていた。

 僕たちには平和な世界を見つけると言う目標があるのだ。


「それはありがたいお話です、ですが、もう少し旅を続けたいと思っていますので」

「いやいや、そう簡単に結論を出さなくてもいいじゃないか。そうだ、よかったら私の団を見学しに来てはどうだ?」


 僕がやんわりと断っているにもかかわらず、彼はさあさあどうどうと、僕の手を取って引っ張っていく。

 こらそこ、イグニス、剣呑な顔をするのを辞めなさい。


「分かった、分かりましたから、そんなに引っ張らないでください」


 意志薄弱、事なかれ主義の僕は、イグニスを暴れさせないために、大人しく彼の手のまま歩を進めたのだった。

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