第2話
「――ここか?」
「うん♪」
「うんって……」
「どした??」
俺は入るのに一瞬ためらった。なぜなら……扉にはこれ見よがしに『立ち入り禁止』の札が掛かっているのだ。これを目にしておきながら、入る人間がいれたとすれば、そいつの目は節穴に違いない。
「俺の記憶が正しければ確か、入学する前にここには立ち入っちゃいけない……と言われていたはずだが?」
「そうだったね。でもさ……」
そう言いながらも刹那はイタズラをする前の子供の様な表情をしている。
「はぁ、お前はそれでも入りたい……と」
「あっ、バレた?」
精一杯のかわいらしい笑顔をした刹那の頭を俺はワザと……。
「…………」
「ゴツッ!」
無言で殴った――――。
「いったー! 殴らなくてもいいじゃんか!」
「うるさい……」
どうやら人間という生き物は『やってはいけない』禁止されていることをしたくなってしまう傾向にあるらしい。
ただ大人になるほど、年を重ねるほどそういった心理は薄れていくものだと俺は思うのだが……。
「はぁ……」
「あっ、入るの?」
まぁ、今回は仕方ない……なんて言い訳を自分でしながら俺は別館に入る事にした。
――断じて刹那に触発された訳ではない。
「このままボーッと突っ立ているわけにもいかないだろ」
「まぁ、確かに……そうだねぇ」
刹那は何か言いたそうな顔をしていたが、それを言うこともなく俺の後をついて来たのだった――。
「~~♪」
俺たちが別館に入った後も相変わらずピアノの音は響いている。
だが、ただピアノを適当に弾いている……という訳ではなさそうだ。その『曲名』までは分からないが、多分『ちゃんとした曲』が演奏されている。
「刹那……?」
「…………」
俺が尋ねると、刹那は無言で『ある場所』をさした。
「ここか?」
「うん」
どうやらこの部屋から聞こえるらしい。
刹那に言われるがまま俺はその部屋にそっと近寄った。そこは逆光で少し見にくくなっていたが、俺たちと同年代くらいの男子生徒の姿が見えた―――。
「あれ?」
「どうした? 刹那」
どうやら刹那は演奏者に心当たりがある様だ……。
「知っている奴か?」
「いや、面識があるって訳じゃないけど……」
「ないけど?」
「詳しくは俺も知らないけど……名前は知っているよ」
詳しくは知らないのに、名前は知っている……。
実は「その人自体は知らないが、名前は知っている……」なんてことは……結構多い。そして、そういう場合は大概相手が『何かで有名』という事が多いのだ。
「それで、その人の名前は?」
「えと、確か名前は……
「お前……本当に……名前だけなんだな」
「だからそう言っていたじゃん……」
「思ったことを言ったまでだ」
「えー……」
そんな他愛もない会話を俺たちは小声で続けていた……のだが、演奏されている『曲』が佳境に差し掛かったところで……。
「おっ、おい。あまり押すと……」
「ん?」
刹那は彼の演奏に聞き入っていたらしく、かなり前のめりになっていた……。ただ、それ自体は全く問題ない……問題ないのだが、俺が刹那より前にいたため、前のめりになっているかなり押されていたのだ……。
「って、うわっ……ととと……」
「おいっ!」
俺がそう言った時にはもう遅く、刹那に押されてしまい、俺は扉を開けていた―――。
「あっ……」
「あっ……とぉ」
さすがに扉が開いてしまえば『相手』も気が付く――。
「えっ? 君たちは……誰?」
「…………」
「…………」
この状況を誤魔化すのはさすがに……無理だ。そこで俺はすぐそのまま立ち上がり、
「……」
「……」
「悪い……。立ち聞きするつもりはなかった……」
「あっ、気にしなくていいよ。大丈夫だから」
「ただ……ここに人が来るとは思わなかっただけ……」
「悪い……邪魔をしてしまったな」
「ううん、ちょっと驚いただけだから……でも、なぜここに?」
「ああ。それは……」
そう言って俺は扉のところにいた刹那の方を見ると、刹那は体をビクッとさせ、驚いていたが、観念した様にゆっくりと出てきた。
「あいつにここを教えてもらったからな」
「へぇー。君、耳がいいんだ」
「えっと……そうです」
刹那はあまりに不自然な返事な上に、同い年のはずなのになぜかビクビクと怯えている態度。そして、極めつけに言葉遣いは敬語になっている。
「…………」
そういえば、刹那は初対面の人間が苦手だったな……と俺は今更ながら思い出した。
昔から刹那は『怖いもの』も苦手だが『初対面の人間』も同じくらい苦手なのである。理由は「どういう風に会話をすればいいか分からないから」という事らしい。
確かにその主張も分からなくはないが……それを言ってしまうと、誰とも会話が出来なくなってしまうのだが……。
「敬語じゃなくていいよ。俺は
ビクビクと怯えている刹那を音無 神は笑顔であいさつした。
「俺は……
「えっと……俺は宮ノ
敬語じゃなくていいと聞いた瞬間、刹那は笑顔で自己紹介した。
「よろしくっ! 神!」
「うん。よろしくね。刹那と……瞬!」
「ああ……」
音無は茶色く、男にしては……肩につくかつかないか……くらいに長い髪形をしていた。目の色も髪と同じく少し茶色だ。
パッと瞬間的に見ると、その髪は地毛か染めているか疑ってしまうほど明るい茶色をしている。
そして、目は少しつり目だ。それらを見て、真っ先に俺は『猫』を連想した。
「そういえば、さっき弾いていたのは何?」
音無の特徴を観察している間に刹那は楽譜を見ていた。俺も一緒に見せてもらった。その楽譜には『交響曲第六番へ長調 田園』の文字が書かれている。
「えと……?」
「どこかで聞いたことがある様な?」
俺たちはお互いに「聞いたことはあるけど分からない」という顔で音無の方を見た。
「えっと……」
「……」
「……」
しかし、出会ったばかりの人からそんな表情をされても困ってしまうのが普通だろう。音無も困ったように苦笑いをしながら楽譜と俺たちを交互に見比べて、返答に困りきってしまった――――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「~~♪」
「悪いな……」
「え?」
「よくは分からないが……。なんか……練習していたんだろ?」
「ああ……うん。大丈夫……でも、ちょっと……」
俺と音無が会話をしている間、ピアノは刹那が弾いていた。まぁ、お世辞にも上手い……とは言えないが、弾いている刹那の顔は……どこか楽しそうだ。
「どうかしたのか?」
「いや、ちょっと行き詰っていたから……」
「……そうか」
「うん」
「…………」
「…………」
正直、色々聞きたい事があるが、このまま会話を続けるにしても……今の雰囲気ではとても話は続けられそうにない。
「あっ!」
「どっ、どうした?刹那」
刹那は何か見つけたのか若干興奮気味に俺たちを手招きした。
「神さん……これ」
「うん、今度それに参加する事になっていてね」
俺たちに刹那が見せた紙には場所と時間……そして、『コンクール名』が書かれている。
「えっ! すごいっ!」
刹那のこの反応が多分、大抵の人が見せる反応だろう。
「でも……今回のコンクールで結果が出なければ……。ピアノ……辞めようと思っていてさ」
「えっ、なんでっ!? もったいない!」
この反応も言ってしまえばよくある反応だろう。
しかし、刹那がそう言った瞬間、音無は寂しそうな表情をしている様に……俺には見えてしまった……。
でも、何度もコンクールに出て結果が出なければ自信も当然なくしてしまうだろう……。
多分、音無は何度も自分に自問自答したのだろう。
しかし、さっき音無が言った「ピアノを止めようと思う」の言葉が『本当の気持ち』なのかは会ったばかり俺には、分からない。
「なぁんてねっ! 驚いた? 辞めないよ?」
「何だっ! 驚いたよ!」
音無はそう言って刹那と共に笑っている……。
「……………」
しかし、俺にはその笑顔が無理している様にしか見えなかった。
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