第73話


「どうかなさったんですの?」

 兄達を不思議そうに見ていたルゥルゥが尋ねた。

 あまりにも無邪気な声色に、ヤシュムは口を噤んだ。だがそれも一瞬のことだ。覚悟を決めたように、ヤシュムはルゥルゥをしっかりと見つめて言った。


「ルゥルゥ――お前の作った薬で、六人が体調を崩した」

「……まぁ、そんな……! 嘘……」


 ルゥルゥが息を呑んだ。先ほどまで魔女と再会できた幸せの絶頂にあったルゥルゥの表情が、暗く曇る。


「幸いにして、全員が快癒している。後遺症も今のところ見当たらないらしい」

「よかったですわ……でも私、そんな、誰かを傷つけるつもりでは……」


 ルゥルゥの後ろに控えていたばあやが、王女の背をさする。ことの重大さを知り打ちひしがれるルゥルゥの声は、掠れていた。



「――魔女よ」

 立ち上がったヤシュムは、眉を寄せ、唇を真一文字に引き結んでいる。

 そして、沈痛な顔でロゼの前に立つ。


「これまでの非礼を詫びよう……だが何故、こんなことになった。子供がただ真似して作った、それだけの偽物で……なぜ」


 ヤシュムの悲哀に向き合うように、ロゼは薬の入った小瓶を見た。


「確かに、おかしいんですよね」


 小瓶を持ち上げ、僅かに差し込む窓をめがけて光に翳す。太陽の陽にすかしても、おかしなところは見当たらない。


 そう……この”魔女の惚れ薬”は、あまりにも出来すぎていた。


「これ――魔法がかかっているんです」


 小瓶の中の惚れ薬は荒削りなものの、完全に”魔女の秘薬”だった。匂いや色味を真似しただけの、ただの色水では無い。


 打ちひしがれていたヤシュムが、ロゼの言葉にゆっくりと顔を上げる。


 ロゼはルゥルゥの元に歩いて行った。ばあやに支えられていたルゥルゥの頬をがしっと掴み、右に、左にと乱暴に動かす。


 ルゥルゥの、若草色の瞳の奥が、キラリと光る。


「そなた、何をっ――」


「王女様」


 ロゼはしっかりとルゥルゥを見据えながら、はっきりと告げた。


「貴方、魔女ですね」


 つかの間、静寂が支配した。

 一番先に、声を上げたのはヤシュムだった。


「魔女! 気でも狂ったか――!」

「怒鳴らないでください」

「何を根拠に、ルゥルゥを魔女だなどと!」

「”魔女の秘薬”を真似、本物の惚れ薬を作りあげた彼女は、魔女以外に考えられません」


 とても信じられなかったが、ロゼは確信していた。


 ルゥルゥ王女が魔女であると。


 ロゼが匂いを嗅いで驚いたのは、偽物だと思い込んでいた”魔女の惚れ薬”が本物だったことに加え、その薬からビッラウラに渡したものと同じ香りがしていたからだった。


 ビッラウラが内緒で所持していた”魔女の秘薬”――それをこっそりと見せてもらえる人間は、一握りに違いない。それこそきっと、この世に一人きりであってもおかしくは無い。


「王女様は、確実に妃様のお血筋でしょうか?」

「無礼にも程があるぞ!」

「魔女としての見識が不要であれば、私は礼を守り、ここで静かにしております」


 ここで、魔女に関してわかるものはロゼしかいない。ルゥルゥの真実を知りたいならば、答えねばならない質問だ。


「――ルゥルゥと私は母が同じだ。そして、ルゥルゥは叔母上の幼い頃にうり二つだと聞いている。確実に我が血縁だ」


「でしたら、先祖返りでしょう。どれ程前か想像もつきませんが、いつかの昔に、マルジャン国の王族、または王妃様のお血筋に、魔女の血が混じったのでしょうね――王女様、この薬の調合は、全て書物に?」


「い、いえ。基本的な材料くらいしか……」

「たったそれだけで、ここまでの薬を仕上げたのですか」


 ロゼは感心した。一番大事な魔法のかけ方は、もちろん書物には書かれていなかっただろう。


 魔女は魔女の元で育つ。

 それが自然の理だと思っていたロゼは驚いた。

 魔女の自覚もなく、また周囲も魔女の血筋だと知らずに育った少女が、魔女になることなど、本当にありえるのだろうか。


 だが実際、ルゥルゥは”魔女の秘薬”を見事に作り上げている。

 師の教えも、完璧なレシピも、確実な教本も無く。


 それは素晴らしい可能性にも感じられた。

 もしも魔女として生きていく道を選べば、ルゥルゥはロゼなんかとは比べものにならないほど、優秀な魔女になるだろう。


 王家はそもそも、類い希な血統を持つ。

 その時代、その国で一番秀でたもの達が連なってきたのだ。それほど優秀な血を持つ魔女など、これまでいなかったに違いない。


「惚れ薬の飲ませ方は、記されていましたか?」

「いえ……王家にある魔女の書物は、魔女様方ご自身のことを書いているものがほとんどですから……」


 ということは、ルゥルゥは惚れ薬の飲ませ方さえ知らなかったに違いない。

 六人の貴族が倒れた原因は、ルゥルゥの薬が本物だったからこそ起きた症状だろう。


 一年ほど前にハリージュが庵に担ぎ込まれてきたのと同じ――魔法の不成立。


 使用者の体液と共に摂取しなかったことによる、魔法の中毒症状だ。

 行き場の無くなった魔法は体の中に閉じ込められ、魔法の効力と共に症状も消える。


「王女様が魔女だと公表すれば、罪を咎められる事も無いと思いますが」


 ――魔女は人とたがい、魔女は国と違い、魔女は法に違う。


 魔女は法で守られぬ代わりに、守らねばならない法も無い。

 王女が魔女というのは前代未聞だが、魔女と公言してしまえば王女が罰も受けずに済むだろう。


「そんなこと、出来るわけが無かろう。ルゥルゥに魔女の血が流れていようとも、王の血が流れていることもまた事実だ――ルゥルゥが魔女だと言うことは、今後一切、国のためにも秘せねばならない」


 ヤシュムはきっぱりと突っぱねると、ルゥルゥに厳しく言い聞かせた。


「――お前は、罰を受けねばならない。わかるな?」


 ヤシュムの声も、低くしゃがれていた。先ほどまでの威勢とはほど遠い。愛する妹のしでかしたことを知り、処遇を図りかねているのだろう。


「……はい」

 ルゥルゥは己の罪を認識し、殊勝に返事をした。


 一瞬の沈黙のあと、小さな声で「けれど」とルゥルゥが呟く。


「どうした」

「お願いが……ございます」

「なんだ」


「……ラーラ姉様にだけは、言わないでぇ……」


 その場にいた全員が、はっと息を呑んだ。

 少女の願いは、それほどにいじらしかった。


 ポロポロポロと、ルゥルゥの瞳から堰を切ったように涙が零れた。これまで何とか立っていたものの、くしゃりと顔を歪めて声を上げて泣き始める。

 止めようと思っても思っても、自分の感情をコントロールできないようだった。


 最愛の姉が、内緒で見せてくれた信頼の証し――それをこんな風に罪のかたちに変えてしまったことに、後悔しても仕切れないのだろう。


 ルゥルゥの若緑色の瞳から、涙が溢れる。魔女に憧れ、魔女に焦がれ、”魔女の惚れ薬”まで独学で作ってしまうほどに猛勉強していたルゥルゥ。


 どれ程好きなものであっても、努力できないものもいる。


 どれほど努力を惜しまずとも、才能のないものもいる。


 奇跡的にそのどちらも兼ね備えていたというのに、ルゥルゥは王族に生まれたが故に、魔女としての未来を絶たれた。


 あれほど全身で好きだと訴えていた、きっとたった一つの趣味に――今後一切近づくことさえ出来ない。


 ロゼはまだ手に持っていた”魔女の惚れ薬”を握ると、ルゥルゥを見た。


「――ルゥルゥ様、とお呼びしても?」

「……は、はいっ。いえあの、是非ルウと、お呼びください」

「わかりました。では、ルウ」


 魔法のせいで窮地に陥っているというのに、ルゥルゥにとってロゼは未だ眩しい存在のようだった。

 ロゼはルゥルゥに目線を合わせ、しっかりと頷く。


「一度は断りましたが――貴方を、弟子にします」


「……え?」


「不甲斐ない師でしょうが、どうぞ、よろしくお願い致します」


 ぺこりとロゼが頭を下げる。ルゥルゥは呆気にとられたらしく、流れる薄紅色の髪をじっと見つめ続けている。

 しかしその瞳には、涙のせいだけでない輝きが潜んでいた。


「待て、待て待て待て。なにをどうしたらそうなった。それに私は、ルゥルゥを魔女にすることを許してはおらん!」


「貴方の判断は聞きました。これは、魔女としての私の判断です」


 ルゥルゥの肩を、ヤシュムから守るように抱き寄せる。「ひゃあああ」と、か細い悲鳴がルゥルゥの口から漏れた。


 ロゼは少しばかり高揚している。


 それもそのはず。


 ロゼは、祖母以外の魔女を――同族を初めて見たのだ。


 その魔女は才能があり、なにより意欲的で、そして孤立している。

 これまで感じたことが無いほど、先達としての庇護欲がロゼに生まれていた。


「ヤシュム……さん?」

「様をつけろ」

「ヤシュム君」

くん――?!」


「貴方が先ほど考えていたとおり、私がバチを被ってやろうと言うんです。感謝しなさい」


 ロゼは魔女だ。魔女は未熟な魔女を導くものである。


 ヤシュムが目を見開いて、ロゼを見ている。

 眉を顰めるハリージュから、そっと視線を逸らしたロゼは、弟子の頭を抱き寄せた。


 こんなことは、慣れていない。人助けなんて、柄じゃ無い。


 けれど、新しく採ったばかりの弟子も、遠い異国へ嫁いだ――友人とはまだ呼べない――知人も、泣かずに済むならいいではないかと、ロゼは思った。


「今回だけですからね」





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