第14章 ヘルクレス座

第1話


「……ん?」


 突然、開かれた扉の方には宗玄さんが立っていた。


「失礼致します。ご夕食のお時間です」

「………………」


「どうかされましたか?」

「あっ……いや、えっーと」


 今……ノックなしで入ってきた様に思えた。


 最初は俺の勘違いかと思ったが、宗玄さんはノックをせずに俺の部屋に入ってきたようだ。


 通常の場合、ノックもせず突然人が入ってきた時は、たとえそれが家族だったとしても怒るものだろう。


 しかし、俺も最初は驚いたが「信頼している執事が入ってくる場合、ノックなしでも部屋に入って来るもの」……と、どこかで聞いたことがあったので特に咎めたりはしなかった。


 まぁ、それ以上に俺は目の前に立っている宗玄さんの姿を見て言葉を失っていたから咎めるどころの騒ぎではなかった……というのが本音ではあるのだけれど……。


「……どうかされましたか?」

「いえ……、すぐ行きます」


 俺はあえてその事には触れずに宗玄さんの後について行くことにした……。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……」

「……」


 鏡張りの廊下を俺と宗玄さん……そして、さっきまでいっしょにいた『男子』が俺の隣を歩いていた。


 まぁ、正確には幽霊に足はないから正確には『歩いて』いないのだけれども。


『可愛らしい……ですね』


 なかなか今の状況に合う言葉を選ぶのに戸惑ったのだろうか。そいつは出来る限り宗玄さんを自分の視界に入れないように方を呟いた。


「…………」


 いや、そういう事じゃないだろ……と俺は沈黙を保ったまま『彼』の言葉に突っ込みを入れたかった。


 ちなみに『彼』の姿は宗玄さんに見えない……。今、この家にいる人間で『彼』つまり『幽霊』の姿が見えるのは俺だけのはずだ。


 ――と、話が飛んでしまったが……もちろん『彼』が何も思わず「可愛らしい」なんて言っていない。


 それに、彼がそんな風に言った事や自分の視線に入れないようにしているのには当然『理由』がある。


「……どうしたんですか、その……エプロン」


 そう、俺の目の前に立っているのは『燕尾服』の宗玄さん……だが、その服の上には……。


「ああ……これですか」


 宗玄さんがカッコよく着ている執事服の上には白いレースをふんだんにあしらわれ、生地は赤と白のチェックという……なんともファンシーなエプロンがそこにはあった……。


 似合う似合わないとかの話の前に……女性用じゃないのか? あれ。


 デザインや色から察するにとても男性が好んで自分からは着ない……はずの代物だ。


 せいぜいノリで刹那が「どう? 似合う?」とそれを着て、俺と龍紀の前でアピールするような感じすらする。


 もしそうなったら……まぁ、せいぜい適用にあしらうか、それ相応の『罰』という名のグーパンチまたは回し蹴り程度が下るのがオチである。


 当然、女子が着た場合では全然与える印象は違うのだが……こう言っちゃなんだが……。


 俺には正直、何かの罰ゲームにしか見えない。初老の男性でしかも普段着ではなく執事服の上……。


「……」


 しかし、宗玄さんの表情を見る限りそう……その可能性もなさそうだ。


「これは、娘がくれたんですよ」

「あっ、ああ……娘さん……」


 そういえば……いたな。宗玄さんにも……。


 それこそ記憶からほとんど消えているが、確かに俺よりも小さく、夢よりも年下の娘さんが宗玄さんにいた。


 そういえばいつも俺たちの後ろを付いて回っていた……ような……。


「その娘が作ってくれましてね。いつも黒い服ばかりだと言って明るい色のエプロンを……と」

「なっ、なるほど……」


 言われてみれば確かに宗玄さんは仕事柄、執事服を年中を通して着ている。


 確かにそれもカッコいいが、女子からしてみれば「もっと明るい服も来て欲しい!」と言う気持ちも……まぁ、分からなくは……。


 分からなくはない……としても、さすがにこのチョイスは……果たしてどうなのだろう……と俺は考え込んでしまう。


 でも、宗玄さん自身はこれをどうやら気に入っている様でもある。そんな人に対して下手に何かを言うのはかえって失礼だろう。


 それに……改めて見ると、宗玄さんのサイズにピッタリ合っている。そうなれば確かに宗玄さんの言う通り、買ったモノではなく『作ったモノ』なのだろう。


「……」

「とても……よく似合っています」


 無言でエプロンを見ている宗玄さんに向かってそう小さく言った……。


 ただまぁ何にしても……不思議なもので……実際、パッと見の印象は強烈だ。でも、改めて見ると宗玄さんに似合っているようにも見えてしまうのだから……俺は嘘を言っている訳ではない!と強く自分に言い聞かせることが出来た……。


「…………」

『あの……』


 突然、俺の隣についていた彼は申し訳なさそうに声をかけた。


「なんだ?」


 俺は前を歩く『ファンシーエプロン執事の宗玄さん』にはギリギリ聞こえない声で『幽霊』に返した。


『さっきから思っていたのですが、ずいぶんお金持ち……とは思えない事ばかりですね……』

「………………」


 まぁ、そうだろう……それが俺の正直な感想でもある。


 普通は専属のコックや庭師などいるはずだが、基本的にこの家にはほとんど人はいない。


 しかも、『電話』もなければ『テレビ』もない。


「まぁ、宗玄さんがいれば……とも言えるし」


 正直、『情報化社会』と言われている現代でこれだけ俗世間から離れているのも珍しい……とは言いつつも専属のコックなどがいなくても『ファンシーエプロン執事な宗玄さん』が大体を一人でこなしてしまうし……。


「それに……」

『それに?』


「まぁ、元々俺の両親が『人間嫌い』というのも関係あるな……」

『人間嫌い……』


「ああ」


 そう呟きながら窓の外へと視線を向けたのだった……。

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