フクロウはなかない

花咲夕慕

 僕が生まれ育ったのは、小さな小さな村だった。それに加えて土地も酷くやせていて、ほんの少しでも雨の降らない日が続いた年は栄養不足で子供が何人も死んだ。


 それでも大人達がこの場所を離れなかったのは、“梟の伝説”があったからだった。

 村のほど近くにある森の、その奥深くに住むと言われる──フクロウ

 『梟がなく声を聞いたものは、幸せを手に入れる』。

 誰が言い出したのかも、そもそも真実なのかすら、僕にはわからない。



 何故こんなことを反芻しているかといえば。


 今日、8つになった僕は、梟にクモツとして捧げられることになったからだ。



 森の入口まできて、もうすっかり疲れ切っていた。そもそも何故クモツが自分の足でやって来なければいけないのか。

 阿呆らしい。どうしようもなく間抜けだ。


 もう今日は元気がない。眠って、それから考えよう。

 ぐるぐると低い唸り声が聞こえて、でもどうしようもないから目を瞑った。



 かさ、と葉を掻き分けるような音に意識が浮上する。


「まったく……」


 呆れたような声と共に頬を叩かれ、慌てて飛び起きた。そしてぎょっとする。すぐ近くで金の双眸がこちらをじいっと見つめていた。


「このような所で何をやっておる」

「誰……?」


 黄金の瞳に綺麗に色の抜けた白髪はくはつ。透けるような白い肌に、すらりと伸びる四肢。質素な麻のワンピース。


「誰じゃと思う?」


 歳はせいぜい少し上くらいに見えるのに、えらく偉そうな喋り方をする少女だった。文句の一つや二つ言ってやろうと思ってふと視線を落として、口を噤んだ。

 彼女の足が真っ赤に染まっていたからだ。獣臭さが鼻をついた。


 何が起こったのか、或いは何をしてきたのかと問う勇気は無く、僕は思案する。

 まず、森でこんな少女が一人で生きながらえている時点で普通ではない。つまり。


「……きみ……あなたが、梟? ……ですか?」


 口調が定まらない僕に、少女はおかしそうにくすっとわらった。


「ま、ぬしがそう思うのならそうじゃろ」

「そんな適当な……」

「世の中そんなものよ。問うて答えが返ってくるというのはただの傲慢な思い込みじゃ」


 難しい言葉に眉を顰める僕に、「人間は思い込みが激しくて好かんな」、と少女──“梟”は唄うようにそう言って、またくすっとわらった。



 彼女に連れられ、森の奥へ進む。不思議なもので、すぐ近くから生き物の気配はするのに彼女が一緒だと襲って来なかった。


 梟は僕がお腹を鳴らしたことに気が付き、パンとスープを寄越した。パンはふっくらと小麦色、スープには野菜と一緒にごろごろと大きな肉も入っている。手をつけるのが勿体ないくらいの豪華な料理だった。

 空腹に思わず手にしていたスプーンを置く。


「あなたは、僕を喰うんですか?」


 黄金の瞳が瞬いた。


「だって……こんな良いもの、食べたことない。僕を太らせて食べるつもりなんでしょう?」


 梟はぽかんと口を開けて──吹き出した。


「は……あはっ、あはははははは! 何を言い出したかと思えば……われが主を喰うと?」

「な、なんで笑うんですか! 僕はクモツとしてやってきたんですから! クモツってそういうものだって……そう思っても仕方ないでしょう!」


 叫んだ僕の言葉に、ぴた、と梟は動きを止めた。


「供物?」

「そうです! あなたのなき声を聞くために、クモツを捧げればいいって」

「……ああ……そういう」


 得心がいったというように頷いた梟の眼は、酷く冷めていた。


「主は逃げようと思わなかったのか? どうせ監視もおらんかったのじゃろ」

「……なんでわかるんですか?」

「……さてな」


 しん、と静まり返った小屋の窓ががたがたと震えた。隙間風の凍てつくような冷たさに、もうそろそろ冬が来る頃だなと思った。


「……僕には、妹がいるんです」


 ぽつりと呟いた僕を梟がちらと見る。


「今から、妹にとって初めての冬がやって来る。今年はあんまり天気も良くなかったから……」


 僕は両手を少し広げた。


「生まれたばかりで、こんなにちっちゃいんです。僕はもう何日か食べないくらい平気だけど、妹はお腹が空くと、泣くんです。でもあげられないから放っておくと、そのうち、泣かなくなるんです。……それで、どうしようかと思ってたら、村長が僕に言ったんです。森に梟のクモツとして行けって。なき声を聞けば幸せになれるんだから、って。

だから、もし。妹を……村を救ってくれるなら。僕をぜひ食べてください」


 僕は黙った梟を後目に黙々とご飯を口に運びはじめる。


「どうして食べるという考えに結びつくのか見当もつかぬ。それに……主のような細っちい子供を食べたとて腹は膨らまぬわ」


 梟は何故だか怒ったような顔をしてそっぽを向いた。


「だから、人間は自己中心的で好かんのじゃ」




 それから、何日、何週間が経っただろう。

 僕と梟の奇妙な共同生活は思いのほか快適で、快適すぎて──毎日家族のことが頭を過ぎった。


 そして──寒い寒い、冬がやって来た。

 僕はとうとう我慢できなくなって、小屋に帰ってきた梟の口に指を突っ込んだ。


「な、な、なにをするのじゃ!!」

「どうして! 何もしないんだよ! もう冬じゃないか! 妹は……妹はどうなるんだよ!?」


 激昂する僕に、梟は静かに答える。


「さてな、運が良ければ生きているかもしれぬし、死んでいるかもやしれぬ。さあ、食事にしよう」

「……なんで……!? じゃあ僕は、何のためにここに来たんだ!?」


 いつもと変わらない様子の梟に、僕はたまらず床に蹲った。そんな僕を見下ろして、梟は呟く。


「人間は独り善がりじゃ。だから好かん」


 それを聞いて、ぶちりと何かが頭の中で弾けた。


「お前はそればっかりじゃないか! ことある事に人間は好かん好かん好かん! 僕もお前のことなんか好きじゃない!」


 少し、梟が目を見開いた。黄金の綺麗な瞳が震えるのを見て、僕は自分が言い過ぎたことを悟った。


「……もう、潮時か」


 梟が椅子に座った。糸の切れた人形のように、情緒の無い動きだった。影が落ちるその顔は、一瞬年老いた老婆のようにも幼い迷い子のようにも見えて。

 だから思わず瞬いて、でももういつもの梟の顔だった。


「実は、供物として子供がやってくるのは主が初めてではない」

「え?」

「何人目かももうわからぬ。主のおる村の大人はみなそうじゃ」

「……え?」


 何を言っているのかと薄ら笑いを浮かべても、梟は表情を動かさない。


「村の実情は主もよくわかっておろう。昔から、皆が生き延びるのは難しかったのは」

「……はい」

「人間は好かん。脆くてすぐに死ぬ。だからと──簡単に手を出したのがいけなかった」


 梟は轢き潰されたような声で言い、ぽつぽつと独白を始めた。


 始まりは、もうずっとずっと昔。

 食べ物を求めて森へ迷い込んだ子供をほんの気紛れで助けた。愛玩動物ペットでも飼っているような感覚で、大きくなり、不安無くもう一人で暮らせるようになった頃に村へ返した。

 それを繰り返し、今村にいる大人たちは皆梟がかつて食事を与えて育てた人らしい。というか、それ以外は皆死んだ。だから、村人たちは梟のことを崇め、恩を感じ、村から離れずに暮らしているのだと。

 今となっては、村人達は森に送れば子供は健康に育ち帰ってくると思っているらしい。


「……そんなうまい話、あるわけがなかろうが」


 くつくつくつ、と梟は昏くわらった。


「主にもわかるじゃろ。全員を助けることはできん。救える数には限界がある。

わかったじゃろう? 主の妹は……救えぬ」


 何も言えなかった。梟が言った、人間は好かん、の重さがようやく少しだけわかった。

 思い込みが激しくて、自己中心的で、独り善がりで、脆くてすぐ死ぬ人間は、彼女にとっては。


「……あなたが、本当に……梟なんですか」

「主がそう思うなら、そうじゃろ」


 出会った頃と全く同じ顔で、梟は宣った。


 じっとこちらを見つめる金の瞳の縁が滲む。


「いちばん好かんのは、我自身よ……」


 梟が零した涙は、地面に落ちて、ちいさな染みになる。まるで自分を戒めるように、唇を噛み締め、微かな嗚咽すら漏らさなかった。



 翌朝、目が覚めて──嫌な予感がした。

 慌てて小屋の周りを探した──いない。梟がいない。どこにもいない!


 森を飛び出した。走って、走って、走って──辿り着いた村は、すっかり変わり果てていた。

 ただでさえ崩れかかっていたいくつかの小屋は、もう屑しか残っていない。人の息衝く気配がしない。畑は見るも無惨に荒らされている。


「な……」


 思わず息を呑んだ時、背後で何かが羽ばたいた。


 視界いっぱいに大きな翼。こちらを見据える黄金の瞳。嘴には赤い──人の首を咥えている。


「鳥……?」

「主がそう思うならそうじゃろう」


 は、と目を瞠る。


「……梟」


 答える声はない。

 その鳥はぼとりと首を落とすと、空高く舞い上がる。


「梟! 梟なんだろ! 梟!!」


 二度と振り返らないまま、彼方へと消えていった。


 自分が育てた者を殺すことは、どれほど虚しいことか。

 きっとあの伝説は、長い年月の中で梟の行動が曲解されたものだったのだろうけれど。


 それでも、それほどにかなしいことをしても、梟はなき声を──泣き声を、あげないのなら。


 誰も、幸せになれるはずがない。


 思い込みが激しくて、自己中心的で、独り善がりで、脆くてすぐ死ぬ人間に……幸せなどありはしない。



 彼女が、あの鳥が、梟だったのか、梟ではなかったのか、もう僕にはわからない。

 でも、もう梟は、いくら待っても森には帰ってこなかった。



 あれから、何年経っただろう。もうわからない。帰ってこない梟を待ち続ける日々は退屈で、間延びして、つまらなかった。

 今日も、僕は森の入口をふらりふらりと歩いていた。


 僕は、ふと蹲っている子供に気がついた。

 声を掛けたのは、ほんの気紛れで、ただの戯れだった。

 

「こんな所で、何してるの」

「……だあれ? お化け……?」


 僕はわらった。

 ああ、なるほど。


「きみが思うならそうなんだろう」

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フクロウはなかない 花咲夕慕 @yupho

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