第70話


「ええい、もうよい! お前が信じたところで、この魔女の薬による被害だということは、何も変わりは無いのだからな」


 さっさとこの話を終えてしまいたいとばかりに、懐から小瓶を取り出し、ヤシュムは声を荒らげた。ヤシュムの持つ小瓶を、ハリージュがじっと見る。


「――その小瓶は、中身が入っているのか?」

「中身の無い瓶を持っていて何になる」


 ハリージュの問いに、ヤシュムが馬鹿にしたように言った。


「ロゼに見てもらおう。薬のことなら、何でもわかる」

「何でも、はちょっと買いかぶりかと……」


「おまっ……魔女に魔女の薬など渡せるものか! 剣士に剣を渡すようなものでは無いか」

「そう。専門家に意見を伺うだけだ。それともここで、朝になるまで睨み合い続ける気か?」


 ヤシュムは心底嫌そうに顔をしかめると、ハリージュに小瓶を手渡した。ハリージュがロゼに、小瓶を差し出す。


 ロゼは神妙に小瓶を受け取ると、蓋を開けた。なんだかんだ言っていたが、ヤシュムも固唾を飲んで見守っている。

 ずっとヤシュムの後ろに控えていたゲオネスは、主人の前に移動し、ロゼを警戒するように剣に手をかけている。


 小瓶を揺らし、手で扇ぎ、匂いを嗅ぐ。


 そしてロゼは、唖然として薬を見た。


「……これ、は」


 覚えがあった。ロゼはこの薬の匂いを知っている。


「何かわかったのか?」

 ハリージュが期待するようにロゼを見る。

 だが、ロゼの心にやってきたのは深い悲しみだった。


「……”魔女の秘薬”は、魔女によって一人一人、作る手順も、使う材料も異なります。一家相伝の技を、住んでいる場所や時代に合わせて、魔女が少しずつ調合を変えているからです……」


「それで? 自分では無く、余所の魔女が作ったものだとでも言うのか」


 ヤシュムの言葉に、ロゼは顔をしかめた。


 ティエンに”魔女の惚れ薬”の話を聞いた時から、ロゼはこの薬を”魔女の秘薬”だとは信じていなかった。


 だけれどもし、この匂いが伝えることが真実なら――


「この薬は非常に、私が作ったものと似た香りがします」


「ならばやはり、そなたが犯人ではないか!」

 結論を急ぐヤシュムに、ロゼはきっぱりと首を横に振る。


「いえ。単純にもう一度作ったとしても……よほど似せようとしない限り、これほど似ることは無いんです」


 全く同じかたちの動物や植物がいないように、元が同じでも、それぞれの薬も少しずつ異なる。その全てを魔女は理解し、操り、真実を取り除き、魔法に変える。


「そして、私は……」

 ロゼはまじまじと小瓶の中身を見つめた。


「私は――この匂いの薬を売った相手を、覚えております」


 信じたくない思いだった。


 ロゼはハリージュを見た。


 神妙な顔で聞いていたハリージュは、何故自分に視線を向けられたのか、わからないようだった。


 だが、ロゼが助けを求めて視線を寄越したのでは無いと気付くと、深く考え込み――目を見開いた。


「っ……まさか」


 ハリージュの口から、唖然とした声が漏れる。


「なんだ、どういうことだ――」


 ただならぬ様子のハリージュに、ヤシュムが尋ねようとした時、ヤシュムの背後で音がした。


 ――コンコンコン


 室内にいる四人全員が、びくりと肩を揺らした。

 突然ノックされたのは、この部屋に一つしか無いドアだった。


 まさかこの場に誰かがやって来るなどと予想もしていなかったのだろう。ヤシュムは不審さを隠しもせずに言った。


「誰だ」

「まぁ、兄様? 私ですわ」


 秋の夜の鈴虫の音色ほど、美しい声だった。ヤシュムの顔が途端に驚きの色に染まる。


「ルゥルゥ?!」

 それはマルジャン国第四王女の名前だった。


 驚いているロゼの手から、ハリージュが小瓶をもぎ取る。更に驚くロゼをよそにハリージュはテキパキと動いた。


 ロゼの知らぬ間に、ヤシュムらとはアイコンタクトで意思の疎通を済ませたようだった。

 ハリージュが自由に動こうとも、ヤシュムが静止の声をかけることは無い。むしろ、まるで時間稼ぎのように扉も開けずに、ルゥルゥに声をかけている。


「こんなところで何をしている」

「母様が珍しく”魔女の塔”を開けているとおっしゃっていたから、こんな機会はまたとありませんし、見に来たんですの」


 おっとりとした声は、自分が歩きたい道を歩くことに、なんの惑いも抱いていないように聞こえた。


 王女である彼女を止めることは、下で塔の警備していた騎士にもできなかったのだろう。


 ロゼがヤシュムとルゥルゥの会話に耳を澄ませていると、ぐいと体を引かれた。

 先ほどまでロゼが座っていた椅子の下に屈んでいたはずのハリージュが、気付けばロゼの腰を掴んでいた。


 どうしたのかと、ロゼはハリージュを見上げる。ハリージュはロゼを一度見ると、小さく頷いた。


「口を押さえていろ。声は出さないように」


 口? 声? ロゼは言われるがままに、両手で口を覆った。


 その瞬間だった。

 これまで感じたことの無い浮遊感がロゼを襲う。


 まさかと思った。

 否、そんなはずが無い。


 人間が空を飛ぶなんて、そんなことは大昔の大魔女でも無い限り、ありえない。


 なのに、空気を包もうとしたローブがバサバサバサと大きな音を立てて舞う。


 そうつまり、ロゼは、空から落ちていた。


 真っ逆さまに、地面に向かって――塔の窓から飛び降りていたのだ。


「――~~~っ!?」


 あまりの恐怖に声も出なかった。

 背中から真っ逆さまに落ちているロゼの眼前には真っ青な空が広がっている。


 あぁ、人生、終わった。


 魂が抜けそうになりながら自身の最後を覚悟したロゼは、ピンッと何かに引っ張られて滑空を終えた。

 痛みを生じるほどに突っ張られた体は、そのままぶらんぶらんと揺れる。


「よく耐えたな」

 四肢を重力に任せるままに垂らしているロゼは、ブルブル震えながら横を見た。

 ロゼは空しか見えていなかったから気付かなかったが、一人で落ちていたわけでは無かったようだ。思えば、ハリージュにしっかりと抱きしめられているままだった。


 ロゼを抱きしめたまま窓から飛び降りたのだろう。万が一の逃走用に持ってきていたのか、ハリージュの体にはロープがくくりつけられている。

 見上げる勇気は無いが、先ほど椅子の脚にでも反対のロープをくくりつけていたようだ。


 引っ張られたように感じたのは、途中で勢いを殺すために、ハリージュがロープを強く握ったのだろう。手の平はどうなっているのか、考えたくもない。


 ハリージュは手慣れた様子で片足を塔につけ、片手でロープを持ち、塔の上を見上げている。


 ロゼは吊されたまま、ハリージュに早く助けて欲しいと懇願する。ロープの長さはそこそこにあったが、未だ空中にぶら下がっているままだからだ。


 しかし、ロゼの願いはむなしく、ハリージュは渋い顔をした。


「――まずい」


 折れる、とロゼの耳に不吉な言葉が届いた。





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