第65話

「ティエンは、何を知りたがってるの?」

「んー……そうだね。さっきの反応からして、それ、君が作ったものじゃ無いんだろう?」


 ロゼは頷いた。こんな小瓶に見覚えが無かったからだ。


「もし君が作ったなら、希少価値について一言言っておこうと思ったんだよ。これを譲ってくれたお方は、随分良心的な値段で手に入れたらしいからね。でも製造元が君じゃないと言うのなら――”魔女の秘薬”を扱う商人としては、偽物が出回るのを見過ごせない」


 ”魔女の秘薬”が大量に出回れば、希少価値は薄れる。

 更に、その”魔女の秘薬”が偽物だった場合は、本物の品質まで疑われかねない。ティエンの危惧は、そのまま魔女の仕事に誇りを持つロゼの心配事でもあるようだった。


 持っていた小瓶の蓋を開けると、ロゼは香りを嗅いだ。


「……水?」

「僕が手に入れた時には、既に中は綺麗に洗われた後だったからね」


 ということは、ロゼには何もわからない。お手上げ状態だ。


 せめて一滴でも残ってくれていれば、わかることもあったかも知れない。ロゼ自身、”魔女の秘薬”の偽物なんてものは初めて見たので、どう対応するべきなのかわからなかった。


「さて、どうしようかねぇ」

「モナを追いかけ回すのはお勧めしないから」


 このままだと、モナが泣くまで――いや泣いても詰め寄りそうなティエンに、ロゼはチクリと釘を刺す。

 ターラ達への接し方を見ていて悟ったが、ハリージュは一度懐に入れた人間にはとことん甘くなるようだ。

 彼らを守るためなら、ティエンとの縁も絶ちきってしまうかも知れない。


「折角見つけた情報源なのに」

 ティエンが口を突き出して拗ねてみせるが、ロゼは取り合わなかった。


「仕方ない。妹婿にも、妹にも嫌われたくはないからね」

 誰が妹婿で、誰が妹だという文句をロゼは紅茶と共に飲み込む。


 しかし自分が言った言葉に、触発されてしまったようだ。ティエンは紅茶のカップをソーサーに置くと、しみじみとした声で呟いた。


「――次に会う時は、君は花嫁かぁ……」


 まるで感傷に浸っているような声に驚き、ロゼはティエンを見た。


 彼はロゼが結婚するかもしれないという話をしてから今まで、喜び以外の感情を忘れたかのような有頂天ぶりだった。

 少なくとも表面上は、当事者のロゼよりも、よほど喜んでいるように見えたことだろう。


 かつてロゼも世話になっていたティエンの父にも話を通し、色々と融通を利かせてくれているらしい。

 そんな彼だからこそ、まさか残念そうな声色を出すとは思ってもいなかった。


 まさか本当は嫌だったのだろうかとロゼが不安になった頃、ティエンは口を開いた。


「僕が君に初めて挨拶した時――」


 ティエンは昔を懐かしむように話し始める。


「君は大魔女の腰にしがみついて、僕を睨んでいた。なぜなら、僕は挨拶をするよりも先に、森で会った君が捕まえようとしていたイタチを横取りしてしまったからだ」


 それは覚えていなかった。

 ティエンが何を言うのかとドギマギしていたこともあり、落差に腹を立てたロゼは、ティエンの前に置いてあった林檎の菓子を一つ奪った。


 ティエンはそんなロゼに何一つ言うこと無く、話を続ける。


「あれは君が八つの時だった。君は、一晩中僕を寝かせてくれなかった。僕は喉がカラカラになるまで、僕は砂漠の国から持ち帰った百絵巻を朗読させられた」


 一晩中のくだりで、台所から帰ってきていたモナの肩がびくりと揺れた。主人の婚約者の不貞話を聞かされると思ったのだろう。

 わざとそういう話し方をしたティエンにむかついたので、更に菓子を一つ奪ってやった。


「君が十の頃、二桁まで無事に生き延びた祝いにとコニャックを飲ませたらのびてしまって、僕は大魔女に梁から吊されてしまった」


 これもやはり覚えていないが、当然の権利として、ロゼは皿から菓子を奪った。


「幼い君はかわいそうに……僕に何を飲まされたかも忘れて、梁に吊された僕がかわいそうだからと大魔女に泣いて僕を下ろすようにせがんでいた!」


 ティエンは嬉しそうに話している。

 ぶん殴ってやろうかと思った。

 ティエンの皿から菓子が二つ減った。


「君が十二の頃だ。大魔女に料理を命じられた君は、気乗りしないながらに頑張ってシチューを作っていた。あの時、ものすごい色のシチューが仕上がってへこんでいただろう? あれはね、驚く君が見たくて、僕がこっそりサフランを入れた」


 ロゼは、手が汚れるのも気にせず、ティエンの皿の菓子を引っ掴んだ。


「――大魔女が眠りについた時、僕は君も天へのぼってしまうかと思った。生きる気力も無くした君は、今よりもずっと痩せ細ってしまって……どうしても外せない仕事があったから、この国を離れたけど、心配で仕方が無かった。君はあまりにも、生きることに無頓着だった。……まあでも、次に会った時にはケロッとしていたもんだから、何か変なものでも拾い食いしたのかと疑ったけどね」


 ついにティエンの皿の上から、菓子は無くなってしまった。


 ロゼの紅茶のカップに、ポトリと雫が落ちる。


「……幸せにおなり。僕の可愛い小さな魔女」


 ロゼはずっと、思い違いをしていたのかもしれない。


 祖母を亡くした時、ロゼは唯一の家族を失ったと思っていた。そしてハリージュと、新しい家族を作るのだと。


 だが、もしかしたらずっと自分は持っていたのかも知れない。

 つかず離れず――そばで見守ってくれていた、兄のような親代わりが、ずっと。


『――あんたを森から連れ出してたうえ、家族からも引き剥がすようなことはしない』


 ハリージュがティエンをロゼの家族と言った時、ロゼは何の気なしに心の中で否定していた。


 だけれど、ロゼなんかよりもずっとハリージュの方が、ロゼ達をよく見てくれていた。


 俯いて、あれほど美しいと思っていた宝石のような菓子を一斉に口の中に放り込んだ。


 今ティエンの顔を見てしまえば、まるで人間の娘のように「結婚なんかしない」と喚いて、ティエンの袖を掴んでしまいそうだと思ったからだ。


 窓の隙間から入った風が、カーテンを揺らす。

 風はもう、随分と冷たい。



 結婚式はもう、すぐそこまで迫っていた。





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