第61話

 ――少し勉強したとは言え、ロゼにはまだ人間の常識は縁遠い。

 結婚式のことは一任すると伝えていても、ハリージュは決定事項をロゼに伝えてくれる。一番寒い冬の日から五日後の、正午の鐘が鳴る刻に、ステンドガラスが綺麗な大聖堂での挙式となるらしい。


 参列者は当然だがほぼハリージュの知り合いで、最低限の人を集めただけでも、七十四名。

 そこに、ティエンを含めて七十五名としてくれた。


 式に着るドレスや靴などの用意も着々と進んでいる。

 仮縫いのたびに、こんなものを着て動けるのか? と不安になるが、どうにかこうにか動けるのだから、裁縫師の腕は凄いとしか言いようが無い。


 結婚に対しても未知の恐怖をだいぶ取り除けたため、ロゼは悠々とその日を待っていた――のだが、レタス色の便せんが、ロゼを混乱の坩堝にたたき落とした。




***




 日が昇る時刻が、日に日にゆるやかになっていく。紫色の空に橙色の雲がたなびき始め、段々黄色へと変色させる。


 ロゼはフードを深く被ると、靴紐もいつもよりも念入りに結び、森へと分け入った。


 ――ピュルル……

 どこかで獲物を見つけたのか、頭上で鳶の鳴く声が聞こえる。道中で見つけた枝を杖にして、時折地面に手もつきながら、傾斜を上る。ザクザクと、木の葉の床を踏みしめる音が森に響く。 


 目的の場所につくと、ロゼは屈んだ。木の根に積もった落ち葉を手でかけば、目的のキノコがある。

 薬に必要な数だけもぎ取り、脇に抱えていた籠へ詰め、また庵へと戻っていく。


 軒下に、採ってきたばかりのキノコを吊していると、来客を告げる鐘の音が鳴った。庵の周りをぐるっと歩いて行くと、どうやらたった今、向こう岸の桟橋にあるポストに手紙が投函されたようだった。


 気がつけば、随分と辺りが暗くなっている。

 そろそろ屋敷に戻る時間だ。キノコを全て吊し終えると、ロゼは庵の戸締まりをして、湖を渡る。

 細腕で小舟を岸に引き上げ、気持ち程度、茂みの奥に隠す。


 ポストの鍵を開け、手紙を取り出す。

 そこには二通手紙が入っていた。


「……また?」


 既に見慣れてしまったRの文字に、ロゼは顔を引きつらせた。


 実は彼女からの手紙は、数日とおかずにロゼの元に届けられている。

 弟子を断った恨みのつもりなのかと思ったが、紙面に書かれているのは、どれほど魔女を好ましく思っているかというものばかりで、そこに脅すような文字は一つとて無かった。


 呪いや魔法がかかっている風でも無い。害は無いので放置しているのだが――そもそも差出人がわからないので、止めるように手紙を出すことも出来ない。


 そしてもう一通は、レタス色の封筒だった。

 綺麗な筆跡は代筆ではなく、差出人――ビッラウラ自身のものだ。


 ビッラウラは、他国へ嫁いでいったマルジャン王国の王女である。


 そして、”湖の魔女”に秘薬を依頼してきた客でもあった。


 彼女がロゼを頼らなければ、ロゼはひっそりと片思いをしていただけのハリージュと、結婚どころか、会話することさえ叶わなかっただろう。

 また、ビッラウラ自身がロゼの”魔女の秘薬”を希望のように話してくれたことが、ロゼは途方も無く嬉しかった。


 そんなビッラウラと、有り難いことに手紙で交友が続いていた。手紙をやりとりする同年代の女性など、ロゼには皆無だったため、未だに封を開ける度に胸がこそばゆくなる。

 先ほどの愛を綴られた恐怖の手紙とは雲泥の差であることは、言うまでも無い。


 ビッラウラからの手紙の中身を読みながら、近くに咲いていた花を摘む。手慰みにくるくると回せば、いくつも連なる釣り鐘の形の花が揺れた。


 しかし、ビッラウラの手紙を読み進めていくうちに、ロゼの動きが止まる。なんとなく遊んでいた花が――ポトリと地面に落ちた。




***




「タタタッタッターラさん!」

「あらいやだ。私はいつからそんな明るい名前になったんでしょうね」


 屋敷に入るなり、ロゼは台所へ向かった。台所で料理をしていたターラは、明るい笑顔でロゼを迎える。


「ターラさん!」

「なんでしょう、お嬢様」


 ロゼは件の手紙をローブの中でぎゅっと握りしめ、手紙の中にしたためられていた驚愕の出来事を告げる。

 嘘だと言って欲しくて、お前はからかわれたのだと笑われると信じて尋ねたのに、ターラはあっけなくロゼに頷いた。


「ええ、そうですよ」


 ショックを受けたロゼは、ぐらりとふらついた。

 驚いたターラがフライ返しを持ったままロゼを助けようとしたが、ロゼは断って、よろよろと廊下へと消えていった。




***




「モ、モナ!」

 蝋燭を取り替えていたモナの、細い肩がビクンと震える。魔女の逆鱗に触れたのかと、怯えているように恐る恐る振り返る。


「はい。な、何かございましたか?」

 失態を責められると思っているのか、モナは神妙な表情でロゼに尋ねた。せっかくこのところ、少し打ち解けてきたように感じていたモナと、また距離があいてしまうかもしれなかったが、ロゼは聞かずにいられなかった。


「聞きたいことがあります」

「何でございましょう」


 覚悟を決めたようにモナが背筋を伸ばす。

 ロゼはゴクリと生唾を飲み込むと、ターラに尋ねたことと、同じことを聞いた。


 一瞬何を聞かれたのかわからなかったらしく、モナは一度パチリと瞬きをすると「え、ええ」と頷く。


「そう……ですね。一般的には、そのように行うかと」

 半ば予想していた答えだったとは言え、ロゼへのダメージは計り知れなかった。


「……あの、お嬢様?」

「……いえ、いいんです……答えてくださって、ありがとう、ございます……」

「いえ……あの、お嬢様……。あの、お、お気を付けて!」


 ふらふら、と歩きだしたロゼに、モナが背後から檄を飛ばした。




***




「サフィーナさん……」


 幽霊のように、ロゼが顔を出す。

 ハリージュの私室で仕事をしていたサフィーナは、びくりと肩を揺らした。


「……お嬢様でしたか。如何なさいました」

「今お時間よろしいですか……? 尋ねたいことがあって」

「勿論でございます。何でしょう」


 サフィーナはハリージュの部屋のソファにロゼを座らせると、温かい紅茶を運ぶように、そばにいたフットマンに指示を出す。

 ロゼは運ばれてきた紅茶を飲み、喉を潤わせると、顔を両手で覆った。


「ターラさんも、モナも、そうだと言うんです……でも、とてもじゃないけど、信じられなくて……正気だとはどうしても思えない……」


 声は掠れ、今にも泣き出しそうだった。サフィーナはロゼの背をゆっくりと擦る。


「ええ、そうですか。一体何があったのです」

「彼女は……手紙をやりとしているお客様が……知人が……おりまして」

「ご友人なんですね」

「そう呼んでいいものなのか、私にはわかりません。ただ彼女が……」


 ロゼはついに涙が溢れてきた。ビッラウラから、今日届いた手紙の文面を思い出す。


【産み月と重なるため、私は行けぬが、佳き日になることを願う。式での誓いの口付けは、作法がわからねばハリージュに任せるとよい】


「式に、ち、誓いの口付けが、あると……」

「あるぞ」

「ぴゃあ!」


 ロゼは座ったまま林檎一つ分ほど飛び上がった。それほどに驚いた。

 顔を真っ赤にしたロゼは、涙で瞳を潤ませながら、声の主――ハリージュを見上げる。


「ななな何故ここに」

「何故にも何も、ここは俺の部屋だ」


 ぐぅの音も出ない反論をされて、ロゼは口をぎゅっと引き結んだ。先ほどまで隣の部屋にいたのか、突然現れて心底驚いた。


「最近いらっしゃらないことが多いので、今日もお留守かと」

「残念だったな」


 サフィーナはロゼが悩んでいる内容を聞くと、あとはハリージュとの問題だろうと、優しい笑みを浮かべながら去って行く。


 残されたのは、温かい紅茶のポットと、ロゼと、ハリージュだ。




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