第72話

 対面したまま、二人は石像のようにピタリと動きを止めてしまう。


「……どうかしたのか?」


 驚きを隠すことさえ出来ずにいるロゼを心配して、ハリージュが尋ねた。

 ロゼはハッと正気に戻り、王女の顔を見た。


 ルゥルゥの見た目は、その声から予想していたものよりもずっと幼かった。

 物言いからもう少し年嵩なのかと思ったが、まだ十歳そこそこだろう。


 そしてビッラウラ同様、非常に美しい少女だった。

 真珠のような美しい髪に、長い睫に縁取られた若草色の目。まだ丸い鼻も少女の可愛らしさを引き立てていた。薔薇色の頬はふんわりと柔らかそうだ。


 ヤシュムが強く出られないのも、なんとなく納得がいく。彼女にふわりと微笑まれて頼み事をされれば、断れるものはいないだろう。


 そう。ロゼはこの人物を前に見た時にも、そう感じた。


「貴方……」


「ままままままま魔女様?!」


 王女は、あの時落とし穴に落ちていた少女だった。

 ボサボサに乱れていた髪を整え、泥だらけの服を着せ替えさせ、威厳を返してやれば、そっくりそのままこの姿になる。


 後ろにばあやを従え、堂々とした足取りで歩いてきていたはずのルゥルゥは、突然スカートを持ち上げると、目にも留まらぬ速さでロゼの元まで駆けつけた。


「な、何故、本日は、このような……何故!? わた、お迎えにも、あがらず……!!」


 先ほどまであれほど流暢に話していたというのに、まるで覚えた手の言葉を操る幼児のように、言葉が不自由になっている。


「……ロゼ、どういうことだ。何故、ルゥルゥ様が、ロゼを魔女だと知っている?」


 魔女の身分証代わりであるローブを脱いでいるにもかかわらず、王女は一発でロゼを魔女だと見抜いた。それは、ロゼがローブを脱いだ姿で、魔女だと王女に名乗ったことがあるということだ。


「ええと……」


 ロゼは何から説明すればいいのか悩んだ。とにかく、手紙のことは必要ないだろう。もしも自分ならば、絶対にアレを他人に洩らして欲しくは無い。


「お前……そこまで……好きだったのか……」


 大慌てで塔の階段を下りてきたらしいヤシュムが、息も絶え絶えでルゥルゥに言った。


「当たり前です! ああああ……またお会いすることが出来るなんて……兄様のおかげで城から出られなくなってしまい、魔女様にはとんだ不義理を……」


「お前、まさか魔女に会いに行っていたのか?!」


「このご様子では、兄様だってお目にかかっていたようではありませんか。ずるいですわ! ずっとお姿を見ることすら叶わなかった魔女様に、私がどれ程お会いしたかったか、ご存じでしょう――?!」


 その話なら、実はロゼも知っていた。

 六通目の手紙に、いつ彼女が魔女という存在と出会い、如何に好きかと言うことが、便せん四枚にも渡って書き綴られていたからだ。


 彼女が魔女を好いたのは、魔女について書かれた書物を幼い頃から繰り返し読んでいたからだという。彼女の家には、魔女に関する書物が数多く残されているのだと、手紙には書かれていた。それが王家というのなら、納得だ。

 魔女と生きるには、魔女のことをよく知らねばならない。


「あぁ。わかった、わかったもうよい! もう耳にできたタコが潰れてもう一度出来るぐらい、その話は何度も何度も何度も何度も聞かされておる! もう魔女に関する話は、うんざりだ!」


 どうやらヤシュムの魔女嫌いの原因は、妹のルゥルゥにあるようだった。興味の無い話題を延々と聞かされ続けるのは、辛いものがある。


「そ、そうだっ、あの、魔女様! 以前お見せ出来なかった薬を、どうか是非、少しだけでもいいので見ていただけたら――!」


 ルゥルゥは紅潮させた頬でそう言うと、ドレスの襟を開いて胸元に手を入れた。一同がぎょっとしたことも、今のルゥルゥは気にならないらしい。


 頬を紅潮させながら、ルゥルゥがネックレスを引く。

 鎖に繋がれたものがドレスの中から引っ張り出される。


 比較的ルゥルゥの近くにいたヤシュムが、ルゥルゥの取り出したものを見て、徐々に目を見開いていく。


「っな――!」


 しかしヤシュムが止める間も無く、ルゥルゥはそれをロゼに突き出した。


「あのっ……是非、見てみてください! 魔女様の薬を自分なりに真似て作ってみた、”魔女の惚れ薬”ですっ!」


 それはあまりにも無邪気な声だった。


 ルゥルゥが突き出したのは、鎖で繋がれた小さな瓶だった。それは奇しくも先ほど、ロゼの手に握られていたものと同じだった。


 ヤシュムの動きは速かった。ルゥルゥの手を取ったかと思うと、雷のように素早く塔に押し込んだ。

 主人の意思を汲んだハリージュ達も後に続くと、他に誰もいないことを確認し、バタンとドアを閉じた。

 そして人も立ち入られないよう、しっかりと鍵を閉める。


「……ルゥルゥ!」

「ひゃっ! は、はい!?」


 突然の兄の行動に、ルゥルゥは目を白黒させた。

 ルゥルゥにとってヤシュムは、いつも優しい兄だったのだろう。焦りに顔を引きつらせる兄の姿に、ルゥルゥは驚いている。


「に、兄様? いかがなさったんです? お顔が恐ろしい……」

「お前、今、何を作ったと言った!」

「”魔女の惚れ薬”ですわ」


 ルゥルゥの手から小瓶をひったくったヤシュムは、ロゼの元に持って行った。

 神妙な顔をして小瓶を見つめるロゼに、ヤシュムがゆっくりと差し出す。


「――魔女よ。これは、先ほどのものと同じか」

「拝見しましょう」


 ロゼは恭しく小瓶を受け取ると、先ほどと同じ動作で蓋を開けた。

 香る匂いに間違いはなく、ロゼはしっかりと頷く。


「同じものです」


 ロゼがつげると、ヤシュムは卒倒しそうだった。

 顔を空よりも青く、雲よりも白く染めている。


「ど、どうかなさいましたの、兄様」

 尋常で無い兄の様子に、ルゥルゥは焦って駆け寄った。


「お前、何故こんな物を……」

「見せていただいた時、あまりに綺麗で嬉しくて……。真似してみたくて……」


 好きなものを真似したい。好きなものを作りたい。

 そんな気持ちは、成長過程においてさして特殊では無い、誰しもが持つ感情だ。


「一体、一体誰がお前に――”魔女の秘薬”なんか見せたのだ!?」

「誰って……内緒ですわよ。ビッラウラ姉様ですわ」

「……ラーラ、だと……?」


 予想もしていなかっただろう名前に、ヤシュムは今度こそ崩れ落ちた。尻餅をつき、顔も上げられない。


「私がとても魔女が好きだからと――ラーラ姉様が魔法のお守りだって、見せてくださったんです。私、とても嬉しくて……上手く真似できた時は、どうしても誰かに見て欲しくて……それで、お友達に見せたら、彼女たちも欲しいと」


 その後の展望を察するのは容易い。

 少女達が内緒で持っていたルゥルゥ手製の”魔女の惚れ薬”を、本物の”魔女の秘薬”と勘違いした身近なものが取り上げ、自分の欲のために使ったのだ。


 少女が憧れの魔女を真似して作った、可愛い小瓶に入った薬。


 幼く仲良しな少女達のお守りとして、不相応なはずがない。


「――ならん。ならん、ならんならん。ハリージュ、これはならんぞ」

 しゃがみこんだヤシュムが頭を抱えた。


「そうだな」

「そうだよな? まずいよな? まさか、王家のものが原因だったなどと……」


「だからと言って、ロゼに罪を被らせるなんてこと、俺は絶対に許さんからな」


 ハリージュゥ、と情けない声がヤシュムから漏れる。


 この様子では、バッチリロゼに罪をなすりつけようとしていたようだ。ロゼは半眼でヤシュムをねめつけた。




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