第66話


 夜風が頬を流れるのが気持ちいい。


 窓枠に座ったロゼは、下を見ていた。

 アズム邸の玄関にはまだ灯りがともらない。いくら薄闇に目を凝らしても、耳を澄ませても、ハリージュを乗せた馬は、やって来る気配さえ感じさせなかった。


 シーツやキルトをぐるぐるに体に巻き付け、窓枠にもたれ掛かる。


「……お嬢様」


 ロゼはびっくりして体を硬直させた。

 危うく窓から落ちそうになり、ハシッと窓を掴む。ロゼが手に持っていたカップが、窓から落ち、音を立てて割れた。


 カップが死に絶える一部始終を見ていたロゼは、冷や汗を垂らしながら、落ちそうになった体を慎重に室内に戻し、振り返った。


 そこには、ロゼの纏っていたキルトを強く握りしめ、蒼白な顔をしたモナがいた。

 慌ててロゼを掴んだために、手に持っていたものを全て投げ捨てたのだろう。モナの周りには、様々なものが散乱している。


「た、大変、申し訳ございません」


 ふるふる、とロゼは首を横に振った。もとはと言えば、こんな場所でぼうとしていたロゼに非があるだろう。


「ですが明日、ターラさんに謝る時についてきてくれると、嬉しいです」


「勿論でございます。カップを片付けて参りますので、こちらにいてください」


 散乱していた荷物を簡単に纏めると、モナは階段を下りていった。この暗闇で、一人で割れた陶器を片付けるとなると怪我をするに違いない。

 ロゼは蝋燭を持ってモナの後に続いた。


「お嬢様! お屋敷の中にいてくださいませ」

「慣れてますので」


 慌てるモナを制し、ロゼは足下を照らした。モナは申し訳なさそうに、大慌てで割れた陶器を拾い上げていく。

 ロゼが手を出そうとすると、ブンブンブンと強く首を横に振られる。


「――もうお式まで、幾ばくもございません。どうか、お大事になさってくださいませ」


 仕方なくロゼは蝋燭を持ち、地面を照らす。地面を照らしているだけも暇なので、ロゼはモナに尋ねた。


「さきほどは、何だったんですか?」

「え?」

「なにか話したいことでもありましたか?」


 モナは近頃、ロゼに心を開き始めてくれている。だが用事がある時以外は、まだまだロゼを避けているようだった。そのため今回も、何か用事があって近づいてきたに違いないと思ったのだ。


 用事が無い限りロゼを放って置いてくれることは、嘘をつけないロゼにとってありがたいことでもあった。

 無意味な会話を続けることは、魔女には死活問題となりうるからだ。


 とはいえ、人との距離感に怯え、口を噤んでばかりいたロゼも、最近では自然に会話することが出来るようにもなっていた。


 元々、ロゼは答えにくいことを答えない術を持っていたし、悪意の無い人とであれば、本音で話をすることも出来る。


 モナはカップを拾う手を一瞬止めたが、覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いた。


「これまで、大変申し訳ない真似を致しました。お嬢様が魔女だということに、酷く怯えていたことを恥ずかしく思います」


「……どうしたんですか?」


「……昼間、お嬢様がコン様から庇ってくださった時に、己を恥じました」


 コンというのは、ティエンの家名である。ロゼがモナを助けたことに、とても感謝しているようだった。ロゼは曖昧に頷く。人に感謝されることは、あまり慣れていない。


「私が魔女を恐ろしいと思ったのは……思っていたのは……コン様が持っていらしたあの薬を――人に、飲ませたことがあるからです」


 ティエンは「良心的な値段」と言っていたが、貴族や商人の価値観だ。ということは、それなりの値段はしているはずである。

 モナは、実は何処かのご令嬢だったのだろうか。ロゼはしげしげとモナを観察し始める。


「以前私がお勤めをしていたお屋敷で、あの薬を使うよう命じられたことがございました。当時お仕えていたお嬢様が、懇意の男性に……。断れるわけもなく、私がその方のカップに薬を混ぜ、お渡ししました」


 モナは当時のことを思い出したように、ぶるりと体を震わせた。


「その方は、一口含まれると、そのまま……バタリと倒れて……」


 騒然とした場に、大慌てでやってきた女主人に事情を知られ、モナは解雇となった。口封じのために推薦状は持たせてもらえたが、二度と敷居をまたぐことを許されなかったと言う。


 人を意図的に傷つけてしまったことに、モナは深い後悔があるのだろう。その声は沈痛だった。ロゼはモナの肩を、小さく擦る。


「……どうして教えてくれたんですか?」

「コン様のお話を聞いて、お嬢様が作った薬ではないかもしれないと……」

「勿論です。私の惚れ薬なら、絶対に惚れさせます」


 なんと言っても効果は実証済みである。ロゼは自信を持って伝えた。


 ロゼは魔女だ。魔女は秘薬を作るものである。


 そして魔女の仕事に誇りを持つロゼは、自分の作る”魔女の秘薬”が悪だとは思っていない。


 人の命を奪うための剣を鍛冶屋が打ち、人の心を奪うための薬を魔女が作る。


 それは多くのものに必要でなくても、誰かにとって必要なものだ。人が必要とする限り、善き魔女であるロゼは、秘薬を作り続ける。


 だが、意図した効果が出ない薬は、悪だ。


 それを全て正したいという信念をもっているわけではない。だが、そんな粗悪品を自分が作ったと思われるのは心外だった。


「コン様に尋ねられた時は混乱もしておりましたし、当時のお嬢様のご事情もありますので、お伝えできませんでしたが……あれから少し考えて、コン様がお聞きになりたかったのは、お嬢様の進退に繋がると思ったからでは無いかと――ならば、私は、お伝えせねばと」


 元々仕えていた家の話を余所で洩らすのは御法度なのだろう。それも、苦手としている魔女に伝えることは、酷く勇気のいることだったに違いない。

 使用人も魔女と同じで、信用されなければ雇ってもらえないという。モナもロゼも、仕事が無くなれば後は土塊になるだけだ。


「ありがとうございます。それと……」


 ロゼはしゃがんだ。そして、モナの顔を見つめる。


「私は、モナは、とても素晴らしい使用人だと思います」


 魔女が真実しか言えないと知らないモナには、どれほどの思いが伝わったかはわからない。けれどモナは瞳を潤ませ、ロゼのために祈ってくれた。


「もし偽物であれば、お嬢様がいらぬ危険に巻き込まれる可能性もあるかもしれません……実際、元のお屋敷では非常に魔女への不信感を強めておりました。どうぞ、どうぞお気を付けくださいませ」


 ロゼは暗闇でも伝わるように「はい」と声に出して返事をした。





 だが不幸なことに、モナの予感は当たってしまった。


 それから三日後――ロゼは、捕らえられた。






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