第62話


「この間、結婚のことを調べたと言っていたが、その時の書物には書いていなかったのか?」

「誓い合うと書いていただけでした。ま、まさ、まさか人間が、誓約に身体的な接触を必要とするとは思っていませんでした」

「そんなに大げさなことじゃない。触れ合う程度だ」

「ふ、触れ、触れ合う程度って……?!」


 触れ合うことをキスと言うのではないのか。触れ合うことを口付けると言うのではないのか!?

 ロゼはパクパクと口を動かした。


「大丈夫だ。優しくする」

「優しく?! 優しくする以外の方法があるんですか!?」

「……」

「なんで黙るんですか! 何で黙ったんですか!? 黙る必要がありますか!?」


 ロゼは膝を抱え、顔を埋めて疼くまる。


「無理……儀式で、はじめてのちゅうとか、無理……」


 ううう、と肩を振るわせ始めたロゼが不憫に思い始めたらしく、ハリージュはそっと背を撫でる。


「練習しておきたいという意味か?」


「おふざけあそばすのも大概にしてくださいませ」


「……まあ、無理強いはしない。やらずとも式の進行が出来るように取りはからえ――」


「本当ですか?!」


 ガバリと勢いよく体をあげたロゼを、ハリージュは半眼でねめつけた。


「……ロゼ」

「で、でも、今言いました……言いましたから……!」


 言いましたもんね、とロゼは立ち上がって退室した。しかしはたと思い出し、ドアからこっそりと顔だけ出して、室内を覗く。


「……あの」

「なんだ」

「約束は覚えていますか?」

「約束?」


 交わした約束を忘れているかのような男にムッとして、ロゼは渋い顔をする。


「私がウェディングドレスを着る代わりに、交わした約束です」


「ああ、覚えている――が、このタイミングでその話をするか? 流石に図々しいと思わないか?」


「思わないことも無いですが、着てもらう方が大事です」


 まさか誓いのキスを譲歩してもらったのだから、騎士服も譲歩しろと言い出すのでは無かろうかと、ロゼはハラハラとしながら尋ねる。


「もうずっと待っているのですが、いつ着てくださるんですか?」


 最近ロゼは、夜に帰宅するハリージュを玄関まで出迎えるようになっていた。ハリージュの帰宅する日が少なくなってきているせいもあるが、一番の理由は、彼が騎士服を着て帰ってこないかと、胸を躍らせながら待っているのだ。

 だが残念なことに、今のところその気配は無い。


「せめていつ着てくださるのかだけでも教えてください」

「……嫌だ」

「何故?!」

「相応しい時に着る」

「相応しい時って……お城での警備中ということですか? それだと、一生見られないじゃないですか! そのままなあなあにする気ですか!?」


 ハリージュが約束を守ってくれないのかもしれないと思うと、ロゼは段々と悲しくなってきて、声を荒げる。


「そんなに慌てることか」

「慌てもします……」


 魔女としての心得を忘れそうになっている。ロゼは深呼吸して、ハリージュを見た。


「約束を反故にする気ですか?」

「しない。守る」


 ハリージュは真剣な顔で答えてくれた。いくらか安堵したロゼは、じっとりとした視線を向けた。


「信じていますよ」


 ハリージュは鼻から息を通すように笑ったかと思うと、次の瞬間目をとろけさせるように甘い顔になった。


「……ああ」


「!!」


 ロゼは驚いて、この甘さに胸と身を焼かれないうちに、廊下を走って逃げ出した。




***




 夜遅く、暗い政務室の椅子に一人の男が座っていた。

 開け放たれたカーテンは、月夜を遮ること無く室内に迎え入れる。


 今日は風が強いため、いつも競うように鳴いている虫も随分と静かだった。月に寄り沿う雲は薄く、白く発光している。

 星と共に眠る城は、時折風が吹き付ける音が聞こえる程度で、あとはしんと静まり返っていた。政務室ではペンを走らせる音が微かに聞こえる。


 遠くから近づいてくる足音が、僅かに政務室に届いた。

 背に月の光を浴び、小さなランプだけを便りに難しい顔をして書類を睨み付けていた男が、ふと顔を上げた。


「何かわかったか」


 月明かりに照らされていたヤシュムは、ノックも無く開いた扉を見た。扉からは、ハリージュが疲れ切った顔を覗かせる。


「夜分に失礼致します」

「かまわない。座れ」

 ペンを置き、眉間を揉むようにしてヤシュムがソファを指さした。ハリージュは主人に向ける礼を取った後、勧められた席に静かに腰を落とした。


「手早くすまそう」

「では早速。原因不明で倒れた貴族の七人中五人が、飲み物を飲んだすぐあとだったと証言しました。五人中四人がワインです」


「ワインの製造元は」

「ワインを提供したものを尋ね確認しました。銘柄も産地も経路も、全てバラバラでした」

「そうか」


 ハリージュとヤシュムは、近頃マルジャン国内の貴族が次々と原因不明で倒れる不可思議な現象について、独自に探っていた。ヤシュム達の職務とは異なるが、ヤシュムの知り合いも倒れてしまっていたからだ。


 幸いにも、倒れたもの達はいずれも半日もせずに症状を回復させていた。

 また症状が軽く、後遺症もとくに見受けられないため、軍では無く医者の出番とも思われていたが、今後被害はもっと大きくなるかも知れない。


「徹底的なものは掴めてないのか」

 静かに「はい」とハリージュが答える。


「引き続き探ってくれ。今日はもういい」

 ハリージュが静かに頭を下げ、政務室から立ち去った。


 廊下から響く足音を聞きながら、ヤシュムは深く長いため息を零した。




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